犬猿の仲の二人の過去?
「早乙女さんっ」
登校して真っ先に、眉毛をハの字にした綾小路が俺のもとに駆け寄ってきた。金髪がふわふわと揺れて、女の子特有のいい匂いが漂ってくる。俺の体も今は美少女のはずだが、あいにく、自分の体臭は感じ取れなかった。
「昨日、喧嘩したって本当ですのっ!?」
「え?」
誰に聞いたんだろう? もしかして、どこかに昨日の喧嘩騒動を見ていた人がいて、ちょっとした噂になっちまったか?
くりくりした愛らしい瞳を不安げに震わせる綾小路に、俺はひらひらと右手を振った。
「たまたま鬼塚といるときに、絡まれて、ちょっとな」
「お怪我はありませんか!?」
俺の右手を、綾小路のか細い両手のひらが包み込む。あまりの柔らかさにびっくりした。女子の手って、こんなに小さくて柔らかいんだ。
「ないよ。鬼塚、喧嘩強かったから」
「良かったです……」
けろりとしている俺を見て、ようやく綾小路は胸を撫で下ろした。
なんでこんなに心配してくれるんだろう……?
も、もしかして、俺のこと、好きなのかな……?
──なんて、高校時代の俺だったら、そんな勘違いをしていただろう。しかし、今の体は女子高生だ。女子同士であれば、クラスメイトが不良の喧嘩に巻き込まれた、なんて事件を聞いたら綾小路のような態度になるのは、当然なのかもしれない。
「鬼塚くん……、昔は喧嘩するようなかたじゃなかったのに……」
ぽつり、と零すように綾小路がつぶやいた。
昔の鬼塚?
「そうだったのか?」
「はい……、伊集院くんといつも仲良く遊んでて……」
え?
「……伊集院と鬼塚って、昔は仲良かったのか?」
驚いた俺が尋ねると、綾小路はハッとして、その小さな口を手で押さえた。
「あっ、すみません、なんでもないんです。忘れてください……」
そうして、綾小路は「早乙女さんがご無事で良かったです」と微笑んで、自席へと戻って行った。
残された俺も、自分の席へと向かう。
──伊集院と鬼塚の仲が良かった?
少女漫画では、この二人は犬猿の仲だからこそ、ヒロインを奪い合っていたはずだ。それなのに、もともとは仲良しだったなんて……。
電球が光るかのように、俺は閃いた。
この原作ストーリーをねじ曲げてしまえば──二人の仲を元通りに取り持てば、ヒロインが二人に迫られることもないんじゃないか?
恋愛フラグを回避できるかもしれない。
そうと決まれば、と俺は作戦を考える。
仲の良かった二人が仲違いしている──きっと何か事件があったはずだ。二人がここまでお互いを嫌い合うようになったきっかけが。なにがあったかは見当もつかないが、意外と解決できるような問題だったりして。案外、あっさり仲直りするかもしれない。
まずは、本人たちから事情を聞いてみないことには、始まらないな。
どっちも見つからなかった。
伊集院は三年生だったし、鬼塚は同じ一年だったけど、違うクラスだった。二人の所在を割り出すためには、聞き込みをしないといけない──道を尋ねるのも苦手な俺が、知らない人に片っ端から話しかけるような度胸があるはずもなく……。
綾小路には真っ先に尋ねたが、「わたくしも存じ上げないのです」と、申し訳なさそうに頭を下げられてしまった──昔の二人を知っていたから、てっきり三人で仲が良いのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。
昼休みに三年生のフロアをうろついたり、一年生の他クラスを覗いてみたりもしてみたが、そう都合よくエンカウントすることもなかった。
闇雲に探し回っているうちに、時間は過ぎていき、放課後になってしまった。
「うわ、雨だ」
「え、傘持ってないんだけど」
そんな会話が聞こえてきたのは、二人と会うのを諦めて、昇降口でちょうど上履きから焦茶色のローファーに履き替えた瞬間だった──昼間は太陽が見え隠れしていた青空は一転、すっかり灰色に染まり、ぽつぽつと雫を吐き出している。
俺も傘持ってないな……。
もう通学路もばっちり覚えたことだし、走って帰るか──そう腹を決めてから、ふと思い出す。
裏庭にいた猫は、大丈夫だろうか?
たぶん、学校に住み着いている猫だろう。校舎の端っこで、雨宿りくらいはできているかな──でも、春の雨は、きっと寒いよな。
気づいたら、ローファーを脱いで、裏庭の方向へ歩いていた。