タロウザたち
香久夜たちの背後、山岳地帯の麓では山王丸が手槍で地面に叩きつけた妖が融けて消滅し、香久夜の居場所を探るように上空を旋回していた最後の妖が吉祥の電撃で消滅するまで、三十分以上の時間を要した。
「香久夜ぁー、照司ぃー」
山王丸は、体力を使い尽くした鎧武者が、片膝を突き槍で体を支える姿勢で叫んだが、二人の応答がない。香久夜と照司の二人は深い木々の中に身を隠したままだった。
「私が空から」
上空から二人を捜すと言い置いて飛び立った吉祥もなすことなく戻ってきた。密に茂る枝や葉が地表を隠し、山王丸や吉祥の声が風によってざわめく葉の音にかき消され、複雑に入り組んだ地形が叫びを押しとどめる。しかし、あの二人を見つけるまで叫びを止めることは出来ない。
そんな山王丸たちが、木々をかき分けてくる不思議な人影を見つけた。その体格は、香久夜と照司ではない。次の宿場の人々が、香久夜たちを迎えに来たしては、宿場からの距離がありすぎる。近づくにつれて人影は数人の男だと分かった。中央の男は他を圧するほど体格がよく、肩幅など山王丸よりあるかもしれない。
「誰か? 」
「カグヤ様とショウジ様をお迎えに参りました」
朴訥とした口調で、都の洗練された敬語に慣れていないが、言葉に静かな落ち着きがあり、こういう話し方をする人物は信用して良いだろう。ただ、普通なら違和感を感じても良い動く鎧を目の前に、男たちが動じる様子がないのはどうしてだろう。
香久夜と照司なら、直ぐに男たちの名を呼んだろう。タロウザとその仲間だった。香久夜に諭されて山賊を廃業して故郷に戻った。が、二人が危険な旅をしていると聞きつけて、生真面目に旅の案内をしようと待っていたのである。噂には二人に付き従う女と鎧が含まれていた。この世界でも意志を持つ鎧は珍しく、タロウザの目の前で話す鎧は香久夜に付き従う鎧に違いなかった。ただ、見回しても周囲に香久夜の姿がない。
「そうでありましたか。では、我らが探しましょう」
妖との戦闘で香久夜と離ればなれになったと聞いたタロウザは事態に納得し、自信を込めてそう言った。タロウザは五人の配下にてきぱきと指示を出して、姿を消した二人の足跡を探るように命じた。
吉祥の目がタロウザの傍らのゴンザの弓に止まった。弓を扱う姿勢が自然で、この男たちの素性が猟師だと知れた。この山と森で狩猟を営む者なら、山王丸や吉祥よりずっと容易にあの二人を捜し出すだろうと思った。山王丸が吉祥に肯く様子から、思いが同じだと分かった。吉祥は迷うことなく先導するタロウザの後ろについた。彼女は山王丸を振り返って言った
「任せましょう。あの子を信じる男なら」
「なるほど。良いことを言う」
山王丸の声音に、ほっと息を抜くような安堵感がある。吉祥の言うとおりだろう。香久夜を信じる人物なら、この人物もまた信頼に値する。タロウザたちに導かれて歩きつつ、彼らが山賊だったということを聞いて、吉祥は朗らかに笑った。
山王丸がふと立ち止まって耳を澄ませる素振りをした。
「何か聞こえる。鳥の声か」
山王丸は囀りのする先に視線を向けたが、樹木に埋もれるようで小鳥の姿は見えない。澄んだ声だけが谷間に響いている。
「あれはヒナクの声でございましょう」
タロウザは鳥の名を口にした。
「美しい声だが」
ヒナクの声の美しさに聞きほれる山王丸に、タイチがぽつりと別のことを言った。
「寂しい声でございます」
美しい声が谷間にこだまするように響いてはいるが、その声は一羽だけで、孤独なヒナクの声に応じる仲間の囀りがない。
「この辺りも生き物の姿が絶え始めました」とタロウザは言う。
昔は空を飛び交う小鳥たち、山を駆け回るカモシカやキツネが数え切れないほどいたらしい。吉祥は自嘲的に笑い、呟いた。今の自分の立場ではないか。
「仲間を失って、ただ一羽のヒナクか」
山に分け入って二日目の夕刻、タロウザたちが育った里に到着した。仲間のゴンザが先回りをして里の者に連絡を入れたため、里の者が山王丸と吉祥を出迎えた。
(今までに通過したどの集落より小さく貧しい)
訪問者達はそう思った。瘴気の汚染が進むこの地で、この集落の人々は生活を営んでいる。地の実りは少なく、川や山の獲物も少ない。山王丸と吉祥はその貧しさに、心苦しさを感じつつ、丁寧なもてなしを受けた。山王丸は記憶の糸をたどるように辺りを覗って呟いた。
「ここだったのか?」
その呟きに因縁の悲しみがこもっていた。旅の仲間は、ずっとカヤミの足跡を辿るようにその往路を歩いていた。この里は、アシカタの野で傷つき病に倒れたカヤミの帰路の終焉の地だった。あの時、山岳地帯で倒れたカヤミはこの集落の者に発見され、この集落に導かれて最後の時を迎えた。
「あの者たちは役に立っておりますか?」
来訪者に挨拶にやってきた村の長老は、部屋の隅にかしこまっているタロウザたちのことを言った。
「感謝の言葉もございませぬ」
その一言を発したのみで、山王丸はただの鎧に戻ったかのように押し黙って動かない。吉祥は何かを捜し求めるようにきょろきょろと視線をせわしなく動かしていたかと思うと、再び永い眠りについたかのように静止する。
(あの者たちが香久夜と照司を連れ戻ると信じて待つしかない)
焦りを押さえながらも、二人の共通する思いだった。
この鎧と龍が食事や水を欲しないという事を知ってから、食事や茶を運ぶ村人たちの姿が途絶えた。ただ、建物の外では香久夜たちの消息を探索する人々の声が響いており、その声の声音から人々の真摯で懸命な様子、そして、探査の結果が思わしくないという結果がうかがい知れる。
「やはり、見つからないのかしら」
吉祥が他に頼るものが無いかのように不安気に尋ねた。
「あの子たちは、普通の子ではない故にな。鳳輔殿の知恵でも借りねばならぬのやもしれぬ」
「鳳輔だって?」
吉祥はその名ばかりではなく姿にも記憶がある。吉祥を襲った梟だった。山王丸は吉祥の険しい表情に気づかずに言葉を続けた。
「賢者として名高いとか。一度会うてみたい気もする。あの御仁なら、我らの手助けもしてくれよう」
「確かにね。是非とも会いたいものだわ」
吉祥の偽りない本心だ。彼女はまだ復讐を果たしていない。




