山王丸(さんのうまる)の思い
(そうやったわ。この鎧の方が……)
香久夜も考え直した。香久夜は生まれてこの方、鎧に質問したことがないから、思い至らなかったが、あの大鎧はずっと蔵の中に居た。だから、どんな武器があるかもよく知っているはずだった。
「ねえっ。この蔵の中に、なんかこう、魔法の剣みたいな強い武器あれへん?」
「魔法の剣?」
「軽く振っても敵が真っ二つになるとか、炎を吹き出すとか。いろいろあるやん」
大鎧は呆れたように断言した。
「娘よ。なんと、荒唐無稽な事を言う。この世に、そんな不可思議なものがあろうはずが無かろうよ」
大鎧の断言に香久夜は口を尖らせた。大鎧の言葉が、ちょっと気に入らない。魔法の剣というアイテムが虫の良い期待だという事は、充分に分かってはいる。ただ、おしゃべりをする不思議な鎧に虫の良さを指摘されるのも抵抗がある。しかし、誠実そうな鎧で嘘を付いている気配はなかった。
「じゃあ、この倉の中で一番頑丈なの刀を教えて」
「そこに、二ツ星の紋の付いた桐箱があろう」
「これ?」
「そう、それだ。太刀が一振り入っている。娘、今のお前に似合うに違いない」
すぽんっと音がするほど小気味よい音を立てて桐箱の蓋を開けてみると、たしかに長刀が入っていた。長刀の束にはめ込まれた珠がきらりと光った。
「束にはめた珠を除けば模造品にすぎぬが、それでも中々の銘品だ」
「模造品?」
「聖玉を外した本物は元の持ち主と共に葬られた。外された聖玉のみ、形見としてこの都に戻されて、別の太刀にはめ込まれてその模造品になった」
「でも、所詮、模造品やろ。本物の方がええわ。他には?」
「その太刀の光具合をよく見よ。刀身は曇りもなく光を反射しているであろう?」
大鎧は彼女がこの倉で調べた武器と比べてみよと言ったのである。香久夜が試しに抜いた白刃を振ってみると、ひゅんっと軽やかに空気を切り裂く音がした。
(確かに)
彼女は腕に馴染む太刀に納得した。
大鎧は彼女が太刀をあまりに軽やかな音をさせて扱う様子を観て、苦笑いをするように言った。
「本物は邪を祓うと言われた。娘、お前に本物を持たせたかったものだ」
「邪を祓う? それって魔法の剣やんか」
「ただの伝説にすぎぬよ。古い武具には持ち主の思い入れがこもる故にな」
香久夜よりも山王丸の方がはるかに現実的だった。白刃を抜いたものの香久夜は躊躇った。白刃を手にしたまま考え込む香久夜に、鎧が語りかけた。
「どうした? 娘」
香久夜は疑り深そうな視線を鎧に注いだ。
「まさか、この刀、勝手にしゃべり出せへんやろなあ。ちょっと考えてみ。腰に差してる間、『奥さん、角のスーパーのサンマが安かったわよ。』とか、べらべら世間話でもされたら五月蝿くてかなんで」
「益体もない。なんで太刀がしゃべろうものか」
「ホンマやな?」
香久夜は白刃を鞘に収めかけたが、再び、躊躇した。
「どうした? 娘」
「あんたのこと信じる。剣は大丈夫。でも鞘とか鍔がしゃべりだせへん?」
大鎧は呆れるように、哀願するようにも言った。
「もう少し、人の言葉を素直に信ぜよ」
もちろん、大鎧の言うとおり、太刀が話すと言う非常識なことはないのだが、香久夜がそれを納得するのは随分後のことになった。香久夜は呟いていた。
「大人は信用でけへん」
「では、わしも一筋」
そう言って槍の方を向いた鎧に香久夜は言葉を掛けようとした。
(腕のないあんたは、剣も槍も、武器なんか持たれへんやろ)
たしなめようとしたのだが、案に相違して、壁際にかけてあった短槍の1本がぷかりと浮いて鎧の腰の辺りに収まった。やおら槍の穂先が鞘から抜けて、切っ先が鎧の肩の当たりを中心に円を描いた。丁度、鎧を纏った透明人間が槍を振り回したようにも見える。
「よし、なかなか」
鎧は満足するように言い、白く輝く穂先は再び鞘に収まった。香久夜がこの蔵に入ってきてから、ぶつぶつとわめき散らす独り言から、香久夜が置かれている状況と、ここに武器を探しに来た理由を知っていた。
鎧は槍を身につけて香久夜の旅に同行しようという。香久夜も鎧を真似て、頭の上にかざした太刀を抜いた。太刀は冷たい光沢を放っていて、触れれば血を吹き出すという恐ろしげな実感がわく。しかも、おしゃべりをする鎧が身に着けた槍と比較にならない威圧感がある。息を飲んで真剣を眺める香久夜に、鎧が言った。
「じっと眺めれば、ぞっとする迫力があろう。太刀は命を殺める道具故にな、そして束の聖玉は、今は失われた意志を持っている」
手にするならその覚悟を決めろと言う。確かに、祭礼に使う飾りものの剣や、料理の包丁とは違う。戦い、命を奪うという目的を持った刃物だった。これを帯びるにも覚悟が居るだろう。香久夜はこくりと唾を飲み込んだ。
「娘よ。臆したか?」
この大鎧の言葉は香久夜の気に障った。舐められたかと思ったのである。元の世界で照司と二人で生きようとしていた香久夜にとって、誰かに甘く見られ、見下されるなど生きてゆくすべを失うほどの出来事だった。ただ、鎧から伝わってくる誠実な雰囲気は、香久夜を見下すという意識を振り払った。反論したかった意識が心の中で転じて、香久夜に別の質問を投げかけさせた。
「あんた。私のこと知らんのん?」
もちろん、香久夜はこの世界の最高神官の一人だという回答を期待している。しかし、鎧の返事は意外だった。
「カグヤ様に似ておるが、カグヤ様ではない。さて?」
鎧は香久夜が別人だと気づいているという。
「私も香久夜やねんけど、あんたらのカグヤとは別人やねん」
説明に窮して眉をひそめた香久夜の言葉に、鎧はいとも簡単に答えた。
「左様か。では、その名で呼ぼう」
その性格の単純さに香久夜は苦笑した。
「もっと、驚きぃな」
「この弥緑社の主の一人がカグヤさま。儂が旅に付き従うのが、目の前の香久夜。それでよかろう」
鎧の言葉に香久夜は笑って付け加えた。
「そやけど、みんなには内緒やで」
「何故、危険な場所に赴く勇者が、本当の身分を隠さねばならぬのか」
「時々、カグヤが隠しとけっていうねん。それに、みんなが知ったら余計な心配するやん」
「左様か。では心得た」
蔵の床が回廊の床より少し低い位置にあって、蔵の入り口から出るのに、五段ほどの段差がある。香久夜は奇術師が宙に浮かせた助手の体の下に手をやって、支えが何もないことを確認してみせるように、階段を上る鎧の下半身を手で払った。ぷかりと浮いた鎧の下には何の手応えはない。ただ、鎧の上半身を見ると、階段を上る一段ごとに肩や兜が揺れていて、人が階段を登るときに丁度こういう動きをする。香久夜は鎧の中に透明な人がいるのではないかと考えたのだが、鎧が宙に浮かんでいるのは間違いないようだ。
「ちょっと待ち」
香久夜は、先に歩く大鎧に止まれと命じた。何かの儀式か祭礼に使う面だろうか。蔵と館を繋ぐ渡り廊下に沿って、ずらりと面が並べてある。このお面を兜の正面に付けておけば、空っぽな兜が少し人間くさくなる。
「良い考えだ」
大鎧は香久夜の意見に賛同した。
「うーん。これは、ちょっと怖いな」
香久夜が手にしているのは角のついた般若の面だった。おどろおどろしさが似合うかと思ったのだが、この面は眼光鋭い男がサングラスをかけるように鎧にも似合う。ただし、誠実な大鎧が冷酷無比な犯罪者のような印象になる。
「こっちは猿やし、これは爺臭いな」
猿や翁の面に付け替えたのだが今一つ似合わない。やがて、香久夜はぷっと吹き出した。
「オカマの鎧や」
若い女性を模した面を着けると、無骨な鎧が女性じみて見える。。
「人の頭を使って遊ぶな。そうだ、あれがよい」
大鎧がその兜の向きを変えて見上げたのは、気品とやや神経質そうな雰囲気を秘めた「中将」と呼ばれる面だった。
「こっちのひょっとこ面もなかなか味があるで」
「嫌だ。その中将の面がよい」
鎧自身が面を手にしたようで、並んだ面の中から中将の面がぷかりと浮いて兜の正面に収まった。面を付けると、たしかにこれが良い思いつきだったことが分かった。几帳面で真面目な大鎧の性格が目に見えるようだった。二人は再び歩き始めた。
(困ったな)
香久夜は思った。こんな鎧が弥緑社や月香殿の中を勝手に歩き回ったら、人々は随分怖がるだろう。人に見られないように、こっそり、月下殿の自分の部屋に連れて行かなければなるまい。
「カグヤさま」
突然に香久夜の背後から悲鳴に近い警告を発したのはイセポだった。干し柿と飲み物を盆にのせて廊下を歩いていると、その曲がり角の所に、香久夜の背が見えたばかりではなく、香久夜の背後に得体の知れない化け物がいて、槍を振りかざして香久夜に襲いかかろうとしているように見える。
彼女は干し柿を盆ごと放り投げ、悲鳴を上げて駆け去った。衛士の名を呼んでいる。まもなく刀を携えた大勢の人を引き連れて戻ってくるだろう。ひっくり返されてしまった干し柿は、たぶん香久夜のおやつで、彼女は今日のおやつを食いっぱぐれるかもしれない。
「あんた、よっぽど弥緑社の人をビビらしてたんやろ」
渡り廊下に転がった干し柿を拾い上げながら香久夜は文句を言った。大鎧はその言葉を否定するように兜を横に振った。やがて、衛士が弓や太刀を振りかざして駆けつけたため、香久夜は大鎧と衛士の間に割って入って、事情を説明せざるを得ない。
噂は、弥緑社を駆けめぐった。カグヤ様が武器蔵に巣くっていた魔物を調伏したという。たぶん、調伏されて香久夜に従う魔物なら怖くはないらしい、むしろ好奇心をそそって、弥禄社の人々が香久夜の部屋をのぞき見るようにやってくる。
(まあ、ええか)
香久夜はそう思った。たいした用も無くやってくる人々は目障りだが、屏風や襖の陰から盗み見るように鎧を観察して、危険な存在ではないことを認識したらしい。曙の巫女のスセリは多少心配らしく、大鎧を監視するような目で、おやつを食べる香久夜の傍らに付き添っていた。
「まだ、はんたの、なまえきいてへんかった」
貴方の名前を問うたつもりだが、口の中に干し柿のかけらがあって発音が不明瞭になった。スセリがその行儀の悪さを責めるように香久夜を睨んだので、あわてて口の中の物を飲み込んだ。香久夜は言葉を継いだ。
「名前、無いんやったら、付けたげようか?」
(とんでもない)
大鎧は大きく兜を横に振って香久夜の提案を一蹴した。猿の面を付けられたり、小面を付けられてオカマだと笑われた一件がある。この娘に名をつけられたらどんな珍妙な名になるか分からない。
「あんた、私を信用してへんやろ」
大鎧はそれに答えず、傍らの硯箱の蓋が空いた。筆が大鎧の右手の辺り、紙が左手の辺りにぷかり浮いた。筆がさらさら動いて紙に文字をしたためた。『山王丸』とある。
「さんのうまると申す」
この時、照司がタマエに手を引かれて姿を見せた。
「山王丸さんやて」
香久夜は部屋に入ってきた照司に大鎧を紹介した。山王丸は臥せていた顔をゆっくり上げて気品のある面を見せた。自分が急に動けば相手を驚かせてしまうかもしれない、それを避けたのである。山王丸はそう言う優しい心遣いをする鎧らしい。山王丸の心配をよそに、息を呑むタマエの傍らで照司は驚く気配はなく無表情のままだ。山王丸は照司の固い表情を勇敢で大胆な性格故と判断した。
(ほうっ。良い主を得た)
照司は鎧をじっと眺めた。強そうな武器を探してくると姉が言っていたから、これがその強そうな武器に違いない。
「お姉ちゃん」
照司は短く言った。香久夜には弟のその一言の中に込められた意味が分かる。
(この理解できない存在がボク達の仲間になるの?)
そう尋ねている。香久夜は手にした干し柿を置いて、山王丸に聞こえないよう照司に耳打ちした。
「大丈夫やで。茶碗やお鍋がおしゃべりするよりマシやろ。それにちょっと強そうやん」
「うん」
その一言で、照司は全てを納得したらしい。香久夜にとって、この素直さが照司の可愛いところだ。取りあえず、武器を手に入れて、旅に同行してくれる仲間も一人加わった。あとは出発するだけである。
山王丸の兜についた面から表情をうかがい知ることは出来ないが、一人決意を込めて呟いている。
(私は守る者でありながら、守りきることが出来なかった)
鎧に宵の巫女カヤミの肉が蘇り血が駆けめぐるようだった。




