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17.奇態なカラクリ

 鬼市郎は石切り場の北東部にまで後戻りしていた。

 陽動に引っかかったわけではなかった。――てっきりお沙世に引き付けられたものかと勘ちがいしていた。

 またぞろどこからか投石で狙われたら、たまったものではない。しかも憎らしいほど精度の高い狙撃をしてくるのだ。


「お沙世の奴……近くにいるな」物陰に隠れ、様子を窺う。指に唾をつけ、風を読んだ。鼻梁を折られ、ただでさえ低い鼻が横に寝ており、つまんでもとの位置に起こさねばならなかった。思わず顔をしかめた。「おほー、痛て。……おれに盾突くところは女房そっくりだ。死んでからもおれを邪魔するたぁ、不届きな奴め。今度こそ息の根を止めてやる!」


 最優先すべき事項は杜の市を仕留めることであった。その前になんとしてでも、お沙世の飛び道具を封じる必要がある。なぜここに来て、二人は別行動をとっているのかわからないが……。


 ――まさか松林から逃げているとき、この石切り場があったことを承知で待ち伏せし、おれを挟み撃ちにしようって魂胆じゃあるめぇな?


 すぐにその考えを打ち消した。

 甦ったお沙世は杜の市の眼となり、忠実な護衛役と化しているが、肝心の杜の市はしょせんは盲人であり、呼吸を合わせて反撃するのも難しいはずだ。


 なまじ二人固まって行動していると、この複雑な起伏の採石場である。追手に見つかればお互いを窮地にさらすと判断したのだろう。その方が鬼市郎にとっても追跡しづらいのは確かだった。

 まずは、お沙世を炙り出さなくてはならない。


◆◆◆◆◆


 当のお沙世は巨石の上にいた。

 杜の市が鬼市郎に馬乗りにされ、危うい局面を救った高台から移動していた。

 いまは採石場のほぼ中央にある、ひときわ高い塔のような柱の上に陣取っていた。そこならば、この長方形の窪地全体を見渡すことができる。


 白い月だけが目撃者であった。

 十六歳の生ける屍はしゃがんだ姿勢でいる。黒々とした影絵となり、微動だにしない。まわりの花崗岩に溶け込んでいるので、いくら抜け目ない鬼市郎と言えど見つけられまい。


 『あるじ』である杜の市から指令が来るのを待っていた。

 『主』が窮地に陥り、無意識のうちに救いを求めたとき、お沙世は力を発揮するというわけである。

 期せずして杜の市は反魂の秘術でお沙世を甦らせてしまい、使役させることができるようになった。いわゆる屍術師ネクロマンサーの業であろう。


 死霊化した彼女は口は利けても、しょせん肉でできた操り人形にすぎない。ましてや『主』から離れれば離れるほど、自ら思考する力が欠けてしまうようだ。


 ただでさえ腐敗した肉体を操るので、先ほどの礫の雨を降らせただけで烈しく損傷していた。関節部から折れた骨が突出しており、その姿は痛々しい。

 青ざめた肌はただれ、腐汁が滴っている。


 あべこべの方向を向いた眼の焦点を、岩陰に潜んでいる鬼市郎に向けた。

 いくらなんでも距離が離れすぎていた。彼我の差は二十二間(約40m)はあろう。さすがに異能の力をもってして、投石し、命中させることは難しい。なまじ手を出して失敗したのなら、親父は警戒を深め、ますますハゼのように岩と岩のすき間に身を引っ込めてしまうにちがいない。


 一方の杜の市の居所を探した。

 やや右斜め眼下の、採石場の南東付近に隠れているようだ。しかし人工的に掘られた水路のせいでここからは見えない。


 お沙世は小袖こそでの懐に手を入れた。

 先ほど杜の市と別れ際、渡した同じテングニシ貝の殻を取り出した。二寸(約6cm)の長さがあり、お沙世の小さな手のひらからはみ出すほどの大きさである。

 その空洞に口を当てた。


「杜の市、聞こえる? さっきから溝の陰に隠れて動かないようだけど、もしかして怪我でも?」


 と、言った。


◆◆◆◆◆


「さっきから溝の陰に隠れて動かないようだけど、もしかして怪我でも?」


 杜の市はビクリと身体をふるわせた。

 水路のなかの、人一人しか入ることのできない窪みである。かたわらにお沙世はいるはずがない。

 地面に伏せていた貝殻から、不明瞭ではあったが、彼女のささやく声が聞こえてきたのだから驚かずにはいられない。


 杜の市は手探りでテングニシ貝をつかんで観察した。

 まさか、この小さな空間にお沙世が入り込んでいるわけでもあるまいし……。

 どこをどう触っても、変哲もない巻貝にすぎないのではないか。どういう仕組みでお沙世が、さも間近にいるように話しかけてくるのか理解に苦しんだ。


「動けないの、杜の市? 返事をして。聞くときは貝の口に耳を当てた方が、はっきり聞こえるはずです。私に話しかけるには、直接貝を口に押し付けてしゃべりかけるの。そうすれば、離れている私と疎通することができます」


「なんとも奇態なカラクリだな。よくぞこんなものを作り出したものだ」杜の市は首をふりふり、ためしに貝に唇を当て、言った。「これでよいのか、お沙世。これで離れているおまえと話ができるというのだな? あいにく脚と手に傷を負った。しかし案ずるな。命に係わるほどのものではない。砂羽の市の義兄を思い出していたのだ」


「使い方はわかったようね。怪我も大したことないのなら、ひとまず安心です」


「おまえの親父どのが、どこへ行方をくらませたかわからん。別の方へ気を逸らしたつもりだが、私は盲人だし、いつ何時出くわすか知れたものではない。おまえも狙われる恐れがある。気を付けるのだ」


「こちらのことならご安心ください。ちょうど四方の見晴らしが利く、物見櫓ものみやぐらのような場所にいるのです。あの人の動きはここからわかると思います。とにかく私たちはこうして、遠くにいながら相談することができます。有利に戦いを運ぶことができるはずです。そのためには、杜の市、私になにか命令を与えてください」


「命令」


 杜の市は聞き返した。

 たしかに、この巻貝は便利なカラクリであった。情報を交換しながら鬼市郎に歯向かうことも可能であろう。さりとてお沙世を遠隔操作し、危険な目にさらすのはためらわれた。


「私はあなたの忠実な傀儡くぐつです。遠慮なく指示を与えてください。でないと、私は自分の判断で動けないのです」


 ――もはや十八と十六の若い男女の仲のようにはなれぬのか。あのころの関係に戻りたいだけだったのに。


 不自然な主従関係になっていることに杜の市は気後れを示しながらも、それに従うしかなかった。いまは鬼市郎をなんとか退けることが先決。


「ならば――」杜の市は貝殻に向かってささやいた。「私があの男に襲われた場所を憶えておるか。たしか、いま私がいる水路の窪みから北側だと思うが……。実はそのあたりで杖を失った。笹の茎で代用した杖だ。あれがないと、どうすることもできん。あれを回収してくれぬか」


「杖ね。わかりました。なんとか探してみます」


「では頼んだ。おまえしかいないのだ」と、杜の市はその場で頭をさげた。「くれぐれも親父どのには注意するのだぞ」

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