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五月三日(水・1)。しあわせ一家の、向こう側。

 ◆◇◆◇◆



 結局。本を読むためにと屋上へ出て来たはずの俺と詩乃梨さんだったが、当初読破するはずだった方の本については表紙を眺めるのみで終わっちったい。




 なぜそういう結果になったかというと、俺がご提案申し上げた今後の方針に――のみならず、その後のぽろっとお漏らししちゃった愛の告白に――小さいながらもしっかりとお返事をくれた詩乃梨さんが、一転、そのお返事を無かったものどころか亡き者にしようとするかのような勢いでペット雑誌の方に食らいついてきちゃったからだ。

 荒ぶる雷龍さんの羞恥に満ちたいっぱいいっぱいの瞳に急かされて、「はいはい」と苦笑いでページをめくっていってあげれば、傍らから返ってくるのは「わー、かわいー!」「わー、すごーい!」「わー、………………えっと、わー!」等の超絶棒読みコメント&わざとらしいおーばーりあくしょん。眼光のみならず握力と爪まで使ってせがんできておきながら、雑誌の内容なんかまるで頭に入ってないのが完全に丸わかりな彼女のこの態度。けれど俺は指摘も文句も口にすることなく、苦笑いから苦みを抜いて砂糖加えたようなでれっでれのスマイルに口元を侵略され続けながら、ぺらり、ぺらりとページをめくり続けた。


 そんな感じで二周三周と読み返し続けているうちに、灼熱の雷龍さんのお心もちょっとず~つ鎮まって来てくれたようで。やがて四週目を読破し終える頃には、俺の二の腕を拿捕していた爪がようやく抜き去られ、ついでになぜか身まですすすっと離していきながら、詩乃梨さんは微熱の残る咳払いをひとつ。決して俺と目線を合わせないようにしながら、寝間着の乱れを手早くぱっぱっと直した彼女は、お膝の分厚いご本を両腕で抱き締めてベンチからぴょこんと飛び降りる。


 彼女の瞳が見つめる先には、早朝から朝へと移ろいゆく、見慣れた街並みが広がっていた。


 俺と彼女の暮らす街。俺と彼女が、この場所から幾度となく目にしてきた光景。俺と彼女が、これまでに生き、これからを生きていく世界。それを今一度瞳に映して、彼女は何事かを考えているようでありながら、その実特に何も考えずにただ気持ちを落ち着けているようでもある。


 俺もまた、目覚めゆく街並みと、そして彼女の横顔をなんとなく眺めながら、しばしの時を過ごす。


 ――やがて。どちらともなくフッと息を漏らしたのを合図として、俺は雑誌と空き缶二本を回収しながら立ち上がり、詩乃梨さんはケモミミフードを目深に被ってくるりと身を翻した。


 そのまま出入り口へと足を向けた俺達だったが、先行していた詩乃梨さんがふと動きを止め、フードを人差し指でついっと押し上げて、横目に俺を見てきながら一言。



「おはよ、こたろー」


 

 それは、極々ありふれた朝の挨拶。口にした彼女の声音はどこまでも自然で、けれどなぜか、俺を見つめる瞳にはいたずらっぽい光がちろりと灯っていた。


 さて、詩乃梨さんのこの小悪魔な微笑みの意味は何なのかな、なんてぼんやりと考えながら。俺は意味も無くぷふっと吹き出し、わけもなく愉快な気持ちになりながら笑顔で応えた。


「うん。おはよう、詩乃梨さん」


「ん、おはよう」


 詩乃梨さん、再度の挨拶と大仰な首肯。何かイタズラ来るかと思ったけど、今のやりとりでもう気は済んでしまったらしく、満足げな鼻息と微笑みを最後に詩乃梨さんは前を向く。


 けれど、俺が未練がましく「あ」と声を出してしまい、詩乃梨さんは再びこちらへ振り向いて不思議そうなお顔。


「なに?」


「あ、いや、ごめん、何でもない。……いや、何でもないってわけじゃないけど、……………、あ、そだ。ちょっとだけ、前向いててくれる?」


「……? うん」


 詩乃梨さんはとても素直に頷いて、何の疑いも無く俺の言葉に従ってくれた。俺の眼前へ無防備に差し出された小さくて無防備な背中が、かわいくてぷりっぷりで食べ頃のお尻が、俺への絶大なる信頼と無条件の親愛を物語っている。


 そして、本を抱き締める彼女のほそやかな腕に籠もりゆく力と、徐々に俯きゆくケモミミ頭が、彼女の中で膨れあがってゆく『期待』の二文字を体現している。あ、これさっさと行動しないとハードル上がっちゃうやつだ、早よやっちゃおっと。


 ……あ、あの、ハードルと言えば、今日もまた俺はしのりんに愛の告白してOKを頂いちゃったわけなのですが、これってイコールでお付き合いのお申し込みにOKをもらって『彼と彼女』ではなく『彼氏彼女』へとついにクラスチェンジを果たしたということになったりは――あ、はい、しませんよねうんわかってる。じゃあ俺と詩乃梨さんの関係は未だに恋人以上の赤の他人という激しく謎な公式設定のままなわけだけれど、ヤりたくてたまらないのでやっちゃおっと。ヤると言ってえっちな何某じゃありませんよええ、わたくしにア○カン願望などありませんゆえね、それはアカンよ流石にちょっと。でもしのりんにはちょっとその気が有るっぽいのでその場合はアウトをしれっとセーフにする所存です。まあそれはさて置け。

 ……………………で、今からやるのは、え、えっちな何某ってーわけではないと思うんだけど、でも、こういうのは起き抜けで頭回ってないうちに本能のまま自然にさら~っとやっちゃうからできるんであって、こうして改まってやるとなると、結構気合と根性が要るもんだなぁ……。どうしよ、今からでも『ほっぺに人差し指でつっかえ棒』へと方向転換してお茶濁す? いやそれ無理でしょ、だってしのりんってばどきどきわくわくが極まりすぎちゃってそわそわふらふらし始めちゃってるもの、これは下手なことすると完全なる期待外れでがっかり通り越してしょんぼりされちゃう――


「こたろー、はやく。……そろそろ、かやとさくや、起きるから。ごはん、たこ焼き、はやく、はやくっ、はりー、はりー、べりーはりー!」


 加速度的に激しさを増してゆく期待の炎に灼かれて、とうとう我慢も辛抱溜まらなくなってしまったらしく、詩乃梨さんが小さく飛び跳ねながらめっちゃ急かしてくる。クマっぽいケモミミを生やしていながら行動はウサギさんな雷龍さんである。いいかげんネタ盛りすぎで収拾つかなくなってきた感がより濃厚になってきたけど、今はそれより収拾つかなくなりそうな事態の回避を優先いたしましょうぞ。


 俺は、雑誌と缶をベンチへ一旦置き、飛び跳ねる詩乃梨さんの華奢な肩へそっと手を置いた。それで詩乃梨さんがまた盛大にびっくんと跳ねちゃったけれど、それを最後に彼女の動きは完全停止。ややもすると心臓の拍動すら停止したのかと勘違いしかねないほどにかっちんこっちんになってしまった詩乃梨さんの、ケモミミフードに隠されたほっぺた目がけて、鼻先使って進路を開きながらぐいぐいと顔を寄せていく。


 我が狙うは、ほっぺにキス。俺と詩乃梨さんの『朝の習慣』よりワンランク下になってしまうけど、でもこれならきっとがっかりもしょんぼりもされないはず! たぶん! もしされちゃったらその時はアカンことをしれっとヤっちゃってお慰めいたします、レッツノクターン!


「……詩乃梨。身体の力、抜いて? ほら、ゆるゆる~って。ね、ゆるゆる~って」


「……………………また、よび、すて……、…………う、うぅうぅぅぅ~…………」


 力抜いてって言ってるのに、この腕に抱きすくめた彼女の身体はますます硬度と熱を弥増すばかりで、ゆるゆると揺さぶってあげても全然筋肉がほぐれる気配なし。照れ照れしのりんってば鬼可愛い、雷龍なのに鬼可愛いとはこれ如何に――いやまていつの間に抱き締めてんだ、今完全無意識だったぞ俺。まあいいや、しのりん温くて柔らかくて気持ち良い。まだまだ夏には遙か遠い今の時季、やっぱり朝は冷えるよなぁ。こんな寒い朝には、大好きな人と身体をくっつけ合いながら全身を揺らすストレッチで身体も心もあたためるべきだよ。


「しのりん、ゆるゆる、ほら、ゆるゆる。ね、一緒に揺れよう? ほら、ゆるゆる~」


「…………………ゆ、……る。…………、ゆる……、さ、ないっ……! ゆるゆる、し、ないっ!」


「え。なんで?」


 俺、心からの疑問符である。それを受けた詩乃梨さんが、こっちに振り向いて、心からのきょとん顔を浮かべなさった。吐息どころか鼻までくっつきそうなほどの至近距離から、間抜けなツラを見せ合う二人。しのりんのお顔は、こんなに近くからまじまじと見つめても、こんなに間抜けな表情を浮かべても、世界で一番かわいくて愛おしい。しのりん龍可愛い。


 我が狙うは、ほっぺにキスと言ったな。あれは嘘――



「……ちゅっ♡」



 ――にしようと針路変更した矢先、目的地の方から勝手に俺の方へ飛び込んできました。え、表現が回りくどいって? じゃあ端的に説明するわ。


 詩乃梨さんに、唇へキスされちゃった。


 ちゅっ、て。浅くはあれど、リップ音を立てて吸い付く、軽く発情してる感じの甘ぁい接吻。お口のしあわせな感触から数秒遅れで、鼓膜が気持ちよさで蕩け落ちそうになる、そんな追加効果を持つスペシャルベーゼだ。


 今度は俺がきょとーんとしちゃって、詩乃梨さんをまじまじと見つめてしまう。俺を見つめ返す詩乃梨さんはというと、相変わらずきょとーんとしたお顔……を、取り繕おうと気張ってるけどそろそろ笑いと羞恥が堪えきれなくなってきてる、超ド下手くそな無表情であった。これもうどう足掻いても無表情じゃねえだろ。白いほっぺが真っ赤なおもち状態である。美味しく焼けました、これ食べていい?


 食らいつこうと思って口を開いたら、今し方の行為についてなんぞからかわれるとでも思ったのか、詩乃梨さんはいきなり俺を突き飛ばして『しゅばっ!』と距離を取った。


「ふしゃー!」


 威嚇されちった。足を開いて深く落とされた腰と屈められた上半身は引き絞られた弓矢のようで、フードの奥で輝く鋭い眼光は撃鉄の起こされた拳銃のよう。しのりんの照れ隠しはいつだって全力である。


 素直モードのしのりんのことも勿論大好きだけど、やっぱりこういう素直じゃない詩乃梨さんのことも、俺はめっちゃんくっちゃん大大大好きだ。こういう姿がやっぱ詩乃梨さんらしいから……ってだけじゃなくてさ、全力で照れ隠ししなきゃいけないってことは、『本当はものすっごい照れてる』ってこととそのまんまイコールだからね。このひねくれすぎて一周回ってどストレートになっちゃってる感じ、ほんと詩乃梨さんらしいなぁ。人これをツンデレと呼ぶ。


 ……ああ、そっか。詩乃梨さんは、どストレートなんだ。本来豆腐メンタルなはずの俺が、詩乃梨さん相手だとツンツンされてもヘコむどころか愛おしさをだっぱだっぱ溢れさせちゃう理由、今唐突に理解しちゃった。


「ねえ、しのりん?」


「ふ! しゃー! ………………………………、ふ、……ふしゃー……?」


 呼びかけてみたら、絶讃ツンツン中だというのに『何か用……?』みたいな歩み寄りというか心細げな色を滲ませ始めました。このツンデレ超チョロいな!


 俺は必死に笑いを噛み殺しながら、コーヒーの空き缶二つとペット雑誌を回収してひらひら振って見せた。


「折角一緒に本読んだんだし、コーヒー追加して、感想の言い合いっことかしない?」


「……………………かん、そう……、いいあいっこ?」


「うん、いいあいっこ。……そうだな……、折角しばらく休みなんだしさ、コレに限らず、他の本とか、映画とか、それに漫画とかも、一緒に色々見てみる?」


「……………………で、いいあいっこ?」


「うん、いいあいっこ」


 早々にいいあいっこがゲシュタルト崩壊しかけてきて、感想交換会とか呼んだ方がよかったかなとか思考回路が道草食い始めた。そんな俺とは別口だろうけど、詩乃梨さんも腰を落としたままの体勢でぼけーっと長考に入る。単純な『いいよ』『やだ』以外の何事かを考えている様子だが、一体なんだろ?


「……あ、もし一人でじっくり見たり読んだりしたい派だっていうなら、好きなの貸してあげるから、感想は後で――」


「やだ」


「…………………………、あ、う、うん、わかっ――」


「いっしょに見る。……いいあいっこ、する」


 ………………あ、ああ、なんだ、やだって一人で見るのが嫌なだけか。すごい申し訳なさそうな顔で言ってくるから、一瞬勘違いした。心臓まだどきどきしてるよ。しのりんのツンツンは大好物でも、マジ拒否りとかされた日には心臓どきどき通り越してうっかり心肺停止しかねない、それがわたくし、土井村琥太郎です。


 詩乃梨さんは臨戦態勢にあった体勢をようやくニュートラルへ戻しながら、俺に――ではなくお足元の石畳さんに向かってぽつりと呟く。


「……うまく、できるかな……」


「…………………………」


 ――『感想を言い合うなんて、うまくできるできない関係ないよ?』。


 反射的にそう答えようとして、けれど、俺はその台詞を口にすることができなかった。だって、今話しかけられてるの俺じゃないし。石畳さんだし。でも石畳さんすらきっと彼女の眼には映って無くて、つまり今のは彼女自身への問いかけなんだろう。


 ……思えば、詩乃梨さんとそういう話って今までしたことなかったな。どの本が好きとか、どの映画が良かったとかいうのさ。普通に考えればこれらは雑談時の鉄板ネタなんだろうけど、俺と詩乃梨さんってわりと普通とは呼びがたい者同士だからなぁ。

 屋上だろうと俺の部屋だろうと、基本は無言で寄り添い合ったりじゃれ合ったりで、たまに会話しても『この缶コーヒー、あっちのより高いくせして水っぽい上にえぐみあるよな』とかのコーヒー関係か、『最近レタス高いよね、お弁当に入れるの少し減らしていい? 代わりにピーマン増やしてあげるから』とかの些細すぎる日常ネタくらいのもの。ちなみ何故レタスくんの代わりでピーマンちゃんが増量されるのかというと、これとはまた別の日に『天ぷらだったらピーマンが一番好きだな。あと青椒肉絲とか美味ぇ』『ふーん……?』という雑談を交わしたことがあるからである。そういう些細なやりとりのひとつひとつを全部たいせつに覚えてくれていて、極々自然にお弁当の献立に反映させようとしてくれる、そんなしのりんがマジ良妻・オブ・良妻すぎて、彼女と俺の間に出来た子供がピーマン嫌いだった場合は我が家の食卓からピーマンが消えるのかそれとも逆に登場回数を増やす方針でいくのかが今から気になって仕方無――いや今気にするのそこじゃねえから!


「詩乃梨さんって、あんまり本とか読まない人? ……てか、すげー今更な気するけど、『普段家で何してる?』とか聞いてもいい?」


 と、果てしなく今更な問いを放ってみれば、返って来たのは『なんでそんな果てしなく今更なこと?』と心底不思議がるようなお顔。怪訝顔ではなかったことにほっと安堵する俺に、詩乃梨さんは今度こそちょっと訝しむような顔をしながらも、考え考えしつつ素直に答えてくれた。


「……家事と……、あと、たまに宿題と……、……………………睡眠?」


「ああ、まあそこら辺はやってるだろうけど。それ以外の……、もうちょっと趣味っぽいやつとかは?」


「…………………………………………………家事と、睡眠?」


「それ趣味枠なのかよ!? いや他人様の趣味にケチ付けるわけじゃないけど、もうちょっとこう、若者らしい健全なご趣味はお持ちじゃないの?」


「……それ、思いっきりケチつけてるよ……」


 詩乃梨さん、俄に雷をバチりと弾けさせる。俺は思わず腰を直角に折って「ごめんなさい!」と全力謝罪した。そうだよね、『別に批判するわけじゃないんだけれど……』みたいな枕詞から始まるのって、百パーセント純粋な批判だよね。むしろ自分を理解のある善人みたいに装おうとしている分だけ悪質だよね、ごめんなちゃい……。


 詩乃梨さんは、ふんと鼻息をひとつ鳴らし、つーんとそっぽを向いてそのまま出入り口へと歩いて行ってしまう。


「っ、ま、待って詩乃梨さんっ!」


「待たないもーん。つーん」


 お、意外とコミカルな口調の返事が返って来たぞ。どうやら本気でお怒りなわけでは無さそうだ。だがだからといって俺の罪が赦されたわけではない以上、俺に出来るのはひたすら謝罪を重ねることのみ。


 でもさ。あんまりごめんなさいごめんなさい言われまくっても、それはそれで気分が悪くなったりするでしょ? これ、大して怒ってないときに『怒ってる? ねえ怒ってる?』みたいな態度取られたらそりゃ怒るわ、みたいな話だと思う。違くても気にするな、流せ。


 鉄扉の取っ手に手を掛けたポーズで、こちらをちろりと見やってきた――ラストチャンスをくれた詩乃梨さん。そんな彼女に、俺は『ごめんなさい』ではなく、ある一件についての『ありがとう』を伝えることにしました。




「――さっき、キス、してくれてありがとう。俺、すっげー嬉しかったっ!」




 詩乃梨さん、ぽかんと浮かべる呆け顔。前後のつながりが全く無い話題が来たものだから、なんのことか理解できなかったのだろう。よしよし、お怒りは完全にどっか行っちゃったようだな、やったぜ! さっきは趣味にケチつけちゃって本当にごめんなさいでした! あとキスも本当にありがとう!


 ごめんなさいもありがとうも(一方的に)伝えることができたので、俺は軽く鼻歌歌いながらスキップで詩乃梨さんの傍らへ歩み寄った。そして彼女の手から扉の取っ手を優しく引き取り、一流ホテルのドアボーイのごとく鉄扉を開け放って恭しく頭を垂れる。


「さぁどうぞ、レディ。そろそろお身体も冷えて来てしまいましたでしょう? 私めのお部屋で、あったか~いコーヒーと朝食をご用意して差し上げますので、ささ、どうぞ中へ」


「………………………………きすって――」


「中へ、お早く、はりーはりー。ちなみに本日の朝食は、昨日の食材の残りを掻き集めて投入した、具材マシマシたこ焼きでございます。さあさあ、下のお嬢様達と一緒に、みんなで仲良くドヤりましょう!」


「………………………………。あとで、あやねにも、持ってってあげていい?」


「ええ、ええ、もちろんですとも、もちろんですとも! お届けの際には是非、この飛脚・土井村をご利用下さい。たこ焼きから詩乃梨様まで、あらゆる真心を背中に載せて目的地へと超特急です!」


「………………ぷっ。ばーか」


 くすくすと笑う詩乃梨さんにつられて、俺もへらへらと笑った。俺の顔が熱いのはド下手くそな演技を披露したことへの羞恥からだけど、詩乃梨さんのお顔がアチチなのは、はてさてなんでかな~っと(そらっとぼけ)。




 とまあ、これが屋上での顛末だ。おまけで持ってっただけのペット雑誌は四回も読み返されたというのに、肝心の本命の方は詩乃梨さんに表紙を撫でられたり膝枕されたりお胸に抱き締められたりしただけで、一ページたりとも読まれることはありませんでした。おのれ羨ましい、ちょっと俺とそこ代われ。

 特に表紙で妻や赤子と一緒に笑っているパパさんな、お前絶対赦さねぇ。女性絵師が手がけたファンシーな絵柄のイラストだったからまだギリギリ我慢できるが、これが実写であったならばモデルの男をネットで検索して顔本やブログにカムチャッカ・インフェルノを放っている所である。やらねぇけど。だってイラストだったから。実写だったなら五十パーセントの確率でやってたかもしれない可能性を否定しきれない俺がいる。まあ百パーセント詩乃梨さんにバレて未遂で終わるだろうけど。しのりんマジ熾天使。閑話休題。


 本命のご本は、確かに読み進めることはできなかった。けれど、あの夜の中で彼女が胸の裡を吐露してくれたことや、あの朝日の中で彼女が涙と共に『答え』を口にしてことには、きっと、本来過ごすはずだった時間と同じかそれ以上の価値がある。なら、今は、それでいい。


 いつかまた、あの本を手に、詩乃梨さんと二人で屋上へやってくる時が来るだろう。もしかしたら人数や場所は変わっているかもしれないけれど、いずれ来るその時にこそ、俺は彼女と一緒にあの表紙の先へと進んでいこう。


 とりあえず。今日のところは、もうちょっと違うジャンルの本とか一緒に読んでみるとしようかな?



 あ。ちなみに、俺が本棚の奥側へと意図的に配置換えした一般ウケのよろしくないジャンルのご本や円盤については、なるべくお見せしない方向で動きますけどね。なるべくだから勿論絶対ではないんだけど、でも詩乃梨さんが『ああいうの』見たらどんな反応するのかっていうの、ちょっぴり怖くってさ。てへへっ♪

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