5.強さの原点
杜の市はなおも強引に笹藪を突っ切っていった。
恐るべき密度。細くてしなやかな笹の群生だったが、こうも行く手を阻んでいると、おいそれと進めるものではない。まるで格子のつけられた牢獄よりもひどい。
遅々たる歩みに、座頭の青年は歯ぎしりした。
濡れた法衣が身体にまとわりつき、いっかな寒さは減じることはない。
身体を動かすことによって、さっきまでの骨身にこたえるほどの寒さはましになりこそすれ、停滞すればするほど、それはぶり返す。発作的な震えを抑えることができない。
そのうち細い小川に出くわしたのか、足もとが濡れた。小川の周囲は泥でぬかるんでいる。チロチロと水の流れが耳にこそばゆい。
さっきから喉が渇いていた彼は、直接溝に顔を埋め、水をがぶ飲みした。
そのあと立ちあがり、よろよろと小川沿いに進んだ。
と、盲人愛用の五尺一寸(約154cm)の白木の杖がなければ、なにかを杖代わりにすべきであった。
まさか段差になっていることに気づかず、頭から高さ二間(約3.6m)なった谷間に落ちたのだ。
――うおッ? 転ばぬ先の杖を体現しようとは、なんたる失態!
深い水の中に飛び込んだ。水しぶきがあがったのがわかる。杜の市は嫌というほど水を飲まされた。
幸い、ちょっとした滝壷になっていたようだ。
うめきながら水を吐き出し、岸にあがった。
手探りで身の安全を確かめた。手足は骨折していない。出血もしていないはず。剃髪した頭にこぶを作らずにすんだだけ、良しとするしかない。
寒さは輪をかけて厳しくなった。背を丸め、我が身を抱いた。
沢を歩くのは賢明なやり方ではあるまい。ましてや見えていないのだからなおさらだ。
今度は手ごろな笹の幹を見つけると、杖代わりにし、地面を小突きまわしながら用心しながら進んだ。
しばらくすると笹藪を抜け出ることができた。
夜の闇に包まれていた。杜の市は足もとから忍び寄る夜気でそれとわかった。
かなり歩きやすくなった。地面はふかふかの腐葉土で、数歩進んだら大木にぶつかる。
一抱えはありそうなクロマツのようだ。手の感触でそれとわかる。
とすれば今度は松林か。
やや上へ傾斜しており、徐々に高台の方へと続いているらしい。
杜の市は息を弾ませて坂道をあがった。杖で前方を突き突き、探りながらだから思うように捗らない。
背後で潮騒のざわめきが聞こえるが、のんびり聞き耳を立てている余裕はない。いつ何時、追手に追いつかれるかもしれないのだ。
――こんなところで死んでたまるか!
――餓鬼のとき、眼病でほぼ失明してからというもの、ことごとく迫害を受けてきたんだぞ!
――実の親から見放され、故郷さえも追われ、やっと琵琶弾きで生きていけると思ったら、たった一人の拠り所だったお沙世さえ失った!
――あの失意は忘れられぬ。これ以上、失ってばかりの人生で終わってなるものか!
◆◆◆◆◆
十一のときに失明したとき、ごく潰しを養うわけにはいかないと、百姓の両親から絶縁を言い渡された。
なにせ兄妹が七人もいて、杜の市は上から二番目だった。親としては早く働き手の戦力になって欲しいと思っていたのに、降って湧いた思わぬ災難である。
ましてや享徳三(1454)年に起きた東北地方太平洋沖を震源とする享徳地震が発生。この地震は今日の現代人にとって記憶にとどまる平成二十三(2011)年の東日本大震災と同クラスの大震災であったとされている。
このさなか、関東地方を中心とした戦国時代の先駆けともいえる享徳の乱がはじまった。
さらには長禄三(1459)年の旱魃と台風が各地に爪痕を残し、翌長禄四(1460)年に大雨洪水、疫病、冷害、蝗害(イナゴやウンカの異常発生による食害)などが重なり、全国的に凶作となった悪しき時代。
ついには長禄・寛正の飢饉を引き起こした。疲弊した人々は都に集まり、飢えと疫病に苦しんで大量の犠牲者が出た悲惨な年だった。
生きるために家を出て、同じく高名な盲人の琵琶法師のもとに弟子入りし修行を積んだ。
二十歳のときに独立、一人琵琶弾きをし、生活の糧を得ていた。
唄うと低音ながらよく通る声と広い音域は魅力的だった。成長するにつれ優男の容姿になったことも手伝い、たちまち人気に火が付いた。金も貯まった。
しかしながらそれも長続きはしない。
なまじ百姓たちが凶作であえいでいるのに、奥浄瑠璃やら早物語やらで娯楽を提供するにすぎない座頭が儲けてなんになる――村人から妬まれるまで、そう時間はかからなかった。
あるとき三人の婦女が何者かにいたずらされたうえ絞め殺される事件が起きた。
混乱の時代の真っ只中である。ひっきりなしに流れ者がやってきては村の秩序を乱し、軽犯罪などは日常茶飯事であった。飢えているなら、他人のものを奪って手に入れればいい――そんな眼つきで、路傍で佇むゴロツキが増えた。
ただでさえ庶民の暮らしは困窮しており、誰もが被害者になることを恐れ、そして苛立っていた。
結局、犯人は見つからなかった。
そこで杜の市にいらぬ嫌疑がかかり、証拠もないのに村から出ていけとの通達がくだったのだ。あまりにも理不尽すぎた。そんな同調圧力が広がっていた。
――ちくしょう! これは私を追い出すための、体のいい口実ではないか!
こんな口惜しさ、あるものか。
これは悪い夢だ。夢なら醒めてくれと、どれほど現実に魘されたことか。
なぜ自分だけが――?
神仏に問うも、その答えは返ってこない。
あるとき、誰かが言った心ない言葉で、すべてに合点が行くような思いがした。
「それは前世から引きずった業ゆえに、現世において大きな負債を背負って生まれてきたのだ」と、後ろ指さされたときには、さすがの杜の市も烈しく傷ついた。そしてこうも言われた。「おぬしらは定住地も持たぬ、異形の存在でしかない。そこにいるだけで村を不安にさせ、また脅かすのだ」
それほど疎まれるのなら、自ら死を選ぼうと考えたことも数えきれない。
とはいえ決行寸前までいって、ことごとく思いとどまった。
相反する餓えるばかりの渇きが、死にたくない――むしろ生きて生きて生き抜いて、幸せをつかみ取りたいと、激烈な欲求がむくむくと湧いてくるのだった。
――晴眼者(視覚に障害のない者)なら当たり前で手に入る人並みの喜び。それを、盲人が願ってなにが悪い!
杜の市は歯を食いしばって死に抗い、生を希って生きてこられたのは、ひとえにそんな屈辱が原動力になっていたからである。窮地の淵に立たされるたび、その原点ともいうべき暗い過去が瞼に浮かび、ふたたび奮起するのだった。――これが杜の市の強さだった。
そんなとき、当道座を介し、按摩、鍼灸、琵琶法師ら座頭の交流があった。
すぐ同じ安芸出身の者たちと意気投合した。
それが年長の砂羽の市を筆頭とし、宮の市、蔵の市、富士の市の四人であった。それぞれ年齢はバラバラであったが、いずれも疱瘡(天然痘)や麻疹(はしか)など感染症やら、眼底委縮が原因で後天的に眼が不自由になった。
そのほとんどが家族から絶縁され、村から離れざるを得なかった境遇も似ており、すぐに実の兄弟のように打ち解けた。けれどもそれは傷の舐め合いではなかったと杜の市は信じている。