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18.せめてもの餞

 『主』からさっそく指令を受けたお沙世の行動は早かった。

 採石場の中央に連なる巨石の山脈を、庭園の飛び石を渡るかのように跳躍して移動した。

 そしていちばん北側の、花崗岩の塊に着地した。

 月明かりが広場の凹凸に、複雑な影を作り出している。


 いまやお沙世は屍術師である杜の市の祈祷と、屍島の特殊な磁場によって生み出された肉の傀儡くぐつだ。生前より身体的な限界制限が解放されたがゆえに、恐るべき能力を示していた。礫による投石の精度もその一例だ。

 そして暗闇を透かす能力も秀でていた。


 左右の黒目があべこべに向いていたものの、周囲を見渡すと、すぐに落下物を見つけることができた。

 先ほどは杜の市が手探りでいくら探しても見つけられなかった礫や、かつて石切り場で使われたであろう錆びたタガネのみやクサビを見つけることができた。


 すぐに南へ八間(約14.5m)のところだった。

 白い長方形の巨石がずらりと並ぶ根元に、杜の市が落としたとおぼしき杖を発見したのだ。

 それを拾い、これから南の水路沿いで立ち往生している杜の市と合流するつもりだった。




 と、そのとき――。

 背後からそよ風のように近づいてきた気配に気づくのが遅れた。

 ふり返るのと、左腕の肩口から下を匕首の一閃で切り落とされたのは同時であった。

 血煙の向こうで、得物をふりおろした親父の姿があった。


「ざまあねえなぁ、お沙世! 一度死んで懲りたはずだろ。いつまで男にうつつを抜かしやがるんだ、ああ?」


 鬼市郎が鬼の形相で白刃にこびりついた血液をふり払った。 

 禍々(まがまが)しき親子の対面であった。

 隻眼でありながらいまや鼻梁までつぶれ、血で洗顔したようなありさまなのだ。お沙世が異界から還ってきた死人なら、その親父もさながら人外の物の怪のようだった。


「不覚」と、お沙世は左肩の切り口を押さえて言い、背を丸めて鬼市郎を睨んだ。「あんたの悪事、なんとしてでも終わりにしなきゃならない。そのためにも彼岸から戻ってきたんだから」


「たわけ! 自害した奴が、そんなご立派なところに行けっかよ!」


 鬼市郎は背を屈め、武器を腰だめにしてかまえた。

 右手の手のひらで柄の尻を固定してある。哀れな盲人の生き残りだろうが、実の娘だろうが、たとえ肉体を鍛えあげた相撲取りだろうと、この突進を食らえば息の根をとめることができる。


 ――が、それは失血すれば命に係わり、心の臓が機能している相手にかぎられている。

 踏み込んだ。

 電光石火の突撃を受けたお沙世。加速と体重が充分乗った体当たりだった。

 親父は情け無用に、娘の脇腹に突き立てた白刃をグリグリさせて傷口を広げた。


 はじめこそ小袖を血で染めたが、じきに失血死に至る量でないことに鬼市郎は気づいた。

 匕首の柄をつかんだ左手を支点に、柄の尻に添えた右手でこねくりまわした。いくつかの臓器に損傷を負わしているはずだ。


 お沙世は、虚ろともへいちゃら(、、、、、)ともいえる冷ややかな表情で親父を見つめた。

 左眼を剥いた鬼市郎は刺すのをやめ、うしろに飛び退いた。


「なるほど――甦ったとは言っても、しょせん生ける死人か。満足に血も流れてねえし、心の臓を突いてもたおせぬと。因果な娘を持ったもんよ。男に狂い、男のために戻ってきたのに、それほどまでおれに盾突くとは、とんだ親不孝者めが。だったらよ、人の親としておまえに物事の道理ってもんを教えてやら。おめぇはボサマに操られてるも同然だ。やっぱり座頭どもは異形の存在なんだよ。さっさと眼を醒ますべきだ。だからこそ、このおれが引導を渡してやる。せめてものはなむけだ!」


「どの口が言う!」




 二人は互いに踏み込み、交差した。

 もとよりお沙世には武器はない。左腕は失い、右手をかぎ状に曲げた爪だけしかない。

 鬼市郎の匕首が胴に入った。

 お沙世は右胸に切り込みを入れられた。


 矢継ぎ早鬼市郎は、その場で白刃を複雑に旋回させる。

 お沙世の小袖は切り刻まれ、首や太もも、すねや足首に至るまで傷だらけにされた。ほとんど血は流れない。

 骨にまで達した深い傷を作りながら、立っているのもやっとのていで、お沙世は両腕を突き出し、なおも鬼市郎に近づいた。


◆◆◆◆◆


 杜の市は相変わらず、水路の中の一段あがった狭い窪みにいた。まるでこの屍島、この石切り場にあって、秘密のいおりのような空間であった。

 祝儀袋から水引をはずし解体している最中だった。


 一枚の和紙にしてから、細かくちぎっていく。

 かなりの神経を遣う作業であったが、盲人は手先の器用な者が多いように、杜の市もまた繊細な技で、小さくて丸いものをいくつか仕上げた。

 この暗闇での地道な仕事だった。晴眼者では到底まねできないであろう。


 室町時代当時から、水引は和紙を紙縒こよりにして紐状に作られていた。引き裂いて揉みほぐすとほどけた。一本の糸状になった紙を集める。

 そして砂羽の市からもらった鍼灸の鍼の先端で、丸くちぎった小さな紙片の端にいくつか穴を開けた。


 その鍼自体の尖った先端とは反対側に、紙片で円錐にする形で取り付け、糸で固定する。

 この作業ですら暗闇で行われた。どうせ杜の市には見えていないのだ。闇の中であろうとなかろうと、さほど関係なかった。




 ……こうして三本の鍼の尻に、円錐の羽がしっかり固定された。

 加工した鍼を束ね、ふたたび法衣のたもとの物入れに収めた。

 あとは杖を回収したお沙世と、合流するだけだった。


 とはいえ、この広大な石切り場には凶暴な餓狼が放たれているのだ。そうは易々と望みどおりにはさせてくれまい。

 じきに不安は的中した。

 杜の市の尻のあたりに伏せていたテングニシ貝。貝殻の口から、やおらお沙世のうめき声が洩れたのだから穏やかではない。


「杜の市……。あの人と刺し違えました。と言っても、私の方が一方的にやられちゃったけど」お沙世の弱々しい、苦悶を押し殺した声が洩れてくる。「父には地面に落ちていたのみでお腹に突き刺しただけ。でもかなり出血しているはずです……」


「お沙世! 無理をするな。いまから助けに参る。そこで待っておれ!」


 杜の市は貝殻に向かって叫んだ。グズグズしていると、またもお沙世を失ってしまう。


「だめです、そこを動いてはなりません。父はそちらに向かったのです。いまのあなたが出会えば勝ち目はあまりにも薄い」


「だからと言って、ここで手をこまねいてばかりいても!」


「さっき、私はどうにか這いずって水路のところまでたどり着きました……。杖を水に流したのです。うまくいけば、あなたのもとに届くはず」


「笹舟の要領で流したというのか。しかし水路は途中、枝分かれしていた。私のいるところまでうまく流れ着く保証はない。ちがう水路へ流れてしまえばおしまいだ」


「信じるしかありますまい。いまの私にはこれが精一杯でした……」


「お沙世? 死ぬな、お沙世! おまえに死なれたくない!」


 あまり大声を出すべきではなかった。

 北の方角から水路の上を、脚を引きずりながら歩く音を聞いたからだ。

 耳を澄ますと、鬼市郎の、ぜいぜいという烈しい呼吸音も捉えた。距離にして十一間(約20m)ほどと、かなり接近していた。


 鬼市郎はじきにここを特定するだろう。

 いまさらお沙世を救助するにも、道のりは険しすぎた。

 せっかくの彼女の自己犠牲と好意を無下むげにすべきではない。


 杜の市はどうするべきか悩んだ。

 苦しまぎれに足もとに置いてあった小判をつかんだ。

 水路から頭を出し、あさっての方向へ投げてみた。小判は水平に、それこそ川で水切りする平らな石のように飛んでいったはずだ。

 採石場の西の方で、小判の跳ねる音がした。


「なんだ、いまのは? 金の音がしたが」と、鬼市郎らしき男の訝しむ声。明らかに立ち止まって様子を窺っている。「またも、おれの気を逸らすつもりだろうが、そうは問屋がおろさねえ。何度も同じ手が通じるかって」


 杜の市はテングニシ貝を袂に入れ、秘密の部屋から水路へとおりた。もとより水路を流れる物体はろくに見えない。

 頼れるのは聴覚しかない。手を耳に当て、集中した。


 さらさらと静かに流れる水のささやき。

 じれったいほど待った。

 早くしないと鬼市郎はこちらに向かってくる。なんだかんだ言って、小判のことが気になったらしく、気配は西の方へ歩いていったようだが……。

 杜の市は願った。


 ――杖よ、こちらへ来い! 入り組んだ溝を、枝分かれした方向へ行かず、こちらへ流れて来るのだ!

 

 うつむき、耳を澄ませた。

 コツンコツン……と、硬いものが水路の壁に当たるかすかな物音。

 気のせいではあるまいか? はっきり耳にしたわけではなく、もはや単なる願望にすぎないのでは……。

 杜の市は法衣が濡れるのも気にせずしゃがんで水路の真ん中で待ちかまえた。

 その両腕を広げ、しばらくすると、五尺一寸の杖をつかまえていた。

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