黒人って、それはないでしょう!
マンハッタンの郊外にある高級住宅街。白人の富裕層が多く住むこのエリアで、ゴードン・ホワイトは生まれ育った。父親はIT企業の重役、母親は化粧品会社の広告モデルをしていたお陰で、ゴードンは子供の頃から経済的に困ることもなく、裕福な生活を送りながらコロンビア大学に進学した。
コロンビア大学は、“アイビー・リーグ”と呼ばれるアメリカ屈指の名門校の一つだった。
成績優秀で将来は建築家になることを志していたゴードン。特にヨーロッパの贅を凝らしたカトリック建築が好きだった彼は、年に数回、英国やフランスへと視察と称して旅行に出向いていた。一回の旅行費用は軽く20万ドル近くに達していたが、裕福な環境にいたゴードンにとっては、ちょっとした贅沢程度の散財だ。
家族へのお土産に加えて、著名な建築物を安全に見ようと思えば、それくらいの金は掛かって当然だ。何せ今のヨーロッパは、アフリカや中東から来た不法移民がわんさかと集まっており、富裕層のゴードンが一人で出歩けば恰好の餌食になってしまう。
その点だけは、ゴードンは自分の国が誇らしく思えた。我が国、アメリカ合衆国連邦では銃を持つことは合法なのだ。そして暴漢に襲われた時、相手を撃ち殺すのも合法だ。これこそが、ゴードンがこの国を愛する理由の一つだった。
休日のとある朝、ゴードンは忙しく朝の支度を済ませて、仕事へと向かっていく多忙な両親を見送るとバナナとホットミルクで食事を済ませ、久しぶりにテレビニュースを付けた。ゴードンはあまり興味がなかったが、BBCと呼ばれる大手メディアでは連日のように同じ内容が繰り返されている。
『ミネアポリスで白人警官が無抵抗な黒人を殺害。これに対して全米の州で大規模なデモが発生。参加者は“BⅬM”の文字を掲げて街中で破壊活動を行っている』
BLM、『Black Lives Matter』。またの名を“黒人の命を軽んじるな”という名前のデモ運動のことである。ゴードンはそのニュースを見ると、ニガ虫を嚙み潰したような不快そうな表情を浮かべた。アメリカは言うまでもなく博愛と自由の国だ。しかしそれは、善良な市民にこそ与えられた権利であって、犯罪者にまで適用されるべきだとは思っていなかった。
BⅬⅯ運動の発端となったジョージ・クロイドは、今では“聖ジョージ”と持て囃されているが、実際には麻薬乱用の常習者で、薬を買う金欲しさに妊婦に拳銃を向けた事もあった。白人であるゴードンにとっては、ただ一人の犯罪者が殺されただけとしか思えなかったが、世間の反応は違った。
スマートフォンからSNSを覗いて見るとハッシュタグにBLMと付けた投稿がタイムラインを汚染し、ゴードンの好きなヨーロッパ建築の画像が流れてこなくなっていた。その代わりと言わんばかりに流れてきたのが、聖ジョージのドアップされた顔写真だ。
「はあ、差別差別って……。犯罪ばっかりしてるから差別されるんだろ黒人は……」
もしも外で同じことを言えば、事実陳列罪で逮捕されそうな発言だった。朝から陰鬱な気分になったゴードンは、新型コロナウィルスの流行ですっかり活気を失ったこの国を憂いながら、昼の予定を考え始める。大学のレポートも大半は済ませてしまったので、時間なら有り余っていた。
こんな時、ゴードンは贅沢な金の使い道を考えることを好んでいた。実際に金を使っている時よりも、何に使うかを考えている時の方が幸せだったりする。そんなことを考えながら、amazoonで高級腕時計を捜していると、廊下の奥、玄関の方から物音がした。
両親は既に出払っている上、特に何かを注文した覚えはない。怪訝な表情を浮かべながら重い腰を上げたゴードンは、玄関へと歩いていった。いつも通りの休日、何事もなく過ぎていくと思っていたゴードンだったが、その日はいつもと違っていた。
ゴードンが最初に目撃したのは、自宅の庭から丸く切り取られた窓ガラスを運ぶ不審者の姿だった。咄嗟に声を詰まらせた彼は、恐怖で足が固まってしまう。ここから見える男たちは、少なくとも三人。自分よりも体格が良く、しかも全員が黒人だった。
ゴードンは急いでリビングへと戻るとスマートフォンを使って警察へと垂れ込んだ。焦りからか、きつい言葉でゆったりとした口調のオペレーターを怒鳴りつけたゴードンは、後ろからやってきた足音に背筋を凍らせる。侵入者は既にすぐそこにいたのだ。
「お、おい。なんだお前たち! ここは俺の家だぞ! もう警察は呼んだ! 早く出ていけッ!」
男たちはその言葉に動揺したのか、咄嗟に汚いスラングを使いながらゴードンに銃を向ける。しかしゴードンは果敢にも、黒人たちに負けじと怒鳴り声を挙げて威嚇した。その姿に面食らった男たちは運が悪いと思ったのか撤退し始めた。
ゴードンは黒人たちが逃げ帰っていく姿を見ると、白人としての自分を誇らしく思った。これこそがアメリカ人に相応しい、自分の身を自分で守るという自立心ある行動だ。だが気が大きくなったことで、ついうっかり、普段なら絶対に人前では言わない言葉を漏らしてしまう。
そして、その発言こそがゴードンの運命を大きく変えてしまった。
「とっとと出て行け! この“ニガ―野郎”どもがッ!」
その発言にピタリと足を止めた黒人たちは、ゴードンの顔をきつく睨み付ける。白人が黒人にこの言葉を使う時は、98パーセントの確立で喧嘩になることが最新の研究で判明していた。藪蛇をつついてしまったゴードンが自分の発言を後悔した時には、既に遅かった。
一人の男が持っていた拳銃から発せられた火花は、ゴードンの胸を貫いて、心臓に近い箇所に大きな穴を空ける。続けざまに容赦のない発砲音が聞こえた後、ゴードンはリビングの床へと崩れ落ち、その短い生涯に幕を閉じた。
彼は最後の最後まで、自分の目に映っていた男たちの顔を見て、忌々し気な表情を浮かべ、まるでコロンバインのトレンチコートマフィアの様に邪悪な死にざまだった。暫らくしてから黒人たちが去った後、ゴードン・ホワイトの意識は何処か遠くへと消えていく。
「かッ……はッ……!?」
目を見開いた。
ゴードン・ホワイトは確かに死んだ筈だった。しかし、彼の意識はなぜ故か覚醒し、動ける肉体を持っていた。まるで首を絞められているように息苦しかったが、時間が経ってくると今度は眩暈や吐き気が襲ってきて、泥だらけの地面を転び回る。
ゴードンは酷くパニック状態に陥っていたが、数分もすると体の不調が全て消えていき、何とか立ち上がることに成功する。そこで彼の視界に広がったのは、まるで一昔前の農場のような光景だった。一目見て分かったのは、周りに生えている植物はトウモロコシ。人が管理している畑に違いなかった。
不可解な現象に呆気に取られていたが、辺りを探ろうと手を伸ばした瞬間、ゴードンは自分の目を疑った。自分の意思で動かした筈の腕。白人である自身の手は当然ながら白色で然るべきだった。しかし、ゴードンの手首は酷く黒く見えた。
灰や泥で汚れている訳ではない。自分の肌色そのものが“黒い”のだ。再び冷静さを失ったゴードンは手当たり次第に走り出し、近くにあった泥水を見つけると、それを鏡面替わりにして、自分の顔を覗き込む。
「え……は……?」
分厚く野暮ったい唇に、テカテカと光るブラックスキン。どう考えても自分の顔ではない。ゴードンはその特徴的な顔立ちを知っていたが、その現実を受け入れることは難しい話だった。誰に話しても失笑される事請け合いのタチの悪いジョークだ。そう自分自身を慰めても、何の意味もありはしない。
これは現実であり、これからのゴードン・ホワイトの人生を決定づける無慈悲の宣告である。ある日突然、強盗に殺されて目が覚めると、自分の姿が黒人になっていた―――。
★★★★★を押すと今日から名誉白人になれます。