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存在の責務

 こうやって、一週間の時を経ると、すっかりとこの世界と所作に慣れた。

(この世界のカグヤとショウジは、何処に行ってしもたん?)

 そんな疑問が薄れて消えた。数日もすると、香久夜と照司はこの世界のカグヤとショウジとしての任を背負って生きていた。

(それにしても)と香久夜は思った。

 自分がこれほどお喋りだったのかと驚いている。正確な日数は数えていないが、この世界に来て既に二週間は経過しただろうか。その間に、元の世界で十四年の間に発した言葉の、数倍は喋っているに違いない。まだ、しゃべり足りない思いがするのだが、何度も同じ話題が出てきて話が空回りする。本当に聞いて欲しい本音が、彼女の胸のうちに秘められて封印されているせいかもしれない。

 香久夜は過去にも、こうやって、身の回りの世話をする侍女や祭祀の手伝いをする巫女に囲まれながら、おとぎ話を聞かせてきた。そういう古い記憶が湧き上がっている。

 カグヤという少女は想像力が豊かで、経験に彼女の想像を交えた物語を人々に語って聞かせて来た。巫女たちはカグヤを囲んで、おとぎ話を楽しむように、カグヤの話を聞くのが好きだった。

「かぞく?」

 ヤガミが初めての言葉に首を傾げたので、香久夜はそんな常識的な言葉を説明せざるを得ない。

「家族っていうのは、一つの家に一緒に住んでんねん」

「それでは、カグヤ様と私やイセポも家族でございますね」

「ちょっと、ちゃうねん」

 香久夜の想像するものが、巫女たちに正確に伝わっていない。

「好きになった男の人と女の人が、結婚して作るねん」

「けっこん?」

「それから子供が産まれたら、子供も家族やねん」

 香久夜の言葉に、普段からのほほんとしたマツリは、いつもよりいっそうぽかんと口を開けて、不思議そうに尋ねた

「子供を”生む”のでございますか?」

「コウノトリが運んでくるなんて言わんといてや」

「お戯れを。子供を運んでくるのは朱鷺と決まっておりますよ」

 この世界では朱鷺が子供を運んでくるらしい。マツリは普段から気の合うイセポと顔を見合わせて、けらけら明るく笑った。その明るさに悪意が無く、誠実さが滲み出していた。彼女が事実を語っているのは間違いがない。そう言われると、朱鷺が絶滅しかかっている日本で、少子化が叫ばれているのも納得が行く。香久夜は元の世界で、随分と本を読んだつもりだ。しかし、香久夜が考える家族の概念を、この人々に説明することは難しい。

(家族って、何やろう?)

 香久夜の方が、説明に窮してそう考えざるを得ない。そして、もっと考え込んでしまうのは、家族という概念を持たない人々の方が、ずっと幸せそうに見えるから。ふと、気づくと、いつも香久夜の傍らに侍るように座っていた照司が、イセポやマツリの傍らにいて、二人の屈託のない笑顔を不思議なものでも見るように眺めていた。胸に手を当てて思い出せば、香久夜も照司の気持ちを察する経験がある。周囲の人々は優しく笑顔を浮かべているが、なぜ、自分に優しくしてくれるのか、優しさは本当に信頼するに足りるだろか。そんな思いで混乱している。その証拠に、笑顔の巫女たちの傍らで、照司が不安げに眉を顰めることがある。


 会話が途絶えるタイミングを見計らったわけではないだろうが、厳格な性格を現す規則正しい足音が廊下の向こうから響いてきた。廊下と部屋を隔てる障子が音もなく開いて声が響いた。

「さあ、さあ。寝床の用意ができましたよ」

 現れたのはスセリである。眠れと命じられて居るわけではないが、丁寧に洗い上げて暖かな陽に晒してふんわりと乾かした寝間着を捧げ持つ巫女を背後に従えている姿を見ると、眠くないから起きているという選択肢はない。

 姉弟はふすまを隔てた寝所に導かれ、装束を改めた。スセリはそれが彼女の責務であるかのように、香久夜が布団に潜り込むまでを見届けた。香久夜はそんなスセリをちらりと眺めて不思議な感覚を覚えた。香久夜は周囲の人々に反抗的な自分自身の性格は自覚していた。何か言われる都度、怒りがわいて反駁したくなり、時には、感情が高じて怒鳴ったり、指示されたことと反対の行動を取ることがある。そんな彼女が、このスセリには素直に従っていた。最初は生徒が教育者に従う感覚かと思ったが、そうではないらしい。スセリという人物が感じさせる暖かな包容力が、この人物を信じて身を任せればいいという意識を香久夜の心に呼び起こす。

 元の世界で傷ついた心が癒され、素直で純粋な形へと修復が成され始めているのかもしれない。ただ、彼女はまだ警戒心を捨ててはいない。そっと布団を抜け出して隣の照司の寝所との間を仕切る襖を開けて覗き見た。素直な照司は、すでにすやすやと寝息を立てて、そこにいた。この夜、誰かに照司を奪われる心配はないと思った。毎夜、香久夜はこの姿を確認して眠りにつく。

 このとき、香久夜は口元を押さえて、巫女たちの素直で開けっぴろげな性格を密かに笑った。香久夜の静かな眠りに配慮しているらしいが、静かな闇の中に寝所へ導いた人々が交わす会話が漏れ聞こえるのである。

御矢樹山おやきやまから帰られてから、お二人が変わられたご様子」

 心配そうなイセポの言葉に、不安を振り払うようにサギリの声が響いた。

「お二人は旅の疲れがまだ取れぬのです」

 サギリの言葉を否定する者が居ないわけでは無いだろうが、巫女たちの間に沈黙が続いた。彼女たちが黙りこくった理由は香久夜にも理解できた。香久夜の心にこの世界のカグヤが御矢樹山おやきやまの頂上で眺めた景色が浮かんだのである。アシカタの野からあふれ出し流れ込んでくる邪悪な気配。巫女たちの話は、敢えてそんな影響に触れることを避けているらしい。

 巫女の一人タマエが、沈黙を明るい話題に変えた。

「最近はカグヤさまも明るくおしゃべりになられて」

「でも、時々、気難しくおなりだけれど」

 サヨリの言葉に、他の巫女たちも声をそろえて笑った。

「本当に……」

 巫女たちだけではない。香久夜自身にも心当たりがあった。心優しく接してもらう事に戸惑い、時にそんな自分に苛立ってしまうことがある。巫女たちの話題は照司にも及んだ。

「ショウジ様の固い雰囲気も、いくらか和らいで来ているご様子、安心しました」

「先頃は、私に甘えるようなそぶりも見せてくださるんですよ」

「私にも……」

 巫女たちは照司が心を許して甘えてくれるのがうれしいという。香久夜にはそんな照司の姿を思い浮かべることができる。今まで香久夜以外には心を許そうとしなかった照司が、気がつけばマツリやイセポなど巫女の傍らにいることがある。時に手を伸ばして腕や肩に触れ、それに気づいた巫女たちに笑顔で手を握りかえしてもらって驚いたりしていた。

 巫女の話に、香久夜は思った。

(甘えるのとは、ちょっと違うと思うわ)

 今まで心を許して触れあえるのは姉の香久夜だけ。そんな照司が笑顔で自分に接してくれる人たちと出会って、その存在を確認したくなるのかもしれない。巫女たちが遠ざかり、やがて彼女たちの会話も闇の中に消えた。

 カグヤは暗闇の中で布団に潜り込んで一人考えた。この世界の人々は気遣いが行き届いていて、彼女たちのカグヤとショウジが変化したことに気づいている。

(もし、その二人が別人に入れ替わっていると知られたら?)

 香久夜はこの世界で、照司と二人だけで生きるすべを見つけるまで、別人だと言うことを隠しておこうと心に誓った。柔らかな布団の中で、世俗のすべての悩みが薄れて消えて眠りにつく寸前。香久夜はスエラギさまの存在を思い起こすように感じ取った。

(私がこの世界に存在するのは……)

 自分自身の存在の責務が香久夜の心に刻み込まれていた。

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