五月二日(火・4)。反省したから、
収入の内訳や金額についてさらっと語り、最後に貯金額の合計を大体の所で述べて締めた。
ちなみに、貯金額を大体でしか言えないのは、ペイオフ対策で口座を五個も六個も持っているせいだ。もしかしたら七個とか八個とかかもしれないけど、『合計金額で億はまだ超えていないはず』くらいしか把握していない。一応気が向いた時に各口座の残高を通帳に記帳してはいるものの、給与の振り込みに使っているメインの口座以外は全部『うん、ほぼ変わりなし』と流し見でてきとーに終わらせてて、ついでに言うならメインの口座ですら『うん、増えてる』とざっくりでしか確認してません。金なんて一定以上になるとこんなものである。ありがたみなんぞ最早どこにもありゃしない。
「――だからさ。このまま意味無く腐らせておくくらいなら、詩乃梨さん達を喜ばせるために使った方が何億倍も何兆倍も有意義だなって、そう思うんだけど……。………………あの、聞いてる?」
俺が『ボーナス類も考えるなら、その分だけで普通の人の年収軽く超えてると思う』って言ったあたりから、詩乃梨さんはずっと何か思考に耽っている様子だ。俺をじーっと見つめる彼女の瞳には、特に批難や憤怒のようなものは滲んでいないので、今は純粋に考えをまとめている最中なのだと思う。
俺も何となく詩乃梨さんをじーっと見つめ返してたら、俺と詩乃梨さんをゆるゆると見比べていた香耶がふと口を開いた。
「琥太郎さん、今の話って他の誰かにしたことありますか? ……家族とか、友達とか……、あとは、それ以外の女性の知り合いとかに」
「うん? 家族や友達は、俺が金に困ってないのくらいは何となく把握してると思う。あとは、女の人で知り合いらしい知り合いなんて、きみらと綾音さんくらいしかいない。……なんで?」
「いえ……、なんというか……。琥太郎さんって、カモられそうだなって。お金持ちで、ばか正直で、意味わからないくらいにお人好し。……ちょっとがめつい人とか悪い女とかに捕まったら、すぐさま人生終わりそうですよね」
「酷い言われようだなおい……。でもまあ、自覚はある。家族や友達のためなら金なんて惜しくはないとか、愛する女性になら金どころか命だって捧げたいとか本気で思うし」
……いや、家族や友達については、もうそんな風には思えないか。そんな感じで心理的にも物理的にも疎遠になったから、こうしてカモられず済んでるのかもね。おお、なんという怪我の功名。
俺は口の端が吊り上がるのを感じながら、家族とも友達とも愛する女性とも異なる精神的義妹の頭を優しく撫でつつ台詞を続けた。
「信じた相手にカモられるなら、それはもう、それでいいよ。……それは、相手が悪いんじゃなくて、完全に俺の責任なんだし」
「…………そんな、ことは――」
「いいんだ」
強引に押し切って、彼女の頭を撫でる手にぐりぐりと力を込めた。そういえば俺、なんでこの娘の頭撫でてるんだろう? まあいいや。香耶の髪、癖とか一切無くて指がすーっと通ってきもちいい。癒される。
しかし。しばらくされるがままになっていた香耶は、唐突に我に返って俺の手をばっとはね除け、速攻で詩乃梨さんの背後へと逃げ込んでしまった。
そして間髪入れず、エア撫で撫でする俺の手の下へと、香耶によって押出されてきた詩乃梨さんがちょこんと収められる。なでなで、なでなで。俺はなでなでついでに、銀髪を一房梳くって鼻先を寄せ、詩乃梨さんのフェロモンを存分に吸い込んだ。
ああぁ、おらの大好きな女の子の香りがするだよぉぉ……。おら、この娘に骨の髄までしゃぶりつくされたくてたまんねぇだよぉぉ……。ていうか逆におしゃぶりしてほしくてたまんないね、うっかりちょっと勃起してきちゃったから。でも買い物客達が遠巻きにこっちちらちら見てるから自重しまーす。現時点であんまり自重してないだろなんてツッコミは無しでお願いしまーす!
「………………こたろーは……」
詩乃梨さんは相変わらず何かを思案している様子だったけれど、ひとまず言いたいことはまとめ終わったのか、少しすっきりとした声音で問うてきた。
「こたろーは、わたしにお金も命も、握られちゃってるんだね」
それは、問いではなくただの確認であり、ただの確認ではなくもはや断定であった。
だが。俺が何か返事をするより先に、詩乃梨さんは自分で自分の台詞に首を捻る。
「ん、ちょっと違うかも? …………こたろーは、握られちゃってるとかじゃなくて、『握られたい』んだよね。もっと、ずっと、いっぱい。こたろーのもってる、見えるもの、見えないもの、まるごとぜーんぶ」
「………………依存しすぎかな、俺? 重い? しのりん、潰れちゃう? 筋肉痛大丈夫?」
「ん、だいじょぶ。もうへーき。……こたろーは、気を抜くとすぐひとりでどっか行こうとするから、もっと全力で寄りかかってきてくれた方が、わたしも安心」
寄りかかってきてくれた方がーなんて言いながら、詩乃梨さんは徐に俺に抱き付いて体重を預けてきた。俺はそれを当然の如くしっかりと抱き留めて、頭がくらくらするような麻薬染みたフェロモンをこの胸いっぱいに吸い込む。
やばいな、これ。ほんと、やばい。周囲の人がけっこう遠慮無くこっちガン見してるってのに、そんなのちっとも気にならなくなってるよ俺。俺だけじゃなくて、詩乃梨さんもきっとそう。いっつも『かわいくないわたし』を演じがちで照れ屋で恥ずかしがり屋なしのりんが、バカップル化待った無しである。事によればこの場で即座にノクターン突入しかねない勢いだ。
詩乃梨さんはふごふごと上機嫌に鼻を鳴らしながら、世間話みたいな気軽さでまったりと問うてきた。
「わたし、こたろーに染まったほうがいいの? それとも、こたろーを染めたほうがいいの? ……これ、えっちな嗜好のことじゃなくて、金銭感覚のおはなしです」
「えっちな嗜好は、これからい~っぱい色んなこと試して、お互いの色にどっ~ぷりと染まっていきましょうね、ウフフっ♪ んで金銭感覚については、基本的に詩乃梨さんに丸投げさせて頂きたいな。俺のどんぶり勘定っぷりは知ってるだろ?」
「どんぶり勘定。知ってるけど、でも、こたろーはそれが許されるくらいに稼いでる。……わたしの、けちくさくて、みみっちい感覚に合わせてたら、こたろー、本当は手に入るはずだったしあわせ、味わえなくなる――」
「しあわせは、俺の腕の中に、もうちゃんと抱き締めてる。問題無い。……それに、俺のぶっこわれた金銭感覚に合わせて浪費しまくってた方が、いざ失職して収入無くなった時とかに大問題になっちゃうだろ? だから詩乃梨さん、俺の財産、全部管理して。あと俺の射精も管理してね」
「……………………………………しゃせ――」
「財産! 管理してねっ! ひゃっはー!」
「う、うん。わかった」
はい、失言については勢いで誤魔化しました、わたくし。でもちっとも誤魔化せてなかったみたいで、詩乃梨さんはうんうんこくこく頷いてから、消え入りそうな声で「……しゃせいも、かんり、任されます……」と恥ずかしげに呟いて完全に俯いちゃった。
俺も、自分で言っておいてすっげー恥ずかしくなってきちゃって、意味もなく虚空に視線を投げ出した。愛する女性に、財産なんぞよりすんごいものを勢い任せに握らせてしまったぜ。こうがん。あ、既に一回握られたことあったね、物理的に。握られるどころか食われたね。あれもーめっちゃくっちゃ気持ちよかった。またやってくれないかなぁ、ぐぇっひょっぷひょっぷひょぇっへっへっぎっひぇひぇ………………。
そんな感じで、心も顔もアヘアヘしておりましたところ。横合いから、俺のほっぺたや詩乃梨さんの腕をぺちぺち必死に叩いてくる眼鏡っ娘有り。
「ふ、ふたりとも、ちょっと、離れて、離れてください、人、見てます、いっぱい見られてますからっ!」
「そうだなー」
「そだねー」
「なんでそんなまったりしてるんですか、土井村夫妻っ!? いいですか、二人共すっかり忘れてるかも知れないですけど、女子高生と成人男性が付き合ってるなんてバレたら色々まずいですからね? わかってますよね? ねえ!?」
「あ、ごめん、実は俺と詩乃梨さんってまだお付き合いしてないんだわ。ねー、しのりん♪」
「ねー、こたろー♪ ……わたし、まだこたろーの恋人ですらないのに、こんなにしあわせ。……ほんとの恋人になったら、もっとすごくしあわせになって……、…………ほんとの、奥さんになったら、もっと、も~っと、ちょーしあわせになって……。………………く、くふっ、くふ、くふふふふふゅふゅふゅ……♡」
「このバカップルまったく意味わかりません!? 助けて、助けてぇ佐久夜ちゃんっ……!」
あっはっは、香耶がとってもはしゃいでるぞ。もうストーカーのせいで塞いでた気持ちなんでどっか吹っ飛んじゃったみたいだね、よかったよかった!
などとすっとぼけたこと考えてたら、背後から何者かに背中を思いっきり『ばちこーん!』と引っぱたかれた。
「――なんや状況良くわかんないけど、うちのかやちーを泣かすな、バカップル!」
颯爽と現れた救世主・真鶴佐久夜は、香耶の頭を良い子良い子と撫でて慰めてあげてから、俺と詩乃梨さんの間にぐいぐいと身体を割り込ませてきた。
トリップ中の詩乃梨さんを強奪した佐久夜は、その代わりとばかりに俺にレジ袋を押しつけようとしてくる。
「こたちー、先に外行ってて」
「え、…………うん、わかった――じゃなくて、俺が残りの買い物済ませるから、二人のこと頼む」
「そ。わかった、りょーかい」
佐久夜は突きだしていたレジ袋を引っ込めると、詩乃梨さんと香耶を半ば抱えるようにしてさっさとこの場を離れていった。状況をよく理解していなかったくせして、実に迅速な処置である。
その後、形成されかけていたギャラリーは、佐久夜に穿たれた穴を起点として崩壊。俺を不躾な視線で横目に見ながらも、ギャラリーは買い物客へと順調に回帰していき、そして最後には俺だけが取り残された。
「………………はぁ……」
唐突にひとりぼっちになった俺は、冷えてきた頭をぽりぽりと掻きながら後悔のため息を吐いた。
やばかったな、今の。やばかったではなく、今尚非常にまずい状態かもしれないけど、それでも香耶と佐久夜のおかげで被害は最小限に食い止めることができた。
もし二人がいなかったら、俺と詩乃梨さんはずっと公衆の面前でバカップルし続けていただろう。それを詩乃梨さんの学校関係者に目撃されていたら確実に問題になっていたし、それに香耶の言っていた通り、学校関係者でなくとも他人に俺と詩乃梨さんの関係がバレるってだけで普通にまずい。バレるだけならまだいいとしても、警察に通報なんてされたら条例違反でしょっ引かれる可能性すらある。
それは、まずい。でも、もっと『まずったなぁ』って思うのは、香耶にあんな泣きそうな顔させちゃったことだ。
香耶は、本来内気で臆病な子だ。あんな大勢の人に嫌な眼でじろじろ見られてるような状況なんて、すぐに逃げ出したくてたまらなかっただろう。それでも彼女は、忠告に耳を貸そうとせずにいちゃつき続けるバカップルを――詩乃梨さんのことはもとより、恋敵である俺のことさえも――決して見捨てようとしなかった。その場にいない喧嘩友達に泣きつきたくなるほどまいっちゃっても、俺達のそばにいようとしてくれた。
そんな優しい娘に、俺何やっとんねん……。元気づけてあげようとしてたはずが、逆にコレとか……。こんなの、佐久夜に引っぱたかれても文句なんか言えやしない。
「……………………はぁぁぁ……」
再度、深く溜息を吐いて。俺は痛む背中に手をやりつつ、食材その他が詰まったカートを押して歩き始めた。




