『逃げる鬼』
トクサツ神奈川支部のビルは横浜市中区の関内駅付近にあった。
淳一は奪ったハイエースで首都高速を第三京浜方面へ走りながら、車載のワンセグテレビで大量無差別殺人鬼『黒木淳一』に関するニュースを見ていた。
情報番組によれば、『黒木淳一』は事件直後、川崎市宮前区の路地で"自殺"していたところを警察が発見、死体を回収したそうだ。
トクサツによる偽装工作であることは考えるまでもない。
淳一は苦笑した。
(それを踏まえると、死体袋に入り込んで逃げたのは、トクサツにとっては皮肉だな)
"殺人鬼"に関することは一般的には知られていない。淳一が知らなかったように、情報は伏せられているのだろう。人種や人権など、問題は様々だろうが、今の淳一にはそれはどうでもいいことだ。
(でも、だとすると、『黒木淳一(俺)』が本当は生きてるってことを知ってるのは"殺人鬼"の存在を知ってる人…、庵野さんの話なら、警察のごく一部とトクサツだけ……。しかも、その中でも俺が逃げ出したことを知ってる人数も限られるはず。"殺人鬼"が一人逃げたってのに警戒がユル過ぎだったのが、その証拠だ。まぁ、組織内部の混乱を避けるためには情報の共有範囲は狭い方がいいんだろうな)
淳一はルームミラーをチラリと見た。
(ってことは自然と俺を追って来る人も限られてくる)
淳一の逃走を知っているであろう人物……、銀閣、永田、金島、尾川、死体運搬係の三人、車内で待機していたもう一人、警備員、加室、……庵野、フレッド、千羽にも、おそらく伝わっているだろうと考えた方がいい。
その中でさらに、淳一を追って来る実働部隊となるであろう人物……、運搬係達と警備員は除外、戦力外を自ら語る尾川も同じく除外、庵野もたぶん除外、となれば銀閣、永田、金島、加室、フレッド、そして千羽、その六人に絞られる。
(その六人に絞られた上で、なおかつ六人は行動も制限されるはず、あんま大っぴらに動ける訳がない、世間に存在が知れちゃいけない奴を探してんだからな)
仮に淳一が派手に動けば、トクサツは至極少人数でもって、それに対するカバーもしなくてはならない。必然的にトクサツは淳一に対して遅れを取ることとなる。
すなわち、この逃走劇は、トクサツ神奈川支部から脱出した時点で淳一が圧倒的優位にある、ということだ。
何はともあれ、急がねばならない。
淳一の思考力はいたって冷静だったが、それでも気が気でなかった。
目的がハルであるということは尾川に看破された。となればトクサツもハルを目指して来るはず。淳一は何としてでもトクサツより先にハルと会わねばならない。
尾川は淳一が気付いた"ハルに関するある事実"を知らない。ハルと接触を図る理由が、それに起因するということもだ。
絶対にトクサツには知られてはいけない"事実"……。なお、淳一はその"事実"を、あくまで"可能性"と自身の脳内では表現していた。
"家族の死"と同様に、それが"事実"であるとわかっていても、認めたくなかったのだ。何かの間違いかもしれないと、あまりに弱すぎる希望を抱いていた。
確認をしなければ"可能性"のままで終わる。しかし"事実"であった場合(限りなく"事実"だが)、ハルを放ってはおけない。野放しにするのはあまりに危険。トクサツに知れても未来は無い。
そう、淳一が気付いてしまったのは『白沢ハルが"殺人鬼"であるという』"可能性(事実)"だ。
だが、同時に確認すること自体も重大な危険を孕んでいる。
ハルが"殺人鬼"であれば、淳一はハルに対しての殺人衝動に駈られるだろう。昨日の面通し実験で見た"殺人鬼"達には、さほど感じなかった、その衝動は、一晩明けた今日、しかもガラス越しではなく直接対面した時、どれほど強く発現されるのか…。また、無事ハルに確認を取り、ハルが"殺人鬼"であるとわかったら、それでどうするのか…。
雑念を振り払うように淳一はアクセルを踏み込んだ。
「黒木の行き先はわかってるのか?その…ハルとか言う女の居場所は」
永田の急かすような言葉に、尾川は苛立った様子でタブレット端末の画面を指差した。
「だから、俺もそのハルって娘について詳しく知らないんすよ。行き先はわかんないすけど、現在地はここですって」
画面にはマップが表示されており、赤いカーソルが第三京浜の上をなぞるように動いている。尾川ら追跡グループは淳一の乗るハイエースに搭載されたGPSにより、車両の位置情報を知ることができる。
「この赤いのが黒木か。それで、行き先は?」
「だからぁ…!」
フレッドの運転する黒のヴェルファイアには、助手席に千羽、後部座席に尾川と永田が乗っている。
「糞"殺人鬼"が…!ぶっ殺してやる…!絶対に許さねぇ…!」
千羽は爪を噛みながら、一際鋭い眼光でカーナビを睨んでいる。カーナビには自分達の位置を現す青いカーソルとは別に、尾川のタブレットと同じ赤いカーソルが表示されている。
「チバちゃん、ダッシュボードに足乗っけちゃダメだぜ」
フレッドが困ったように指摘すると、千羽は、その鋭い眼光を一瞬フレッドに向けた。
「オマリーさんの車じゃないでしょ?」
「俺の車じゃないからダメなんだって…」
フレッドはやはり困ったように溜め息を吐いた。
「ってか、クロキを逃がしちまうなんてナガタらしくねぇな。ギンカクさんとカナシマちゃんもいたんだろ?」
そのフレッドの問に対し、永田は唸るような溜め息を吐きながら腕を組んだ。
「……失態だった。『黒木淳一』という男を見誤っていた。そもそも逃げると思っていなかった。逃げられるはずは無かったし、逃げる理由も無いだろうと…」
「逃げましたよ」
永田の言葉を遮り、千羽が突き刺すように呟いた。
その言葉を合図とばかりに車内は沈黙に包まれた。
「ん?」
沈黙を破ったのは尾川だった。
口元と眉間を歪め、タブレットを睨んでいる。
「どうした?尾川」
「いえね、赤いカーソルが止まったんすよ」
尾川が、そう言ったのを聞き、フレッドはカーナビに目をやった。
「高速で停まってんのか?クロキは何してんだ?」
「ガス欠か何かか?尾川、わかるか?」
「知らないっすよ、いちいち俺に聞かれてもわかんないっすよ」
「とにかく、1㎞先にクロキが盗んだ車が停まってんのは確かだろ。高速道路じゃ逃げ場も無いしな」
「第4モルグも逃げ場なんて無かった、でも逃げましたよ」
千羽の言葉で、またしても車内に沈黙が訪れた。
「あ!あれ!」
数十秒間の沈黙の後、フレッドが前方を指差し、声を上げた。
見ると、目の前の路側帯にハザードを焚いた状態で白のハイエースが停車していた。
ヴェルファイアを真後ろに着けると、直ぐ様、千羽が飛び出した。
慌ててフレッドと永田が後を追おうとすると、尾川が永田のスーツの裾を掴んだ。
「待った、永田さん!俺一人にされたら、モルグの二の舞だ!」
その言葉に永田は、淳一がハイエースの車外に潜んでいて、ヴェルファイアを奪いに来るかも知れない、という可能性を考え、車内にとどまった。
程無く千羽とフレッドは渋い表情でヴェルファイアへと戻って来た。
「もぬけの殻だ、いなかった」
フレッドが運転席に乗り、そう呟くと、千羽も助手席に乗り込みなから苦々しげに吐き捨てる。
「他の車に乗り移ったのかも知れない」
「高速を走る車にか?最低でも時速70、80㎞は出てるだろう車に乗り移るのか?」
直ぐ様、永田が突っかかる。
「あり得なくはないだろ。ビルからビルへ飛び移る奴を見たことあるぜ。大型バイクを振り回す奴にも会ったことある。なんなら、時速80㎞の車に飛び乗るなんて、まだ現実味がある方だと思うね」
ルームミラーで永田の顔を確認しながらフレッドが異論を唱えた。
「だが、なぜ車を乗り捨てる必要が…?」
「GPSに気付いたからでしょ?少し考えりゃわかることですよ」
永田の疑問を遮るように千羽が吐き捨てた。
「まぁ、でも、黒木はとっくに高速降りてますね」
その一言を聞き、他の三人は一斉に尾川に注目した。
尾川は永田、フレッド、千羽の全員にわかるよう、タブレットを見せた。
先ほどまでのものとは違うマップが開かれており、今度はマップ上に青いカーソルと緑のカーソルが表情されている。
「これが俺達」
尾川は青いカーソルを指差した。
「で、これ黒木」
尾川は緑のカーソルを指差した。
「尾川、これはなんだ?」
永田が尋ねると、尾川は自慢げに語り出す。
「黒木のケータイに最新鋭の発信器仕込んだんすよ!5㎜四方の超小型、厚さ0.3㎜の超薄型!バッテリーのカバーの裏に張っ付けといたんすよね!GPS情報を同期さすのに時間食ったけど、これで黒木がケータイを手離さない限り追えますよ!」
「そんな物があるなら始めから出せよな」
「だって、最初に教えてたら、GPSいつ使えるんだって急かすでしょ?永田さんとか」
フレッドが呆れたように笑うと尾川は拗ねたように反論した。
「…それで、黒木は今どこにいる?」
永田が尋ねると尾川は神妙な顔つきでタブレットを睨んだ。
「この下の通りにいますね」
車が停まっているのは第三京浜の県道102号線の真上だった。
「102号線を横浜国際プール方面に向かってますよ」
永田の表情が歪んだ。
「次の降り口まで8㎞以上あるぞ。仮に他の車に飛び乗り、そこで降りたとしてもここに戻るまでに徒歩では一時間はかかるし、そもそも車でも早くて7,8分はかかるはずだ。黒木の乗っていた車が停まってから、俺達が追い付くまで3分も無かったぞ?」
「じゃあ、こっから降りたんじゃないですか?」
千羽が苦々しげに呟くと、他の三人は一斉に千羽に注目した。それを受け、千羽は先ほどの言葉に捕捉を付け加えた。
「この高速から身一つで自力で降りたんじゃないですか?」
三人は千羽を凝視したまま押し黙っている。千羽は少し苛立った様子で説明する。
「成人した"オス"の"殺人鬼"は平均握力115㎏、人間の5倍近い体力、加えてあのカス野郎は猿みてぇに手足が長いです。時速80㎞の車に飛び乗ったり、往復16㎞を3分で戻って来るよりは、橋脚を伝って降りてったっていう方が、ずっと考えられます」
三人の内、フレッドが沈黙を破った。
「で、どうやって追う?」
「とにかく、次の出口ですぐ高速降りて、さっさとUターンして戻って来いってことですよ!」
千羽が苛立ちを露にダッシュボードを殴り付けると、フレッドはすぐ様ハンドルを切りアクセルを踏み込んだ。




