21.仇討ちの準備
杖を突きながら作業小屋めざして進んだ。
背後で鬼市郎とお沙世と争う声が聞こえたが、もはやふり返りもしなかった。
間合いに入りたいのも山々だったが、ああも刃物をふりまわされては埒が明かない。
なんとか奴の得物を取りあげたいものだが……。
長屋然とした小屋の引き戸を開けた。
老朽化しており、力まかせに開けると戸がはずれ、表側に脱落した。
室内は暗い。杖で探りながら進んだ。屋根さえ朽ち果て、平気で雨水も入るらしく、雑草が生えていた。
奥へ行くと一段あがり、板の間があった。
隅には、かつては寝泊まりできたらしき筵を敷いた一画もある。もっとも屋根の一部が崩落し、ささくれ立った梁が筵に刺さっていた。
周辺を調べた。
必死に手探りした。暗すぎてぼんやりとも見えない。
板の間をいくつかに仕切っていたらしく、粗末な垂れ筵が天井からさがっていた。
それをどけ、一層暗い一画を触った。奥へ長い。
……あった! なにやら厳めしい箱のようなものが置かれている。
しゃがんでふたを開け、中を物色した。
当たりだ。
かつて石工たちが使っていた道具入れのようだ。雑多のタガネや鑿の類が入っている。石頭(カナヅチ)まであった。本来はこれで鑿の頭に打撃を与え、石を彫ったり加工するのだ。
太くてごつい鑿には用はなかった。
仕上げ用の細いものを探す。いくつもの先端の尖った字堀鑿と、平刃鑿が見つかった。いずれも太さは極細であった。前者が三分(約0.9cm)で後者は四分(約1.2cm)。平刃に至っては、恐らく仕上げ用だったのだろう。すべて手の感触でわかった。
杜の市がまだ八歳のころだ。あのときは眼病を患う前で、ちゃんと眼が見えた在りし日……。
奇しくも隣家の男が石工職人だった。家のかたわらの作業場で、花崗岩の塊と格闘しているところを見た憶えがあったのだ。
おぼろげな記憶を頼りに、見よう見まねである。
そばに置いた杖を手にした。
この杖こそ、島に漂着して笹藪で見つけた品。あつらえたように、盲人の誰もが使う白木の杖とほぼ同じ長さであった。やや細かったが。
笹はイネ科でタケ亜科に属する植物である。端的に言えば幹が太くて大きく育つのは竹であり、幹が細く、小型のものは笹と言えるだろう。いずれに共通するのは、茎の内部がいくつもの節でつながり、中空であることだ。
杖を立て、地面に固定した。上端に字堀鑿の尖った先をさし込んだ。
うまい具合に太すぎず、さりとて細すぎずすっぽり収まった。
杜の市は慎重に石頭で鑿の頭を叩いた。
たちまち鉄製の細長い芯棒は最初の節に当たり、砕いてなおも進んだ。
しょせん字堀鑿の長さは六寸(約18cm)である。たちまち杖の中に埋没した。
杜の市は続けて、平刃鑿を杖の中に押し込み、石頭で打撃を加えた。平刃鑿に至っては長さが七寸(約21cm)近くある。
小刻みに連打した。そのたびに内側の節を破り、ますます奥へ入っていく。
連結する形で次の平刃鑿を打ち込んだ。
打撃を与えると、先頭の鑿が次の節を砕く手応えが伝わる。
それをくり返すこと八回。最初に叩き込んだ鑿が、杖の反対側から突出したらしき感触があった。
いくつもの節を貫通させたはいいが、バリがついていたはずだ。
ざらざらした持ち手の鑿をねじ込んだおかげで、そんな取っ掛かりもうまく除去できたようだ。杖を縦にふると、いっせいに連結した鑿が滑り落ちたから、どうやらうまくいったにちがいない。
杜の市は安堵のため息をついた。
節を取り除くどころか、手荒に扱えば笹の茎そのものを破損させかねなかったのだ。そうなれば、この小屋まで来た意味を失ってしまう。
これで杖は完全に筒になった。
――この石切り場へ着いたはじめ、お沙世は「父は鮫のように狂暴だ」と言っていた!
――鮫か。以前、漁師に聞いたことがある。海で泳いでいて、もしも人食い鮫に襲われたとき、鼻やエラ、眼を殴りつければ窮地から脱することができると!
――眼を狙うしかない。目明きの者が視力を失ったときこそ、戦意を喪失するにちがいあるまい。とはいえ、盲人の私がそれをやるのは、いささかためらいがあるが……。
――ええい! 四人の仇だ! なにを哀れんでおるのだ!
――やるしかない! やらなきゃ己がやられるだけだ!
法衣の袂の物入れから、三本の矢を取り出した。
言わずもがな、鍼灸の鍼に和紙の矢羽を取り付けて加工したものである。これも盲人ならではの繊細な技であった。
杜の市は開け放たれた戸口の方に向きなおった。引き戸ははずれてしまっている。
恐らくこの位置からは、鬼市郎とお沙世の姿は見えないだろう。言い争う声がするものの、建物にさえぎられたふうに聞こえるからだ。
見えないからこそ好都合……。
杜の市は法衣を脱ぎはじめた。
そして崩落し、ぼんやりと夜空が見える天井を仰いだ。
羽毛のような雪が舞い降りてくるのがわかる。強い寒気がなだれ込んできた。
壁の至るところにも、板が朽ちてはずれ、大きなすき間があった。
――これならば、いけるかもしれぬ!
◆◆◆◆◆
「お沙世! 何度言ったらわかる。放せ! 放せったら!」
足の甲に極太の鑿を打ち込まれ、その場に釘付けにされた鬼市郎と、お沙世が絡み合っていた。
彼女は左腕をそっくり失い、両脚も萎えた状態である。全身から異様な湯気を立てていた。
「杜の市の命、狙うのは許しません。なんとしてでも、お守りしてみせる!」
「しつこいったらありゃしねえ! せっかくここまで追ってきたんだ。奴にはどうしても消えてもらわなくちゃならん。おめぇにかまってる暇は!」と、鬼市郎は地面に縫い付けられた左足を抱えた。そして頬をふくらませたあと歯を食いしばり、「ねえんだ! 悪いな!」
と言って、勢いよく左足を持ちあげた。
地面に打ち込まれた鑿はそのままに、足をはずすことができた。
患部には大穴が開いていることだろう。鬼市郎は見もせずに、立ちあがった。痛みもこらえ、気力で歩こうとする。
地べたに這いつくばったままの娘を放置し、あばら家と化した作業小屋に近づいていった。しっかり匕首は手にしている。
「杜の市! 父が行きます! どうかお逃げください!」
「ご苦労だったな、お沙世。あの座頭を始末したら、あとでおまえも奴のもとに届けてやる。甦った死人をどうやったらとどめを刺せるのか、ちと自信はないがな。なんなら細切れに切り刻めば、さすがに復活できまい。あとで試してやる」
鬼市郎は酷薄なことを言うと、作業小屋に向きなおった。
夜の空から大粒の雪が降り、視界をさえぎる。鬼市郎はたちまち白化粧を施され、吐く息もますます寒々しくなった。
そろそろ時間切れだった。
鬼市郎は匕首をかまえ、用心しながら中に入った。