ホワイト・オンリー
ルイジアナ州セントタマニー群。且つての先住民の酋長から名付けられたこの場所は、ミシシッピ州との県境で、尚且つ州内最大の都市であるニューオリンズのすぐ隣であった。
唖然とした表情で“ルイジアナ”の看板を眺めるゴードン・ホワイトは、頭の中で合衆国の地図を思い浮かべながら、故郷であるマンハッタンとの距離に呆然とした。直線にして約2100kmの道のり。無論、歩いて帰れるような距離ではないだろう。
一体どういうことなのかは分からないが、ほとんど一瞬で南部のド田舎に移動していたことにゴードンは激しく狼狽え、眩暈も覚えた。突然殺されて目が覚めると、身体が黒人になっていて、しかも2000km以上も瞬間移動している。何もかもが前例のない出来事だった。
万が一、何者かによって拉致されて連れ去られただけなら納得できるが、精神だけを別の肉体に移すことなど、世界最高の科学力を持つ合衆国でさえ不可能だ。つまりこの現象はそれ以上の力が働いた結果である。そう結論を出したゴードンだったが、未だに現実を直視することに抵抗があった。
ゴツゴツとした筋肉質な腕は、見るからに腕力がありそうで、ポーズを取ると前腕二頭筋が山のように盛り上がる。脹脛も筋肉の繊維がパンパンに詰まったように大きい。そしてそれらを包み込むテカテカと光るブラックスキン。高校時代にプロテインとアナボリック・ステロイドを飲んでいたゴードンには、それがどれだけ凄まじい肉体なのか良く分かっていた。
身長は少なくとも6フィートはあり、まるでニューヨークのスラムで暮らしている黒人ギャングみたいだ。それがゴードンの抱いた感想である。この肉体であれば、ほとんどのスポーツで優秀な成績を収めることが出来る筈だ。その鍛え上げられた身体を見渡し、一度だけ深く息を吐き出すと、ゴードンは歩き始める。
―――家に、帰らなきゃ。
目的地はマンハッタンだった。家族にこの身体をどう説明しようかと頭を悩ませながら、ゴードンは緑豊かな大地を歩く。コンクリートで道が舗装されていたのは途中までで、砂と土の地面になってからは、民家が疎らに覗くようになった。それを見た彼は目を丸くしながら驚いた。
18世紀の植民地時代に影響されたフランス建築。現代では劣化してしまい、安全上の理由でその多くが取り壊された筈の民家。まるでヨーロッパそのものの光景に、ゴードンは思わず感嘆の声をあげる。
「まるで博物館じゃないか。ルイジアナはこんなに田舎だったんだなぁ。知らなかった……」
アメリカ国内ではいくつかの大都会にしか行ったことがない彼は、疑う事もなくそう思い、広い庭の隅から頭を出して様子を伺った。ゴードンの脳裏にあったのは、小屋で追いかけまわされた出来事だった。またあんな目に合うのはごめんだ。家に住んでいるのがまともな人間であればいいが―――
その時だった。
フランス建築の立派な民家から、黒人の小さな少年が飛び出してきた。というよりは突き飛ばされたように玄関先に叩きつけられ、そこへ更に木製のトロフィーサイズの置物が投げられる。少年の頭に直撃すると、鈍い衝撃音が響き渡り、彼はピクリとも動かなくなった。やがて建物からは怒号が飛び交い、恐らくは少年に対して向けられた憎悪の言葉が続き―――
そのあまりの光景にゴードンは呆気に取られ、顔を引き攣らせる。
「し、死んでないよな……あれ……」
独り言のように呟いた言葉を、自分で確かめるつもりはなかった。今はスマートフォンどころかまともな服すら着ていないので、下手に警察を呼べば自分も逮捕されかねないのだ。そして何よりも、今倒れているのは黒人の子供であって、白人の子供じゃない。彼のことはきっと、仲間意識の強い黒人のコミュニティが助けてくれる筈なので、見なかったことにしよう。
ゴードンはそう自己正当化し、ゆっくりと民家から離れて行った。
(酷い場所だったな……)
気分を悪くしながら歩いて向かった先は、視界の開けた街中で、古臭い字体の看板が小売店やバーの上に掲げられている。一目見て寂れた田舎町だと思ったが、その雰囲気はあまりにも奇妙なモノだった。見渡す限り、車が一台も走っていない。その代わりにレンガで舗装されていた道路に止まっていたものは、19世紀に使われていた馬車だった。
観光地であれば舞台のセットとして納得出来たが、その様子が全く感じられないほどの閑散とした街の雰囲気に、都会育ちの青年は異様な事態を悟る。ゴードンは軽いパニックに陥り、挙動不審気味に街中を見渡すと、慌てて近くにあったバー〈Bronze Club〉に入った。
寂れた街中に相応しく、店内は掃除が行き届いておらず、若干のかび臭さを感じる。テーブル席では白人の男たちが昼間から飲んだくれていて、タバコの吸い殻が床に散らばっていた。正に“掃き溜め”という言葉にぴったりな雰囲気だ。そのままゴードンは店の奥に進むと、カウンターに座る店主に近づいた。
店主は呆然とした表情で、ゴードンの顔を見ていた。
「あ、あの……電話を―――」
そう声を掛けようとした瞬間、テーブル席に座っていた白人の男たちが立ち上がり、ゴードンに向かって叫んだ。
「おい、そこのクソ黒人野郎! ここは白人の店だぞ!」