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龍の旅立ち

この物語は、異世界転生だけど、異世界転生ではないのです。現代を生きる私たちの心の中の世界。社会で虐待にあって心を閉ざした姉と弟が家族を再生していくお話し。二人がゆっくりと心を開いていく様子を見守ってやってくださいね。

 人々は、この世界、この星の半分を覆う広大な樹海をウナサカと呼んでいた。その樹海をこの星の赤道あたりでぐるりと囲む山岳地帯を越えれば人が住む世界という境界あたり、その龍の巣があった。この世界の万物を構成する精気が、ウナサカの中央ミウの丘から溢れ出す。それが山岳地帯の斜面に押しとどめられ、竜の巣は深く静かな精気の海の底のようだった。ただ、今は大気に混じる汚濁の気配が濃く、空気がどんよりと重い。その澱んだ気配が、どろりと流れることがある。

(何かあったの?)

 龍は半ば夢の中でそう問うた。しかし、どうせ好からぬことだ。彼女は再び眠りに付こうと試みた。三十七年間という眠りから目を覚ましたのは、この小さな龍の意志ではない。彼女の寿命から見れば、僅かにまどろむ時間に、居心地が良かった寝床の一部が凍り付くほど冷えていた。緩やかにとぐろを巻いた体に乗せていた頭を上げると、たてがみが冷気にたなびいて、彼女に音を思い起こさせた。

『きっしょう』

 懐かしく切ない音の響きだった。遥か昔、そう言う言葉で呼ばれた。

(きっしょう、吉祥、私の名)

 彼女は心に刻み込むようにそう呟いた。名前というものが、もはや意味を成さない。彼女はこの世界に残された最後の龍である。

「つまらない」

 彼女はそんな言葉を呟いて、自らの境遇を評した。しかし、伝えるべき相手のいない言葉は、虚しさと孤独を彼女に思い知らせただけだった。移ろいゆく四季の中で、年月を数えることは忘れてしまった。短く途切れがちに続く夢の中で、彼女は遠い昔を見ることがある。ただ、夢に現実味を補う経験が少なく、彼女の夢は、常に寸断された映像のようにまとまりが無い。大勢いたはずの仲間は、いつしか澱んだ大気に溶け込むように消えてしまった。もともと、この世界の精気を吸収して生きる聖獣で、その精気が穢れたために、生きるすべを失った。死と言う表現は適切ではない。この世界の一部が意思を持って龍と言う形を作り上げていた。その意思が薄れ、体はこの世界に溶け込むように薄れて融けた。仲間の消滅は世界の一部に戻ったということに過ぎず、悲しくは無い。しかし、寂しい。他の意思との関わりを持たないまま、愛することを覚える前に、彼女は一人ぼっちになってしまった。

 突然に不快な突風が吹き込んで、彼女のたてがみをなぶった。鋭い棘のある怒りが心に湧いた。

(うるさいっ)

 彼女は目を閉じたまま激しい電撃を放って、ちょっかいを出そうとしたあやかしを叩き落した。水や大気を操る聖獣だから、体は小さくとも、この程度の能力は持っている。彼女の十倍の大きさはあろうかというあやかしは、地面にたたき落とされて融けて消えた。翼を持つもの、四足のもの、二足歩行するもの、あやかしは様々な形を取る。

 しかし、あやかしの本質は外形ではない、このあやかしのように消えてしまうものは、澱んだ瘴気が邪念を持って形になった存在だった。比して、時に死体を残すあやかしは、森に住む生き物が瘴気に犯され変じたものだ。吉祥にとってはどちらでも良かった。彼女には関わりが無い。

《キキキ、キキキ、キキッ》

 巣の近くで響いた鼓膜を突くあやかしの叫びに、眠ろうと試みていた彼女は、不快感をあらわに再び目を開けた。

(うっとおしいっ)

 若く小さな体で成長を止めたおかげで、他の仲間が消えゆく中でも、大気中に残された薄い精気で生きてきた。しかし、どろりと粘るような邪気が増し、清浄な精気が薄れる中で、いつしか彼女も姿を消すことになるだろう。恐怖感は無い。しかし、それがいつになるかは分からない。

(最後は静かに終わりたい)

そういう思いが、彼女に旅立つ決心をさせた。彼女は体を伸ばして、ふわりと大気に乗った。充分に精気が摂取できなかったためか、彼女の体長は二メートルばかり。龍にしては小さすぎる細長い体は蛇にも見える。しかし、能力と感情はその小さな体に凝縮されて、彼女の性格は激しい。

 雲の高さまで上昇して地表を見下ろすと、この星の丸みとウナサカの樹海の広さを実感できた。彼女はそのウナサカの中央部に視線を転じた。枯れ果てた木々に覆われるという景色は長く変化がない。しかし、はるか昔、彼女は古老から聞いたことがある。

「空からはどんなに目をこらしても見えぬ。しかし、ウナサカ地を旅して結界を解いて入れば、その中央にアシカタの野という聖域があり、その中央のミウの丘には、この世界そのものであるスエラギ様の壮麗な神殿がある」と。

 今、本来は最も清浄であるはずの中心部から、どろりとした汚濁が黒雲となって渦巻き、邪悪な雰囲気が流れくるのを感じるのはどうしたことか。更に天の高みを眺めれば、その輪郭が陽の光に溶け込んではいるが、淡い青で彩られた星が見える。スエラギ様の姉なる世界だという。二つの世界が手を繋ぐように回廊があると言うが、目をこらしても見えない。ただこの世界を侵す瘴気は、あの美しい星から回廊を通じて流れ込んできているのかもしれない。

 彼女はその邪念に顔を背けた。遠ざかる聖域の下に広がるウナサカの地は、枯れた葉を落とし、枝ばかりになった樹木も枯れ、湖が濁って腐臭を放ち、そこに住む生き物も醜く変じて、邪悪が広がり荒れ狂う様子が見て取れる。ウナサカを囲む山岳がなければ、この邪悪な気配はとうの昔に人々が住む世界に流れ込んで犯していただろう。しかし、今は山の峰の辺りまで満ち、防波堤に打ち寄せる波しぶきのように、邪悪な気配が峰を越えてることがある。あふれ出す日も近いだろう。

(所詮、私には関係がない)

 吉祥は自分自身にそう言い聞かせた。

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