クトゥルフ都市伝説 ムラサキババア編
都市伝説とクトゥルフ神話。
これは、私が子供の頃に駄菓子屋の婆さんから聞いた話だ。
そこはまあ随分と古ぼけた店で、レジも無かった。
年代物の錆びたクッキー缶が小銭入れ。万札お断りの張り紙。
二階へ上がる梯子かと思うような急な階段が、婆さんの椅子代わりだった。
一応は駄菓子屋だったんだが、他にもちょっとした生活品なんかも売っていた。駄菓子屋兼雑貨店と言う感じだろうか。
トイレットペーパーとか、剃刀とか、裁縫道具とか。
別に商品が分けられている訳でも無いので、小さくてカラフルな石鹸を駄菓子と間違えた奴も居た。あの時は大変だった。紙のようなガムの横に、同じような包装の剃刀の替刃が置いてあったりもした。
婆さんはいつも色褪せた紫の着物に割烹着を着ていたから、そこに通う子供連中は「紫婆さん」と呼んでいた。
駄菓子屋に居たがそこが実家だったわけではなく、離れた土地から夫婦でやって来て、店を開いたのだそうだ。もっとも、私たちは婆さん以外の家族を見た事が無かった。
そんな婆さんは、子供が集まっていると誰が求める事もなく突然怖い話を始めると言う趣味があった。
誰しも一度や二度、驚かされていた。
しかも、同じ話を聞いた事がないと言う噂もあった。
百人の犠牲者が集まれば、被る事無く百個の怪談が並ぶと言われていたほどだ。
実際に林間学校の夜に三十人くらい集めて婆さんから聞いた怪談を語る大会をやったのだが、本当に同じ話がなかった。
それで、面白がった誰かが婆さんの話を纏めようと言って『紫婆の怖い話』と言う文集を作って学校の図書館に置いた。
後で聞いた話だが、そいつは何故か何度も版を上げて、最近ついにハードカバー新書版が置かれたそうだ。
さて。これから話すのは、私が提供した、紫婆さんの怖い話だった。
*
婆さんは戦中に生まれ、戦後すぐに学校に上がった。
戦争中の空襲で元からあった校舎も焼けてしまったが、婆さんが小学校に上がる頃にちょうど新しく建てられたらしい。
とは言っても、問題は多かった。
空襲で焼け野原になった土地は、そこに何があったかも、地主もはっきりしない状態だった。調べたくとも土地台帳も焼けてしまったし、何より人も死んでいる。
そこで、持ち主不在の土地を取り合えず一括確保して、公用地にしたらしい。
それだけでも十分力技だが、さらに建てられた校舎がまた凄かった。
まあ有り合わせの材料を使って突貫工事で建てられたのだから、板張りで隙間だらけのほったて小屋も良いところだったそうだ。
それでも何百人かの児童がその校舎に通ったらしい。校庭も広くて、空襲警報に怯えず駆け回れるのが嬉しかったそうだ。
しかし、そんなある日の事だった。
婆さんは世にも恐ろしい体験をした。
夜中に忘れ物に気づいた婆さんは、少し悩んだが学校に入り込んで取りに行ったそうだ。その夜は満月で、明るかった事も決意を援護したんだな。家を抜け出すくらいは、婆さんは得意技だったらしい。お転婆だったと笑っていた。
それで、首尾良く教室にあった忘れ物を回収した婆さんは、ふと便所に寄ろうかと考えた。
まあ夜中だし催しちまったわけだな。
家までは保たないし、今みたいにコンビニがあちこちにあるわけじゃない。
戦後の話だから道端で、と言う事もあっただろうが、婆さんは便所で済ませられるなら、と思ったんだろうな。
しかも。今はそう言う制度も無くなったが、学校には宿直員と言うシステムがあった。
要は警備員だな。宿直室、何て場所もあった。今でも古い学校には、寝具が置かれた小さな部屋があるんじゃないか?
学校には色々物がある。しかも夜中には人が居ない。
泥棒が目を付けて当然だった。
最近でも学校に泥棒が入るのは珍しい話でもない。女子の着替えを盗んだり、吹奏楽部の楽器を盗んだ、なんて話も聞いたな。
もちろん婆さんの学校にも宿直員が置かれていた。
目立てないから明かりは使えない。
しかも女だからどちらにしても暗い個室に入らなきゃならん。
婆さんはさっさと済まそうと思って便所に入ろうとした。
幸い、月が明るいから、差し込んでいる光で暗くはなかった。
ところがだ。
個室に入ってさあ、と言ったところで、気配がした。
誰かが便所の前にやって来たんだ。
土壁と板張りだから、すぐに分かったらしい。
驚いた婆さんは思わず個室の戸を閉めて隠れた。
ほどなくしてそいつらは中に入ってきた。
途端、変な臭いがしたそうだ。
あばら屋同然の学校の便所だし、そもそも戦後だから当然汲み取り式。臭いはあって当たり前なんだが、そいつは質の違う臭いだったそうだ。
それで婆さんはすぐに気づいた。
戦中の生まれだから、それを覚えていたらしい。
死肉の腐敗した臭いって奴をだ。
空襲を受けて、死体も、腐った人間の亡骸も覚えがあったそうだ。
便所の個室って言っても壁は板張りだし上はがら空きだ。しかもかき集めた安い板は節穴が随分と空いている。
婆さんはその一つから便所の中を見た。
そして。
思わず声を上げそうになったのを何とか堪えた。
月明かりが差し込む中で、はっきりと見てしまった。
そこに居たのは、まるで猿のような、犬のような、しかし毛は無く、どす黒い紫色の肌をした二頭の獣だった。
そいつらは四つん這いのくせに器用に前足を使って物をつかんで、手に持ったその何かを齧り食べていたんだ。
そして、不意にその獣の片方が婆さんが隠れている便所の戸に向かって、持っていたそいつを突き出した。
「おまえも食べるか?」
それは、腐りかけた女の脚だった。
*
そこで婆さんは気を失ったそうだ。
汲み取り式の便壷に落っこちなかったのが奇跡だったと笑っていた。
朝に発見された婆さんだったが、数日の間目が覚めずうなされて起き上がれなかったらしい。
ようやく気を取り戻したのが三日後だったそうだ。
案の定と言うか、婆さんが見たモノを人に話しても、誰も信じなかったそうだ。
それで、婆さんは後で調べたらしい。
自分が見たモノが何なのか、婆さんはどうしても気になったんだそうだ。
そして、調べた結果。奇妙な話が出て来た。
学校が建っていたその辺りはどうも戦中に共同墓地だったらしいんだな。
後の話だが、この校舎は数年で建て替えられる事になり、基礎を築こうと地面を掘ったら、まあ出るわ出るわ。
人骨の山盛りだ。
地主がはっきりしなかったのも、共同で使っていたからだ。
そして、当時その一帯では土葬だった。と言うより戦争中で火葬するのが大変だったんだ。
よく有る学校の怪談で、「建てられる前は墓地だった」と言う物があるが、普通は有り得ない。墓地ってのは寺や教会、あるいは自治体が管理するから、早々他の用途に土地が流用されるなんて無いんだ。
ところが婆さんの学校は、何の偶然か本当に墓地の上に学校を建ててしまった訳だな。
戦時中では、そこに奇妙な噂があったらしい。
夜中に死体を埋める者が居たり、逆に掘り返している者が居たり。
近場に住んでいた者は、夜中には絶対に近寄らなかったそうだ。
さて、婆さんはこうも言っていた。
人の亡骸を喰らう怪物だが今は火葬してしまうから喰う物が無い。
じゃあそいつらは一体、何処に行ってしまったんだろうねえ?
トンネルや地下の薄暗い場所で、皆を見ているかもしれないよ、と。
ところで。
婆さんはある日突然、何処かに消えてしまった。
亡くなった訳では無く、周囲の大人に聞いても誰も知らないと言っていた。
最近になって思うんだが。婆さんはきっと、向こう側への橋を渡ったに違いないと思う。
ムラサキババアの事を調べていたら、どうも食屍鬼じゃね?と思ってしまった。