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7.お沙世

 杜の市はよろよろしながら松林を抜けた。しだいに高台の方に向かっていたが、丘の頂上をすぎたらしく、今度は下り坂になった。

 笹の枝で代用した杖で前方の地面を小突きながら前に進む。


 日中ならもやのかかったような視界ながら、ぼんやりとだが物体の輪郭ぐらいは識別できたのに、こうも暗いとそれも叶わない。

 そのころには、すでに足を覆う白足袋の底は破れ、じかに尖った石を踏むと飛びあがる思いをした。出血しているかもしれない。


 そのうち林は途切れ、崖っぷちに出た。

 いくら杖を振ってみても先端は空を切るばかり。その先は危険すぎた。

 じっさい杜の市は断崖絶壁の縁で、危なっかしく歩いていたのだ。崖の真下まで十八間(約32.7m)の高さはあるだろう。下は磯になっており、波が砕けていた。足を踏みはずせばひとたまりもあるまい。


 絶壁沿いを歩き続け、しばらく行くとまたしても松林に入らざるを得なくなった。

 そのころになると、夜の冷気は耐え難くなった。

 なにせ、お世辞にも厚手とはいえない白の法衣しかまとっているにすぎないのだ。


 このまま無闇やたらと歩きまわったところで迷走し、体力を消耗するだけではないか。

 それにさっきからおよそ民家はおろか、人のいる気配すら感じられない。

 十中八九、この島は無人島であろうと目星はついていた。


 例の人殺し船頭は、どこまで執念深く追いかけてくるか見当もつかないが、距離は充分稼いだはずだと杜の市は思った。追跡されるのを意識していたものの、背後にそれらしき気配は感じられなかったからだ。

 気が急いているばかりでは、自分自身で追いつめてしまう。


 いずれにせよ月は出ていても、いざ松林に入り込めば樹冠がさえぎり、闇に閉ざされる世界では仇も視界は利くまい。

 さしあたってここは休息を取っておくべきだ。

 無事一夜を明かせたらめっけもの(、、、、、)。明くる朝、そばを通りかかる船に救助を求めることができれば生をつなぐことができる。


 ――いや、待て待て! あの船頭の方こそ、夜が明けるのを待って島を探索するのであれば、万事休すではないか。


 杜の市はハタとそう思い、思わず身を硬くした。

 が、この際、その考えは退けるべきである。あれこれ予想したところでらちが明かない。

 仮に船頭が追ってきたにせよ、同じ道程を正確についてくるとは思えない。どこかに休息をかねて隠れてやりすごせればいいのだが――。




 杜の市はひときわ立派なクロマツのもとにたどり着いた。

 幹が斜めに傾いだ大木だった。反対側にまわり込むと、根元がえぐれていた。たくさんの鍼灸しんきゅうはりにも似た落ち葉が積もっていた。


 両手で掘り返してみると、思いのほか深さがあった。

 まずは足の裏の具合を調べてみた。出血は止まっている。

 法衣の裾を破り、細くちぎり、包帯がわりに巻いた。

 そのあと、天然の穴倉めがけ、思いきって身を沈めてみた。


 それから落ち葉を身体にかけた。これで多少なりとも目隠しになるし、なにより寒さをしのぐことができる。

 松葉の尖った先端が素肌に当たるとチクチクしたものの、しばらく身じろぎしていると気にならなくなった。


 ――あの船頭は、闇の中を私を殺しに来るだろうか? 口封じのために執念深く? 目明きの者は、なまじものが見えるだけに、欲に眼がくらみ、魔に憑りつかれる。うかつに信用するべきではないな……。 


 そう思ったのもつかの間、杜の市は大胆不敵にも寝息を立てていた。




 すやすやと深い眠りに落ち、いくばくかの時間、意識を失っていた。

 が、危機が差し迫っていることに潜在意識が知らせたものか、しばらくすると浅いそれへと変じ、さなかにおかしな夢を見る羽目になった。


◆◆◆◆◆


 そもそも琵琶を弾き、地神経じじんきょう(屋敷神の一種の土地の神を祀る経文)を唄う琵琶盲僧の起源は、『盲僧縁起』などの古文書によると、かの天竺において篤く仏教を保護した阿育王あしょかの長子、鳩那羅くならが盲目の身となり、琵琶を弾きながら諸国を遊行したことに遡るとされている。


 盲僧琵琶には薩摩系の常楽院流じょうらくいんりゅうと筑前系の玄清法流げんせいほうりゅうの二派があった。ともに天台宗であり、同様の活動をしていた。他にもいくつかの流派はあったが、平家琵琶を表芸おもてげいにする一派が生じたり、糧を得るために大衆迎合ともいうべき合戦談や恋物語、ときには滑稽、卑猥ひわいなものを語って聞かせる、この業界でいう『くずれ』も少なくなかった。


 実はこの『くずれ』こそが、退屈な宗教的琵琶から芸能へと発展していくことにつながるのだ。この杜の市も例外ではなかった。

 琵琶法師の活動は主として、四季土用における土用経回檀どようけいかいだんや正月の松飾り、星祭ほしまつり、お日待ひまちなどの行事の他に、依頼されれば地鎮祭からはじまり火上ひあげ、水神上すいじんあげ、金神除こんじんよけ、神占しんせん、ときにはき物落としまでやった――。


 土用経というのは、台所の神を祀る、いわゆる荒神こうじん祓いの行事。

 四季の土用に檀家をまわり、かまどに向かって琵琶を弾き、経文をあげる。家のなかで、もっとも神聖な火を扱うかまどを祀り、同時に荒神さまから除災招福の功徳を得るという信仰である。


 またお日待ちとは、屋敷神を祀る家祈祷、星祭りは、個人の生まれ年にあたる本命星と、その年の星のめぐり合わせが悪いときに厄を祓う。

 火上げについては、かまどの崩したり、作り変えたりするときの祓いの行、水神上げは井戸や池を埋めるとき、水神さまの宿替えを祈祷する。


 金神方除けとは、新築、旅行、結婚、移転などに際して方位を占い、厄を祓う。

 憑き物落としは、原因不明の病にかかったら、昔は河童が憑いているとか、(トウベ)憑きなどといって、憑き物を落とす祈祷を乞われることもあった。


 そんなわけで、世間さまが、やれ旱魃で飢饉やら、やれ台風が列島を縦断して被害を受けているさなかであっても、杜の市の仕事は途切れることなく順風満帆に続いていた。懐の具合も悪くはなかった。




 九年前のことである。杜の市は十八の若造で、まだ師匠について琵琶の弾き語りを教わっていたころだ。

 町はずれの借家で一人住まいをしていた。

 そんなとき、動乱の世にあって、いつしか身のまわりの世話をしてくれる人懐っこい娘が現れるようになった。

 座頭さまは眼が不自由だろうと、私が代わりに……と、まめまめしく雑用をこなしてくれたり、食事まで作ってくれるようになったのだ。


 はじめこそ、時折でしか姿を現さなかった。来たら来たで、なにくれと世話をしてくれ、杜の市としてもありがたく思うし、いい話し相手にもなってくれたので邪険にしなかった。

 時折来てくれるからこそ、来ない日だと日がな一日、待ち侘びるようになるまで、そう時間はかからなかった。


 別にずっといてくれと頼んだわけではない。

 女はそれとなく、男の態度で悟るものであろう。

 いつしか家にいつくようになり、押しかけ女房同然で暮らすようになった。 


 それがお沙世さよだった。

 娘が嘘をついていないのなら、当時十六歳。――なぜ目明きの者と結婚せず、私のような座頭を相手にするのか、と尋ねてみた。


 複雑な事情を抱えていたらしい。急に沈んだ声の調子で訳あり(、、、)だな、と思った。

 本当は嫁になりたいほど好きになった男もいたという。ところが家族ともども旅から旅を続ける身分らしく、その土地で仕事が尽きれば移動しなくてはならず、父親に間を引き裂かれたのだと、涙声で言った。

 それで寂しさを紛らわせるため杜の市のもとを通うようになり、そのうち感情の変化があったのだと恥ずかしげに告白した。


 当時の娘の恋とは極端におくて(、、、)か、さもなくばお沙世のように大胆な行動派だった。もとより気立てはいいし、働くことの好きな娘だ。根は純真なのもよかった。

 だから彼女と一緒に暮らした。

 杜の市はあえて彼女とその家族の商売を問いたださなかった。――てっきり旅芸人かなにかを生業とする一座の娘なのかと思っていた。

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