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蓬莱島の姉弟 ~虐待被害者の姉弟の家族再生の物語~  作者: 塚越広治
第三章 旅の家族
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タロウザとの再会

 香久夜は照司と雨露を凌いでいた洞窟の入り口にたたずんで、この空間の中で唯一視界が開けた空を仰ぎ眺めていた。この世界に来てから、食事を取らなくても空腹を感じることは少なく、飲食物がないことに苦痛は感じては居なかった。ただ、弟の手を握ってみるとその指先が冷たい。弟に体を寄せてみると衣服を通して互いの体温の暖かさを感じ取ることができ、転じてこの場所の肌寒さに気付かされる。肌寒いのは体のみではない。支えになるものが抜け落ちて、二人の心は空気が抜けた風船のようだった。

「照司、あの世界でも二人だけやったんや」

 二人だけだということを、心の底で自分自身に言い聞かせる口調だった。

(私は山王丸と吉祥を見捨てて逃げた)

(照司のため?)

(違う、私は死ぬのが怖かった。山王丸さんや吉祥さんのことなんてどうでもよかった)

 そんな自問自答の中で、後悔の念だけが精製され膨れ上がっている。照司は姉の姿を傍らで、空を見上げて吉祥の姿を探し求めているとは言い出しにくい。照司は空を眺めてふと別の名を思い出した。

「お姉ちゃん。ボク、鳳輔さんに会ったことあるねん」

「鳳輔って、見栄っ張りのお爺さん梟か?」

 香久夜はその名にイセポたち巫女の間で語られるイメージを思い浮かべた。

「優しいお爺さんやってん。また、会おうなって約束してん」

「あんた、変なんと知り合いやねんな」

「鳳輔さんやったら、ボクらを空から見つけて助けてくれそうな気がすんねん」

「そんなん、おらんでも平気や」

 香久夜は自分を見つめる弟の視線に気づいて、強がって言葉を続けた。

「照司、この世界に来たときの事、覚えてるか?」

 香久夜はこの世界に来たときも二人っきりだったと言いたい。しかし、この世界で二人を慈しむ人々の思いが時を乱して、ここにやってきたのが、思い出しががたいほど昔のことのような印象にも捕らわれる。ただ、じっと前方を眺めていた照司は、姉の言葉に素直に頷いた。

「うんっ。目ぇ覚めた時、あのおっちゃんらがおったやんか」

「おっちゃん?」

 香久夜がふと疑問を抱いて照司の視線を追うと、その視線の先にいつか出会ったことのある体格のよい男の姿があった。捜し求めていた香久夜を探し当てたタロウザは、純な笑顔を満面に溢れさせた。あと少し、理性の箍が外れていれば、この愛しい姉弟を抱きしめて頬ずりしていたかもしれない。しかし、タロウザの理性のひとかけらがタロウザを二人の足元に伏せさせた。

「香久夜さま、照司さま、お探ししていました」

「いつもながら、唐突に現れるおっちゃんたちやな」

「お待ち申していました」

 タロウザに付き従ってきた男たちも地にひれ伏してそう言った。

「もうっ、土下座なんかせんと、立ってや」

 香久夜は男たちの腕を引っ張り上げるようにして立たせた。一人づつ立たせねばならず、自ら立つ者がない。

「あない、あない……」

 タロウザの口から漏れ聞こえるが意味を成さず、香久夜は尋ねざるを得ない。

「それで、何の用やのん?」

 タロウザは仲間と顔を見合わせていたが、意を決したように言った。

「わっ、我らが案内致しまする」

 タロウザにとってこの辺りの表現が難しい。案内してやると提案を押し付けるのは恐れ多い。案内させてくれと頼むには、断られたときに立つ瀬がない。香久夜はその純朴な心情を察して彼らの提案を受け入れた。

「道が狭まろう・御座りま・するな。御足場に・御気つけ下さい」

 敬語に縁のない生活を送ってきた男たちが、無理に使う敬語は意味が伝わりにくい。香久夜の背後で彼女の足元に気を配るタイチの言葉に、香久夜が首を傾げつつ笑った。

「あんたら、無理に敬語を使わんでもええで」

 その香久夜の笑いに侮蔑的なものがない。なにやら香久夜が身分の垣根を取り去って、タイチには香久夜が自分と同じ大地に降りているという感じを受ける。

(それにしても)と、香久夜と照司は首をかしげた。

 彼らが狭いと称する道が、香久夜には見えない。何の迷いもなく先頭を行くタロウザを追えば、人がすり抜けることが出来る木の隙間や、斜面を登るのに手がかりになる露出した樹木の根、下る斜面で足場になる岩などがあり、それらを綴っていけば間違いなく尾根から次の尾根に着いている。

「タロウザさんたちが居って、よかったね」

 そう言った照司が振り返ってみると、幾つもの尾根に視界がさえぎられて、山の麓が見えない。深い山岳地帯である。たしかに、タロウザたちがいなければ、ここを踏破することは出来ないだろう。

 タロウザは見晴らしがよく、吹き抜ける風が心地よい尾根で足を止めた。山歩きに慣れない香久夜たちに休息を取らせるためである。首筋に巻いた手ぬぐいで額の汗をぬぐうと、香久夜が一足遅れて尾根に着くのが見える。香久夜の額に汗が浮き、前髪にも汗の雫が見えたため、不覚にもタロウザは自分の手ぬぐいを差し出した。差し出した手ぬぐいが自分の汗を吸い手垢にもまみれて汚れているのに気付いたが、引っ込める前に香久夜はそれを受け取って、タロウザの汚れも気に掛けず自分の汗を拭いた。

「気持ち、ええなぁ」

 吹き渡る風が心地よい。香久夜は屈託のない笑顔でそう言ってタロウザに手ぬぐいを返し、目をつむって深呼吸をした。ここまで、彼女の呼吸が荒いのを慮ってタロウザは黙って先導するのみで、会話がなかった。タロウザは木々の隙間から見える僅かな景色を指差した。

 今は樹木は花を咲かせず、木の実もつけず、小鳥が巣で卵を温めることがなく、カモシカやキツネは巣を去った。そして、タロウザのように山に依存した者の生活も成り立たないというのである。

「あんたら、猟師やったんか?」

 タロウザたちは顔を向き合わせた。厳密に言えば違う。山の畑を耕して生活の糧を得る。現金収入を得るために農閑期に罠や弓を使って獲物を得る。そういう生業だった。ただ、猟をする体力のあるものが去ったため、いまの里は僅かな畑を耕す者だけだった。

 ただ、彼女はタロウザたちに心の中で詫びてもいた。都でタロウザに会ったとき、都を去って故郷に戻ってまっとうに生きろと指示したこと。自分が指示したのは彼らにこのような貧しい生活を強いることか。香久夜はスエラギ様からこの世界を預かることの難しさに悩んでいる。


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