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4.五人ぞわい

 二日目の夕方に、左手に備前の宇野港を見ながら、右に讃岐の直島諸島にさしかかった。

 おあつらえ向きに大潮で、いちばん潮が引いた頃合だった。

 ぞわいの複雑なすき間に、いくつもの大きなサザエが食い込んでいるのが見えた。ふだんお目にかからない波間の下のゴツゴツした浅瀬まで顔を見せていた。


 そうは言ってもまわりの海は深く、優に十八尺(約5.4m)はあるにちがいない。

 魚の群れも元気いっぱいに泳いでおり、豊かな漁場だった。

 鮮烈な群青色がきらきら光を照り返していた。




 ――好機到来! こいつは忙しくなるぞ!


 静かに帆をおろした。

 鬼市郎は、あらかじめ積んでいた飲料水用の樽の栓をこっそり抜いた。

 どんどん水が漏れ、床が水浸しになる。


 それを傍目に見ながら櫂を操り、岩礁地帯を慎重に縫いながら船を進めていく。

 無人島である下烏島と上烏島へ舳先へさきを向けた。

 そのころになると床はわらじを濡らし、船が傾くたび、びちゃびちゃとさざ波が立つほどである。

 それで鬼市郎はピシャリと額を叩き、


「しまった! こりゃ一大事ですぜ!」


 わざとらしく言った。


「いかがなされた。なにか不具合でも?」


 座頭のなかでも年かさの物静かな男が口にした。たしか砂羽さわいちと名乗り、この一座の首領格だった。

 鬼市郎は顔には軽薄そうな笑みを浮かべつつも、焦った様子でこう言った。


「いやはや、うかつでした。ぞわいに船底をかすめちまったようです。さっきからやけにアカ(船内にたまった水)が増えた気がしたんでさ。どうも水漏れしてるようでして」


「それは困りましたね」と、小柄の座頭がしゃがみ、水の深さを調べた。「――で、このままだと船旅を続けられないのですか?」


「この程度のことなら、稀にあることです。お恥ずかしいかぎり、船乗り歴十二年、私としたことが油断しちまいやした。ちょいと時間はかかりますが、修理はできます。そのためにはまずは、アカをはき出さなきゃならない」


「となると、私たちは仕事の邪魔になりますかな?」


 顔色の悪い、腹の突き出た座頭が声をかけた。


「そうですな。一時、その場をどいてもらった方がよろしいかと。いずれにしたって、みなさんにもご迷惑をかけちゃいけない。……おっと、そこ! すぐそばに小島があります。どうかそこに一時避難しててくれますか。その間、私が修理しますんで、しばしお待ちを!」


「わかりました。どうせ急ぐ旅ではない。瀬戸内の島におり立ち、潮風に当たるのも一興です」


 砂羽の市は笑いながら舷に足をかけ、白木の杖で地面を探りながら、いの一番に陸に降り立った。

 それに続き、他の四人も手をつなぎ、仲良く船から離れたのだった。

 眼の不自由なこととは哀れなものだ。鬼市郎はにんまり唇を歪ませた。

 

 ――これが島だと?


 五人の座頭が島と信じて降りた場所は、猫の額ほどの広さしかない岩礁にすぎなかったのだ。それもわずかに海面から申し訳なさそうに顔をのぞかせた、満ち潮が来たならばすぐに波間に消えるほどの仮初かりそめの陸地だった。


 座頭たちは船頭の話をすっかり信じきっていた。

 各々しゃがんで海水に触れたり、耳に手を当て風の音を聞いたり、案山子かかしのように立ち尽くし、修理が終わるのをのんびり待っている。

 じっさい船にアカがたまっていたのは事実だが、そのまま瀬戸内の海を行き来する分にはなんら支障はない。


 鬼市郎は綱を引っ張って四角帆をあげた。たちまち帆が風を集める。

 櫓を漕いで、静かにぞわいから離れた。

 急かしたせいで、彼らが必死になって貯めた金の入った財布はもとより、荷物も船に置いたままだ。


 ――なんともちょろい話だな!


 ちっぽけなぞわいに佇む五人に舌を出して見送った。この男には良心の呵責など、欠片かけらほども持ち合わせていないようだ。

 見る間に座頭一座が小さくなる。

 こうして見れば、ぞわいの面積など仏像を据える蓮華座れんげざほどしかあるまい。この海原からしてみれば、きのこの傘ほどにも及ぶまい。


 そのあと、座頭たちは鬼市郎に騙されたことに気づくのだが、時すでに遅し。いくら呼べど叫べど、返事はあろうはずもない。

 内地に助けを呼ぼうにも宇野港から五七〇間も離れていれば、波の音にかき消され届くものか。


 残酷にも潮が満ちてきて、仮初の陸は海の下に沈み出した。

 砂浜に盛り上げた城が、見る間に波の浸食によって削り取られていくように、その領土はあれよという間に失われていく。


 鬼市郎は座頭たちが溺れ死ぬところを、しかと見たわけではないが、容易に思い描くことができた。

 時が経つにつれ、海水はわらじを濡らし、波が押し寄せるだろう。

 声を嗄らして一人流され、二人目も巻き沿いを食い、兄弟のように仲のよい五人は散り散りにされ、呪詛をまき散らしながら海の藻屑と消えるにちがいない。

 眼が不自由だからこそ、もっと目開き(、、、)の者を疑うべきであった。

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