残暑
題名変更しました
その女は初めて会った時から全く変わっていないように見えた。
年齢が判りづらい外見も妙にどっしり落ち着いた雰囲気も十年前と同じだ。
よくよく見れば美しい顔立ちだが、浮世離れした佇まいのせいで気づかれにくい。
(女はというか、人間として生々しくない)
かといって人形めいているわけでもなく、内側から滲み出す生命力の輝きがある。
きらびやかな老舗高級店のショウケースの前で宝石を選んでいても、ひと気の無い商店街の閉ざされた軒先で雨宿りしていても、他のどのような場所であってもするりと違和感なく溶け込んでしまいそうだと再び同じ印象を抱く。
こう特徴をつらつら挙げていくとちぐはぐな女だが、その目に宿る高い知性と物腰の柔らかさにいつしか心を許してしまう。
どのような過程を経てこの女が出来上がったのか知りたいところだ。
部屋の中の死者に追悼の祈りを捧げる女に石原は話しかけた。
「ここで待つ。何かあれば声をかけてくれ」
石原が対応所への連絡役に任命されたのは、副所長の森崎を知っていたからだ。
二三度会ったきりだが、携帯端末にはまだ連絡先が残っていた。
てっきり医師や搬送用の車輌を引き連れてやって来るものだとばかり思っていたが、現れたのは森崎と老人といってもいいような年齢の男だった。
石原は「え、二人だけ?」と驚きの声をあげてしまった。
「いやいや。後で病棟の人を呼びますから」
やや固い表情でそう答える森崎の後ろからひょっこり男が顔を出した。
「対応所の職員をしています、溝口と申します」と名乗った痩せて小柄な男に長年培った勘が極小さな注意信号を発した。
温厚な笑顔を浮かべる溝口に何故信号が発した理由が気にはなるものの、先に歩いて行ってしまった森崎を慌てて追いかけた。
古びたビルに短期賃貸物件が入っている。
聞えはいいが本来住居用ではなかったところを急拵えで仕切りを設け区切っただけものである。
その狭い一室で死体が見つかった。
石原が近くで起こった別の事件を捜査中に偶然発見した。
が、この死体に関する捜査は行われていない。
状況からすぐさま対応所へ案件を引き渡すよう指示が下ったからだ。
正規の手続きを踏まずに仕事を求めて都市へ入る人間はここ数年で増加傾向がある。
この地区はいつの間にかそういった人々が集まるようになった。
死体の男もそのうちの一人だったらしい。
調べていないので男の本名も出身地も不明だ。
現場へ案内し書類を渡せば終わりのはずだった。
軽く説明をして手渡した書類は何故か「後で医師が受け取りますので」と返されてしまった。
治安が良いとはいえないが、すぐに暴漢に襲われるようなところでもない。
溝口にでも無理矢理書類を押し付けて帰ってしまおうかと考えたが、(医者が来るまでだ)待つ事にした。
いくら肝が据わった女でもあの細腕ではチンピラに絡まれでもしたらどうしようもないだろう。
煙草の火を点けようと燐寸を擦るが掠れた音がなるばかりで終いには折れてしまった。
どうもうまく手に力が入らない。
震えてはいない、手を握って開くを何度か繰り返す。
過去に凄惨な現場に遭遇して来なかったわけではないが、これは全く別物だ。
一度はくわえた煙草を諦めて箱に戻した。
(大丈夫なのだろうか)
ふと心配になり部屋を窺った。
二人が交わす冷静な声とカメラのシャッター音が聞こえる。
感心と呆れが入り交じった感情が湧く。
(馴れるものなのかね)
狭い室内で森崎と溝口に検分されている男の死因は病死、水晶病罹患者だった。
四肢の末端から始まった結晶化は全身に及び、それに止まらず体から突き出た結晶が室内を侵食していた。
染みの浮き出た壁に這う結晶は今にも自分に降りかかってきそうで、正直気持ちが悪かった。
末期の状態など知識として知っていただけで実物を見るのは初めてだ。
男は苦しまずに死んだらしい。
結晶に覆われなかった顔の半分は安らぎに満ちていた。
医師は未だ来ない。
水晶病は伝染性はない。
頭では理解しているつもりでも、早く去りたい気持ちはどうも消えない。
正規の市民である自分は大丈夫だと言い聞かせ、部屋の外で辛抱強く待つ。
薄暗い通路は蒸し暑い。
窓はあるが隣のビルの壁がすぐ近くに迫り、日差しも無い代わりに風も入ってこない。
残暑は今週いっぱい続くらしい。
物音がして二人が部屋から出てきた。
森崎は僅かに目に涙を浮かべている。
(赤の他人だろ?どうしてそれほど)
視線を隣に移すと溝口がカメラを手にうっすら笑っている。
(何なんだ)
「それでは私たちは失礼致します」
森崎が丁寧にお辞儀をして立ち去ろうとする。
「ちょっと、ちょっと待って下さい!」
「はい、何か?」
目元をハンカチで押さえながら森崎が振り返る。
「いや、これで終わりですか?遺体はどうするんです?」
「お伝え忘れていました、すみません。あと三十分程で、医師たちが到着するでしょう。ご遺体も、部屋に遺された物も、全て収容されるかと思います。あ、部屋の施錠はされますか?」
「いや。気味が悪くて誰も入らないだろう」
「そうですか」
森崎の伏せた眼差しによりいっそう影が落ちた。
「それでは、ご連絡ありがとうございました」
再び頭を下げたので「あ、ご苦労様でした」石原も釣られて頭を下げた。
顔を上げた時にはもう二人は階段を下りようとしてた。
書類を手に持ったまま石原は一人残された。
引き留めようとした手は虚しく宙を掻いた。
「あと三十分って」
呆然と呟いた声は通路に消えた。
新しいお話を始めました。
次も読んで下さる方がいてもらえるよう、頑張ります。
これから世界観を出せたらなと思います。




