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13.鬼市郎の座頭殺しの話


 ――なんという運命の綾糸あやいとか! まさかあの人殺し船頭が、お沙世の親父だったと?


 ――お沙世はこの世のものではない? では、いま私とともに逃げているこの娘はどうやって湧き出た? 屍島のなせる魔力だというのか? ちゃんと人としての感触をそなえているというのに……。


 ――わからん! お沙世は、私が窮地に陥ったとき、祈ったからこそ現れたと言った。私にとっては仏よりも縋ることができるのだ。私を助けるため、かけつけてくれたに相違ない!


 ――ええい! 考えれば考えるほど混乱する。突然四人の義兄(あに)たちを失い、こうも錯乱するような出来事に振りまわされると、思考がついてゆけぬ!




 杜の市は、死霊化したお沙世に手を引かれ松林を走った。

 月明かりのなか、林立するクロマツの間を縫って、鬼市郎の追撃から逃げている。

 盲人にはなす術がない。先導するお沙世を信じて従い、無我夢中で脚を交互にくり出すしかなかった。

 二人を追う鬼市郎。

 手には匕首の白刃が、ぎらりと月光を跳ね返す。


「ボサマ! ボサマよぅ!」と、船頭が叫んだ。「観念しな。娘は甦るべきじゃあなかった。その死にぞこないと一緒に、冥土へ送ってやるからな!」


 とはいえ生ける屍とともにもつれるように歩く杜の市に対し、鬼市郎も片脚が不自由すぎた。お互い牛が歩行するのと五十歩百歩の鈍足ぶりであった。


 そうこうするうちに、杜の市とお沙世はようやく松林を抜けた。

 丈の低いハマエンドウの自生する、なだらかな丘になっていた。夜が明ければ、さぞかし見晴らしのよい眺めだろう。もっとも、杜の市には見えようもないのだが。


 雲間を裂いて、満月が顔をのぞかせていた。

 二人はぎこちない足どりでそこを越えた。

 真冬の峻烈な寒さが杜の市を捉える。

 身体の末端がこごえたが、四の五の言っていられない。


 丘をすぎると、景色は一変した。今度は白い一枚岩で構成された領域に入ったのだ。

 白い花崗岩が人工的に切り出された跡地であった。かつては御影石を採掘した現場らしい。それもとうの昔に放棄され、無残に削り取られた虚しい空き地へと変わり果てていた。

 それも広い。広すぎるほどの空間なのだ。


 花崗岩の石切り場は、長方形の窪地くぼちとなっていた。

 東西の幅は三十八間(約69m)ほどだが、いま北の突端に立つ二人から奥の南側までは一一〇間(約200m)を誇り、かなり奥行きがある。

 ところどころ一枚岩の地面には井戸でも掘り抜かれた穴だの、水路のような溝が刻まれていたり、また巨石の連なる遮蔽物まである広場だった。


 お沙世は杜の市の手を引いて、北西の端から下の広場に続くつづら折りの道をくだった。

 杜の市は行く手になにがあるかもわからず、無我夢中でそれに従った。

 背後から鬼市郎が脚を引きずりながら追ってくる。

 よく通る声で叫んだ。


「おれは生まれついて流浪の身だ。砂鉄を求めて北から南へと各地を渡り歩いたものさ。そんなとき、不思議な偶然を見聞きしたもんだ。というのも、陸奥むつあたりの東北地方じゃ、『検校池けんぎょういけ』って気味の悪い池があった。山ん中のちっちゃなため池にすぎなかったがな!」


 さすがの鬼市郎も息を弾ませた。

 なおも二人を追いながら、


「そこにゃ、かつて旅のボサマが通りかかったとき、金に目のくらんだ村人が財産を奪い、そいつを突き落として殺したっていわく(、、、)があった。おかしなもんで、その手の座頭殺しが行われた池や沼が、他にもいくらでもあったんだ。人に聞いてみると、いずれも『座頭池』、『琵琶ヶ(ぶち)』、『盲沼めくらぬま』だのと、盲人と切っても切れぬ縁のあるような名前がつけられていた。――思うにどうも昔から、ボサマは金品を略奪され、殺される話はめずらしくもなかったらしい!」


 独り言のようにしゃべった。

 前方を逃げる杜の市は茫然たる面持ちでそれを耳にしていた。


「いまならわかるさ。わかるとも!」と、鬼市郎は花崗岩の窪地へ続く道をおりながら叫んだ。「おまえたちみたいな盲人の座頭は、村の都合を考えず、おかまいなしにやってきては奥浄瑠璃を語り、大飯まで食らったあげく、金銭をいただくまで出ていこうとしない。それも座頭が来るのが、年に数回なら許せるが、当道座とうどうざは予定表をこしらえて、次から次へと座頭を差し向けるのだからたまったもんじゃない。世間じゃ日照り続きで、飢饉やら流行り病やら、害虫が異常発生して大騒ぎしてるさなかでもだ。娘を人買いに売るしかないだの、年寄りを山にてようかだの、生まれたばかりの赤ん坊まで口減らしするしかないだのと、頭を悩ませているところにおまえたちは乗り込んできて、頼んでもいやしないのに暢気に琵琶をかき鳴らし、勝手に唄っていく。唄ったからには金を要求する。それしか生きる術がなかった座頭たちも哀れだが、二度と座頭たちが来ぬように沼や池のほとりで待ち伏せし、盲人ゆえ、知らずにノコノコやってきたそいつらを、沼や池に突き落とした百姓たちの気持ちもわからんでもない。ついでに有り金をごっそり奪ってな!」


 悪党ほどよくしゃべった。鬼市郎の演説は長すぎた。


◆◆◆◆◆


 ほどなくして、杜の市とお沙世は窪地の底に着いた。

 広大な石切り場の北西の端だった。追手の追いついていないいまなら、いくらでも隠れることのできる場所は無数にある。

 青白い月明かりは複雑怪奇なこの地形に、いくつもの陰影を与えていた。

 お沙世は杜の市の耳もとに口を当てた。


「父は鮫のように狂暴です。逃げまわるにも限りがある。近づかれたら太刀打ちできません」


「では、どうすれば」


「二人いては隠れていてもいずれ見つかります。二手に分かれるしかない」


「行くな、お沙世。おまえが私の眼そのものではないか」


「ここが正念場です。お許しください、杜の市」と、お沙世は言い、腐敗した手を青年の頬に当てた。「私にも怨みがあります。あなたと添い遂げられぬから自分勝手な死を選んだとは申せ、父には苦しめられました。この無念さ、晴らさずにはいられません。せめて娘が、あの人の行いを戒めねばなりません」


「すなわち、おまえは」と、杜の市はしゃがれた声で言った。「あの船頭に立ち向かうため、ここへ来たのか」


「まさか。島に石切り場があったとは知りませんでした。単なる偶然にすぎませんが――これも裁きを受けさせるために用意された天の配剤でしょう」


「よし、わかった。私とて、殺された義兄たち四人の無念さ、泣き寝入りするわけにはいかん。ここで仕返しをしょう」


「杜の市、ご自分の境遇を嘆いてばかりいても、事はうまく流れません」


「そうだな。これを打破するには、なにかに依存してばかりいてはだめだ。自分の手で切り拓かないと」


「おっしゃるとおり。また離れ離れになりますが、私たちはいつもひとつ。これを」


 と、お沙世は早口で言うと、杜の市の手になにかを握らせた。

 硬くてなにやら岩のような素材であり凹凸のある物体。二寸(約6cm)ほどの長さがある。形状としては中央がやや膨らんだ細長い紡錘形ぼうすいけいだが、中は空洞なのか、それほど重いわけではない。


「これはなんだ?」


「テングニシと呼ばれる貝の殻です」


「貝殻? いまここで私に贈るべきものなのか?」


「訳を説明している暇はございません。いずれ使い方がわかるでしょう」と、お沙世は追手の気配を感じ、うしろをふり向いた。杜の市を、さらに広場の中心部へ向けて押しやる。「……さ、父が来ました。とにかく隠れて、好機が来るのを待つのです。私も別々に分かれて、狙います」


「しくじるでないぞ、お沙世。あとで必ず会おう」


「はい。杜の市もお気をつけて」


 お沙世は小走りに去っていった。

 杜の市はテングニシの貝殻を、左の袖の袋状になったたもとのなかに入れ、杖で地面を小突きながら走った。


◆◆◆◆◆


 鬼市郎がつづら折りの道を伝い、ようやく窪地におりると同時に、二人は別れたばかりだった。

 背を屈め、夜陰に乗じて花崗岩でできた遮蔽物に身を隠した。

 隠れつつ、足音を忍ばせ、追手との距離を開けたようだ。

 鬼市郎は壮観な眺めの石切り場に立ち、口笛を吹いた。


「まさか、屍島に採石場があったとはな」


 鬼市郎は白い花崗岩の壁に寄りかかり、広場を見まわした。その壁自体も六間(約10.9m)もの高さがあった。子どもが遊ぶに適した複雑な地形となり、そこかしこに暗い影を落としている。月明かりがまわりを青白く染めるなか、影の部分は深海のような闇の色を呈していた。


「鬼ごっこの次は、かくれんぼのつもりか?――かくれんぼ。なるほど、命がけのお遊びときたか。ただし、見つかって鬼に捕まれば口封じに殺される。よかろう。おまえたちに付き合ってやる。ただし、容赦しねえからな!」

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