五月一日(月・3)。経験値、1。
俺と詩乃梨さんは、荷物を置いた場所を中間地点として、臨戦態勢を維持したまま互いから距離を取った。
本当は、まず準備運動を念入りにやっておくべきなんだろうけど、こうして道具を持っちゃうとついつい気持ちが先走っちゃって仕方無い。そんな気持ちは詩乃梨さんも同じらしく、彼女は軽く手首や足首を回して身体をほぐす傍らで、しきりにラケットでひゅんひゅん風を切って『早くシャトル寄越せ』と訴えてきた。
詩乃梨さん、意外と堂に入った所作というか、あんまり運動嫌いな子には思えない自然な動きだ。むしろどちらかというと、運動部に所属してる奴が体育で本気出そうとしてる時みたいな、ちょっと大人げないはっちゃけっぷりをそこはかとなく感じる。
もしかしたら、香耶以外にも詩乃梨さんの自信の源となっているものがあるのだろうか。そんなことを考えながら、アキレス腱や腕の筋を最低限温め終えた俺は、シャトルとラケットをこれ見よがしに構えて宣言した。
「じゃあ、まずラリーな。スマッシュ禁止。相手の返せない弾打った方が負け。でいい?」
「あーい。……こたろー、なんか手慣れてる?」
「むしろそれ、俺が詩乃梨さんに言いたいんだけど。貴女、本当に運動嫌いなの?」
「ん……。……んー、場合による。……ただ走るだけとか、投げるだけとか……、あと、集団でやるのとかは、すごくきらい」
えっと……。つまり、『筋力不足を技術でカバーできるタイプの、個人競技』ということであればあんまり嫌いじゃない、ってことか。よくよく考えてみれば、詩乃梨さんが自己申告してくるまでは運動嫌いな素振りなんて一切感じたことなかったし、それに全面的な運動嫌いだったら詩乃梨さんみたいなほっそりした体型は維持できないだろうから、詩乃梨さんの返答はそんなに意外でもなかったかもしれない。
じゃあ、俺も、ちょっと大人げないはっちゃけっぷりを見せても大丈夫かな? でもそれは後の楽しみってことにしておいて、まずは小手調べです。
「いきまーす」
「あーい」
再度声をかけ合ってから、俺はアンダーハンドでシャトルを打ち出した。
緩やかな放物線を描いて飛んでったシャトルは、俺の狙い通り、腰だめに構えてる詩乃梨さんの利き手側へ到達。それを詩乃梨さんは、俺が思っていた以上に綺麗なフォームで危なげなくぽーんと打ち返してきた。
詩乃梨さんが狙ったのもまた、俺の利き手側、腰の高さだ。絶妙なポイントへ吸い込まれてきたシャトルを、詩乃梨さんのフォームをお手本にして打ち返す。
が、それは自己流が染みついてる上に運動不足な俺にとっては悪手でしかなかったらしく、ラケットの縁に当たったシャトルはかつんと硬い音を立ててふらふらとすっ飛んでいった。
「あ、悪い」
「だいじょうぶ」
詩乃梨さんはシャトルの軌道の終着点へ小走りで駆けていき、足を止めぬままバックハンドで返球してきた。
その打球は本来ならネットにかかってしまう高さではあったが、なんとか俺の足元まで届き、俺はそれを掬い上げるようにして詩乃梨さんの所へ緩やかに送り返す。
詩乃梨さんはそれをオーバーハンドで「よっ」とフライのように打ち上げ、シャトルが滞空してる間に本来のポジションへと戻った。
俺は落ちてくるシャトルと詩乃梨さんの動きを正確に把握しながら、今度こそ慣れ親しんだ自己流フォームで詩乃梨さんへ打球を送る。
少し強めに放たれてしまったそれを、詩乃梨さんは少しびっくりしたような顔をしながらも打ち返そうとして――
「わっ」
風に煽られた銀髪に一瞬視界を遮られ、教科書みたいに見事な空振り。ラケットを振り抜いた格好のまま固まった詩乃梨さんは、信じられないものを見る猫の眼で、足元に落ちているシャトルをじっと眺めた。
やがて再起動した詩乃梨さんは、ポーズを変えないまま顔だけこっちに向けてきて、ちょっと興奮してるような表情で一言。
「こたろー、意外とやるね」
「……え、むしろそれ、俺が詩乃梨さんに言いたいんだけど……って、これさっきも言ったな」
俺は年単位でのブランクを抱えていて、詩乃梨さんはこのミニチュアラケットを使うのが初めて。お互いハンデを背負った状態なのでまだはっきりとは言えないが、今のやりとりだけでお互いの戦闘力はほぼ互角くらいだろうと直感した。
詩乃梨さんは一旦ラケットを置き、ジャージのポケットをごそごそ漁りながら後頭部をもぞもぞやり始めた。どうやら、髪をまとめようとしている――ってだけじゃなくて、こっから本気モード突入ってことらしい。
俺は俺でラケットほっぽり出して、この隙間時間を利用して身体の錆をこそぎ落としておこうと、限界を数ミリずつ更新していく本格的な準備体操を開始。
体操のついでにジャージの袖を肘まで丁寧に捲り上げながら、そういえば、と気になったことが有って詩乃梨さんに改めて視線を向けてみましたところ。詩乃梨さんは、ポニーテールにまとめ終えた髪を手櫛でくしくし毛繕いしながら、何やら熱っぽいお目々で俺に見入っていらっしゃいました。
「………………………………」
そのお顔いったいどういう意味なの、とは訊きません。詩乃梨さんがどういう時にこういう顔するのかっていうの、流石に把握してきてるもん。
まあ、あれだよ、その、なんつーの? ……やっぱ、真面目に運動してるイケメンってさ、女の子の眼にはすげーカッコ良く映るもんみたいですね。やっべ、なにこれ超照れる。イケメンってお前、俺みたいなぶさいくなおっさんがイケメン自称するって、いや自称じゃなくて他称だな、だって俺のことイケメンとか思ってるのしのりんだもん、しのりんが俺のこと王子様扱いするんだもん!
俺は顔が熱くなっていくのを感じながら、詩乃梨さんから若干目線を逸らしつつ自然な風を装って話しかけた。
「詩乃梨さんも、袖とか裾、まくっておきなよ。それ、サイズだいぶ大きめだろ? 危ないから」
「……えっち」
「うるせぇ、なんだ、えっちってなんだ、服まくれって言っただけでなぜえっち扱い?」
「うるせー、すけべ。………………ふん」
詩乃梨さんは理不尽に怒りながらも、俺の言葉に従ってジャージの裾や袖をちょいちょいと折ってくれた。が、それは見るからにやっつけ仕事で、さっきみたいな動きしたらすぐさまだぼだぼに逆戻りしそう。
俺は少し迷ったけど、敢えて口頭で注意を促すことはせず、体操を中断して無言で詩乃梨さんの側へ歩み寄った。
詩乃梨さんは身体を隠すように身じろぎしながら、頼りげなく揺れる瞳でぐっと睨み付けてきた。
「な、なに? えっち、すけべ、へんたい、こっち来んな、ばーか、ばかこたろー」
「詩乃梨さん、ポニーテールも可愛いね」
あ、うっかり台詞間違った。つか口が滑った。そして手も滑って、気付けば詩乃梨さんの頭を撫で撫でしてる。
憎まれ口を叩いていたはずの詩乃梨さんは、唇を噛んで身体をカタカタ震えさせながら、真っ赤なお顔で俺の無礼に耐えていらっしゃいます。彼女の視線が土手の方へちらちら送られているのは、周囲の目を気にしているからなのでありましょう。でも残念、今は近くに人影ナッシングでありますゆえ、「人が見てるから、恥ずかしいのやめて!」などとは言わせません。
俺は詩乃梨さんの髪を指先でそっと愛撫してから、そのまま更に手を滑らせていって、彼女の手をそっと握った。
詩乃梨さんが一層身を固くしたけど、俺はそれに気付かないフリをして、だぼだぼジャージの袖を肘まで丁寧に折り曲げていく。
露出する、白くて、細い腕。ろくに筋肉なんてついていやしない。なのに、とっても柔らかそうで、とってももちもちしてて、とっても食べごたえがありそう。
食べたい。キスしたい。つか、ベッドインしたい。
「こ、こたろー? て、手、止まってる。息、はないき荒い、ねえ、だめ、だめだよ?」
「………………あ、おう。すまん」
詩乃梨さんにほっぺたペちぺち叩かれて、トリップしかけてた意識がなんとか戻って来た。俺はまた自我を失わないうちにと、詩乃梨さんの足元に跪いてズボンの裾も手早く折っていく。
……詩乃梨さん、足、ちっさいな。これ何センチ? 小学生? 女の子ってこんなに足のサイズちっちゃいの? 足首細すぎだし、これ片手で簡単に掴めちゃう――
「こたろー、やめて……」
「まだ何もしてねぇよ、そんな本気で拒否せんといて。……つか、嫌なの? いや特にナニがってわけじゃないんだけど、そんなイヤなの?」
「…………だって、こたろー、今すぐこの場で…………しちゃいたいとか、思ってそう……」
「…………………………………………」
反論する言葉を持たない俺は、仕事を終えて何事も無かったようにすっと立ち上がり、こほんと咳払いをひとつ。
詩乃梨さんはさっと身を引いて、心底ほっとしたような、でもちょっぴり残念そうな溜息を吐いた。残念そうってのは、そうあってほしいっていう俺の願望が見せた幻影なんだろうけど、少なくとも詩乃梨さんは俺の変態っぷりにドン引きしたりはしてないみたいだ。
俺は内心安堵しながら、自分の領土へ戻って己のラケットを拾い上げた。
「よっし、じゃあ続き、やろうぜ。今度は詩乃梨さんのサーブからな」
グリップに付いた砂を軽く払いながら告げたら、詩乃梨さんは捲られた袖をさすってぼんやりとしながらもこくりと頷いてくれた。
詩乃梨さんは何事かを考えてるような、あるいは何も考えてないような、なんとも言えない面持ちでラケットとシャトルを拾い上げる。いざサーブ、という体勢を取った詩乃梨さんは、そこで一旦動きを止めてこちらの様子を窺ってきた。
「……ねえ、こたろー?」
「うん。何?」
「外で、えっちなこと、したい?」
「………………………………………………。え、それってどう答えれば、俺は命を繋ぐことができるの?」
「………………アパートの、屋上――ごめん、なんでもないっ!」
詩乃梨さんはうっかり口にしそうになった模範解答を誤魔化すためか、全身のバネをフルに活用してオーバーハンドで弾丸を発射(←反則)。
そして俺は、二重の意味で心臓を打ち抜かれて、呼吸も思考も一瞬停止した。
◆◇◆◇◆
序盤は覚醒を果たした詩乃梨さんが心理的にも実力的にも優位に立っていたが、彼女の気持ちに体力がついていかず、目に見えてみるみる失速。逆に俺は少しずつ昔の勘を取り戻して尻上がりに勢いを増していき、結果、二十分も経たないうちに形勢は完全に逆転してしまった。
それから、さらに約三十分後。俺はラケットでシャトルをぽんぽんとリフティングしつつ、横目にちろりと詩乃梨さんを見やって、思わず苦笑いしながら数度目となる問いを放った。
「……まだ、続けちゃいますのん?」
詩乃梨さんはすっかり満身創痍で、今にも膝を突かんばかりに身体をがくがく震わせながら、しかしそれでも決して膝も心も折らず、ふーふーと威嚇音染みた荒い息を吐きながらギンッっと睨み付けてきた。
「やる! 来い、こたろー!」
「……え、えぇっとね? 貴女がやる気満々なのはすごくよくわかるし、それはわたくしもとっても嬉しいんだけど、でもね、貴女の身体はもう悲鳴を上げていると思うの。ほぉら、内なる声に耳を傾けてごらん? 貴女のだいじなだいじな身体は、いったいなんて言ってる?」
「『まだまだ、やれるっ! こたろーに、勝ち逃げなんか、許さないっ! 夫婦は、いつだって、対等じゃなきゃ、ダメなんだ』ってっ!」
「……………………い、いや、でもですね? 勝ち逃げって言っても試合やってるわけじゃないし、それに男と女じゃ物理的に完全に対等とはいかないですし、それにまだ夫婦じゃないですし――」
「うっせー! お嫁様に口ごたえすんなっ!」
「あ、はい、さーせん」
対等なんてどっかいっちゃってんじゃん、俺すっかり尻に敷かれてカカァ天下になっちゃってんじゃん……。つか、しのりん熱くなりすぎでしょぉ、ちょっとぉ……。
これあれだ、兄貴に格ゲーで五十連敗喫した時の俺と同じような気配感じる。単に負けず嫌いってのとはちょっと違くて、相手のことを認めているからこそ、その人に見下されるような自分ではいたくないんだって、そういうすごく真っ直ぐだけど、それゆえにややこしくもある気持ち。
相手にハンデや手加減を許さず、あくまでも本気のその人と戦って勝たなきゃ意味が無くて、でも本気でやられると今の自分では太刀打ちできない。でも今すぐ勝ちたいから、悠長に自主練するなんて選択肢は取れない。結果、負けるとわかっていてもひたすら挑戦し続けるしかなくて、案の定負け続けて、ストレスがどんどん溜まっていくという泥沼に。
少し前までは、水分補給の休憩タイムも渋々ながら受け入れてくれていたというのに、直近の進言は「休憩する暇があるなら早くサーブ打て」って突っぱねられた。これ以上は泥沼どころか砂漠に成り果てかねないし、ここらで一旦終わりにしよう。
そう結論し、俺はリフティングしてたシャトルをぱしりと掴んで、それをギラついた瞳の詩乃梨さんに向かって掲げながらきっぱりと宣言した。
「次でラストな!」
「やだ!」
「うっせー、旦那様に口ごたえすんな! 最後ったら最後なの! これ以上は詩乃梨さんの身体壊れちゃうからダメっ! 詩乃梨さんの身体はひとりだけのものじゃないんだぞ! 俺や、お腹の子のこともちゃんと考えて――」
「うっさい! 旦那様じゃないもん! まだ妊娠してないもん! そういうこと言いたいなら早く結婚して子供ちょうだいよっ! それとサーブはやくっ!」
「結婚とか子供とかと同列にサーブ要求してんじゃねえええええぇぇ――――――ッッッ!」
詩乃梨さんのやけくそに引っ張られて過剰にヒートアップしながら、俺はシャトルを頭上に思いっきり放って、それに追いすがるように思いっきり垂直跳びして逆海老からの全力スマッシュを放った(←反則)。
詩乃梨さんはまるで時間を操っているかのように着弾点へ先回りし、瞳を稲光のようにギラリと輝かせながら、地に這いつくばるような低姿勢から渾身のフルスイングを繰り出す。
シャトルの軌道と詩乃梨さんのラケットの軌道が、ぴたりと重なって――
「うにゃああああああああ――――あっ?」
詩乃梨さんの咆哮が、裂帛の気合からなぜか素っ頓狂な間抜け声へと突如変化。それについて俺が何かを考えるより先に、いきなり目の前に何かが飛んできたので、俺は咄嗟にラケットを放り出して謎の飛翔体を白刃取りした。
俺の投げたラケットが、からんからんと硬い音を立てて地面に転がった。けれど、俺の手の中にはなぜかラケットがある。
え、なんで? これ何かの叙述トリック? ホワイ?
「…………………………こっ、こ、こたろー、ごめん、ごめんなさいっ! だいじょぶ!?」
詩乃梨さんがやたらめったら慌てふためきながら、号泣しそうな情けない顔で駆け寄ってきた。彼女は勢いのまま俺の腕にしがみついてきて、ぴょんこぴょんこ盛大に飛び跳ねて俺の全身をがっくんがっくん揺さぶる。
「ごめん、ごめんね、こたろー、ごめん、ほんとごめん、けがっ、ケガしてない!?」
「………………………………え、穢し……、え、何?」
「だから、怪我っ! 手、指、からだ、だいじょぶ!?」
「………………………………俺より、詩乃梨さん大丈夫? とにかく落ち着いて。ね? あれだけいっぱい運動したのに、またそんなに飛び跳ねてたら、お腹の子が――」
「わかった! からだ、だいじにする! こどももだいじにする! だからこたろーも、自分の身体、だいじにして!」
「………………あ、うん。はい。………………え、どゆこと……?」
詩乃梨さんは跳ねるのをやめてくれたけど、俺の腕にぎゅ~っとしがみついたまま、気遣わしげに俺の顔胴体や手をきょろきょろきょろきょろ忙しなく見回してる。このままだと詩乃梨さんの細い首がもげてしまいそう。
詩乃梨さんの不安の元を探るべく、とりあえず俺も自らの肉体に意識を集中してみた。
「………………ん?」
なんか手の平がじんじんする。未確認飛行物体を白刃取りする時に思いっきり打ち合わせたせいだろう。あれっ、そういえば俺がキャッチした物体はどこいった? 俺今持ってるのラケットだけだぞ? ……え、なんで俺、グリップじゃなくてガットを思いっきり掴んでんだろ。しかも白刃取りで。
………………………………………………。
あ、はい。遅まきながら、わたくし、現状をまるっと把握致しました。
「……ねえ、しのりん?」
背中からどっと冷や汗が沸いてくるのを感じながら、俺は力や感情がすこーんと抜け落ちたひょろひょろの声で傍らの彼女に呼びかけた。
詩乃梨さんも、肝や汗の冷たさに凍えているような顔色で、ぎこちない微笑みを浮かべながら弱々しくお返事。
「はい、なんでしょうか、こたろーくん」
「……俺、もう詩乃梨さんの身体は悲鳴あげてるよって、言ったよね?」
「………………あげてる『と思う』とは、言ってた、かもですねー……」
「お黙り」
「はい」
詩乃梨さんはしゅんと項垂れてしまい、ぐすりと鼻をすすり上げた。
体力の限界ゆえか、それともかいていた汗のせいか、詩乃梨さんの手からラケットがすっぽ抜けて、俺に直撃。幸運にも大惨事は避けられたけど、本当に幸運だったとしか言えない。もし俺がトップギア状態に至っていなかったら、確実に顔面に激突していた。そうなれば、怪我や、最悪、何かの後遺症を負っていた可能性すらある。
あくまで可能性で、そこまでいっちゃうようなことは滅多に無いだろうけど。でもそういう危険と紙一重の事態であったことは、どうしようもない事実だ。
そういった諸々を、詩乃梨さんは俺に言われるでもなくきちんと認識している様子だ。彼女はしきりに鼻を――涙をすすりながら、俺の手の甲をとても優しい手付きで撫でている。彼女の手から伝わってくる色んな想いが、俺から彼女を責めるための言葉やお小言をことごとく奪い去った。
でも、何もお咎め無しというわけにもいくまい。というわけで、俺は手にしていたラケットを改めて持ち直し、それで詩乃梨さんの頭をこつんと軽く叩いた。
「はい、お仕置き。今度からは、ちゃんと自分の身体の状態をきちんと把握して、あんまり無理はしないこと。わかった?」
詩乃梨さんは叩かれた頭を撫でながら、涙の滲む目でおそるおそる見上げてきた。
「……それだけ? もっと、怒らないの?」
「まあ、詩乃梨さんが無理してるってわかってて、止められなかった俺も同罪だし。それに、詩乃梨さんは色々全部わかってるだろ?」
「………………うん」
「なら、俺がこれ以上何か言う必要はないな。………………あ、でも……」
不穏な繋ぎになってしまったためか、詩乃梨さんが一瞬びくりと震え上がった。俺は慌てて、微笑みながら続きを述べる。
「これで嫌にならないで、また俺と元気にバドミントンしておくれ、ってことは言っておきたい……かな?」
もし、『事故るのヤだし、そもそもこたろー大人げないし、もうこたろーとは一生やーらないっ!』なんて言われちゃったらどうしよう。なんて不安のせいで少し弱々しい語尾になってしまったけど、詩乃梨さんは俺を安心させるかのように何度もこくこくと頷いてくれた。
「いやにならないよ、ならない、絶対ならない。……こたろーとやるの、楽しかった。楽しすぎて、熱中しすぎて、ちょっとやりすぎちゃった。…………ほんと、ごめんね」
「おう。ごめんなさいされました。ってことで、この件はもうおしまいな?」
「うん。…………あ、だめ、おしまいにしない。忘れないで、心に刻んで、次はもっと安全に遊びます!」
良いこと言ったみたいな、満面の笑みで見上げてくる詩乃梨さん。
俺も何か良いことを言い返してやろうかと思ったけど、特に何も思い浮かばなかったので、詩乃梨さんの頭を意味も無くラケットでこつりと叩いておいた。




