1.不幸な時代のうねりに流される
――いつもそうだ! 眼が不自由だからといって、現状を嘆いてみても事態は好転しない!
だから杜の市は、とっさに潮の満ちてきた一月五日の海に身を躍らせたのだ。
さっきまでの凪が嘘のようである。白波が立ち、瀬戸内の海流の速さを嫌というほど思い知らされた。
しっかり立ち泳ぎしないと激流に放たれた笹舟のように、たちまち身体ごとさらわれかねない。
真冬の海は冷たすぎた。
凍てつくうねりが体温を毟り取る。
骨までかじりつかれるような峻烈な寒さだ。
それこそ必死になって両腕をかき、たくみに足をばたつかせた。
袖が長くて重い袈裟が邪魔になったので、ぬぎ捨て身軽にし、溺れないようにつとめた。
うっすらとぼやける視界に、灯火を見たと思った。
――どうか内地の集落の灯りでありますように!
それに頼るしか術はあるまい。
杜の市は灯りに向って、死んでたまるかという思いで泳ぎ続けた。
兄弟のように仲のよかった四人の座頭たち。離れ離れになるのは胸をかきむしられた。
かと言って、このままお互いの身体にしがみつき、生まれてきたことを呪い、置き去りにしたあの船頭を恨んだところで、御仏は助け舟を出してくれるはずもない。
――仏とはそういう存在なのだ!
いくら琵琶をかき鳴らし、法華経を口ずさみ、観音さまのありがたさを唄ったところで点数を稼いだわけではない。そのお姿を現し、救いの手を差し伸べてくれたことなど、かつてあったか?
――否、ありはしなかった! 一度たりとも!
杜の市が十一のとき眼病を患い、ほぼ失明した。
盲人として生きねばならない運命と決まったときでさえ、その窮地を救ったのは自分自身の意志でしかない。
石にかじりつく思いで無我夢中で生きてきた。
神仏に縋ったところで、なんのご利益も、なんのご加護もありはしないのだ。
それにしても、あのちっぽけな岩礁に取り残された四人の義兄たちには気の毒なことをしたと思う。
杜の市は義兄弟のなかでいちばん若く、そして泳ぎも達者だった。くわえてもっとも、生きたい気持ちも抜きん出ていたのであろう。
しかしながらみんなを助けようにも無謀すぎた。溺れる者は藁をもつかむ。うかつに溺れた人間の手を引こうものなら、相手も必死なのだから抱きつかれ、救助者さえも泳ぐことがままならず、大抵は共倒れになるのがおちである。
それに座頭の誰かが(あの甲高い声は、按摩を生業にしていた宮の市ではないか)、「おまえだけでも生き延びろ!」と、叫んでいたのにも背中押されたのだ。
杜の市は光の方角へがむしゃらに泳いだ。
――もはや仏など期待せぬ。せめて心優しい住民がいますように!
――それともお沙世が待っていてくれたなら!
九年前のことである。
身のまわりを世話してくれるうちに、恋仲になり、ほんのわずかな間だけとはいえ夫婦同然で暮らしていたあの優しき娘が灯明を片手に待っていてくれたなら、どれほど心強いか。
お沙世こそ、暗い大海のなかの灯台にも等しい。
死に瀕し、彼女の存在の大きさを、杜の市はいまさらながら感じるのであった。
◆◆◆◆◆
讃岐国(現在の香川県)にある、直島の北に位置し、高部鼻から七〇〇間(約1.27km)ほどのところにある得体の知れぬ島にあがった杜の市だった。
砂浜に立ち、月明かりに照らされたその姿。
剃髪の剃り跡も青々とした、背の高い細面の青年だった。二十七歳だった。
栄養不足なのか、いささか身体の線が細すぎた。ひどく身体の芯が寒さでやられており、歯の根が合わず、全身の震えをとめることができない。
岩礁から飛び込んですぐ袈裟をぬぎ捨ててしまい、いまは白の法衣をまとっているにすぎなかったが、その佇まいは凛々しかった。
事実、諸国を遊行し、名も知れぬ道ばたで琵琶を爪弾くと、たちまち若い娘がたむろし、頭の先から黄色い悲鳴をあげ、金銭をめぐんでくれたものだ。
これで盲人の座頭でなければと、薄情な両親なら皮肉交じりに笑うであろうな――と、杜の市は卑屈な考えが頭をよぎった。
両腕をさすって温めようとした。
吐息も寒々しい。いますぐ暖を取らないと、どうにかなってしまいそうである。
とはいえこの座頭は全盲というわけではない。
目明きの者以上に気配には敏感だったうえ、そもそも光は識別できたし、眼の前に人が立てば、うっすらと輪郭ぐらいは見えたのだ。視界はぼんやりと、白い靄がかかったような状態で見えているといったふうだった。