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22.「眼が見えないからこそ!」

 小屋の中は暗い。

 屋根の一部や柱が崩落した跡がそこらじゅうにあり、うっかり足を出せば尖った板で突いてしまうかもしれない。

 鬼市郎は背を屈め、爪先立ちになり、ゆっくり小屋の中ほどまで進んだ。


 右脚は萎え、左の足にも怪我を負ったというのに、恐るべき生命力であった。

 至るところに闇がわだかまっている。

 なにか武器となるものを得た杜の市が、いつ反撃してくるか知れたものではない。


 奥を見やった鬼市郎は、舌なめずりした。

 一段あがった板の間の向こうに、白い布の塊が見えたからだ。

 あまりにも不自然すぎた。あれは座頭が着ていた法衣にちがいない。

 そっと近づいた。

 見れば見るほど、顔がにやけてくる。


 しょせん哀れな盲人か。ついに退路を断たれた杜の市は、ガラクタの物陰に尻を突き出したまま隠れているつもりらしい。白い法衣が背中を丸め、野兎みたいにうずくまっているのだ。


「ボサマよ、みぃーつけ。頭隠してなんとやらだ。残念だが、かくれんぼはここで終わりだ。観念しな!」


 鬼市郎は匕首を逆手さかてに持ち、一気に近づいた。

 そして無防備なその背中に突き立てようとした。

 渾身の力で、刃渡り五寸の白刃を、丸みを帯びたてっぺんにめり込ませた。


 ……が、肉と骨とは思えぬ手応え。

 眼を瞠った。


「こいつは!」


 突き刺した刃を抜き、法衣を引きはがした。

 そこに若い座頭の姿はなかった。てっきり、うずくまったアマガエルそこのけの恰好で現れると思ったのに。

 布の下にあったのは、朽ちて穴だらけになったむしろの塊だった。


 鬼市郎は闇の中を見まわした。

 こうも暗すぎると夜目も利かない。

 板の間は横に長く、ところどころ垂れ筵がぶらさがって、ちょっとした小部屋として仕切っている。長屋然とした小屋だから、まだ奥を調べる必要があった。


 忍び足で歩き、床に落ちた細長い木材を拾った。

 劣化してくたくたになった筵の断片を、端に巻き付け固定した。

 懐から火打ち金と火打石、火縄の入った袋を出す。

 鬼市郎はその場でしゃがみ、鉄塊に石を打ちつけた。貫通した足の痛みもなんのその、夢中で石をこすった。


 いつ何時、杜の市はモタモタする鬼市郎を見て、反撃に出てこないとはかぎらない。闇の向こうと火打石とを見比べながらの着火を試みた。暗がりで火花が何度も散る。


「えいくそ! さっさと点きやがれ!」


 深海のように濃い闇は、この鬼市郎をもってして焦らせた。

 火縄の束に大きな火花が落ち、ようやく火がついた。

 用心深く、手製の松明たいまつに炎を移す。


「灯りがつきゃ、こっちのもんだ。ボサマ、もう小細工は通用しねえ!」


 松明を掲げ、垂れ筵をどけた。

 奥に長い部屋を灯りで炙り出そうとしたが――なにもない。

 杜の市はいなかった。

 忽然と姿を消していた。身を隠す物陰や、棚さえもない。


「そんなはずはあるめぇ。出口は一カ所しかねえんだ。入れ違いに出ていったとはありえん……」


 松明を顔の位置に掲げたまま、左眼を見開いた。

 板の間で立ち尽くしていたときだった。

 ふいに、左の壁のすき間から寒気が吹き込んできた。

 炎が揺れた。


 板のすき間に突起物が出ていた。なにやら細長い棒のような……。

 よく見ようと正面からのぞき込んだ。

 そのときだった。


「御仏に代わって、私が裁きを与えてやる!」


 のぞき見た鬼市郎の左眼に、突風とともに勢いよく、なにかが食い込む感触があった。


◆◆◆◆◆


 倒壊した屋根のすき間から、小屋の外へ出た杜の市。裏手で待ち伏せしていた。

 外壁のすき間から吹き矢の筒を差し込み、手ブレせぬよう固定し、狙いを定めた。

 鬼市郎がなにごとかとすき間をのぞいたとき、一気に筒を吹いた。


 外しようがないほどの至近距離。

 しかも期せずして鬼市郎の方から灯りをともし、ましてや顔の前に掲げていたのだ。ぼんやりとながら視界の利く杜の市にとって、願ってもいない射的しゃてきの的となった。


 鍼灸しんきゅうはりで細工した矢は、一直線に鬼市郎の左眼に吸い込まれた。

 真冬の峻烈な海を、ぞわいからこの島まで泳ぎきった杜の市の体力と肺活量である。

 寒天かんてんのようにやわい眼球など、瞬時にして矢羽まで埋まった。


 続けざま、杜の市は相手の右眼めがけ放った。

 それも突き刺さったが、たたら職人時代に失明したのだ。潰すまでもなかった。

 聞くに堪えない絶叫が小屋の中であがった。

 鬼市郎は眼を押さえたままけだもののように叫び、床でのたうちまわった。


 松明は近くに転がり、筵に火が移っているのがわかる。

 赤々と燃え出したのが見えた。

 法衣を脱いだ杜の市は、上は薄い肌小袖はだこそでに、下はふんどし姿であった。

 容赦なく雪がその細い身体に降りかかる。

 もはや生きるか死ぬかの瀬戸際。感覚は麻痺していた。


 眼がはっきり見えたとしても、見るまでもない。勝負はついたも同義。

 杜の市は裸に近い恰好で小屋をまわり込み、正面へ出た。

 ため池の手前でお沙世が寝そべっている気配がする。

 そばへ行き、手を差し伸べた。

 杜の市の姿を見ると、顔だけあげ、右腕一本で立ちあがろうとした。


 そのとき、背後の小屋から火の手があがり、烈しくぜる音が聞こえた。

 同時に、戸口に手をかけ、鬼市郎が寄りかかった。

 杜の市は眼を閉じた。


 身体の芯から全身の血液じゅうに、熱い物質が行きわたっている。いわゆる火事場の際に発揮する底力であろう。寒さも感じず、傷みさえ超越していた。あらゆる感情もなめらかになる。


 燃え盛る小屋の前に佇む鬼市郎が、声をしぼり出した。両方の眼に矢を打ち込まれ、恐らく失明しただろう。とっさに矢を抜いたらしく、いまは傷ついた瞼から縷々(るる)と涙のように血が流れていた。


「ちくしょう、見えねえよ。どこだ……。どこ行った、ボサマ!」と、動揺した口調で言った。両腕を突き出し、杜の市たちに向かって近づいてくる。その足取りはおぼつかず、そっと近づいて足を引っかければ、たやすく転倒させることができるだろう。匕首は小屋の中に置き忘れてしまったらしい。「くそう! こんなことなら、よせばよかった……。おれは盲人どもを殺したから、罰を受けたってか? なんでこうなった。わけがわからねえ……」


 無理もあるまい。まさか吹き矢によって、眼球を射抜かれたとは夢にも思っていまい。

 

「眼が見えないからこそ!」と、杜の市は吹き矢を手にしたまま言った。「眼が見えないからこそ、雑事に捉われずにすみ、真実を突くことができる。あんたも憶えておくがいい!」


「なにをこの」


 鬼市郎が両腕を前に近づいてきた。よろよろと危なっかしい足取りだ。

 そのすぐうしろで、またたく間に長屋の小屋全体が炎に包まれ、この青白い夜の底で篝火かがりびと化した。


 杜の市のかたわらのお沙世が、最後の力をふり絞って立ちあがった。これも脚は萎え、無残に切り刻まれた小袖姿で、哀切の情を抱かせた。しものおりた田畑でんばたが溶けるときのように湯気を立てていた。


「父よ」と、お沙世は言った。その声音は、先ほどまで怒りと殺意に彩られたそれではない。父と子が温かい縁側で交わす言葉のように長閑のどかだった。「私とともに参りましょう。今生こんじょうでいろんな人に迷惑をかけたのですから。幕引きすべきです」


「お沙世」


 と、杜の市は声をかけた。

 お沙世は見ず、横顔だけで笑った。


「さようなら、杜の市。これでお別れです」


 腐汁滴る顔から骨がむき出しになった。

 小袖全体からもとろけ、仮初かりそめの肉体の余命も、いくばくもないことを杜の市は悟った。

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