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蓬莱島の姉弟 ~虐待被害者の姉弟の家族再生の物語~  作者: 塚越広治
第五章 家族への回帰
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終幕

 大阪城公園の桜は、満開と言うには、まだ少し早い、枝についた桜の花を通して晴れた空が透けて見える。

「まだ少し、早いのかしらね」

 女は、そんな桜を見上げて評した。

「見頃になるまで、あと二週間はかかりそうやな」

 眼鏡の男がそう応じた。二人は、様々な手続きや相談事で、大阪府庁と、家庭裁判所と大阪府警察本部を回ってきた。仕事の縄張りを外れた場所もあるが、責任を果たすのに、本来の業務を外れた場所にまで、あちこち駆けずり回らなければならないというやっかいな仕事だった。

 重要な相談事だが、人々の心を反映するように相談内容は殺伐としていて、気分が滅入ってくる。その滅入った気分を鼓舞するように、用事を済ませた帰り道に、昼休みの散歩を兼ねて、この公園をゆっくり歩くルートを選んだのだった。

「あらっ?」

 女は傍らを通りかかった姉弟を見て不思議そうに声を上げた。あの姉弟を以前に何処かで見たような気がする。二人と偶然に視線を交わした少女も、二人を眺め、少し首を傾げて立ち去った。少女の心に湧いたのは、月の世界のムタケルとサギリの姿の残滓。香久夜と照司の姉弟も、二人の顔を忘れてしまっていた。この男女も、一月前に自分たち保護した姉弟だという記憶を失ってしまっている。男は女が上げた声を、親子の仲の良い関係に感嘆したのかと思った。

「ああいう仲のええ親子ばかりやったら、ええのにな」

「ホンマですね」

 すれ違って行く親子を見送って、女は心からそう言った。母と娘がはしゃいでいて、前方を行く父と息子と距離が開いた。それに気づいた娘が母の手を引いて駆け出す姿が見えていた。


 一組の親子が大阪城公園にいた。公園の東に位置する大阪城の天守閣に登ると、大阪市内がぐるりと一望できる。もとは日本一の城郭だったというイメージが加わって、他の場所より見晴らしが利くような気がする場所だった。

 城の堀に隣接して、東側にはこの時期に薄紅色に染まって見える公園、北東は高いビルディングが林立してその先には商店街が連なる、賑やかな商業区画だった。西側は元はお固い官公庁だった頃の雰囲気が漂っている。南の方に目を移して行くと放送局や博物館の建物が、それぞれ肉眼で判別できる。新旧の大阪を凝縮する場所だった。

 親子は大阪城の天守閣で、晴れ上がって見晴らしのいい町をぐるりと見回した後、城の中に展示してある古文書や、屏風や、そして、鎧を見ながら城の天守閣を下って、西側の公園にやってきたところだ。まだ、冬の残り香がうっすら漂っていて、空気がシンッと透明に澄んでいる。

「キビ団子、あげよか?」

 母親は文句の多い娘にそう言った。そう言いつつ、この台詞をどこかで自分自身が聞いたような不思議な感覚がある。

「なに?」

 香久夜は首を傾げた。この母親に、朝早く叩き起こされてまだ眠い。ただ、家族で花見を兼ねたハイキングをする予定があったのに、夜更かしをしたのは香久夜の責任で、文句を言う筋合いはないはずだ。

 母は笑いながら言った。

「犬も猿も雉も、キビ団子を一つ貰っただけで文句も言わずに桃太郎についていくのよ。偉いと思えへんの?」

「思えへん」

「そんな悪い子にはお仕置きやわ」

 母親は笑いながら娘の髪に指を突っ込んでかき回して逆立てた。娘が三十分もかけて整えた髪型がめちゃくちゃだ。香久夜の口調は悲鳴に近い。

「何すんねん」

 そう言いながら、香久夜も笑っている。以前にもこの母親の前で髪が逆立つという経験が、あったような感覚がして懐かしい。そんな彼女は、自分が受けた仕打ちの仕返しに、母親の髪を乱してやろうと手を伸ばして、手を止めた。勝ち気な表情とよく似合うショートヘアの母親が、元は腰にとどく長い髪をしていたという奇妙な記憶があった。

 この母と娘の前を歩いていて、背後の会話だけ聞いていると、ケンカでもしているようにも聞こえる。照司が心配そうに父親に声を掛けた。

「お父ちゃん」

「ほっとき。あれはあれで、仲がええねん」

 手を繋いでいる父親が何かを考え込む様子がある。もともと落ち着きのある性格で、能面でもつけているように、感情の起伏を表情に現すことが少ない。照司はそんな父親の心情を探るように声をかけた。

「お父ちゃん。鎧のこと?」

 照司はこの父親に奇妙な癖があることを知っている。彼の父親はマニアと呼んでも差し支えないほど鎧に精通している。父親が考え込んでいるのは、さっき立ち寄った大阪城の天守閣に展示してあった数々の鎧のことだ。父親には、何故か自分でも理解できない。鎧を見ていると、ほっと落ち着くような懐かしさにとらわれる。

「お父ちゃんな、鎧を見てたら、鎧の気持ちが分かるような気がするねん」

 鎧の気持ちという表現が良く分からず、照司はまた首を傾げた。まあ、大した問題でもない。誰でも大抵は人に理解できない癖を持っている。照司だってそうだ。さっき鳩が目の前に飛んできたときに「ほうほさん?」と言葉が口をついて出た。ほうほと言う言葉が何を意味するのか分からなかったし、もっと別の鳥の名だったような気もして、首を傾げたくなる。ただ、そういう記憶の残滓は、四人に微妙な距離感を作り出す。血の繋がりがない。そんな僅かな記憶の残滓だろうか。

 母親がふと気づけば、娘とはしゃいでいる内に、先を行く父と息子との間に距離が開いた。

「もぉ、ちょっと待っててくれてもええのに」

 母親は冷たい夫に不満を言い、娘も責任が自分たちにあると言う事も無視して、男たちに文句を言った。

「ほんまや。男って、思いやりに欠けてるわ」

 どちらが先ともつかぬまま、二人は手を引いて駆けだした。

(もう、二度と放さない)

 そんな固い決意を、母と娘は握りあった手に込めていた。

(これから、ずっと一つの家族)

 駆け寄ってくる母と娘を振り返って眺めて、父と息子も顔を見合わせてそう思った。香久夜は弾む呼吸を整えて、父と母、そして弟の笑顔を見回して呟き、四人は同じ思いに頷いた。

「血の繋がりやて? ちょっと違うわ。家族って、きっと、思いを一つにした人たちのことやねん」

 桜の花の雲を通して、ほんのり青い空が透けるように見えている。風が時折、肌寒さを思い出させるほどに家族を包み込んで吹いているが、桜の花びらを散らす無粋な悪戯はしていない。香久夜は風を確かめるように空を見上げた。その風の冷たさのおかげで、じんじんと肌に伝わるお日様の温もりを感じたから。

「あれっ?」

 香久夜は不思議そうに小さく呟いて、人差し指の先で涙を拭った。どうして涙が出たのか、覚えがない。

「しあわせって、こんなに当たり前のことやったんやな」

 あと二週間ばかりすれば、桜は満開に咲いて、照司は五年生になるし、香久夜は中学で二年生に進級する。今は、穏やかな幸せに包まれた、普通の男の子と女の子だった。ただ、何のために生まれたのか、悲しく思い悩むこともなく、自分の人生を歩みながら、いつしかその目的にたどり着くだろう。

                                                                                      おわり

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