奥の蔵の魔物の正体
カグヤがお転婆で、ショウジが素直で落ち着きがあるという紛れもない実績で、人々は危険な冒険の旅がカグヤの発案だと信じていて、香久夜に対する感謝の声が大きい。香久夜は功績を奪うようで、照司に後ろめたい。しかし、照司は自分が人々の役に立てる満足感のため息をついて、姉を見守っていた。
姉弟に接する人々は、普段と変わりなく優しい。しかし評定の後、香久夜にお茶をすすめるイセポの指先が、心なしか震えていることがある。香久夜や照司に挨拶を交わすサギリやマツリの声に不安が漂っていたりもする。布団に横になった照司に掛け布団を掛けてやるスセリが、意味もなく照司の髪をそっと撫でることがある。
皆、香久夜たちに負担をかけないよう、心の辛さや不安を隠して、平静を装っているのが見て取れた。旅の方位や、今の日の出の時間をもとにして、旅の出発の吉日が六日後だと決まった。あと五日間の余裕が残っていた。人々は不安を振り払うようにこの二人を送り出す準備に専念することにしたらしい。平静を装っている香久夜の心も落ち着かず、この世界のカグヤとの会話の回線も乱れて途絶え、彼女の声を聞くこともできない。
心が落ち着かないとはいえ、旅をする本人には日常のお勤め以外にすることがなく、香久夜は暇をもてあましていた。
「人々を苦しめる悪魔め」
そう呟きながら、正座をしたままの姿勢で振ってみると、1つ1つの鈴の音が重なり合って、心の中に響くほど澄んだ良い音色がする。しかし、香久夜は不満を訴えた。
「こんなモン振り回す正義のヒロインがおったら、笑えるで」
照司が使う祭祀の道具は守り刀だった。刃渡り二十五センチ、束を含めて五十センチに満たない小刀だが、照司の体力や動きの早さを考えると、接近戦では長刀より扱いやすい武器になるだろう。香久夜の祭祀の道具はこの鈴で、人を癒す闇を象徴する清らかな音色をしているが、どう見ても武器にはならない。腕力には自信を持っているが、危険な旅をするために何かの武器が必要だろう。香久夜は傍らのヤガミに訊ねた。
「ここには、何か武器はあれへんの」
「宝物庫の、更に奧の離れに、古の武具を納めた蔵がございますが」
ヤガミの言葉は途中で考え込むように途絶えた。
「でも、蔵には、魔物が出るという話でございますよ」
イセポがそう付け加え、ヤガミが念を押した。
「夜な夜な、誰もいないはずの倉から、不気味な物音が聞こえるとか申します」
「それって、一番奥の建物のこと?」
香久夜は弥緑社の片隅に近寄ってはいけないという言いつけを思い出した。普段、香久夜と照司が祭祀に使う鈴や小太刀は、本殿の北西部の宝物庫に仕舞われる。その更に北にその蔵があった。以前、タマエに暴力を働いた照司が入り込んだ倉庫の更に奥である。
イセポが語る噂は百年も前からあって、蔵はずっと封印されているという。その危険なところから武具を取ってきてくれとは頼めず、香久夜自身が取りに行くしかない。
(まったく)
香久夜は蔵の前で肩をすくめてため息をついた。武器庫の扉を封印して困らないと言うのは、この世界がずっと平和だったと言うことだ。ただ、この世界の人々は何処か間が抜けている。香久夜の感覚からすれば、恐ろしげな魔物が出るという武器庫など、厳重に鍵をかけていそうなものだが、目の前の扉には古ぼけた紙の御符が封印として一枚貼られているだけだった。香久夜は古びて変色した封印を遠慮もせずに切って、音を立ててきしむ蔵の扉を両腕の力を込めて開けた。
「ホンマに、もう。平和やったって事は、ええ事ばっかりちゃうで」
彼女は舞い上がった埃に眉をしかめ、小さな窓から指す明かりに照らされた蔵の中を眺め回した。
「ましな武器があれへんやん」
武器庫の中をかき回しながら、香久夜は不満をぶちまけた。
「こんなんで、スエラギ様を封印に行けっちゅうんかいな」
香久夜は自分の身の不運を誰に聞かせるわけでもなく、独り言を喚いて気を晴らし続けていた。そんな声を、蔵の隅でじっと聞いている者がいる。香久夜の口から次から次へと文句が飛び出した。
「大人ってすぐに整理整頓とか言う癖に、どこに何があるか分かれへん」
こんなに現実離れした世界だから、魔法の力を秘めた剣や槍があってもおかしくはない。しかし、期待するものは見つからず、しかも長いこと手入れもせずこの薄暗いところにしまい込まれていたために、武具は埃を被って、錆び付いていたりする。いま、香久夜が手にした長刀も、鞘を払えば、じゃりっと鈍い音を立てる。窓から差し込む日の光に刀身を照らすと、うっすらと錆が浮いていた。
香久夜は、時々、背後でかしゃかしゃと物音がするのに気付いている。五月蝿げに振り返ると、物音は途絶えて静かになる。そんなことを何度か繰り返すうちに、捜し物が見つからない苛立たしさも加わって、香久夜は我慢ができなくなった。
「なんやのん、あんた。ちょっと静かにしといて」
香久夜の背後に大鎧があって、それが時々、香久夜を探るように動いて物音を立てるのだった。香久夜の元の世界で言うと鎌倉調のきらびやかな鎧で、鍬形と呼ばれる兜の飾りが天を突くように伸びているが、その色はくすんでしまっていた。いろいろと不思議なことが多いこの世界だから、あんな生き物が居ても不思議ではない。それに害意があるかどうかと言う香久夜の判断基準で眺めれば、あの鎧からは不思議さはあっても害意は感じられない。せっかく身軽なのに、あんなものを身につけたら体が重くなる。だから香久夜は鎧には興味がない。香久夜にとって必要なのは武器になる剣か槍だった。
大鎧は僅かに震えているようにも思えた。心の中から湧き上がってくる感情をじっと抑えるように見える。
「お前は」
大鎧は初めて見る少女に呼びかけた。
香久夜は振り返って睨み付けた。
「なんやのん?」
「儂が怖くはないのか?」
「なんで?」
「みな、儂が動くのを見て驚いた」
「あんたなぁ。私ら、親が子供をどついたり蹴ったりするような、変なとこから来たんや。鎧が動いたくらいで驚いてられるかいな」
大鎧は大袖と呼ばれる部分を細かく振るわせた。人が身につけていれば肩に当たる部分だから、その動きを人に例えれば、きっと肩を細かく震わせて感動しているに違いない。
「儂は、嬉しい。人と話せるのは、百年ぶりだろうか」
大鎧は人と向き合って言葉を交わすことが、感動するほどありがたいという。香久夜はその気持ちが良く分かった。奇異なものや汚いものを見る目で見られるのが嫌で、人を避けていたが、おしゃべりが嫌いなわけではない。香久夜にも言いたいことがいっぱいあって、それが独り言や、返事のない照司との一方的なおしゃべりとして出てくる。この世界に来てからは、巫女たちとの尽きない世間話に時間を費やしている。
(あんたも、寂しいんやな)
そんな香久夜の共感が、違う言葉と態度に出た。
「ちょっと、汚れてるんとちゃう?」
香久夜は兜の鍬形に息を吹きかけて、袖口で拭って汚れを落とした。香久夜は持っていた手ぬぐいで口を覆ってマスクにすると、鎧の埃を払った。換気の悪い武器庫の中でマスクをしていてもせき込みそうなほど埃が舞った。鎧の周りをぐるりと一回りして埃を払い終わると、口から外した手ぬぐいで念入りに鎧を拭いた。香久夜は大鎧に言った。
「ちょっと立ってみ」
そう言いながら、自分でも変なことを言ったと眉をしかめた。この大鎧は古い時代の物で、香久夜の世界に当てはめれば鎌倉時代初期のものに当たる。後世の鎧のように、着用者の腕を守る為の籠手や足を守る臑当は無く、鎧そのものに、足や腕に当たる部分がないから立ち上がることが出来るかどうか疑わしい。しかし、大鎧は素直に香久夜の言葉に従った。大鎧が立ち上がると、兜のてっぺんは、大人の男の人の頭の高さになる。ただ、足の部分がないので、鎧が宙にぷかりと浮かんでいる感じになるし、兜の中は空っぽで、その内側がハッキリ見えていて、妙な違和感がある。
しかし、小さな窓から差し込む日に照らされると、鎧は元の色を取り戻してきらりと輝いていた。香久夜は平家物語を思い出した。きっと平家の若武者がこんな鎧を身に纏っていたに違いない。香久夜はふと思った。この弥緑社に着いた日に、スセリが風呂で香久夜の背を流してくれたときにこんな感じだったのかもしれない。香久夜は鎧が美しくなったことにすっかり満足した。
「さあ、綺麗になったで。あとは隅っこの方で大人しぃしとき」
香久夜は武器庫の隅を指さして、大鎧の場所を指定した。大鎧は素直に香久夜の指示に従った。大鎧の背に喜びの感情が滲み出しているようだった。香久夜は武器探しを再開した。結果は変わることがない。探す武器は見つからないのである。時々、香久夜は部屋の隅を睨み付ける。大鎧は香久夜のことが気になるようで、香久夜の行動を伺ってのびをしたり首を傾げているうちに、かしゃかしゃ音を立ててしまう。
大鎧は遠慮がちに尋ねた。
「何か探しているのか?」