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蓬莱島の姉弟 ~虐待被害者の姉弟の家族再生の物語~  作者: 塚越広治
第三章 旅の家族
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母の役割

 目を凝らすと、遠目にうっすら見えているのは、聖域へ続く道に違いない。しかし、香久夜たちの足元では、草原や林、時には泉の中に溶け込むように消えてしまって見えなくなる。道があるとはいえ、よほど注意しておかなければ迷ってしまうだろう。

「鳳輔殿、先の地形を知りたいと思うのですが、どうでありましょう」

 山王丸が賢者の意見を尋ねるように語った。山王丸は常にこの年長者を立てるように、判断の都度、鳳輔の意見を聞く。

「良かろう、待っておれ」

 鳳輔は気安くフクロウに姿を変えて飛び立った。先に前方を偵察に出かけた香久夜たちを上空から支援するのである。鳳輔は夜目が利くし、高いところから見渡せば先の様子が良く分かる。長距離偵察をして貰うにはうってつけの存在だ。吉祥は感心するようにうなづいた。

「ふぅん」

「何か?」

「何でもないよ」

 そう答えつつ、吉祥は感心している。鳳輔は仲間の中で軍師を気取っているが、その実、山王丸の意に添って行動している。鳳輔自身も気付いては居ないだろう。ひょっとしたら作戦を立案して動かしている軍師は、この性格温厚な鎧かもしれない。

 旅が続くうちに、仲間のうちにはそういう役割分担が出来ていた。山王丸は移動中に重い荷を背負う他、仲間の役割分担に不満が生じないよううまく関係の調整を図っている。

 吉祥はもともと水を操る存在で、仲間のための飲み水や食糧となる川魚を調達したり、腕から発する電撃で獣を捕らえて、香久夜と照司の食事の世話をする。ただ、今日は獲物を捕らえて戻ってきた吉祥が、調理中に手を止めて物思いにふけっていた。

「どうした、吉祥?」

 山王丸の問いに、吉祥はとまどうように語った。

「私はここで生まれ育って怖いなんて感じたことはなかった。でも、今は死ぬことが怖い。死ぬって、あの子たちと一緒にいることができなくなるってことだろ?」

 山王丸は吉祥のやや震える指先を眺めて、敢えて話題を反らした。

「ほぉっ」

 山王丸の驚きの声で、吉祥は少し嬉しく、得意な気分になれる。彼女は捉えてきた獲物の足を二十センチほどに折り取って、大気から抽出した水で湿らせて柔らかくした大きな枯れ葉で幾重にも包んで、焚き火にくべた。この葉の中でふんわり蒸し焼きが出来上がる。山王丸はその料理が旨そうだと感心しているのである。最初は焼くだけだった吉祥の手料理が、今はその手順も複雑になっている。吉祥は得意気に語った。

「喜んでくれそうでしょう?」

 もちろん、鎧は食事をしないから、照司と香久夜のことである。

「うむ。もうすぐ腹を空かせて帰ってくるだろう」

 その香久夜と照司は、昼間の宿営の時に、周りの地形を偵察する役割を果たしている。香久夜と照司が偵察から戻ってみると、夕食の支度をしている吉祥がいた。照司も香久夜もお腹がぺこぺこだ。

 湯気を立てるパンに見える食材は、澱粉を多く含む樹木を選んで、その幹から水を使って洗い出した成分を水で練って焼いたものだ。香久夜も照司もその手間のかかる工程を知っていた。吉祥は木の枝で、焚き火の中から何かの包みをつつきだした。葉の表面は焦げている。しかし、その葉を開くと、芳ばしい良い香りが鼻をつき香久夜と照司のお腹を鳴らした。出てきた物は棘の付いた棒状の物が幾本か、棘がもっと短ければ蟹の足のようにも見える。最後の村から持参した食料を食べ尽くしていて、こうやって食料を調達せざるを得ない。


 炎の中からとりだした物を、吉祥は短刀でぽんと縦に二つ割りにした。色は赤黒い他、見た目は蟹の足を巨大にした物そっくりで、棘のある殻の内側の肉がほかほか美味しそうに湯気を立てている。吉祥は袋の岩塩を少し振って、照司と香久夜に差し出した。炎の中でこの食材を包んでいた葉の香りが芳ばしく二人の鼻を刺激した。

「おねえちゃん。美味しい」

「うんっ」

 味は淡泊だが、こりこり筋肉質の歯ごたえがあり、岩塩の丁度良い塩味が、素材のほんのりした甘みを引き立てていて味に深みがある。照司が少し笑ったように見えるし、そんな照司を見て吉祥も微笑んだ。もしも、吉祥がお母さんで、山王丸がお父さん、鳳輔が嫁と少し仲の悪い舅さんなら、この場の光景は一家団欒の食事風景になる。たぶん、美味しいと思ったのはこの雰囲気のせいに違いない。香久夜は少し驚いていた。弟が笑っている。過去の記憶もたぐっても、弟が心から浮かべた笑顔の記憶が湧いてこない。そんな弟だった。その照司が吉祥に食材を尋ねた。

「これ、何?」

「『うにょうにょ』よ。さっき森の奥で捕まえたの」

 照司は聞き慣れない食材の名に首を傾げた。

(うにょうにょ?)

 香久夜も、与えられた「うにょうにょ」を美味しいと味わいつつ、半分以上を食べてしまっている。

「お姉ちゃん、うにょうにょって何?」

 香久夜は弟の質問に首を振った。知らないと言うのではない。そんな質問をするなという。香久夜は、ふと、吉祥の背後に食材の残骸らしきものが転がっているのに気付いていた。てかてか脂ぎった光を放つ羽や、長い触覚らしいものがある。あの残骸を元の形に組み立てたら、きっと巨大なゴキブリになる。そして、照司と香久夜が食べているのはその足の部分に当てはまるようだが、今はまだ香久夜の推測に過ぎず、香久夜の勘違いかもしれない。香久夜はそう思いたい。この食材の真相は確認しないのが一番良い。

 吉祥はそんな二人を見守った。こんな感情は初めてだ。自分が手を加えた物を美味しいと食べる人が居るということが、胸が弾むほど嬉しい。

 吉祥は食材の残骸の前にしゃがみ込んで、手を合わせて拝んだ。香久夜と照司に食べさせるためとはいえ、彼女は生き物の命を奪った。そのお詫びと、その命をはぐくんだ世界への感謝の念を捧げたのである。普段は勝ち気な吉祥が、謙虚にそんな姿勢をすると、香久夜と照司も命の重みを考えたくなる。

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