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無表情な子

 二つの町内に境を接する公園がある。そこで幼児を遊ばせる母親たちの間に広がる噂があった。

『毎日、黙ってじっと立っているだけ。変な男の子が居る』と。

 今日もまた、砂場で遊ぶ幼児の側で、母親たちがひそひそ囁きあっていた。得体の知れないものに向ける視線の先に、その男の子がいる。痩せた男の子は、本来の年よりずっと幼く見える。本当は小学校の五年生だった。黒の塗料がはげて皮の地肌が粗く見えるランドセルを背中から下ろしもしない。何も成すことなく、公園の市道沿いの入り口で両手をたらりと垂らしたまま、公園でくつろぐ幾組もの母と子を眺め続けていた。その顔に子供らしい無邪気な感動が無く、感情が読みとれないので『得体が知れない』という印象を与えているに違いない。

「また、あの子がおるで」

「声、かけてみよか?」

「奥さん、やめとき」

「そうやで。あんまり、関わり合いになれへん方がええわ」

「そやけど」

 一人の母親が、他の母親の静止を振り切って男の子に歩み寄った。優しく眺めてみると、幼さを感じる整った顔立ちだが、その表情は人形のように感情が抜け落ちていた。

「ボク、どうしたんや。お母さんはおれへんの?」

 優しく声を掛けた女に、男の子は両腕で頭を庇うようにしゃがみ込んだ。声をかけた母親は面食らった。男の子にそういう姿勢を取られると、他人からは男の子を殴ろうとしたように見えるだろう。もちろん、殴るつもりはない。声を掛けながら男の子の頭に手を伸ばして、優しく撫でようとしただけだった。

「どうしたん?」

 そう問うてみても、男の子は黙ったまま腕で頭を抱えて、痛みに耐える姿勢を崩さない。母親は戸惑ったまま、他の母親を顧みた。他の母親たちは関わり合いになるのを避けなさいという様に、首を横に振っている。たしかに、関わりにならないと言うのが、平凡に生活する上で賢いやり方だろう。

 この時、突然に現れて怒鳴ったのは、香久夜だった。

「その子は私の弟や。苛めんといて」

 もちろん、傍らの女は、男の子を苛める意志はない。むしろ好意的に気遣ってやろうとしていた。その事情にも耳を傾けずに、香久夜は弟を連れ去った。

『大人はみんな信用でけへん』

 それが香久夜の密かな主張だが、こういう行動は人々の反感を生む。事実、決まり悪そうに砂場に戻った女に、他の母親たちが声を掛けている。

「ほらっ。あんまり関わり合いになれへんほうがええやろ」

「なんやのん、あの子。よう分かれへん子やな」

 弟の照司を気遣おうとした女性は、そう返事をしたが、周りの人に対する照れ隠しも含めて、香久夜たちに対する反感をかくさない。

「それにな、あの子らの家に、時々、役所の人が来てるねん」

「そうや。なんか、ややこしいことになってるらしいで」

「ホンマぁ?」

 ベンチで砂場を見守る母親と同じ数だけ、はしゃいで砂遊びをする幼児がいる。幼児は母親から離れて、てんでバラバラに入り交じって、どの子供が、どの母親の子なのか、正しい組み合わせを見つけることは難しい。

「あらっ」

 母親の一人が西に傾いて空を染める太陽に気付いた。夕食に少し買い足す物がある。子供を連れて帰宅途中の買い物が必要な時間だった。帰るよという意図を込めて、自分の子供の名を呼んだ。

「尚子ちゃん」

 その声をきっかけに、五人の幼児が一斉に顔を上げて、自分の母親に駆け寄った。バラバラに入り交じっていた母と子だが、見る間に五組の母子が出来上がった。その切り替わりの早さには驚かされるが、ふっと笑い出したくなるほど微笑ましい。


 仲良く自転車に乗る親子が、自分と無関係に、傍らを通り過ぎて行く。そういう光景を肌身に感じる時、香久夜は現実を逃避して空想にふける。生まれたばかりの赤ちゃんの時に取り違えられたり、何かの事情で捨てられて労働力目当ての他人に拾われて育てられたり、自分の運命が幾つもある想像の一つに該当するのではないかと考えるのである。

 ひょっとして、いつか、その手違いが明らかになるのではないかと思ったり、本当の親に再会して、幸せな生活を始める自分と照司を夢に描いたりする事もある。

 しかし、そんな空想に耽った後は、見るもの全てが腹立たしく、この世が嫌になる。なによりも嫌なのは、自分が無力だという事実を目の前に突きつけられる事だった。香久夜は通り過ぎて行く親子から目を背けた。ああいう光景には目を背けて気付かない振りをするのが一番いい。

 しかし、照司は無表情のまま、視線だけはしっかりと親子の姿を追っていた。香久夜はそんな照司と手を繋いで肉親の手の温かさを伝えた。母親の代わりを務めるということが、彼女にとって唯一、この世界で生きていく価値を見いだすことができる行為だった。

 わき目もふらずに歩いていた香久夜が、道端に並ぶ何台かの自動販売機に気づいて足を止めた。彼女は注意深く地面を眺め回し、硬貨の返却口を指で探った。ごく稀に、誰かが落としたり、取り忘れていった釣り銭が手に入る。

(一人ではなかった)

 もう片方の手で弟と手を繋いでいるのをヒヤリと思い出して、香久夜はその行為を恥じた。そうやって、ぐるぐる回り道をしながら帰る時間を遅らせて、住宅地のはずれにあるアパートの隅の部屋に行く。そこが、香久夜と照司の父母の家だ。自分たち姉弟の家だという自覚はない。照司は香久夜の顔を見上げた。

(帰りたくは無い)

 そう語りかけている。香久夜は応じた。

「なんで、私らだけ、嫌われるんやろうなぁ」

 帰りたくは無いが、香久夜にも照司にも他の選択肢は与えられていない。世の中には、さっきのように仲のいい親子が居る、きっと、あの子は殴られることがない。自分たちだけ、殴られたり、蹴られたりする理由が良く分からないと、首を傾げるのである。

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