残暑2
埃っぽい道路に反射した太陽光がやけに目に刺さる。
風はなく、聞こえてくるのは乾いた地面を蹴る二人分の足音だけだった。
この年齢になれば人の死には何度も遇っている。
先刻の罹患者は死ぬにはまだ若かった。
知らない人間でもやはり悲しくて慣れる事はない。
駐車場が近くになく、しばらく日差しの中を歩かなければならなかった。
公用車の為路駐は控えている。
同行者が榛野ならば「お堅いですよ、森崎さん」などと言われているだろう。
顔を上げ深呼吸をする。
思い出した一欠片の日常が再びの決意を森崎に与えた。
古びた集合住宅の窓辺に硝子瓶に活けられた黄色い小さな花が目に留まる。
狭い道路には築五十年は軽く越えるであろう集合住宅が挟み建つ。
古色の趣はとうに過ぎ去り、ひびが走る薄汚れた外壁と錆びついた桟では流行の懐古趣味にも乗れない。
再開発の計画は何度か持ち上がっては消えているらしい。
十雪市に赴任して三年が経つがまだ知らない場所はある。
市の中心部から比較的近いこの地区へは初めて来た。
赴任後一年程は時間を作り方々へ足を向けたが、二年目を迎えてからは出張も増え余裕が無くなってしまっていた。
この地区の住人は他都市からの移住者が大半を占める。
短期間で去っていく者も多く、人の出入りが激しい場所だ。
「あなたまで出向く必要はありましたか?」
穏やかな口調でそう言う溝口はカメラの電源を入れようとしている。
森崎は運転席から身をよじり後部座席へ手を伸ばしカメラを取り上げた。
周りに人はいないとはいえ、先刻撮影した写真を公の場で堂々と開くなど溝口の無神経さに頭を抱えたくなる。
「いいえ、私は責任者ですので。一番に現状を把握しなければなりません」
「仕事熱心ですね」
「それほどでもありませんよ」
溝口は眼鏡を外しレンズを拭う。
「僕を警戒なさってる?」
「まさか。何を警戒するというのです?」
「私はもう在野の研究家、知り得た事もあなた以外に聞いてくれる人間もいません」
眼鏡をかけ直した顔は笑っているがレンズの向こうの目は冷えきっている。
「あなた専用の研究家ですよ」
「期待しております。これからもお力をお貸しください」
バッグミラーから視線を外すと森崎は車を発進させた。
「そういえば彼はいつ戻ってきますか?」
車は鏡台池を通り過ぎて工業区と居住区の境目へ入っていた。
この辺りは中小規模の工場の間に集合住宅や戸建ての家が混在する。
区画整理された市の中心部よりも雑然とした風景のせいか活気を感じる。
行き交う車両も社名の入ったトラックがよく目についた。
「彼、というと?」
思いついたのは九鳩市に派遣されている高岡椿という青年だ。
森崎が高岡かと問いかける前に溝口が口を開いた。
「今年新しく入った子ですよ。今は管理棟で研修中の」
「ああ、遠野君ですか」
意外な人物に少し驚く。
「こちらへはいつ戻ってきますか?」
「研修は十月で終わりますが、もしかするとそのまま管理棟へいてもらうかもしれません」
信号が赤に変わった。
信号機の向こうの空は雲の層が厚い。
(予報は晴れのはずだったけれど)
「財団との繋ぎ役ですか?」
「そうですね」
詳しく状況を話した覚えはなく、溝口の察しの良さに内心で戸惑う。
(遠野君の今後を知られて困りはしないけれど)
向こうの空の雲は厚みと移動速度を増していく。
「一雨来ますかな」
「ええ、そのようです」
信号が青に切り替わる。
「早く彼に感想を聞きたかったなあ」
アクセルをゆっくり踏み込んだ直後だった。
目の前を一台の車両が猛烈な速度で横切った。
咄嗟に踏みつけたブレーキで体が前のめりになる。
辺り一帯はクラクションの嵐になっていた。
中にはドアを開けて車両が走り去った方向へ怒鳴っている者もいる。
幸いにも事故は起こらなかったようだ。
「大丈夫でしたか?」
振り返ると溝口が額を押さえている。
「軽くぶつけた程度です」
周囲をもう一度確認し車を発進させた。
ほう、と溜め息をつくと強ばっていた体から余分な力が抜けた。
気分を変えようとラジオのスイッチをいれた。
交通情報が丁度終わり電力都市公社のコマーシャルが流れ出す。
ボクタチガツクッタデンキハトオイマチモテラシテイルンダヨ
前方右側に旧世代の遺跡で名所として名高い時計塔が見えてきた。
鳥の子色の巨大な時計塔は雲の隙間から射し込んだ光に照らされて薄暗い周囲から浮き上がっていた。
この時計塔はいつ建てられたのか未だに不明だ。
時計塔だけではない、旧世代のほぼ全てが謎なのだ。
(たった百二十年程前でしかないのに、私達は何一つとして満足に知る事ができない)
ラジオは天気予報を伝え始めた。
時雨坂は夜半から雨が降るらしい。
こんな拙い文章でも読んで下さりありがとうございます。
次も読んで頂ける事を願ってやみません。




