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蓬莱島の姉弟 ~虐待被害者の姉弟の家族再生の物語~  作者: 塚越広治
第五章 家族への回帰
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カグヤの開放

 最後の別れの時を迎えた。月香殿げっかでんの中庭の中央に、香久夜と照司が人々に囲まれている。充分すぎるとはいえないが、香久夜はこの人々にお礼を述べた。香久夜と照司を見守る人々の目が優しい。その優しさが香久夜の孤独感と不安を煽った。

(私と照司は、またあそこでたった二人だけで)

 そう考える香久夜に、心の底から声をかける者が居た。

【ここで経験したことがあれば大丈夫。二人で生きられる】

 心の中のカグヤの声だろうか。香久夜はカグヤに詫びた

「カグヤ、ごめんな。あんな酷いところへ連れて行くことになって」

【いいの、私はこの世界と一緒に、貴女の心から消えて無くなるだけ】

 そんな会話をタマエとサギリが遮った

「お待ちください」

 タマエとサギリが香久夜に走り寄るように何かを掲げて歩み寄った。二人は息を切らせていて、ようやく、間に合ったというのが分かる。

「お召し物を」

 二人が差し出したものは、香久夜と照司がもとの世界で着ていた衣服だった。タマエやサギリから見ても粗末過ぎる衣服だが、香久夜たちがもとの世界に帰るのにこの衣服が必要かと考えたのである。粗末な衣服だが、丁寧に洗って破れは繕ってある。その心遣いが温かい。香久夜は頭を下げて礼を言い。丁寧に折りたたんだ衣類を受け取った。ふと香久夜の目に留まるものがある。

 一通の封筒。タマエとサギリが衣類を洗うときに、ポケットの中の物を出していたのである。封筒は香久夜の汗を吸ってよれよれになっているが、開いてみれば受け取ったときと同じ一枚の写真が入っていた。同級生が香久夜に与えてくれたもの。

(あっ)

 何か心の中からこみ上げてくる物を押さえるようである。二人の少女の背後に、きょとんと無邪気な表情の香久夜が写っているのが見て取れる。

 香久夜は思った。

(どうしてあの時、素直に一言いえなかったんだろう。「ありがとう」って)

 そして写真を抱きしめて言った。

「ああっ、私にも帰る場所があった」

 今は遠く離れた同級生を思い、あの蓬莱島にも自分を受け入れてくれる居場所があった事を理解した。過去を振り返る地球には、香久夜に帰る場所はない。ただ、この同級生たちを通して眺める未来には、香久夜の居場所があり、運命の道が延びていた。彼女はじっと前を見つめた。香久夜の様子を眺めていた月の世界のショウジが呟いた。

【二つ目の封印が……、解けた】

 香久夜が心に秘めていた堰が切れたように、感情の噴出と共に香久夜の体が輝き始めた。香久夜はむずかゆさから逃れるように身もだえした。

 ぽんっ、

 この後に起きた現象からすれば、酷く間の抜けた、歯切れのいい音がした。輝きが薄れたところに香久夜が二人並んでいる。二人はそっくりだが、照司は右側の香久夜に、少し勝ち気な姉の雰囲気を感じ取った。カグヤは二人とも涙で目をぬらしている。きっと香久夜の心の中で封印されていたカグヤも泣いていたに違いない。

 ただ、この世界の滅びの時は迫っていて、月の世界のカグヤとショウジが、ここでゆっくりしている余裕はない。カグヤとショウジが急いで仲良く手を繋いだかと思うと、二人で言った。言葉が調和していて一つに響く。

「ありがとう。蓬莱島の香久夜と照司」

 二人の姿が再び輝き始め、中庭の人々の視界を奪ったかと思うと、やがてその輝きが薄れたときには、二人は姿を消していた。


 残された香久夜と照司に、月の世界のカグヤとショウジと体を共有していた時の繋がりが僅かながら残っていて、カグヤとショウジが目にしている景色が見えていた。両腕にも等しいカグヤとショウジを取り戻したスエラギ様が力を増しているのが、体にみなぎる力で伝わってきた。

 アシカタの野の中央から、澱んだ浄化されてゆく様子が垣間見える。灰色の霧は薄れて消え、どろりと濁って澱んだ沼は透明感を取り戻した。空に飛び交うあやかしは力を失い、ぽとりぽとりと空から地表に落下して、もともと地を彷徨っていたあやかしと同じく、水に落とした砂糖菓子が崩れるように原形を留めず崩壊し溶けて消えた。ただ、あやかしの見せる最後は、重荷を下ろしたような安堵感があり、苦しみを感じさせない。清浄な精気の充満と共にこの土地の生き物も新たに生まれ変わるのだろう。

 浄化は加速度がつくように広がり、濁りのない精気の風となって流れて邪気を消滅させて行く。アシカタの野の中央のミウの丘から豊かに溢れだした清浄な精気がアシカタの野を満たし、幾本もの大河のような流れとなって蓬莱島の香久夜と照司がいるこの都にも流れ下ってくる。大河は支流を広げてこの月の世界を清浄な意識で包んだ。

「ああっ、気持ちええなぁ」

 精気の中で深呼吸をした香久夜がそう叫んだ時、彼女の意識はこの星と同化した。彼女の意識は、この星や星の上で生きる生き物と共有された。風が緑の草原を駆け渡る感覚が、彼女の肌を撫でるように自分の体の一部で起きている出来事のようだった。川面で小魚が跳ねる飛沫の心地よい冷たさが感じられ、柔らかく包まれるような暖かさはウナサカの野に広がる山岳地帯でヒナクが卵を抱く時に母鳥の羽毛から卵に伝わる感触である。この星で新たな命の鼓動が始まったという喜びが彼女を満たした。

 香久夜は満足げに目を開けた。カグヤとショウジが姿を消す直前、ショウジの声を思い起こした。

【香久夜。きっとあちらの世界にも】

 ショウジの言葉はそこで途切れたが、香久夜は言葉を最後まで理解した。スエラギ様が信じた、清らかな地球の姿を生み出す慈愛。きっと、そのきっかけは、目に見えなくとも無数にあると言ったのである。そのショウジに返事をすることは出来なかったが、香久夜は何となく頷いた。

「まあ、ええか」

 カグヤとはずっと自分と一緒にいた。今更、別れの挨拶を交わす必要はないだろう。鳳輔たちには、あの二人のお礼の意味が分かる。カグヤとショウジがそろって、回廊の門を閉鎖し、この世界への邪念の流入が押しとどめることが出来るのである。しかし、カグヤとショウジというのは意外に間が抜けているところがあって酷く人間くさい。今、この照司と香久夜を返す前に、回廊を閉じられては大変だった。そして、照司と香久夜がここにいれば、カグヤとショウジはいつまでも回廊の扉を閉じられず、この世界は再び流れ込む邪念で汚される。鳳輔は一刻も早く照司と香久夜を蓬莱島に返さなくてはならない。

 この時、鳳輔の懐の独鈷が、寂しさの義務感代わって、包容力の暖かさにあふれた。カグヤとショウジという両腕を取り戻したスエラギ様が力を取り戻している事が実感できた鳳輔はスエラギ様から与えられた独鈷を掲げて、その発する光で香久夜と照司を覆った。

 鳳輔はスエラギ様の新たな意思を受け取って喜びの声を上げた。

「おぅっ」

 鳳輔はその喜びを山王丸に伝えた。

「山王丸、そなた、旅の途中で家族とは何かと聞いたの?」

「そんな事がありましたな」

 山王丸が仲間との旅を懐かしむ目でそう言った。そんな山王丸に鳳輔は力強く言った。

「儂は答えられなんだ。しかし、今の儂には分かる。山王丸よ、あの蓬莱島で家族となるがよい」

「鳳補殿、貴方もまた」

 その家族の一員でしたと語りかける山王丸の言葉を途中で封じた鳳輔は、二人の仲間の名を呼んで、指示をした。

「吉祥、山王丸。あの二人だけに、蓬莱島の人生の重荷を背負わせてはならぬ」

 山王丸は、はっとその意味に気付いたようだが、吉祥は首を傾げた。

「なぁに?」

(こんな時に、このフクロウ爺は、また、回りくどい言い回しをする)

 吉祥は鳳輔に腹立たしく、鳳輔も鈍い吉祥に不満を言った。

「相変わらず、物わかりの悪い蛇じゃな。見よ、山王丸は既に察しておるわい」

 ふんわりと姉弟を包んで優しく光る珠の中に、姉弟の肩を抱くように山王丸が居て、鳳輔にお別れのお辞儀をしていた。吉祥も言葉の意味に気づいて身を翻すように光の珠の中に飛び込んた。吉祥は鳳輔を振り返りつつ姉弟を抱いた。あながち、あのフクロウも悪い奴ではないらしい。鳳輔は吉祥と山王丸に姉弟に付き添って蓬莱島に渡れと言う。力を取り戻したスエラギ様が新たに独鈷に加えた力は、四人をあの星に渡すに充分だった。

 鳳輔は光の傍らで、ため息をつくように、見納めになる姉弟の姿を眺めた。お別れだった。鳳輔はふと思い出して、吉祥に小さく手招きをした。

「なによ? 痛い!」

 光の中から顔だけ出した吉祥は、鋭い痛みを感じて額を押さえて光の中に引っ込んだ。鳳輔が指で吉祥の額を弾いたのである。

「いつか、儂の尾羽を抜いてくれたことがあったの? そのお返しじゃ」

 怒りに任せて鳳輔を殴りに行こうとする吉祥の手を引いて光の中に留めようとする者が居た。吉祥が振り返ってみると香久夜がいた。母親がどこかに行ってしまうのではと心配し、吉祥にすがりつくような目をしていた。一瞬にせよ、香久夜にそんな思いをさせたことを吉祥は恥じて香久夜を強く抱いた。

 そんな吉祥が仕返しを果たす直前に、鳳輔は独鈷の力を解放した。カヤミの慈愛に満ちた微笑みが山王丸に投げかけられて、その意志を受け取って呟いた。

「これが、儂がこれから守るべき者たちか」

 光が強まり、月の世界と切り離され始めている。

「鳳輔おじいちゃん」

 鳳輔をおじいちゃんと呼ぶ照司の声が薄れて消えた。

「フクロウ爺。今度会った時には」

 そんな吉祥の怒りの声も小さく消えていった。悔しげな吉祥の声にしてやったりと、酷く落ち込みそうな気分が少し晴れた。にんまり笑った鳳輔はため息をついた。やらなくてはならない事が残っている。

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