第一章 見鬼
あれはいったい何だったのだろう?
俺は昨日のことが気になり、授業も上の空で、ただ黒板を眺めていた。
九条の周りを飛び交っていた、なんとも表現しがたいあの霧のような白い物。
九条は妖怪のたぐいようなことを言っていたが、さすがにそれを信じることはできず、俺は彼女が何か隠しているのではとさえ疑っていた。
なので学校に来たら、もう一度九条を問いただそうと思っていたのだが、彼女は朝から話し掛けるなオーラをずっと出し続けていて、結局何も話せないままでいる。
やはり、俺の目の錯覚だったのだろうか。そして、九条はスピリチュアル入った、中二病的なちょっと危ない奴なんだと無理に納得し、もう考えるのを止めようと思いはじめたその時、すうっと白い物が目の前を横切った。
「うおっ!」
「杵築、どうした?」
「いや、今、変な物が俺の目の前を通り過ぎましたよね?」
「は~? 何を言っているんだ?」
何処にいったか急いで探すと、それは黒板の近くにいた。昨日のやつとは違い、魚が泳ぐような動きをしている。
「いや、ほら黒板のところに」
「……おい杵築、寝ぼけているのか?」
俺が指さしたほうを皆が注目したが、そこにいる物に誰も反応しない。みんな、見えてないのか?
「いえ、そんなことは……。すみません」
周りからクスクスと笑い声が聞こえる。
その後も、白い物は教室の内を泳ぎ回り、今も窓際を漂ってる。
もう、俺の見間違いとかではなく、確かにそこに存在している。なのに、誰もそちらに注意を向はしない。やはり見えていないのだ。
俺はもうこの物体が存在することを主張することができず、ただ黙っているしかなかった。
* * *
俺の頭はおかしくなったのだろうか? 今まで妖怪や幽霊なんて、信じたことも見たことも無かったのに、今は何かが見えている。
さっきは廊下を歩いていると、人のような白い物が歩いていた。今は教室でやはり白いボールのような物が跳ねている。
俺は平静を装っていたが、既に頭の中は混乱し尽くし、何も考えられない状態だ。
そして、思考停止した頭が導き出した答えは、とりあえず帰って寝ることだった。
帰りのホームルームも終わり、急いで帰り支度をしていると、九条がこちらに近づいてきた。
「杵築君、話があるからついてきなさい」
「えっ?」
突然話し掛けられ、戸惑う俺の返事も聞かぬまま、九条は廊下のほうへ歩きだす。
やかましかったクラスが一瞬静まりかえった後、すぐにざわつき出した。
「おい、杵築。いったいどうしたんだ?」
俺の首に手を回して、隣の席の関谷が聞いてくる。
「どうしたって九条のことか?」
「そうだよ。あの九条が自分から人に話し掛けるなんて。お前、一体何をやらかした?」
「何もやらかしていない。俺にもさっぱりだ」
そんなやりとりもお構いなしに、九条は廊下に出て歩いて行ってしまう。俺は急いで彼女を追いかけた。
「――なあ、どこに行くんだ?」
「ついてくればわかるわ」
そういって、九条は、理科室や音楽室など移動教室の集まる棟へと向かっていた。
ホームルームが終わったばかりなのでまだ静かだが、そのうちブラスバンドや他の文化部の生徒達が集まってきて、やかましくなるだろう。今はほとんど誰もいない廊下を九条と二人で歩いて行く。
「………話ってのは、九条が言ってた妖怪のような物の話か?」
「昨日は偶然かと思ったけど、今日はずっと見えているようね?」
「ああ。昨日よりはっきり見えている。いったいあれはなんなんだ?」
「妖怪のようなものだって言ったでしょう。でも信じてないようだし、私より説明の上手い人に会わせてあげる」
そう言って、九条は理科準備室の前立ち止まり、扉をノックした。
「失礼します」
準備室には物理教師の土御門先生がいた。
二十代後半の男性で、中肉中背、黒縁メガネを掛けているぐらいで、特に目立ったところのない普通の先生だ。ただ、授業についてはわかりやすく、有名な大学を出てるとかで、大学受験を控えた3年生の受けは良いらしい。
「突然どうしたんだ九条? 君が学校で僕に会いに来るのは珍しいな」
「ちょっと相談があって………」
どうしたんだ? 表情はいつもと変わらないが、なんとなく九条の居ごこちが悪そうだ。
「で、彼は?」
「同じクラスの杵築君です」
「さすがにそれは知ってるよ。教科担当だし。 相談てのは彼のことだろう?」
なんで、妖怪のたぐいの話を物理教師に? でも、今の反応は何か知っているのか?
「土御門先生の本業はぐうじなの」
俺の顔に疑問が浮かんでたのを察したのか、九条が答える。
ぐうじってのは神社の宮司のことか?
「それはちゃうで遙香ちゃん。教師のほうが本業や。今時でかい神社でもなきゃ、宮司なんぞやっていても儲からんからな」
「先生、遙香ちゃんはやめて下さい」
「あー、すまんすまん。君といると、つい昔の癖がでてまうな」
話し言葉をいきなり関西弁に変えた先生は、普段とはと全く印象の違う、陽気な感じで話し始めた。いや、こちらが素なのか?
先生がカラカラと笑う。九条とずいぶん親しそうだな?
「私の実家と先生の実家が親交があるのよ。先生とは小さい頃からの知り合いなの」
「あー、それで」
てーか、九条、俺の心が読めるの? 怖いんだけど。
「昔の遙香ちゃんは可愛かったのになー。最近はいつも能面面でもったいないで」
「先生、いい加減にしてください」
あの九条がおちょくられてる。ある意味、今直面している問題よりも珍しいものを俺はみているんじゃなかろうか?
「すまん、すまん。では、話を聞こうか」
そういって先生は俺たちにソファーに座るよう、促した。
「――ほう。では彼に見鬼の才が発現したと?」
「ええ、昨日偶然、明治神宮で彼と会って、一瞬怪異が見えていたようなんです。その時は私が集めていた木霊とたまたま波長が合っただけだと思ったのですが、今日も教室で怪異が見えたようで」
え? 木霊ってなに? ていうか、集めてたってどういうこと?
俺の頭がまた混乱しだした時、先生が俺の方を向き、メガネを押し上げて話し始めた。
「杵築君、見鬼って知ってる?」
「いえ、知りません」
「ほな、そこから話そか。その名のとおり鬼を見る力のことや。ただ、ここで言う鬼とは角のある鬼じゃなくて、この世のものではないもの総称やと思ってくれて良い。見鬼とは、もともと中国語で、祈願見鬼。祈り願う鬼を見んことをって意味や。ちなみに中国で鬼は幽霊のことや。 死んだ人を鬼籍とか言うやろ」
「で、俺はその見鬼ができるようになったと?」
「そや。鬼、幽霊、妖怪、物の怪。呼び方はいろいろあるが、ここでは怪異に統一しよか。今の君は見鬼の力を使って、怪異を見ることができる」
「……」
「信じられんちゅう顔してるな?」
「はい」
即答だ。いきなり怪異が見えるようになりましたと言われても、はいそうですかとは言えない。
「まー、そやろな。ほな、少し科学的に説明してみよか。君はAR、拡張現実ちゅうんはわかるか?」
先生はスマホを取り出しながらそういった
「カメラアプリとかのあれですか?」
「そう。スマ―トフォンのカメラを通して見た現実世界に、存在しない物をプラスすることができる」
先生は、スマホを操作して何かのアプリを起動すると、スマホのカメラを九条に向けた。
「見てみい?」
画面には。九条に猫耳と髭がついた画像が、映し出されている。やだ、かわいい。
「殺しますよ。先生」
「おおっと。怖い怖い」
先生はアプリを閉じてスマホをしまう。
「今、君が見ている世界に似てないかい?」
「あっ!」
そう言われてはっとした。
「そう。君の脳に怪異が見えるカメラアプリがインストールされたと思えばええ。他人の眼には見えなくても、君の眼を通せばそれを見ることができる。これが見鬼や」
「なんか、言いくるめられてる気がしますが……」
「ほうやね。でも、子供が、いないはずの物が見えるとか言ったり、麻薬常習者なんかが、体から蛆が沸く妄想を見たとか聞いたことあるやろ?」
「まあ……」
「そこに存在してもしなくても、自分の脳が見えると認識すれば見えるし、見えないと認識すれば見えない。現実とはそういうもんや」
うーん、だからって怪異が見えるのが納得はえきないというか飛躍し過ぎている気がする。ただ、説明としては、一応理解できるが。
「まだ納得はできないけど、理解はしました。今の俺に怪異らしい物が見えているのは事実ですから。先生や九条も見えるんですか?」
「ああ、見えるよ」
九条一人の説明では信じられなかったが、もう一人先生が加わったことで、少し信じられる気がしてきた。
「では、どうすれば見えなくなるんでしょうか?」
「それはわからん」
「……」
「明日、見えなくなるかもしれんし、死ぬまで見えるかもしれん」
「それじゃ困ります」
あんなものが一生見え続けるなんて冗談じゃない。俺は普通の生活をしたい。
「とはいっても、病気とかじゃないからなー」
「いや、あんな物見ながら生きてくなんて嫌ですよ。なんかないんですか?」
焦った俺を見ながら先生はニコニコしている。こっちは真剣なのに、何が面白いのか。
「気にしないことや。今は急に見えだしたから驚いているかもしれんが、慣れれば日常。気にならなくなる。その証拠に、わても九条も普通に生活してるやろ?」
「……そうですか」
「あと、見えない人には黙っとくほうがええな。頭のおかしな奴としか思われへんから。君も自分が見えない物を見えるとか友達が言い出したら、電波は入っとるんかと思うやろ?」
「そうですね。黙っているようにします」
「うちからの話はそないなもんや。まー、あんまり気にしなさんな」
「わりました。先生、ありがとうございました。九条もありがとな」
俺はそういってソファーから立ち上がった。
「私は先生とまだ話があるから、先に帰って。今後も何かあれば私も先生も相談にのるわ」
「わかった」
「またきなさい」
多少気が晴れた俺は、そうして理科準備室を後にした。
* * *
「先生、彼、どうでしょうか?」
「うん、見えるだけなら問題ないけど、実際に隠世から干渉されるようになってまうと問題やな。普通は大人になってからは見えるようにならんし、見える子でも子供のうちに修行せんと見えんようになるはずなのにに、珍しいパターンや。今後の予測がつかん」
「危ないでしょうか?」
「危ないやろな。しばらくは監視対象や」