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14.命がけのかくれんぼ

「もういいかーい!」


 鬼市郎きいちろうは岩壁によりかかり、腕で目隠ししたまま叫んだ。

 かくれんぼのかけ声が広大な採石場にこだます。

 返事はない。


 風がそよとも吹かぬ夜であった。

 ただし身体の末端から麻痺してしまうような寒さは耐え難い。この人殺し船頭は麻の筒袖つつそでに、括袴くくりばかま一枚だけの恰好なのだ。烏帽子はこの石切り場へ来る途中、どこかに引っかけたらしく頭がむき出しになっていた。鬼市郎の吐く息は凍り付くように白い。


「もういいかーい?」おちょくった(、、、、、、)口調で鬼市郎は言った。そのくせ片手のむき出しにした匕首の閃きは冗談ではすまされなかった。早く行動したくて、身体をふらつかせている。「オラ、もういいかーい! ちったぁ返事しろい!」


◆◆◆◆◆


「まだだ……。いいもんか!」


 もりいちは背を屈め、杖で前方の地面を小突きまわしながら、遮蔽物の影から影へと移動していた。

 複雑な地形となっているので隠れるにはうってつけではあったが、段差をのぼりおりせねばならず、眼の不自由な杜の市は閉口した。


 とにかく鬼市郎との差を広げるのが先決であった。

 とはいえ現状では策はない。

 そもそも立ち向かおうにも丸腰なのだ。笹の杖ごときでなにができようか。

 こればかりは別行動をとったお沙世に期待するのも酷な話である。


 ――落ち着け、杜の市。恐慌をきたしては相手の思うつぼだぞ。しっかり頭を働かせ、なにか知恵を絞るのだ!


 花崗岩の壁を手探りし、なにか使えるものがないか撫でまわした。

 なるほど、さすが採石場の跡地のはずだ。無数の矢穴やあなが至るところにあった。

 矢穴は石切職人が手掘りの際、割りたい石の形に応じて線上にのみで掘った穴である。それが等間隔に並び、穴にクサビを打ち込み、その頭を叩くことによって思いどおりに割ることができる。


 ――石頭せっとう(カナヅチ)や鑿でもあったらとは贅沢は言わぬ。せめて矢穴にクサビのひとつでも残っていたらありがたいのだが……。


「ボサマよぉ! もういいか――い!」


 遠くで鬼市郎の声が響きわたった。

 杜の市は必死で手探りした。

 這いつくばり、手のひらが傷つくのも気にせず地面を隈なく探る。

 碌に石の欠片さえ見つけられないとは……。

 喉の奥でうなった。


「まだだ! いいわけないだろ!」


「……聞こえねえぞ、ボサマ! 準備はいいか!」


 向こうで、鬼市郎の朗々たる声がこだます。

 いつの間にか相手との距離は十七間(約30m)は離れていた。

 隠れるばかりでは能がない。なにか武器となるものは……。


「ボサマよぉ! もうそろそろ行くぞ!」


 白足袋はすっかり擦り切れ、足の裏が血まみれになっていた。が、恐怖のため出血はとまっており、足跡がつかないのはせめてもの救いだった。


「まだだって言ってるだろ!」


◆◆◆◆◆


 広場の端にある岩壁で、目隠ししていた鬼市郎が広大な石切り場をふり返った。

 右に左にと見渡す。

 その位置からは杜の市はもちろん、お沙世の姿も見えない。

 この月夜だ。さすがに五間(約9m)も離れれば、物陰に溶け込んだ人影などわかるまい。

 にんまり唇を吊りあげた。


「あいにくと時間切れだ! ボサマ、お沙世――お遊びの始まりだ! せいぜい、覚悟を決めるんだな!」


 鬼市郎は刃渡り五寸(約15cm)の匕首を片手に、石切り場へと踏み込んだ。

 これも背を屈め、猫のように爪先立ちになり、迷路状に入り組んだ広場を東へと進んでいく。

 脚絆に包まれたたくましいふくらはぎは発条ばねのごときしなやかさを具え、右脚を引きずりはしていたものの、わらじを履いた足は音すら立てない。

 ぎらりと光る白刃は、さながら餓狼の牙のようなきらめきである。


◆◆◆◆◆


 進退窮まった杜の市は地面を探るのをあきらめ、とっさに岩陰へと身体をねじ込ませた。

 そのあたりは城の石垣に使うための石を掘り出していたのか、角ばった巨石が無造作に積み上げられた場所だった。

 そのわずかなすき間に身をひそめたのだ。


 息を殺し、外を見やる。

 青白い夜の世界。

 もちろん盲人には追手の姿はぼんやりとしか見えない。近づいてくれば気配でそれとわかる。

 岩のすき間に身を隠しているのも、晴眼者の者が見れば、ひと目でバレるであろう。


 ――どうか影が味方してくれますように!


 気が気じゃなかった。

 暴露される面積を少しでも減らすべく、臆病な魚介がますます磯のすき間に逃げていくように、身をよじって位置を変えた。


 じゃり、と音がしたのを杜の市は聞き逃さなかった。

 すぐ右手から、抜き足差し足でやってくる人影。

 杜の市は歯を食いしばり、微動だにせぬよう耐えた。

 背景の一部と化すしかない。物陰に同化し、やりすごすしかあるまい……。

 ぼんやりした人影は巨石が積み上げられたところで足をとめ、鼻を利かしている。まさか嗅覚の鋭い男なのか……。


 船頭は匕首を手にしたまま、周囲を見まわしている。

 物陰に隠れた杜の市に対し、正面を向いた船頭の顔が一瞬、月明かりに照らされ、片眼が光った。

 杜の市は身を硬くして、呼吸を止めた。

 吐息が洩れれば、それだけで居場所を特定されてしまう……。


 幸い、鬼市郎はそっぽを向いた。

 ところがよそへ行ってくれない。

 やたらと鼻をひくつかせ、あごを突き出している。がに股のまま首をかしげた。

 その場にうずくまる。


「にゃろう……。このへんだと思うんだが。こうもだだっ広い場所だと、捜すのも難儀するな。奴の抹香臭まっこうくさい匂いを感じるのに」


 と言い、匕首の切っ先でそばの巨石を突いた。

 恐るべき嗅覚の持ち主だ。

 杜の市はたっぷり肝を冷やし、歯を食いしばったまま耐えた。

 嫌でも気配でわかる――びんびんくる殺意。そして酔い痴れるような狂気。


 心臓が早鐘を打つ。

 真冬だというのに汗が出てきた。異様に喉が渇く。

 見つかれば命乞いなどするだけ無駄だ。

 柿の実でもねじり取るように、たやすく盲人の命を摘み取ってしまうだろう。


 ――神だろうが仏だろうが、なんだっていい! どうかお守りくだされ!

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