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蓬莱島の姉弟 ~虐待被害者の姉弟の家族再生の物語~  作者: 塚越広治
第四章 聖域へ
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家族の崩壊(ほうかい)

 点在する大小の沼を除けば、地形はほぼ平坦で、小高くなった中央の目的地は順調に近づいていた。神殿の真上を見上げれば、昼間だというのにうっすらと青白く地球が見えた。

【ああ、これほど】

 以前に眺めた光景との変化を嘆く声だった。嘆きの声と記憶は、香久夜の心の底から湧き上がり続けていた。この世界のどこかにいる分身の声に違いない。

 見事な実りを付けた稲が、優しい風に吹かれて、楽譜では再現できない優しい音楽を奏でていたし、柔らかでふんわり蔓を伸ばした緑の葉についた花の色に、わくわくするほどの興味をそそられて、そっと顔を近づけてみると、純白というのはこういうものかと教えられるほど、混じりけのない白い花びらはどんな絹織物より薄く、陽の光が透けて見える。エンドウの花だった。収穫を目的とした植物ではないが、人々に豊饒という言葉を思い起こさせるほど、豆や穀物で被われていた豊かな大地だったはずだった。

 今、大地は地面が露出して、泥になった土が一歩ごとに、香久夜の足の裏にまとわりつく。蓬莱島から回廊を通して流れ込み続ける邪念が、豊饒の土地をこんな邪念の湿地に変えてしまったのか。


 開けた視界の中を歩む香久夜たちの姿は、アシカタの地を徘徊する妖魔の興味を引き、香久夜たちを追う妖魔の姿が、さらに他の妖魔の注意を引きつけるという具合で、背後には思いもかけず多数の妖魔が迫っていた。足の速いものや翼のある妖魔はすぐ後ろに迫っているようで、うなり声や、翼が風を切る音まだ聞こえた。その姿は地平線を隠し空を覆うほどになり、その数は数百にはなるだろう。


 しかし、神殿の入り口は目前に迫っていた。鳳輔が決意を込めて仲間を促した。

「先にゆけっ」

 振り返って叫ぶ鳳輔の短い言葉に、山王丸は軽く頭を下げて敬意を示し、別れの挨拶に代えた。

 広々としたアシカタの地は、この神殿の入り口で、内部と隔てられている。あの魔物共が何匹いようと、この入り口を通らなければ、香久夜たちを追うことは出来ない。あの小さな入り口をくぐる事が出来る妖魔は、一度に一匹が限界だろう。鳳輔がここで足止めをしている限り、妖魔が香久夜たちを追うことは出来ない。


  しゃりん。


 錫杖で地を打つ凛とした音が響きわたった。

 齢七百三十年になる。多少は腕にも覚えがある。目の前に迫る妖魔の数を見れば、全てを倒す事は出来ないかもしれない。ただ、妖魔の動きを判ずると、兵士のように誰かに指揮される組織だった動きはない。腹を減らした獣が獲物を追うように、てんでばらばらだった。

(一匹づつ倒すことだ)

 そう自分に言い聞かせる心が、今までになく冷たく澄んでいる。

(喰われるのもまた、時間稼ぎになる)

 むろん、黙って喰われるつもりはないが、抗って力つきても、その後はこの身が食い尽くされるまで、妖魔はここに留まるだろう。

 もちろん死ぬことは恐ろしい。今も、膝ががくがく震えるほどだ。フクロウに姿を変えて飛び去って、生き延びることは出来るかもしれない。しかし、そうすれば、あの二人に危険が及ぶ。

 あの二人を見捨てたという後悔に苛まれながら無為に生きることは、ここで死ぬことよりずっと恐ろしい。鳳輔は、今、信念のようにそう信じていた。このために生まれたのかと自分の存在価値を実感している。


 魔物の声から遠ざかり、細い通路で荒い息を整えていた香久夜は、仲間の顔ぶれを見て、鳳輔が欠けているのに気付いた。

「鳳輔は?」

 吉祥が香久夜が叫ぶより先に鳳輔の存在を訊ねた。香久夜が繰り返して仲間の安否を確認した。

「鳳輔さんは?」

 山王丸は黙って答えない。その沈黙が質問に対する回答と言えた。照司がその意味を察して言った。

「山王丸さん。鳳輔さんを助けに戻ろう」

 吉祥は言葉より動きが早い。身を翻して戻ろうとした。そんな吉祥を山王丸が怒鳴るように制した。今までの温厚な鎧とは思えない。一喝するような鋭く激しい言葉である。

「お前達に、希望を託した者たちのことを考えよ」

 香久夜には、出発の日に、手を合わせていた老女の姿が思い出される。照司は首に掛けたお守りに、イセポたち巫女の優しさを思いだした。彼等は人々の思いを重く背負っている。

「行け」

 山王丸はその一言で、仲間を神殿の奥に追いやった。その思いは鳳輔と同じ。吉祥は殿につく山王丸を振り返ってその役割を悟り、彼女自身も自分が仲間の一員だと理解した。

 外観はそれほど巨大だとは思わなかった神殿だが、その内部は複雑な迷路のようだった。前方の通路を抜けて天井を見上げるほどの広間に出たかと思うと、長く細い通路を延々と駆け抜ける。

 妖魔は、香久夜と照司の気配か、匂いを嗅ぎ当てて追うように、その唸り声は仲間の背後に迫っていた。背後に迫り来る妖魔は、香久夜たちに鳳輔の死を暗示している。


 前進する仲間の殿を務めていた山王丸は、突然に、仲間に背を向けた。部屋と部屋を繋ぐ短い通路だった。部屋の高い天井と違って、山王丸の太刀が天井まで届くに違いない。

「ここなら」

 山王丸はその空間に満足した。ここなら、自分が立ちふさがって、妖魔の足止めをすることが出来る。これからやってくる妖魔の数を考えたのか、短槍を左手に持ち替え、右手に腰の太刀を抜いて言った。

「吉祥。お前の責任を果たせ」

 槍の穂先で神殿の奥、香久夜達の進む方向を示した。


 山王丸は太刀の束にキスをするような様子を見せた。香久夜は何かの本で『目釘を湿らせる』という行為について読んだことがある。 太刀の鋼の刀身と、手に掴む束が離れないように、しっかり固定する「目釘」という釘がある。戦闘中にその釘が抜けてしまわないように、唾液で束の目釘の部分を湿らせておくという。刀で切り結んでいる時に、束から刀身が抜けたという話は聞いたことはないから、釘が抜けないようにとの目的よりも、目の前の相手に対して、(お前を絶対にブチ殺してやる)という恐ろしい意志を自分に満たす行為だろう。

 普段は温厚な性格の鎧だから、その行為は一転して殺気に満ちていて迫力がある。


 吉祥が手を広げて、照司と香久夜を追い立てるように、次の広間に移動させた。部屋の中を飾る自然を描きだす壁画や、数々の植物が刻まれたレリーフが緻密で見事な色彩を放ってきていた。豪華さが増すにつれ、この神殿の中心部が近づいているに違いない。

 そんな部屋から部屋へ、神殿の奥だと思われる方向に移動した。吉祥は、聖域アシカタの地に溢れて、彼女たちを追ってきた数百の魔物の数を考えて、圧倒的に不利だという思いに囚われている。

 ミウの丘で神殿の門をくぐって、まだ三十分にも満たないだろう、その間に、仲間は鳳輔と山王丸という仲間を失ってしまった。

(あぁ。次は、私の番か)

 吉祥は、心密かに思った。鳳輔と山王丸の意志を引き継いでこの二人をスエラギ様の元に送り届けるのが、自分の役割だと思ったのである。

 そう思いつつ、首を振って否定する気持ちも湧いた。鳳輔や山王丸のように、ただ犠牲になるのは嫌だ、香久夜と照司の行く末を見届けたいとも考えた。

 しかし、彼女が役割を果たす機会は意外なほど早くやってきた。小走りにずっと駆けていて、照司や香久夜の息が上がっている。二人が呼吸を整える間にも、吉祥は全身の感覚を研ぎ澄ませた。もちろん、壁や廊下で隔てられて見えないが、唸り声や足音や妖魔同士が狭い廊下でぶつかり合う物音から判じると、数百の魔物の数は二十に満たないほどに減じていた。

 もう一方、仲間が進む先へと、感覚を張り巡らすと、神殿の中央部は間近だった。香久夜と照司の二人だけでも、たどり着けるだろう。

 吉祥は、荒く息をする照司の傍らにしゃがみ込んで、照司を抱きしめて言った。

「ごめんね」

 自分は、ここから先へは、ついて行けないと詫びている。

「香久夜、スエラギ様はすぐそこよ。照司を連れて行きなさい」

「吉祥さん。ごめんな」

 香久夜はむずかる照司の手首を掴んで、引きずるようにその場を後にした。


「残っているのは、これだけかい?」

 自分自身とこの場に居ない鳳輔や山王丸に対して言いきかせている。あれほど居た妖魔たちが、数えることが出来るほどに減っている。ただ、鳳輔や山王丸を倒してきた妖魔だけに、雑魚にはない知恵や力を持っている。その強大な気配に圧倒されそうだった。

 今の吉祥に、妖魔の力量は関係がない。雑魚であろうと、力を持った妖魔であろうと同じだった。敵を狙って討ち取る必要はないと考えている。全ての妖魔を引きつけて、全力で力を解放すれば、生じた雷雲の中で、荒れ狂う雷が全ての妖魔を焼き尽くすだろう。もちろん、雷雲の中心にいる彼女自身も含めて。

 吉祥は彼女を引き裂こうとした妖魔の爪を危うく避けて、別の妖の鋭い嘴から身をかわした。華奢な吉祥にとって、雷を使わずにあやかしと渡り合うには分が悪い。次々に新手が加わる中で、腕や頬に血が滲んではいるが、かわし続けて、ようやく致命傷を避けていた。

「まだ、まだっ」

 残った全ての妖魔を引きつけて雷雲を呼ぶ。チャンスは一度だけである。


 香久夜と照司は、廊下で膝に手を当てるように体を折って、荒い息を整えている。漂う邪気が濃く、さすがの二人も息苦しい。

「やっぱり私には、何もでけへんのかな」

 そんな姉の弱気な言葉に、照司は首を振って否定した。励まそうとしたのだが、かける言葉が見つからない。

 部屋や廊下や吹き抜けの中庭が複雑に入り組んではいるが、吉祥が、「近い」と評した言葉の通り、確実にその中央に近づいていた。


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