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鳳輔(ほうほ)の噂

 巫女に指示されるまま、香久夜は衣装を寝間着に着替えた。部屋の中央に敷かれた布団はふんわり柔らかく、お日様の匂いがするし、掛け布団は体を軽く被ってい温かい。汗や涙でじっとり重く冷たく湿った、いつもの布団ではない。文句を言う筋合いはないのだが、体がこの居心地の良い布団に馴染まず、目がぱっちり冴えて眠れない。第一、昼間、この館に来るまでの間に牛車の中で、ぐっすり眠りこけていた。

 香久夜は掛け布団を抱えて、壁際に移動した。壁に背をもたれさせて、掛け布団にくるまった。香久夜の経験上、眠っていても、すぐに逃げ出すことの出来る姿勢だった。

 部屋と外を隔てる障子から光が漏れて、床に障子の桟の陰を作っている。

「ちぇっ」

 香久夜は布団から頭を出して、舌打ちで不満を口にした。部屋を出て、この館を探検しようとしたのだが出来ない。

 屋外から差し込む淡い光は、床に桟の陰を作るばかりではなく、廊下に座り込む人物を、障子に影絵のように写しだしている。あの人影はスセリに違いない。香久夜がのこのこと出歩かないように眠りにつくまで見張っているのだろう。配慮の行き届く優しい女性だが自分が背負った責務には忠実だった。香久夜が部屋を出ようとすれば、ねちっこいお小言が待っているに違いないのである。ただ、舌打ちをしたものの、自分を気にかけてくれる人が居るという気分は悪くない。障子に映る女の影に新たな人影が現れた。物語が進展し始めるように、静止した影絵に動きが加わった。女の影が新しい登場人物を振り仰いで声をかけた。

「ショウジさま」

 スセリの呼びかけ通り、新たに加わった無口な子供の人影は、弟の照司だろう。

「不公平やわ!」

 香久夜は布団にくるまったまま、文句を言った。照司は出歩いても小言を聞かされることはない。ショウジはカグヤと違って、館の人に無断で外出したという前科はない。数日前からの家出は、お転婆なカグヤが素直なショウジを強引に連れ出したものだ。巫女たちから見れば、可愛いショウジ様に罪はないということか。ショウジの素直さは、カグヤよりずっと信頼されていた。

 香久夜は影絵を見ながら微笑んだ。同時に、不思議な感覚に捕らわれている。また、あの感覚だった。未知のはずの既知、矛盾する記憶が湧き上がってくる。

 『スエラギ様』という記憶である。この世界を作り出した存在で、彼女たちにとって神と呼んでも良いかもしれない。そうだ。自分たちは人々から『御言葉様みことばさま』と呼ばれる。カグヤとショウジはスエラギ様の言葉を人々に伝える役割を持った巫女と神官だった。

 香久夜は自分のおかれた状況にくすくすと笑った。この世界のカグヤになりきっている。たしかに、神に仕える巫女が、香久夜のように口が悪くてお転婆なら、人々はさぞかし苦労するだろう。

 この時に障子が開いた。

「ねえさま」

 そう言った照司の言葉を、香久夜は理解しかねた。元の世界で照司が今まで使ったことのない言葉だった。照司は寝所に入り込み、姉の着物の裾を引いて、外の夜空を指さした。

「ねえさま、あれ」

「気色悪い呼び方せんといて。いつも通り、お姉ちゃんって呼びや」

 香久夜は弟を叱りつけながら、弟が夜空を指さしているのに気付いた。

(変わった物がある)

 照司はそう言いたいらしい。照司が呼び寄せるのだから、合法的に部屋の外に出ることができる。香久夜はチャンスを見逃さずに廊下に出た。照司はもう一度、夜空を指さして念を押した。香久夜は空を見上げて息を呑んだ。星が数え切れないということを、香久夜と照司は、生まれて初めて実感している。屋外から射していた淡い光の正体だった。

(星の粒が違う)

 香久夜はそんな奇妙な表現で、この空を称した。香久夜が今までに見る夜空など、厚く澱んだ大気を貫くことが出来る輝きに限られていた。

 ここは、そうではない。柔らかな赤い輝き、突き刺すような青い輝き、小さな星も大きな星も、様々な個性を持っていた。そして、瞬きもせず同じ位置で輝いて存在を主張する。無数の星に個性があった。スセリは二人を安心させるように言った。

「懸念は無用でございますよ」

 神職という立場ではスセリは曙の巫女と呼ばれることがある。ショウジとカグヤに次ぐ地位にいる神官であり、カグヤとショウジの教育係と言ってもいい。祭礼をサボるカグヤの首根っこを、有無を言わせずひっ捕まえて神殿に引っ張ってゆく腕力は、カグヤは何回も経験済みだった。しかし、宵の巫女と呼ばれた同僚のカヤミを失ってから元気が無い。


 曙の巫女、宵の巫女、空に輝く星、金星のことか、そう考えるカグヤの頭の中では2つの世界の記憶が入り混じってしまっていた。素直な照司はどちらも苦にする様子は無い。カグヤはこのスセリという年配者を乳母としても教師としても敬いはしている。しかし、行き届いた配慮に多少の不満も抱えている。

(私たちは、人形ではない)と、思う。

 スエラギ様の意思を伝える事が出来なくなって、カグヤたちが背負う責務が無くなっている。存在価値を閉ざされていても、人々から大事に扱われる二人は人形のよう。時々、その不満が彼女に現実に触れる旅をさせる。家出という表現が近いかもしれない。

 夜空を見上げて心配は要らぬとスセリは言う。しかし、星々の輝きも、時折ぼんやりと霞むことがある。あの霞はウナサカから漏れ出した瘴気ではないか。香久夜はそんな疑問を口にすることなく心にしまいこんだ。今は、うかつに口にして人々を不安がらせてはいけない。

「マツリ、タマエ、サギリ、イセポ、ヤガミ、サヨリ」

 香久夜は大声に出したり、指さしたりする失礼なことは避けたが、ぽつりぽつり姿を表した巫女たちの顔を見ながら、左端から順番に、一人一人その名を間違えずに呟いた。名前に記憶があるだけではない。香久夜と照司の生活の世話をする巫女、マツリののほほんとした物腰や、タマエのおっちょこちょいな性格や、引っ込み思案なサギリ、香久夜と照司の祭司の助手を勤めるサギリ、無口だが表情豊かなイセポ、うっとりする表情で笛や笙の音を奏でるヤガミ、自然体で楽しげに神楽を踊るサヨリ、香久夜はそういう女たちの性格や癖まで覚えていた。

 気がつけば、香久夜と照司は月香殿げっかでんで彼女たちの世話を担当する巫女に囲まれている。なんとなく、女たちの意図を察することが出来る。この女たちは一種の偵察部隊だった。数日ぶりに見る照司と香久夜の姿を探ってこいと同僚たちに促されて、各部署の代表として、偶然を装って顔を見せている。巫女たちは、この館の中で隔離されたような環境で生活しているだけに、世間離れしたところがあってのんびりしている。

 彼女たちはカグヤとショウジを幼い頃から育ててくれた人々の代表だった。人々は大事なショウジとカグヤをおもんばかって、不安を口にはしていないが、その笑顔の中で、目だけは物事の結末を予見するように、夜空を見上げて不安気に瞬きをしていた。

 香久夜は自分でも良く分からない、唐突に一つの考えが湧いた。

【この人たちを救いたい】

 香久夜の思いを察知し、何故かそれを打ち消すように、スセリが声をかけた。

「さぁ」

 その言葉だけ。スセリが何を言いたいのか雰囲気で分かった。見るものを見たのだから、さっさと布団に戻りなさいという。優しいが妥協の無い目は、今は体を休めることが、貴女の責務ですとまで命じていた。

「そやけど」

 香久夜は眠くはないと主張したが、スセリは優しい笑みを浮かべたまま黙って答えず、香久夜を部屋に押し込んだ。スセリの意図はよく分かった。カグヤにこの星空を見せたくない。夜空にうっすらと邪悪な瘴気の影を見て取れば、再びアシカタに旅立つと言い出すだろうと危惧している。スセリは念入りに香久夜が布団に入るまで確認した。

「さあ、目をお閉じ下さい」

 スセリはカグヤの顎の辺りまで掛け布団を引き上げて彼女の体を温かな布団で覆った。

 ぽんっ、ぽんっ、ぽんっ。

 布団を伝って軽い振動が香久夜に伝わった。香久夜が目を開けて確認すると、スセリが香久夜の胸の上辺り、布団を軽く叩いてリズムを取っている。その柔らかな振動が香久夜の呼吸や鼓動と同調するようで落ち着く。きっと普通なら眠気をもよおしていただろう。しかし、香久夜は眠くは無い。牛車の中で過ぎるほど眠っていた。ぱっちりと目を開けている香久夜の頑固さに、スセリは苦笑した。

「それでは、カグヤさまのために物語などいたしましょうか」

 子供の枕元で童話を読み聞かせる口調である。香久夜は素直にうなづいた。布団から抜け出すことが許されない以上、このままでは退屈すぎる。

「むかし、むかし、カグヤさまとショウジさまがアシカタの野からお戻りになった後、長い眠りにおつきになりました」

【当然よ……】と、香久夜の心の中から湧き出す声がある。

 開放するのは簡単でも、スエラギ様が汚されないように大切に封印するのは生半なことではない。カグヤとショウジは全精力を使い果たして責任を全うした。その苦しさのイメージが、香久夜の心に広がった。スセリにはそんな声が聞こえないのか、淡々と語り続けた。

「その後、五十年、百年、平和な時が続きました。スエラギ様は、ぐっすりと眠りにつかれたようで、その声を感じる者もおりません。私たちは、これで終わった、あとはウナサカの樹海が全てを清めるのを待って、スエラギ様を包む封印を解くだけだと信じておりました。しかし、蓬莱島から流れ込む穢れた邪念は、とどまる事はありませんでした。

 カグヤさまをお守りする私たちが、最初に異変に気付いたのは、ウナサカの樹海に接する村々から生き物が消えるという知らせを受けたときでした。ウナサカの樹海から流れ出す瘴気が、何かの拍子に漏れ出し、その瘴気に含まれる邪念が生き物を侵すようでした。私たちを守ってきたウナサカの樹海は、なぜ、瘴気を清めることが出来なくなったのか。スエラギ様を包む封印はどうなったのか。どうしたら、瘴気を押しとどめることが出来るのか。私たちはウナサカに物見を出しました。

 一度めは、三十人の物見したが、ウナサカに入るという報告の後、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月、一人も戻りませんでした。まるで、樹海の中で融けてしまったようでした。

 二度目の物見は百人の人々でした。もはや大物見とも言えず、遠征というほどの規模でした。しかし、最初の物見で消えた人々を救うことも出来ず、ウナサカの樹海を抜けることも出来ず、やはり、一人も戻りませんでした。

 私たちは装束を改め、鎧兜を清め、三度目の遠征を致しました。宵の巫女カヤミ様の勇ましい戦装束は今でも語り草になっておりますよ。ただ、戦が旅の目的ではございません。御清めをした武具で邪念を払うのです。そして、カヤミ様と百の巫女と五百の衛士は、ウナサカの樹海へと向かいました。四ヵ月後、ウナサカの樹海を抜けて、その中心のアシカタの野にたどり着いたという報告どころか、ウナサカの樹海に入るという報告を最後に、カヤミ様の消息は途絶えました。

 ああっ、やはり今度も。

 ああっ、宵の巫女カヤミ様でも。

 私たちは失望を隠せませんでした。

 その時、突然の早馬が、カヤミ様生存の報を伝えてまいりました。カヤミ様が生きてウナサカから戻った。その報に私たちはわきあがりました。

 しかし、その喜びが大きかっただけに、その次の悲しみは喜びを上回りました。都に帰ってきたものは、カヤミ様の遺品と、亡くなる前にしたためられた文だけでした。ウナサカで傷つき瘴気に冒されたカヤミ様は、帰還を前に息をお引取りになられていたのです。文にしたためられていたのは、瘴気で穢れ、あやかしに変じた生き物の姿でした。時に、先の物見の人々が変じたものと思しきあやかしすら跳梁跋扈しているとの事でした。文の最後はウナサカは封じて入るなという言葉で締めくくられておりましたよ。

 よろしいですか?

 宵の巫女カヤミさまですら無理でした。カグヤ様とショウジ様がアシカタへ赴かれたときとは、状況は全く違うのです。私たちには、瘴気に満ちてあやかしのうろつくウナサカの野を越えることはできません」

(はぁ?)

 スセリの話に、香久夜はボケることも出来なければ、突っ込みどころもない。ウナサカの野を越えることはできません、それが物語の結末で、スセリらの変わることのない結論であるらしい。香久夜はこの物語を繰り返し聞かされた覚えがあった。

 宵の巫女カヤミの死と前後して、長い眠りについていたカグヤとショウジが再び覚めた。そのカグヤがウナサカを抜けてその中心のアシカタの野へ旅をすると主張する都度、この話を聞かされる。彼女が目覚めて数十年を経たという。

 とすると、

 カグヤという少女の歳は?

 若々しく見える巫女たちの本当の歳は?

 香久夜は都合の悪いことを考えるのは止めた。しかし、長い時を経ても、巫女たちはこの単調な話に飽きることは無いらしい。いつしか、照司と照司の御付の巫女がスセリの傍で物語りに聞き入っていた。

「どうしたらええのん?」と、香久夜は首を傾げた。

「それは、鳳輔にでも、お聞きなさいませ」

 おっちょこちょいなタマエとイセポが顔を見合わせて明るく笑った。そういう難しいことは、自分たちには分からないと返答を避けた様子が伺えた。

「『ほうほ』?」

 聞き返した照司も、賢者のフクロウとして名前を記憶している。ただ、過去数百年ほど、その姿を見た者がいない。人嫌いで姿を見せないと言う者や、伝説上の存在に過ぎないと言う者など、諸説がいろいろあって、本当にこの世にいるのかどうかも分からない。ただ、侍女たちが鳳輔の名を口にするときの笑い声の中には『物知りだが役立たずな実例』という揶揄がこもっていて、必ずしも尊敬される存在ではないらしい。

 香久夜は布団の中から自分を囲む人々を眺めて、スセリの語る物語を忘れた。心に少し現実的な不安が湧いた。

(この大人たちは、明日は、私たちを……)

 今夜と変わらず接してくれるのだろうかと思ったのである。

 ぽんっ、ほんっ、ぽんっ……

 スセリが掌で奏でるリズムで、香久夜を夢の世界にいざなった。


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