23.生還
お沙世もまた、よろよろと歩き、視力を失い途方に暮れる父の腕を取った。
まるで老いた人を介助するかのように。
傷ついた父と蕩けゆく娘は燃え盛る小屋へは行かず、代わりにため池の方へ歩いていった。
杜の市は無言で立ち尽くしていた。
二人は淀んだ池に足を踏み入れた。
お沙世は父を池の中央へと連れていった。
親子の胸ほどの深さだったが、すぐに底にたまった汚泥に足を取られたのか、ゆっくり沈んでいく。
が、いまだ生への未練を断ち切れないのか、両眼から血の涙を流しながら鬼市郎は抵抗した。
「嫌だ、死にたくねえ……。あと一歩で大金が手に入ったというのに、こんなことってあるか!」
「なりません」
娘は父にしがみつき、泥水の中に埋没していく。
身長の低いお沙世が先に頭から沈み込んだ。
無数の泡があがる。
鬼市郎は水面から首だけ出して声を荒らげた。
どうにかしがみついたお沙世の腕をほどこうと頑張る。
「い、嫌だ。なんでこんな……。おれは、まだやり残したことが!」
「裁きがくだされたのだ。四人の義兄たちと、お沙世の分を背負い、あの世で悔いるがいい」
ため池の縁に立った杜の市が言い放った。
ゆっくりと、鬼市郎の血まみれの頭部が沈み、沈むまいとして顔だけ反らせた。
おかまいなしに泥臭い水が、鼻や口に流れ込むせいで咳き込んだ。
必死で脚をばたつかせているのだろう。わずかに浮上した。
「なにが御仏に代わって裁きをくだしただと? 思いあがりよって。おれの眼を潰し、おれを殺したところで、おまえだって悪党じゃねえか。ちっとも変わりゃしねえ!」と、鬼市郎は水面から顔だけ出して、早口で喚いた。「な、反省するよ! 二度と悪いこと、しねえと誓うから! ここから出して! 座頭たちを殺したからって! お沙世を不幸にさせちまったからって! こんな仕打ちはないだろ! 助けてくれ!」
放っておいても、じきに沈むだろう。
しかしながら杜の市は、吹き矢をかまえた。最後の三発目を装填してある。
「かくれんぼの続きは?」
「なに」
「かけ声をかけてみるがいい」
と、言って吹き矢を吹いた。
矢は鬼市郎の眉間に突き刺さった。
鬼市郎は歯ぐきを剥いて、奇怪な笑みを浮かべ、虚ろな声で、
「……もういいかい?」
「もうよい。お沙世とともに逝くがいい」
と、杜の市はうんざりした声で吐き捨てた。
最後の一投は鬼市郎の脳髄にまで達したのか、弛緩した微笑みのまま、池に飲み込まれた。
これも無数の泡があがったが、やがてそれも途絶えた。
杜の市の背後で作業小屋が烈しく燃え、空高く黒煙があがっていた。
まるで盆のときに焚く送り火のように、赤々と侘しく、いつまでも続いた。
◆◆◆◆◆
あれからどこをどう歩いたか、記憶はおぼろげだ。
法衣は焼けてしまったので、どうにか筵の一枚を手に入れていた。それで身体を包み、腰のところで紐で縛った。ないよりかはましになった。煤と血で身体は汚れ、恰好もみすぼらしく、自身でもひどいものだと思った。
お沙世と連絡を取り合ったテングニシ貝も失った。
採石場から抜ける道を見つけ、ひたすら歩いた。
つづら折りの道を伝い、鬼市郎と死闘をくり広げた窪地の広場に別れを告げた。
雪は相変わらず降りしきった。裸足がこたえた。苦行の道のりであった。
屍島そのものは、さほど大きいわけではなかったようだ。
杖を突きながら南側の浜に出ると、歩きやすくなった。
穏やかな波が寄せては返り、杜の市の足を濡らした。
そのころになると、昂奮した状態も落ち着いたので、どっと疲れと痛みが襲ってきた。
やがて、東の空が白みはじめたのがわかった。
朝日を浴びたくてうずうずしていたが、せめて最後、四人の義兄たちに別れの挨拶をしようと、あえて島の西側にまわり込んだ。
杜の市は砂浜に立ち、姿勢を正す。
ぞわいがあると思われる方角に向かって合掌した。
鬼市郎との戦いで消耗しきって、なにも湧いてこないかと思いきや、涙があふれ、泣けて泣けて仕方なかった。
剃髪した頭を深くさげたあと、悲しみをふり払うかのように砂浜沿いを北西へ歩いた。
潮煙が立っていた。
これからどうやって島から脱しようか頭をひねっていると、杖が堅いなにかにぶつかった。
杖で小突き、大きさを調べる。
杜の市は眼を見開いた。
もしや――。
木の素材の、大きな物体。
船だ。
まちがいない、あの船頭が操っていた船ではあるまいか。
杜の市は舷に手をかけ、傷ついた身体を持ちあげ、船内に転がり込んだ。
這いつくばったまま、手探りした。
備後の鞆の港で乗せてもらったとき、みんなの荷物は帆柱の近くにまとめてあったはずだ。
あった。
それぞれの柳行李や風呂敷、頭陀袋が手つかずのまま放置されていた。
試しに頭陀袋を開けてみた。
誰の荷物かはわからないが、ちゃんと金が入っている。
「やった……。取り返したぞ。喜べ、義兄たちよ!」
杜の市は両腕をあげ、西の海に向って雄叫びをあげた。
◆◆◆◆◆
朝日が瀬戸内全体の海を照らし、白波が目立ちはじめたころ――。
さすがは讃岐の直島諸島、海上の要衝である。しきりに廻船が行き来するようになった。
気配を察した杜の市は、すかさず大声を張りあげた。
そのうちの一艘が、なにごとかと島に近づいてきた。
杜の市はその船に拾われることになった。
十人近くの船乗りがおり、甲斐甲斐しく気づかってくれた。事情を説明すると、荷物まで引きあげてくれた。瀬戸内の波に揉まれた人の温かさに触れた気がした。
そのあと、すぐ北西にある備前国(岡山県玉野市)、田井の海岸へ荷物ごと届けてもらい、別れた。
ついに内地に帰ってきたのだ。そう思ったら、たちまち脱力したにちがいない。
田井の集落に着くや否や、杜の市は気を失った。
心配した住民たちはこの座頭を運び、介抱してくれた。
身体の具合がよくなるまで、そこに逗留することになった。
その間、動けるようになると琵琶の弾き語りをし、漁村の人々に娯楽を伝えた。杜の市の人柄も気に入られ、わざわざ遠方からかけつけてくれる人もめずらしくなかった。
そのうち、宇野港沖のぞわいで、旅の座頭が殺された話題が広まった。杜の市の仲間だと知り、誰もが顔を見合わせた。
岩礁のまわりでは火の玉が飛ぶだの、人のむせび泣く声が聞こえるだの、よからぬ噂も流れ、地元漁師や廻船乗りは近づくのを恐れたものである。
しかしながら、それは親が子どもを寝かしつけるときに聞かせる昔話同様、うかつにぞわいに近づくべきではないとの、船乗りにとっての戒めでしかなかった。
魚介が採れる好漁場だけに、夢中になっていると潮の満ち引きで破船させてしまう恐れがあったためだろう。
杜の市は心身ともに傷が癒えたのち、高野山を訪れた。
多額の金を支払い、死別した義兄たちとお沙世の墓を建立し、その菩提を弔った。
これを機に杜の市は、ますます仏門に精進した。検校には遠く及ばなかったにせよ、こつこつと位を積んだ。
生涯六十三歳。四人とお沙世の分まで生き抜き、檀家に惜しまれながら息を引き取った。
ちょうど梅林の花が満開の季節であった。屋敷のまわり一面が紅色に彩られた。
その死に顔は満ち足りたものだったと、看取りの者たちの語り草となった。
了
※参考文献
『異人論序説』赤坂 憲雄 ちくま学芸文庫
『異人論 民俗社会の心性』小松 和彦 ちくま学芸文庫
『藪原検校』井上 ひさし 新潮文庫
『境界の発生』赤坂 憲雄 講談社学術文庫
『男の民俗学』遠藤 ケイ 山と渓谷社
『旅芸人のいた風景 遍歴・流浪・渡世』沖浦 和光 河出文庫
『琵琶法師――〈異界〉を語る人びと』兵藤 裕己 岩波新書 ※山鹿 良之の8cmDVD付
★★★あとがき★★★
岡山県玉野市に伝わる民間伝承のひとつ、『五人ぞわい』についてはいかんせん資料が乏しく、かなり脚色したことを付け加えておく。
作中のように5人の座頭は安芸出身ではなく、各国からで集まった者たちだったらしい。5人とも按摩を生業にしていたと、ある資料に書かれていた。
みんな名前もさることながら、年齢さえ定かではなかったので適当に設定した。
杜の市……27歳。琵琶弾き。背の高い青年。モデルは大谷翔平クン。
宮の市……31歳。声の甲高い小柄の座頭。按摩。杜の市と仲が良かった。
蔵の市……36歳。中肉中背。按摩。船頭に撲殺される。かぼちゃを叩いた音。
富士の市……37歳。顔色の悪い肥満体型。按摩。ぞわいで溺死。
砂羽の市……42歳。5人のリーダー格。針灸の名人。検校をめざす。
杜の市だけ琵琶法師という設定にしたのは完全にオリジナルである。
本当は津軽三味線弾きにしたかったのだが(琵琶法師だと、あまりにもベタすぎる)、盲人の三味線弾きが流行したのは江戸時代だったらしく、こうなると時代考証的に一線を越えてしまうのでボツとした。
それに手元の資料によれば、5人の旅の目的は善光寺へ参詣するのもあったが、5人とも京へ検校の位をもらい受けるための道中だったともされている。
はたしてそうなのか? いくつもの疑問点が見つかる。
座頭からいきなり検校へステップアップできるのか?――Wikipediaには、『申請して認められれば、一定の年月をおいて順次得る』とある。
作中、3話目でも言及したように、検校を最高官位とし、別当、勾当、座頭の4官からなり、さらに細かくは73の段階に分けられていた。
これはわかりやすく説明すれば、名誉教授、教授、准教授、講師、助教、助手などの教員階級のようなものである。だからペエペエの座頭が、いきなり検校にはなれまい。
しかしながら江戸時代においては、検校であろうが別当だろうが、『座頭』とひっくるめて表現することもあったらしい。素人からすれば、ひと括りにしまっても不思議ではない。
そもそも最高位の検校になるには、かなりの金子を積まねばならなかった。
正直なところ、室町時代のソレはわからない。少なくとも江戸時代のころだと、最低位の座頭が、順次位階を積んで検校になるまでには総額、719両もの大金を要した。
現在の現金に換算すると、およそ9000万円超!(日本銀行金融研究所貨幣博物館の資料による試算)
かなり狭き門だったはずなのに、ましてや5人とも検校の位を?……と、いろいろ疑問に思い、作中ではあえてその点はボカした。
資料は他にもツッコミどころ(室町時代のはずなのに、お金の単位が『両』というのもいかがなものか。……いや、そもそも資料によると、今から500~600年前と表記されているので、室町時代と決めてかかったにすぎない。しょせん昔話レベルの話である)が散見されたため、恣にアレンジした。いずれにせよ時間も足りず、僕の勉強不足も露呈した。
鬼市郎こそ名は体を表すとおり、鬼のメタファーである。
かつては漂泊の民として、たたら職人をしていたことを作中で語った。
常に火の加減を見る必要があるため、熱で片眼を潰してしまったり、火力を高めるために鞴を踏む番子のやりすぎで、片脚が萎えてしまう職業病がつきものだった。
そこから妖怪『一本だたら』が生じた話は有名である。看破したのは、民俗学者の谷川健一だった気がする……。
物語後半、やがては温羅の鬼の起源に迫るつもりだったのだが、詰め込みすぎるうえ、話がまだろっこしくなるため、急きょカットした。
杜の市が逃げ込んだ無人島は、香川県香川郡直島町に属する京ノ上臈島のことである。じっさいに以前は『屍島』と呼ばれていたそう。興味のある方はググってみてください。
この島に棲む女郎蜘蛛が美女に化けて、近くを通った船を沈めて、船人の生血を吸ったという恐ろしい伝説がある。他にも島名が特殊なだけに、いわくのある島である。
この伝承は蛇足なので、あえて盛り込まなかったけど。
言うまでもなく、落雷により水死体が甦った云々は創作にすぎない。
本当はすべての台詞も、瀬戸内あたりの方言で書くべきだったのだが、これも時間が足りなさすぎた。
それと、この言葉狩りの厳しい時世にあって、なぜ盲人の座頭をモチーフに、ましてや他の登場人物に至るまで、いわゆる不具者を出した点と、なぜこのような結末に至ったかというと、ちゃんとそれなりの理由がある。『五人ぞわい』を題材に書く以上、盲人の座頭は避けて通れないとして――。
あえてネタバレなどと、下劣なことはするつもりはない。
参考文献に紹介した、民俗学者・赤坂 憲雄氏の『境界の発生』に、『琵琶法師または堺の神の司祭者』という項目がある。それについて、僕は鮮烈な影響を受けた(しかしながらこの本はあまりにも難解すぎるのだが)。
以下、引用はまずいかもしれないので、少し文をアレンジして載せてみよう。
――次に、琵琶法師のシンボルともいえる盲目(聖痕)について焦点を当てたい。
柳田国男は『一目小僧』を論じた際に、一眼一足の神、妖怪の類の伝承を豊富に引用しつつ、一眼や一足といった身体の【不具】を、神の依坐=仲介者たる資格であると推論していた。
ほぼ同様のことを、文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースは次のように述べている。
「盲目あるいは跛足、片目あるいは片手などのシンボルは、世界中の神話に多く見られ、我々に当惑を感じさせる。なぜなら彼らの状態こそ、我々にとっては欠如であるように思われるからである。
しかしながら、数的にはより貧しいにもかかわらず、論理的にはより豊かになるのと同様に、神話はしばしば不具者や病人らに、正の意味を与える。つまり彼らは、媒介の様式を体現するのである。」
私たちが述べてきたところでも、神異を顕す人々は多くの疾病や【不具】を負い、賤形に身をやつしていた。
そこでの疾病・【不具】・賤形などは聖なる痕=すなわちスティグマであり、神と人との仲介者たるシンボル、または資格であった。
言い換えれば【異常性】――障害・欠損・過剰などを具えた【異人】は、それを聖痕として、神に遣われし者・神を背負いし者・神に近き者へと聖別されたのである。
そうした神と人間という二つのカテゴリーにまたがり、『媒介の様式を体現する』存在は、【聖なるもの】として、厳しい禁忌の対象とされた。
その際、彼らが共同体側から怖れと敬いの混淆した感情で迎えられたことは、あらためてくり返すまでもない。
盲僧(琵琶法師)が亡霊の鎮魂・慰撫を職分としたこと、つまり呪術宗教的な霊能者であったことの意味は、民衆側の、盲目に対する神秘や畏怖の念に依存しているものと思われる。
さらにいえば、中世芸能史に果たした盲人の高い役割は、盲目という【不具性】を、神と人との仲介者の資格と見なす信仰なしには理解できない、と私は考えている。
(中略)
異人とは歴史を持たない人間である。
【歴史】という土地に根差した連続的時間。しょせん、共同体(あるいは国家)に定住する側の人間たちの所有物であり、【異人】は土地を所有することなく、【歴史】から排除された存在であるがゆえに、『歴史を持たない人間』であらざるを得ない。
私たちの主題である琵琶法師もまた、【異人】である限り、共同体(あるいは国家)の【歴史】に加わることも拒まれた存在である。
いや、恐らくは盲人こそが、【歴史】からもっとも遠い、真逆の位置に佇む存在であるにちがいない。
その【歴史】から、残酷なまでに拒まれた盲目の芸能者こそが、なぜ琵琶を弾いての【歴史】語りに世渡りの道を見出すに至ったか、いかにも逆説的な光景ではある。
(中略)
あるいは、松田 修が前掲『蔭の文化史』の中でこう述べている。
『盲人を殺すことは、盲人が盲人であるがゆえに、その特殊の記憶能力を利用して、担当している一族一門の歴史を鏖殺(皆殺しにすること)することに他ならないのだ。いわば盲人とは、一個の生命体が、擬似的に保有する、個体としての【族史】なのだ。
かくして盲人殺しとは、すなわち歴史殺しである』と。
……なんともまあ、しち難しい内容である。
僕はこういった参考文献から、本作を練りあげたつもりだ。
あとは推して知るべしである。
琵琶法師の主人公という設定を作った手前、資料として山鹿 良之(1901~1996)さんの記録を、たびたび閲覧させていただいた。
熊本県北部や福岡県の南西部一帯で、琵琶の弾き語りのみで生計を立て続け、現代における『最後の琵琶法師』と呼ばれた。もう故人となられ久しいけれども。
晴眼者による琵琶弾きもめずらしくない一方、山鹿さんは正真正銘、盲目の琵琶弾きであった。
YouTubeで検索すれば、いくつか弾き語りがUPされている。これも興味がある方ならば、見てみるとよい。
氏の語りには、たいへん惹き込まれた。ましてやこの方は盲目だけに、なにかの帳面か手本を見ながら物語を語るのではなく、最長5時間にも及ぶ演目の内容を、記憶されているのだから驚く。
かなりレパートリーも広かったとのこと。過去には山鹿さんを取り上げたドキュメンタリー映画も制作されている。
語りの佳境になると、とたんに熱い講談師調の口ぶりになり、ストーリーテラーのなんたるかを垣間見た気がした。韻を踏んだ語りといい、本作の文体はそこはかとなく影響を受けた。
しかしまあ、このIT全盛の現在に、僕の興味は最先端にいかず、先祖返りして琵琶法師とは……。
世間さまとの決定的なズレを感じる今日このごろである^^;




