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不良が雨の中で猫を拾うな!

 校舎の中を通って裏庭へ──確か、猫がいたのは、あの辺だったような……。

 猫を見つけた辺りを探しに行く。校舎の角を曲がると、先客がいた──しゃがみ込んだ鬼塚が、茂みに向かって手を伸ばしている。やつも傘を持っていないのか、雨に濡れながら。

 見てはいけないものを見てしまった気がして、思わず校舎の影に身を隠した。

「そんなところじゃ、風邪ひくだろ。……いてっ」

 鬼塚は一瞬だけ、顔をしかめた。茂みに隠れている猫に手を伸ばして、まんまと噛まれたようだ。しかし、その手を引っ込めはしなかった。

「大丈夫、怖くないから……、そう、いい子だ」

 優しく微笑んだかと思うと、すでに猫は鬼塚の腕の中にいた。

 不良が雨に打たれて猫拾うって……

「ベタすぎんだろ!」

「うわ、なんだよ、いたのかよ」

 急に目の前に飛び出てきた俺に、百八十センチを超える男がビクッと肩を跳ねさせた。ちょっとおもろい。

「……お前も、こいつが気になってきたのか?」

 鬼塚は腕の中にいる猫と俺を交互に見比べた──不良という生き物は、自分勝手でガサツで頭が悪いもんだと思い込んでいたが、こいつはなかなか察しがいい。その上、猫を保護する慈愛まで持ち合わせている。

 鬼塚への評価を、ほんのちょぴっとだけなら、上げてやらんこともない、と猫を大切そうに抱く赤髪に俺は感心した。

「傘は?」

 鬼塚が再び俺に尋ねる。俺は首を横に振った。

「ない」

「……役に立たねぇな」

 舌打ち混じりに、吐き捨てられる。

 鬼塚への評価は、一気にマイナス回廊を駆け下りた。

 とはいえ、心配の種だった猫は鬼塚がなんとかしてくれるようだし、俺がここにいる意味はもうない──走って帰ろうなんて決心は、髪の先から足の爪先までずぶ濡れになった今、気泡になって消えた。

「おわっ?」

 バサッと乱暴に、布が俺の頭を覆った──何事かと手に取ってみれば、鬼塚のブレザーだった。猫を抱きながら、器用に脱いだらしい。

 鬼塚のほうに顔を上げると、彼はふいと目線を逸らした。首元のネックレスが揺れる。この前の喧嘩で切られていたものを修理したようだった。

「今更だろうが、かぶっとけ。女が体冷やしてんじゃねーよ」

「……ありがとう」

 確かに、女の子は体を冷やしちゃいけない、というのは、前世で女子との恋愛的な関わりがあまりなかった俺でさえ聞いたことがある。今の俺は女の子なんだった。

 鬼塚は俺に見向きもせず、そのまま裏庭から道路に繋がる小さな校門へと歩き出した。

「猫、連れて帰るのか? どうすんだ?」

 一歩がでかい鬼塚の背中を、小走りで追いかけて問う。赤髪の不良は、そのつり目を少しだけ伏せた。雫で濡れている長いまつ毛が、妙に色っぽかった。

「……しばらくは、うちで飼う」

 せめて雨宿りだけでも、と付け足して、彼は口を閉ざした。

 あまりにも即答で飼うなどと言う。前世の俺が捨て猫を拾ってきたら、間違いなく親と一悶着はするだろう──今の俺の家庭環境でも多少は揉めそうだ、と俺はピンク髪のお母さんを思い浮かべていた。

「そんな簡単に飼えるのか? 親御さんとか……」

 だから、俺はまったく悪気なく、そう聞いてしまったのだ。

 鬼塚はしばらく無言で歩いてから、雨音に消されそうな声で答えた。

「……親は、あんまり家にいねぇ」

 俺はもしかしたら、鬼塚より察しが悪い人間なのかもしれない。

「あぁ、単身赴任とかそういう?」

 あっけらかんと、さもわかった風に尋ねると、鬼塚は何かを諦めたように喋った。

「ちげぇ。別居してる。どっちも俺が住んでる家には帰ってこない。……そのうち、離婚する」

 げ。

 とんでもない地雷を踏み抜いてしまった、と気づいたときにはもう遅い。俺と鬼塚の間には、えもしれぬ重たい空気が流れていた──親の離婚を目前にしている同級生にかける言葉の正解を、学校では習わなかった。未来では、道徳の授業に付け足されていることを願う。

 沈黙のまま、俺たちは帰り道を並んで歩いた。

 土手を進んでいく。河川敷には誰もいない。雨足が、だんだんと強くなる。川はどす黒く濁り、流れが速くなっていた。

「……お前、どこまでついてくんだよ」

 思い出したように、鬼塚は俺に振り向いた──もう、俺の通学路ではなくなっていた。鬼塚の家と俺の家は反対方向。もはや、俺はただ鬼塚について行っているだけの男、いや、女だった。

「あ、いや……」

 なんとなく、鬼塚をこのまま一人で放っておいてはいけない気がした──こいつと一緒にいる時間が長くなればなるほど、恋愛フラグが立つ可能性も上がっていくんだろうが、そんな理性的な理屈よりも、直感的な感情論が俺を突き動かしていた。

 捨て猫のような表情で野良猫を抱くこの男を、誰もいない家にひとり帰すのは、なんというか、泣いている迷子を見て見ぬふりをするような、胸のあたりをざわつかせる罪悪感があった。

「ね、猫、連れて帰ったら、風呂場で洗うだろ? 手伝ってやるよ」

「…………」

「ほら、俺が見つけた猫だし、俺もそいつが心配なんだよ」

 俺は適当に理由をいくつか付け足していく。鬼塚は、家に自分しかいないとバラしてしまった以上、俺の来訪を拒絶する言い訳も出てこなかったようで、

「……勝手にしろ」

 と、つぶやいた──そのとき、

「にゃあ! にゃあーん!!」

 今の今まで大人しく鬼塚に抱っこされていた三毛猫が、急に叫び始めた。吠えていると形容してもいいほどの声量だった。

「なに、どうした?」

「わかんねぇ、こいつが急に……」

 必死に鳴きわめくものの、暴れはしない猫は一点を見つめている──視線の先は、川。

「……ん!?」

 目を凝らしてみると、何かが流されている。

 ……黒い? ……ゴミか?

「にゃおーーん!!」

 猫が俺を急かすかのように、いっそう強く鳴いた。

 ──濁流に流されている、あれは……

「猫が流されてる!!」

「なんだと!?」

 ゴミだと思った物体は、溺れている黒猫だった。

 俺と鬼塚は土手を滑り降りる──頭の中に電流が走った。デジャヴ。俺はこのシーンを見たことがある。少女漫画のワンシーン。鬼塚が川に飛び込んであの黒猫を助け、疲れ果てた彼を介抱するヒロインとの仲が深まる、そんな場面。

「くそ、流れが速すぎる……!」

 抱いていた三毛猫を一旦降ろして、俺たちは流されている黒猫に合わせて河川敷を駆ける──すぐにでも川に飛び込みそうな鬼塚。こいつがあの猫を助けたら、恋愛フラグが立っちまうってことか……!

 でも、消えそうな命を見捨てるわけにもいかない。救えるかもしれない命なんだ。

 雨で人通りは少なく、俺たち以外に人影もない。つまり、あの猫を助けられるのは俺たちしかいない。

 鬼塚に助けに行かせるのもだめ、かといって、猫も見捨てられない。

 ──いったい、どうしたら……!?

 猫の命と己の恋愛フラグを天秤にかけて、ほんの数秒、俺は最適解を導き出した。

「これ、返す」

「は?」

 肩にかけていた鬼塚のブレザーを手渡した。それから──びしょ濡れになったセーラー服を脱ぐ。

 スカートに手をかけて、静止する。野外で、ましてや同級生の男の前で、女子高生がスカートを脱ぐなんて──いや、泳ぐときに一番邪魔なのがこれだ。俺はそのままスカートも脱いだ。

「なにしてんだ、お前!?」

 突然の奇行に、真っ赤になった鬼塚は、下着姿の俺から目を逸らした。

 猫を助けるのは鬼塚じゃなくていい。そりゃあ、体格的にも体力的にも、鬼塚が泳いでいくのがもっとも成功率が高いだろう──でも、助けるのは誰だって構わないはずだ。

 俺が行けばいいんだ!

「鬼塚はここで待ってろ!」

「あ、おい!?」

 俺はブラジャーとパンツだけの格好で、汚く濁った川に飛び込んだ──溺れている黒猫に向かって。

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