1 コーデリア・アップルトン ~伯爵夫人の憂鬱
9話で完結します。
背徳な感じのお話が書きたくなりまして……。
楽しんでいただけたら幸いです。
春の訪れと共に社交シーズンが到来し、地元で過ごしていた貴族たちが集うと、王都は一気に華やいだ。
宮廷舞踏会を皮切りに、あちらこちらで毎夜のごとく夜会や晩餐会が開かれ、美術展や競馬の大レースなど様々なイベントに暇がない。
男たちが議会で政に勤しんでいる間も、貴婦人たちは、お茶会や福祉活動に精を出し、少しでも人脈を広げようと大忙しだ。
あまり社交に積極的ではないコーデリアですら、昨年までは、何度か茶会と晩餐会を催したものだが、今年はその予定がない。
気晴らしに適当な茶会に参加し、思いつくままに会話を楽しむ。そこには何の打算もない。強いて言えば、人生最後の社交シーズンを心ゆくまで堪能することだろうか。
コーデリアには、伯爵夫人として家のためにあくせく動き回る必要など、もうないのだ。
秋恒例、王室主催の狩猟大会が開かれる頃には、離縁されているからである。
◇◇
「このシーズンが終わったら離婚届を提出すると母上が――」
コーデリアは、領から王都へ向かう途中の馬車の中で、夫のアレックスから打ち明けられた。
離婚届のサインは、婚姻時に記入済みである。
そうなる予感はあった。
一瞬だけ胸がギシッと撓んだものの、特に驚きはしなかった。
「そうですか。契約通りというわけですのね」
「ああ。それで、あの……」
アレックスが、上目遣いで妻の顔色を窺いながら口ごもった。
「もしかして、持参金は返せないとかそういう話ですか?」
気弱そうな夫の様子にイライラしながら、コーデリアは尋ねた。
理由の如何を問わず離婚時に持参金を返還する旨が、結婚契約書に記してある。裕福な婚家からすれば大金とは言えない金額だが、あるのとないのとでは今後の生活にかかわるのだ。
するとアレックスは、慌てて首を横に振った。
「ち、違うよ! 持参金はきちんと返す。そうではなくて、あの……」
「なあに? はっきりおっしゃってくださいな」
「母上は、王都で次の再婚相手を探すつもりなんだ」
「はあ……」
「もう候補が何人かいるらしい。だから、夫婦同伴が必要な時以外は、あまり一緒に過ごせないと思う。君には……悪いけど」
宮廷の舞踏会や晩餐会など、夫婦同伴の催しはいくつかあるが、それ以外は、候補の令嬢をエスコートするつもりなのだ。
そこまで言われてようやくコーデリアは、姑から今年の社交は必要最小限にとどめるよう言い含められたことに合点がいった。大っぴらに「妻」の存在を見せつけられては、息子の縁談に水を差しかねないと思っているのだろう。
コーデリアは、離婚前から再婚に向けて動き出す不誠実さに落胆した。けれど、その心情を推し量れば、余程焦っているのだと理解できる。
もうすぐ三十歳になろうかというのに、アレックスには、まだ一人も子がいないのだから。
コーデリアは、バーロウ子爵の娘だ。兄弟姉妹は六人。コーデリアの下にまだ弟と妹がいる。多産家系なのだ。
その血筋を見込まれて、マッカン侯爵の一人息子であるアレックス・アップルトンとの縁談が調ったのは、コーデリアが十六歳の時である。
アレックスは当時二十六歳。子宝に恵まれず六年間連れ添った妻と離婚した直後だった。
十歳年上の男の後妻だったが、アップルトン家が広大なマッカン領を治める大貴族であったため、父親のバーロウ子爵は喜んだ。
貴族の子育てにはお金がかかり、子爵家であっても苦しかった。第四子のコーデリアを貴族子女が通う名門のアカデミーに入学させてやることができず、娘の行く末を案じていたのだ。
今は儀礼的にアップルトン伯爵を名乗るアレックスだが、いずれ父親の跡を継いで侯爵になる。子爵の娘が侯爵夫人になることは、玉の輿に違いなかった。
ただし、この結婚は、三年以内に子を儲けることが条件だった。
この国の爵位継承は、初代直系かつ嫡出の男系男子と決められていて、女子は特例が認められた場合のみ可能である。
屋敷や領地など、家の財産はすべて継承者のものとなり、庶子や養子には遺産の一部を相続させることしかできない。
継承順位は法律によって規定され、アレックスの次は、今のところ叔父であるマッカン侯爵の弟である。だが、彼には庶子しかおらず年齢を考慮すれば、はとこの息子に順番が回るのが現実的であろう。
それをマッカン侯爵夫妻は、たいそう嫌がっているのだ。是が非でも一人息子に子どもをと躍起になっている。
両家による『三年で子が授からなければ離婚する』と特筆された契約結婚が成立したのは、そういう事情からだった。
そして、今年、その期限を迎えたわけである。
予め承知していたこととはいえ、バーロウ子爵にしてみれば、よもや自分の娘が一度も妊娠しないとは想定外だったに違いない。
バーロウ家には、既に長男の妻と二人の子どもが同居している。
今さら出戻ったとて、あの家に自分の居場所はないのだ。そう思うとコーデリアは、何とも言えない漠然とした不安に押し潰されそうになった。
「どうしようかしら」
ポツリと弱音が口から洩れた。
本音を言えば、もう結婚はしたくない。しかし、それは許されないだろう。コーデリアは、十九歳とまだ若く、父親が再婚先を探すはずだからだ。
この際、家には戻らず一人で生活する道を模索しようかと思案する。
「好きなように過ごせばいい。母上も、うるさいことはもう言わないだろう」
コーデリアの独り言に、アレックスがのほほんと返事をした。
自分がいない間、妻が暇を持て余して困るとでも勘違いしているのだろう。
(んもうっ、母上、母上って、マザコンなんだから……!)
大人しい性格のアレックスは、母親の言いなりだ。
いつも顔色を窺い、望むままに結婚し、離婚する。
母親の命令とあらば、決して短くはない時間を共に過ごした妻をいとも簡単に切り捨てる男だ。
コーデリアに心無い言葉を投げつけられていると知っていながら、かばうことさえしなかった。
「子どもはまだかしら?」
「多産家系なんて当てにならないわね」
「子爵家の娘なんて嫁に貰うんじゃなかった。あちらの伯爵家の次女にしておけば、今頃は孫を抱けたかもしれないのに」
最初こそ「嫁いだばかりで慣れていないから」と気遣いがあったものの、そのうちに「そろそろどうなの?」と遠慮のない催促にかわった。
今では「子を産まない嫁なんて意味がない」とはっきりと口にするほどだ。
コーデリアは追い詰められていき、いつの間にか、姑の顔を見るたびに動悸がするようになった。
夫に相談しても「この家の将来を心配してのことで、母上に悪気はないんだ」と自分の母親が善良であることを頑なに信じるだけで、何も解決しなかった。
コーデリアは「嫁としての義務すら果たせないなんて」とチクチクと嫌味を言われるたびに、針のむしろに座る思いがした。
「そうね、好きなようにさせていただくわ」
アレックスの無関心な様子を見て吹っ切れた。
そちらがその態度なら、こちらも好き勝手しようじゃないか、と。
この時、生まれて初めて不埒な考えが、コーデリアの脳裏をかすめた。