五月一日(月・1)。ラノベ主人公の、必須特技。
アパートの屋上にて。いつもより軽めの朝食を採り終えた俺と詩乃梨さんは、いつものベンチに腰掛けて、いつものようにぼんやりと空を眺めていた。
程良く雲が散りばめられている、爽やかな青空。まさに運動日和。まるで、天が俺と詩乃梨さんのらぶらぶ運動デートを祝福しているかのようだ。ちなみに、これがもし灼熱のぴーかん晴れだったら『天が俺と詩乃梨さんの愛を一層激しく燃え上がらせようとしている』と解釈し、土砂降りの雨模様だったら『天が俺と詩乃梨さんに室内でのマット運動を推奨している』と解釈する。要するに、世界はいつだって俺と詩乃梨さんを祝っているのだ。ありがとう世界。俺、今なら全人類愛せる。
そんな風に脳味噌までお天気になってる俺とは対照的に、詩乃梨さんは太股の間に手を挟んで背中を丸めながら物憂げな溜息を大気中へ垂れ流し続けている。
彼女のこの鬱屈全開な態度の理由は、訊くまでもなくわかる。でも敢えて訊ねてみよう。
「……運動、やっぱ嫌か?」
詩乃梨さんは俺の存在をすっかり失念していたのか、ちょっとびっくりした目でこちらを振り返った。
二度三度とまばたきする彼女の瞳に映るのは、いつものイケメン風(笑)の衣装を纏ったナイスガイ俺ではなく、実用一辺倒のジャージに身を包んだスポーツマン俺。ちなみに詩乃梨さんも、彼女が以前まで寝間着として使っていた大きめのジャージをその身に纏っている。
詩乃梨さんはしばし呆けたように俺を見つめてから、さらに俺を見つめ続け、もっと俺を見つめ続けた。彼女の表情に変化無し。されど、時は流れ、雲も流れ、地球は回り、星々は巡る。
あ、しのりんのお顔に変化見っけ。なぜか、頬がちょっとずつ赤くなってきてる。あと、目もちょっと潤んできてますね。……え、なにこれ、まさかまた風邪?
俺は、心持ちゆっくりと、少し台詞を変えて再度問いかけた。
「運動、できそうか? ……どうしてもいやだとか、調子悪いとかなら、無理はしなくても……。………………なあ、おい、聞いてるか?」
詩乃梨さんは完全にぼーっとしちゃってて、俺の声が全く届いていない様子。
実は、これと似たようなやりとり、これが初めてではない。屋上に上がってくる前あたりから、詩乃梨さんは時々こんな感じでぼんやりとしていた。単に眠気が残っているだけかと思っていたが、食事を採り終えコーヒーも飲み終えた今になっても、一向に復調する気配が無い。
もしかしたら、本格的に調子が悪いのだろうか。そう思って、熱を測るために彼女のおでこへ手を伸ばしたら、詩乃梨さんはぎょっとした顔で思いっきり上体を仰け反らせて俺との接触を全力回避。彼女のその過剰な反応は、不意にGと遭遇してしまった純真な少女のそれと全く同じであった。
ガラスの心にうっかりヒビが入っちゃってじわりと涙ぐむ俺に、詩乃梨さんは両手を振り回しながら慌てて弁明してきた。
「ご、ごめん、ちがうの、逃げたんじゃないの、びっくりしただけの、こっ、こたろーがいきなりえっちなことしようとするからっ!」
「……………………いや、俺、詩乃梨さんのおでこ、熱、測ろうと、しただけ……」
「あうとですっ! だめですだめです、今はだめですだめなのですっ! おさわり厳禁! いたずらNG! 軽々しくおでことか、そんな、おでこ触るとか、な、ななななんてすぺしゃるはれんちなっ!」
……俺、今、珍しいことに、下心なんて全くの皆無だったんだけど……。まあ、そうだな、いきなり女の子の身体に触るなんて、普通に考えても考えなくても破廉恥だよな。
胸とおでこをそれぞれ腕で必死に隠してドン引きしてる詩乃梨さんから、俺はゆっくりと手を引いていった。
何も掴めなかった手で、ただ空虚さを握りしめる。
「……悪い。俺、ちょっと調子に乗ってた。次から、気を付けるから」
「そうですこのおちょーし者め是非とも気をつけてくださ――え? ………………あれ、こたろー、今これ何の話? わたし、何言ってた? なんでこたろー、そんな顔?」
「……………………ん、いや、これは、べつに。……俺、なんも気になんかしてねぇし。悪いの俺だし。女の子とちょっと仲良くなったからって、馴れ馴れしく身体に触るのなんて、カンチガイ野郎のやることだし……。俺、勘違いなんて、しねぇし」
「………………え、ごめん、こたろー今絶対勘違いしてる。させたのたぶんわたしだから、それはとってもごめんなさいだけど、こたろーのそれ絶対勘違いです。お願い、ちょっと今のできごと全部置いといて、最初からやり直しさせて?」
「………………………………もう一回、やり直せばいいのか? 詩乃梨さん、今度は絶対逃げない?」
「逃げ、る……? う、うん、逃げない逃げない、ぜったい逃げない。だから、もう一回。ね?」
詩乃梨さんのちょっぴり媚びるような笑みにほだされて、俺は心のヒビを見ないふりして再チャレンジを試みた。
先程は何も掴めなかった無力なこの手を、再びそろりそろりと伸ばしつつ、きょとんとした顔の詩乃梨さんの目を見て宣言する。
「今から、貴女のおでこに、触ります。これは熱を測るためであって、破廉恥な意図を含むものではありません。……だからどうか、逃げないでください」
「…………………………あ……、はい。……え、おでこ? なんで…………えっと、とりあえず、うん、はい、わかった」
詩乃梨さんは戸惑いながらもこくりと頷くと、膝の上で行儀良く拳を握って、俺の手の動きを見守った。
俺は、彼女を怖がらせないように、ゆっくり、ゆっくりと手を伸ばし、たっぷりと時間をかけて彼女のおでこへようやく至った。
指先で、さらさらの前髪をそっと掻き分けて、小さなおでこに手の平をぴとりと触れさせる。
「………………………………」
俺が真摯にお願いしたからか、詩乃梨さんは微動だにせずに俺の手の平を粛々と受け入れてくれている。微動だにしないっていうか、硬直していると表現した方がいい石像っぷりなのが気にはなるけど。あと、身体がそんななのに目線がふらふら泳ぎ始めてるのもすごく気になるんだけど、この反応ほんとなんなんだろう?
熱……は、無い、よな? でもやっぱ顔は赤いし目も潤んでるしで、どうにも判断がつかない。
一応、朱に染まっているほっぺたへ手の平をすべらせて、そっちの熱も測ってみた。
ぽかぽかしてる。もちもちしてる。ぷにぷにしてる。あとひくひくしてる。……あ、やべ、さっき言われたばっかなのに予告無しに勝手に触っちゃった。これ怒られる? しのりんのこの引きつった笑いって、雷龍降臨五秒前だったりする?
「すまん、おでこだけじゃ風邪かどうかわかんなかったから、一番熱そうなとこ測ろうかと……」
「……………………わたし、かぜ、ちがう、です」
「なぜカタコト。……でも、顔赤いし、ほっぺたもこんなに熱い――」
「熱くないです」
「え?」
「顔赤くないしほっぺたも熱くないです。それはこたろーくんの見間違いです、勘違いです、誰がなんと言っても絶対そうなのです!」
詩乃梨さんがとっても真剣な瞳できっぱり断言したので、俺は曖昧な返事を返しながら彼女からそっと手を離すしかなかった。
今度は、きちんと彼女に触れることのできた手。けれどやはり俺は、何も掴めた気がしない。
知りたい。もっと、詩乃梨さんの心に触れたい。
再び拳を握りしめ、俺は決然と詩乃梨さんへ顔を向けた。
そしたら詩乃梨さんは、先程まで俺に触れられていた頬へ指先をそっと這わせて、ほぅっと蕩けた溜息を吐いていらっしゃいました。
彼女は、ぼんやりとした瞳に俺を映して、熱に浮かされたようにぽそぽそと呟きます。
「…………………かっこよすぎ……。…………じゃーじも……、イイよぉ……♡」
…………………………………………………。
しのりんのフェチシズム、またしても唐突に把握。そして彼女のおかしな態度の理由もようやく把握。どうやら彼女、単に初めて見るジャージ姿の俺にうっとり見とれてただけっていうか、軽く発情していらっしゃった模様。だって語尾にハートマーク見えたからね、これしのりんが理性吹っ飛ばしてただ一匹の雌猫へとクラスチェンジしてる証拠だからね。
どうしよ。別に雨降っていないけど、お外の運動は雨天中止してマット運動に予定変更する? 詩乃梨さんの心に太陽の光も雨の音も届かなくなっちゃうくらいに、ひたすらガンガンやりまくっちゃう?
それでも、いいっちゃいいんだけど……。昨日詩乃梨さんの寝顔眺めながら『明日はキャッチボールがいっかなぁ~、それとも縄跳びにしよっかなぁ~、詩乃梨さんどんなのが得意なのかな~、四重跳びとか見せたら「こたろー、すごいっ! 惚れ直しちゃうよぉ♡」なんて言ってもらえるかなぁ~でへへ~』と色々妄想やら小芝居やらして期待を膨らませまくってたから、できたらお外で遊びたいなぁ、でへへ。
でも俺にとって何より優先すべきは、詩乃梨さんの気持ちだ。優先すべきっていうか、詩乃梨さんのしたいことこそが、俺が本当にしたいことなのだ。
だから俺は、うっとりでれでれしてる詩乃梨さんのお膝をぽんぽんと叩いて注意を引き、穏やかに問いかけた。
「詩乃梨さんは、今日、どうしたい?」
「………………じゃーじでせっく――じゃなくってっ! ……どうって、なにが?」
お、ちゃんと正気に戻ってくれた。一瞬とんでもなく危険な匂いしたけどな! あと、やっぱりジャージの魔力に惹かれて、目線が俺の胸元や袖口や股間にふらふらしまくってますね。その合間合間で、何とか性欲をぐっと堪えて俺の目を見ようとしてくれるんだけど、すぐに恥ずかしそうにふいっと目を逸らしちゃて、またふらふら。
かわいい娘だな、ほんと。すごく素直に、そう思える。
俺は込み上げてくる笑いを押さえ込んで変な顔を晒しながら、不思議そうに首を傾げてしまった彼女へ再度問うた。
「今日、お外とおうち、詩乃梨さんはどっちで運動がしたい?」
「…………………………おうち…………ではなく、おそとです!」
ふらりと俺の股間へ向きかけた彼女の視線が、ぐいんと俺の双眸へ向けられた。今度は目を逸らすことはせず、強い気持ちを目力で訴えてくる。
その力強さの理由がわからず少し戸惑う俺に、詩乃梨さんはちょっぴり恥ずかしげに目を細めつつ答えをくれた。
「……こたろー、今日のこと、すごく楽しみにしてたよね?」
「…………………………わかるか?」
「そりゃ、わかるよ……。ひとが寝てるの、にやにやしながらず~っと眺めて、声真似つきでわたしといちゃいちゃスポーツする妄想を延々垂れ流し――」
「聞いてたのかよ!? つか起きてたの!?」
新たな黒歴史をリアルタイムで覗かれていたと知ってしまい、頭が真っ白になりかける。
けれど、詩乃梨さんが俺の意識も視界も独占するかのようにぐいっと顔を近づけてきて、最早糸みたいなレベルで細く――というか鋭角になった眼で俺をしっかりと捉えた。
「聞かなくても聞こえてたし、起きてなくても起きます。………………でも、まあ、なんていうの……? …………………………こたろー、やっぱ、いいな、好きだなって、すごく思った……からもうなんでもいいじゃん今日はお外なの運動なのこたろーといっぱい色んなことやるのっ! もうそれで決定なの、おわかりですかいいですかっ!?」
詩乃梨さんはさらに詰め寄ってきて、俺のジャージのファスナーを意味無く上げたり下げたりじーじーじーじー弄びながら吼えてきた。
俺は、縦軸デンプシーロールしてる金具に振り回されるようにしてぶんぶんと首を縦に振り、しかし気になることがあってふと動きを止めた。
「でもしのりん、さっきものすっごい憂鬱そうな顔でお空眺めて溜息ついてたよな? あれは、運動いやだなーって思ってたんじゃないのか?」
その問いに、詩乃梨さんまで動きをぴたりと止めた。彼女は息まで軽く詰まらせながら、ちょっとばつが悪そうに回答する。
「運動が、いやって、いうか……。あれは……昔の……、………………小学校の頃の、体育のこと、ちょっと、思い出してただけ……」
途中、言いかけてやめようとしたような間を挟みつつも、詩乃梨さんは最後まで台詞を言い切った。けれどそれで気力を使い果たしてしまったらしく、あれだけ元気にファスナーを蹂躙していた手をぽとりと落とし、視線まで落として、沈鬱な溜息を吐いた。
どうやら詩乃梨さんは、体育に纏わるあまり愉快ではない思い出をお持ちのようだ。……もしかしたらその思い出は、彼女が運動嫌いとなるきっかけにも関わっているのかもしれない。
俺は、詩乃梨さんの愛らしいのどを指先でこりこりと撫でながら、情けない顔しちゃってる彼女ににっこりと微笑みかけた。
「その思い出、詳しく聞かせてもらっても、いいかな?」
「………………詳しくって言っても、べつに、そんなに深い話じゃないよ? 長くもないし、重くもないし、ほんとしょーもないっていうか……取るに足らなくて、つまらない――」
「他人にとってはそうかもしれないけど、詩乃梨さんにとってはそうじゃないんだろ? なら、俺にとっても、それは重大なお話だよ」
「………………あ、あの、あんまり期待されても、ちょっと、かなり、困る……」
「じゃあ期待しない。さらっと聞き流した上で、俺の心に刻んで一生保存する。俺の中のしのりんフォルダに、たいせつにたいせつに仕舞い込んでおく」
「…………それ、ぜんぜんさらっと聞き流してない……。…………けど…………じゃあ、えっと……、ほんと、わたしもさらっと、話すけどね……」
詩乃梨さんは観念したように溜息を吐き、俺に素直にのどを撫でられながら、遠い目でどこかを見つめつつ話を始めた。
そしてそれは、たったの一行で終了する。
「……体育の時間って、『好きな人と組みなさい』みたいなの、あるじゃん……? はい、終わりっ!」
俺は思わず天を仰ぎ、なんとも言えない気まずさを噛みしめた。
なんという……、なんという、体育嫌いになる子あるある……! よもやここまで直球でくるとは、流石に微塵も想定していなかったぞ……。
詩乃梨さんは俺のリアクションを呆れと受け取ったのか、のどを撫でる俺の手を掴んでゆさゆさぶんぶん振りながら必死に弁明してきた。
「だって、仕方ないじゃん、みんなわたしのこと除け者にするしさぁ! あの頃はよくわかんなかったけど、あれ絶対狙ってわたしのこと弾き出してたもん! なんで気付かないかなぁ、わたしっ! にぶすぎだよ、あまりにも鈍すぎるっ! 今あの頃に戻れたら、あいつらみんなはっ倒してやるのに! くそっ! ああもう、くそっ!」
「こ、こらこら、女の子がはしたない言葉遣いをしてはいけませぬよ。ほぉら、笑って笑って――」
「うるさい、ばーか! ばかこたろー! そもそも、こたろーがいてくれなかったのが悪いんじゃん! わたしのこと好きだっていうなら、ちょっとあの頃に戻ってわたしの幼馴染みとかになってよ! こたろーいたら、わたしもっとしあわせな子供時代でしたー! 好きな人と組めって言われたらこたろーと組んでましたー! ばーか! こたろーばーかっ!」
う、うぅん、これ頑張って諫めるとこ? それともにやにや喜んでいいとこ? なんかしのりんがあまりにも必死っていうか、顔も心も燃え上がらせて半ばやけくそみたいな勢いでナマの気持ちをどぅばどぅば叩き付けてきていらっしゃるので、ぼくちゃんすっかり勢いに飲まれちゃって上手い返しが思い浮かばないわ。
でも、しのりんが怒濤の勢いをいきなり急停止させて涙目でじーっと見上げてきたので、何か言って差し上げなくてはなりません。
だから、俺は。運動日和な今日の青空に、ロリしのりんの笑顔を思い浮かべながら、とりあえず上手くもなんともない返しを口にしてみました。
「詩乃梨さんの過去を、変えてあげることは、できないけどさ……」
「けど、なに? 言っておくけど、未来は変えられる、はダメだからね。その答えじゃ、こたろーの大好きなろりしのりんが、ちーっとも救われてないから。見てみないふりされちゃってるから」
「………………………………。かっ、過去を、変えてあげることは、できないけどさ。………………詩乃梨さんが……、そう! 詩乃梨さんが、そういう嫌な思い出も色々経験した末に、俺が今愛してる詩乃梨さんになったんなら……」
結局上手くない返しでしかないけれど、それでも俺は、自分の本音を、陳腐ではあれど決して薄っぺらくはない本音を、青空へと解き放った。
「俺は、詩乃梨さんの、どんな嫌な思い出も……、詩乃梨さんと家族の微妙な関係についてでさえも、『それはそれでよかったんだな』って、心からそう思うよ。…………だって、俺だってさ、あの……本気で自殺しようとしていたあの頃が、詩乃梨さんとこうして愛し合っている今の糧になっているなら、それは……、そういう嫌だった時代の俺のことも、喜んで肯定したいって、そう思うから。……そう思えるように、なったから」
現在は、幸も不幸も綯い交ぜにした過去の上に成り立っている。もしどれかひとつでもピースが欠けていたならば、こうしてアパートの屋上でベンチに腰掛けて触れ合ってプライベートな話をしてる俺と詩乃梨さんは存在していない。
もしかしたら、より良い今を築いていたifの世界も、有るには有ったのかもしれない。けれど、ifは所詮if。この世界にはたらればなど存在せず、俺と詩乃梨さんはそんなリセット不可・死亡即終了のどこまでもリアルすぎる世界を、傷だらけであっぷあっぷ言いながら必死こいて歩んできた果てに、こうしてかけがえのない今を掴み取ったのだ。なら俺と詩乃梨さんにとっては、俺達の後ろにある醜いな過去と、俺達が今居るこの完璧ではない現在こそが、唯一無二の『最高の人生』だ。
俺は、誇りたい。色んなものを奪われて、色んなものを自ら切り捨てて、けれど本当にほしかったものだけはしっかりとこの手に掴むことができた、今の俺の人生を誇りたい。
そして詩乃梨さんにも、俺がサイコーだって思ってる今を、俺と共に在るこの現在を、そこに至るまでの全てを、俺の大好きな愛らしい笑顔で高らかに誇ってほしい。
……と、全てをそのまま口に出してしまうと、ただでさえ陳腐な台詞が余計しょぼくなってしまう。なので俺は、含蓄のある渋いスマイルを浮かべて、詩乃梨さんの頭を撫でるのみに留めて置いた。
「……………………こたろー変な顔……。ぶっさいくだなぁ、それ……」
「含蓄のある渋いスマイルでしょう!? そんなマジなトーンでぶっさいくとか言わんといて! いや自分でもイケメンだとは口が裂けても言えない顔貌だってわかってはいるんだけど、でもせめてフツメンくらいだと自称することくらいは許して欲しい、そんな微妙な男心、わかってちょーだいお嬢様!」
「わかんない。こたろーがふつめんとか、なにそれマジうける」
「ここでマジウケだと!? やめてよやめてよ、俺だってちょっと頑張れば少しは見れる顔になるんだからね――」
「こたろーは、世界でいちばんいけめんです。…………わたしの、王子様です」
…………………………ん、なんか今一瞬だけ唐突に特大の耳垢が詰まった。ちょっと耳掃除が必要かもわからんね、これしのりんに膝枕と耳かきお願いすべき? きっと喜んで引き受けてくれるよね、だって俺って詩乃梨さんのおうじ――げふんげふん、んん、あれぇ、耳垢が脳味噌まで回ってきちゃったかなぁー?
なんて脳内で小芝居しながら耳をほじほじほじってたら、詩乃梨さんはいつの間にやら撤収作業を全部終えて、出入り口の扉に手を掛けていらっしゃった。
彼女は、不自然なまでにそっぽを向いたまま、上擦りまくった素っ頓狂な声で告げた。
「いくよ、ぶさいくこたろー。いっぱい運動して、もっとぐちゃぐちゃどろどろのぶさいくな顔になってね。わたし、それ、写真撮ってみんなに回すから。まじウケるようなの、心から期待してます!」
「ええぇぇぇぇぇ、そんなのやめておくれよぉぉぉぉ……。せめてキメ顔にしてくんない? 俺、一定の角度で特定の表情じゃないと、最低限見れるレベルの顔にすらならないんだよね。ほら、俺ってちょーぶさいくだからさー。フツメンを自称するとまじウケされるような凄まじいぶさいくっぷりだからさーあー?」
「…………………………………………ぶさいくじゃ、ないもん……」
「ええっ!? なんだってっ!?」
「…………っ、こたろーは世界で一番かっこいいんだっ! わたしの王子様ばかにすんな、このばーかっ!」
詩乃梨さんは一瞬だけギンッと俺を睨んで盛大に吼えると、転がり落ちるような勢いで鉄扉の向こうへと飛び込んでいった。
完全に言い逃げである。でもすぐ後でまた再会することになるんだけど、そのあたりあの娘ちゃんとわかってんのかねぇ……。たぶんわかってねぇな、だってあれ完全に勢い任せの台詞だったもんね。勢い任せにぽろりしちゃったガチの本音だもんね。
不詳、土井村琥太郎。本日から、愛しのあの娘の王子様やらせていただきます!




