表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空気を読まなかった男と不良未満少女の、ひとつ屋根の上交流日記  作者: 未紗 夜村
第八章 繋がったり、もっと繋がったり。
81/126

四月三十日(日・了)。一番の願いだけは、既に叶えられている。

 行為を終えて。俺と詩乃梨さんは、互いの方をなるべく見ないようにしながら身体をシャワーで適当に流すだけ流してから、少しぬるくなってしまった湯船に隣り合って浸かっていた。


 以前のような二人羽織体勢ではなく、二人して窮屈な体育座りで壁の方を向いてます。いいか、壁しか見ちゃダメだぞ、俺。横を見てしまえば一糸まとわぬ姿の詩乃梨さんをバッチリ目撃してムラっときちゃうし、後ろを見てしまえば俺と詩乃梨さんの体液で汚れた服や床が目に飛び込んできてムラっときちゃう。ムラムラしてはいけません、今日はえっち終了なの。『今日はむりだけど、これからいっぱいがんばるよ』って健気なこと言ってくれた娘に今すぐ無理を強いるとか、お前それ駄目でっしゃろ、超ダメすぎでっしゃろ……。


 だから俺は、詩乃梨さんがちらちら送ってくる視線や脇腹を突いてくる指先をガン無視して、ひたすら壁に熱烈な視線を送り続けております。


 そんな感じで数分後。詩乃梨さんが、俺の横っ面に水鉄砲をぴゅっと吹きかけてきながら、刺々しい声を発した。


「こたろーくんが、とってもつれない態度です。これ、もうぶん殴っていいよね?」


「…………………………いいわけあるかーい……」


 もうしばらく無言で心を落ち着けていたかったけど、殴られるのは嫌なのでツッコミせざるを得ませんでした。でも視線だけは決して壁から動かさない。


 だがしかし。詩乃梨さんは、水面にちゃぷりと波を立てながら体勢を変えると、すいーっと水をかきわけて俺の視界へあっさり侵入。俺の膝に両手と顔をちょこんと乗っけると、彼女はちょっと媚びるような上目遣いを向けてきた。


 彼女の目は語る。『もうちょっとだけなら、むり、できるよ?』


 俺はその声のおかげで――、ようやく、心の暴走を鎮めることができた。


「詩乃梨」


「……だから、なんで、よびすて……」


「詩乃梨。えっちなことしないから、身体伸ばしてもいいかな? この向きでこの体勢だと、流石にちょっと狭い」


「………………これ、こたろーが勝手にやり始めたんだけど……」


 詩乃梨さんはぶつくさ言いながらも、俺の要望に従って狭い浴槽内で体勢を変え始めた。俺も彼女の動きに合わせて、お湯をかきわけていく。


 視覚的にも触覚的にもラッキーすけべのオンパレードだったけど、ロリコーンは起動率五十パーセント前後で安定。詩乃梨さんを俺の両腕両足の中へ納めたポーズへ完全に移行して後も、ロリコーン暴走の兆しは無しだ。


 でもね。しのりんが素知らぬ顔でロリコーンをおしりでぷにぷに揉んできやがるので、ロリコーンさんを封印している鋼鉄の鎖が弾け飛びそうです。しのりんってばこれ明らかに意図的な動きよね、だってこの娘あらぬ方向へ下手っぴな鼻歌垂れ流して誤魔化しにかかってるもん。


 俺は詩乃梨さんを四肢でぎゅ~っと締め上げながら、彼女の「くふぉぉ……」なんて羞恥とも痛みともつかない悲鳴を間近で堪能しつつ、ぼしょぼしょ耳打ちした。


「今日はえっち終了だ。俺、もう大丈夫だから。だから、今は純粋にお風呂楽しもうぜ?」


「…………………………もう、だいじょうぶ、なの?」


「おう。詩乃梨さんが『これからいっぱい頑張る』って明言してくれたからな。今日限りじゃなくて、またできるんだなって思えば、わりと我慢利くですます」


「……………………………………がまん、しなくて、いいんじゃない?」


「………………………………なあほんとちょっとお願い待ってお願い待って待って、折角心落ち着いてきたのにそういうこと言うの無しでしょやめてやめてひっひっふーひっひっふー」


 ラマーズ法むなしく、ロリコーンの起動率がぐんぐん上昇。詩乃梨さんのやわらかなおしりへ結構な強さで食い込んでいく。


 思わず腰を引かせた俺とは対照的に、詩乃梨さんは全身を俺にくいくい押しつけてきながら、水面へ向かってくふりと笑った。


「こたろーくんは、とってもげんき。……げんきなこたろー、やっぱりかわいいね」


「……え、この流れでかわいいって何? 俺のロリコーンがかわいいサイズだとでもおっしゃりたいの? どう考えてもかわいくないと思うよ、サイズ的にも見た目的にも」


「かわいいよ。こたろーのコレも、こたろー本体も。………………『しのりさん、だいすきだー』って、頭でも身体でもさけんでる、どいむらこたろー。…………ちょーかわいい……」


 詩乃梨さんはうっとりとした溜息を漏らし、彼女を抱き締めている俺の腕を両手できゅっと掴んできた。銀色の髪の合間から覗く彼女の耳も首筋も真っ赤っかなのは、お湯が熱いからーだけが理由じゃないよね。


 あと関係無いけど、たぶん俺の耳も首もしのりん並みに真っ赤っかだと思う。理由はわかるだろ、訊くな。


 俺はむくむくと膨らむ性欲を見ないフリすべく、目線を虚空へ投げ出して、ぶっきらぼうを装った声音で台詞を紡いだ。


「……詩乃梨は、そういう可愛いこと言うの、禁止な。せめて、もうちょい無愛想成分マシマシで頼む」


「……ぶあいそう? ……んー……。…………こたろー、かわいくないね。ちっともかわいくない。……かわいいっていうより、かっこいいだし、頼りがいあるし、身体おっきいし、こうして抱き締められてると、こたろーのたくましさが、こたろーの愛情が、わたしの肌とか胸にすーって染み込んできて――」


「わざと? なあそれわざとだよな? 無愛想要素どこ? 可愛さに磨きかかっただけじゃね?」


「これがわたしの無愛想です。文句ある?」


「………………。………………ありませぬ、姫様」


 一兵卒が姫殿下に物申すなど間違いでありました。姫殿下が黒であると仰れば、この世の全ての白鳥を黒く塗りつぶすのがわたくしの役目。間違っているのは姫殿下ではなく、姫殿下に従わぬ世界の方なのだ。


 どうしよ、姫殿下のおっぱい揉みたくなっちゃった。ていうか種付けしたい。また種付けしたい。これ不敬?


 ……いや、不敬であってもなくても、今日はやっぱりもう駄目だ。俺も詩乃梨さんも気持ち的にはまだまだやれるけど、詩乃梨さんの体力は既に底を突いている。これ以上行為を続ければ、それはそのまま彼女の身体への負担となるだろう。ただでさえ筋力無いしな、詩乃梨さん。


 ………………………。じゃあ、筋力付けたら、エンドレス種付け耐えられる……?


「詩乃梨さんって、明日暇? よかったら、ちょっと運動付き合わない?」


 思ったことを大分ニュアンス変えつつ口に出してみたら、詩乃梨さんがめっちゃ盛大に身体びっくん跳ねさせてぎゅるんとこちらを振り返った。


「う、んど、う……? ……………べっどで? いちにちじゅう? ごむなし? すーつあり?」


 ………………………………。ねじ曲げたはずのニュアンスが、なぜか俺の予想を超える剛速球となって伝わってしまったご様子です。え、なにそのきらきらしたお目々。あれっ、もしかして俺が思ってたより、詩乃梨さんってえっちにハマっちゃってますの? や、元からわりとサキュバスさんではあったし、それにこれからえっちいっぱい頑張る言うてくれてたから、積極的にえろいことしたがるのは当然であり願ったり叶ったりでもあるんだけど……。


 じゃあ一日中ベッドの上で運動しててもいいんじゃね? そういう日作ろうって最初に言い出したの俺だし。いやでも待って、今の俺の発言はそういう意図のものではなかった……なかっ、た……? なかった、はず、なので、一応訂正だけはしておこうかな


「それでもいいんだけど、俺が今言った運動は、もっと体育的なあれな」


「……………………ほけんたいいく?」


「保健要らない、純粋な体育です。外走ったり、キャッチボールしたり、サッカーしたり、ってやつ」


「…………………………。それって、本当に、ただの運動なのでは?」


「だからそう言ってるじゃん。ほら、詩乃梨さんってあんまり筋力無いだろ? ムッキムキになられるのは非常に困るんだけど、そこまではいかずとも、ちょっとくらいは走ったり投げたりして鍛えておいた方がいいのかなって」


「うえええぇぇぇぇぇぇぇ…………」


 ああ、運動嫌いなんすね。なんてひっどいお顔なの。こんな顔されるくらいなら、しれっとベッドの上の運動の約束を取り付けてりゃよかった。大失敗である。


 と思ったのだけど、詩乃梨さんは一転、きょとんとしたお顔で見上げてきた。


「……うんどう、『付き合わない?』っていうのは、こたろーも一緒にやるってこと?」


「え? うん。そうだけど……。……………え、なんで?」


「…………………………ふぅん……」


 俺の疑問に答えることなく、詩乃梨さんは軽く鼻息を漏らしながら正面へ向き直った。俺も何となく詩乃梨さんと同じ方向を見つめ、お湯と詩乃梨さんのあたたかさに身体を委ねる。


 しばらくして。詩乃梨さんは、ぽそりと呟いた。


「……やろっかな」


「……俺と一緒に、運動?」


「うん。……………………あ、べっどの上で、じゃないからね? 期待させちゃって、ごめんなさいねぇ、こたろーちゃん……」


「なんだそのウザかわいい謝罪。佐久夜みたいだな、なんとなく」


「うん。狙った。………………へへ……」


 ウザい言われて嬉しそうに微笑んじゃって、あらまぁ。しのりんがにこにこだと俺もにこにこしちゃいますね、ぶぅぇひひひひ。


 さておき。佐久夜、か。そういえば、あの娘達は連休中の予定ってどうなってるんだろう? 別に年頃の女の子達の私生活に並々ならぬ興味が有るからこんなこと言い出したってわけじゃなくて、あの娘達の予定次第で詩乃梨さんと俺が別行動ってことになるかもだから、一応把握しておいた方がいいかなっていうね? ほんとそれだけ、それだけです。


 それだけだから、訊ねてみちゃおっかな。


「なあ、あの娘達はこの休み中って何やってるの?」


「……ん? ……………こたろー、浮気?」


「俺の気持ちは、いつだって詩乃梨さんへ一直線です! でもその辺ちょっとでも不安になっちゃうなら、答えてくれなくていいからね。ただの興味本位みたいなもんだしさ」


「…………んー。べつに、不安じゃない。…………むしろ、ちょっと、うれしい」


 浮気発言は冗談だったらしく、詩乃梨さんは上機嫌にくふくふと若干可笑しな笑い声を漏らした。


 嬉しい、か。それは、本来嫉妬深いはずの詩乃梨さんが、余所の女に興味を示した俺に対して抱くには、あまりにも似つかわしくない感情。けれど、詩乃梨さんがそういう想いを抱いた理由は、昨日今日の詩乃梨さんの様子から何となく察することができる。


 要するに。これもひとつの『同好の士』ってやつなんだろう。あの娘達を『いやぁ、すげー良い子達っすね!』と気に入った俺に、詩乃梨さんは『ほほう! 貴様、なかなかわかってるではないか!』みたいな感じなのではなかろうか。こいつとなら良い酒が飲めそうだぜ的な、そういう底抜けな上機嫌っぷりが彼女のくふくふ笑いから迸っている。


 詩乃梨さんはひとしきり笑い終えると、ふぅっと息を吐いて気を取り直したような声音で述べた。


「予定、みんな色々あるって。……でも、また……集まるよ。一回学校行った後に」


「……登校日の後、ゴールデンウィーク後半で、ってことか?」


「うん。……明日は、さくやが勉強の追い込みで、あやねがだいはんじょーな家の手伝いで、かやは……」


 詩乃梨さんはそこで、若干気まずげに――否、苛立ちに顔を歪めた。


 俺がその理由を問うまでもなく。詩乃梨さんは、水鉄砲で壁をぱしゃりと打ちながら、面白くなさそうに続きを述べた。


「かやは、外、なんとなく出たくないから、とりあえず家でおとなしくしてるって」


「……なんとなくで、とりあえず……? 単に出不精とかインドア派だから、ってわけじゃないんだよな?」


「合ってるけど、今回はちがう。……………ストーカー」


 ぽつりと呟かれたその単語に、俺も顔を歪めざるを得なかった。


 ストーカー。昨日、山岡に付け回された一件。


 真相は香耶や俺達が当初心配していたような事件ではなかったし、それに既に解決済みとなった案件だ。とはいえ、ほぼ見知らぬと言っていい男に執拗に追い回された体験は、なんとなく外出を自粛したくなるくらいには香耶の心に影を落としてしまっているのだろう。

 

 ……しくじったな。そうと知っていれば、もうちょっと気を遣ったのに。いや、知っていなくとも、今日くらいは家まで送って行ってあげるべきだったかもしれない。まほろばからの帰り道は完全に上の空になっていたせいで、そのあたりまで全然頭が回っていなかった。


「……なあ、一人で帰してよかったのか?」


 思わず漏れた、今更すぎる問い。けれど詩乃梨さんは馬鹿にすることなく、少し平静を取り戻した様子で回答してくれた。


「ひとりじゃないよ。さくや、付いてった」


「………………それでも、女の子だけか……」


「……ん……、普段、みんな『女の子だけ』で帰ってるよ? さくやとか、色んなことやってるから、もっと遅い時間にひとりで帰ったりもしてる……はず」


「……ああ、そうか。……いや、まあ、そうなんだろうけどさ……」


 どうしても歯切れの悪い台詞しか吐けない俺に、詩乃梨さんが横目で『けど、なに?』と問いかけてきた。


 俺は一瞬気付かないフリをしようとしたけど、詩乃梨さんに対してはろくに心の防壁が働いておらず、結局ほぼノータイムで内心を吐露してしまう。


「やっぱ……、心配だ」


「……かやが? ……さくやが?」


「どっちも。あと詩乃梨さんも勿論だし、綾音さんのこともだな。……みんな、ひとりでその辺歩いてたら良からぬ輩に攫われるような、すごくかわいい子ばっかだし」


「……こたろーの中で、日本の治安ってどうなってるの……? あと、ことあるごとにかわいいかわいい言ってるけど、たぶん、こたろーが言うほどかわいくないからね、みんな。それ、こたろーのひいき目だからね。わたし達の誰ひとり、未だかつて誘拐とかされてないからね?」


「でも、ストーカー未遂に遭ったり、実際ストーカー被害に遭ったり、野郎共に告白されまくったり、男と近付かないように頑張ったりしてるんだろ? あと、日本が治安良いって言っても、性犯罪がゼロってわけじゃないんだぞ? 詩乃梨さん達が今後もずっと標的にならないとは限らないだろ?」


「………………むー……。…………それは、そう、だけどさ……」


 詩乃梨さんは尚も何か言いたげに口をもごもごとさせたけど、結局、正面を向いて水鉄砲遊びに興じるのみとなった。


 きっと、その水の弾丸は、詩乃梨さんの不平不満で錬成されていて。的である壁には、俺の幻影が映っているのだろう。


 俺は、詩乃梨さんからも俺の幻からも目を逸らして、自分の内心を見つめた。


 あの娘達や、詩乃梨さんをたいせつだと思えば思うほど、俺の過保護はどんどん加速してしまう。詩乃梨さんはそんな俺も頑張って受けとめてくれるのだろうけど、その度にこうして不満が積み重なって行くことになる。


 詩乃梨さんが俺に対して不満を抱き――、そして、俺も詩乃梨さんに対して不満を抱いてしまう。


 どうして俺の気持ちをわかってくれないんだって、こんなにきみのことが心配なのにって、叫んでしまいそうになる。


 でも、この気持ちは、普通じゃない。常軌を逸した執着だ。まともな人間なら、いくら愛してるからって、こんな過保護になったりはしない。

 

 俺は、他の人達とどこが違うんだろうか。


「……………………………………」


 詩乃梨さんはいつしか水鉄砲遊びをやめていて、俺の腕の中でおとなしくなっていた。


 逃げ場を失ってしまった彼女の不満は、いったいどこで凝っているのだろう。それを思うと彼女のことがたまらなく心配になってしまって、俺は思わず口を開いた。


「俺、は……」


 俺は、なんだというのだろうか。台詞の続きが、どこを探しても見当たらない。


 でも、見当たらないでは済まされない。考えろ。捻り出せ。なんとか気の利いた台詞を引っ張り出してきて、詩乃梨さんの不満を払拭しないと、いいかげん愛想尽かされる。


 いやだ。愛想尽かされたくない。嫌われたくない。詩乃梨さんに嫌われるくらいなら、自分のくだらない主張をゴミ箱に投げ込んだ方が良い。


「……ごめん、俺、さすがに神経質になりすぎた。……不安も心配も簡単には無くせないけど、そこまで過保護になる必要は無いってことは、ちゃんとわかってるから。…………今は、毎日がしあわせすぎて、それを失いたくなくて、過剰に守りに入っちゃってる-、みたいな感じなので……、浮ついた気持ちが落ち着くまで、もうちょっとの間だけ、待っててもらえないかな?」


 俺が述べたのは、紛れもない本心だった。どこまでも薄っぺらい本心。見透かした所で、裏には何もありゃしない。


 なのに。詩乃梨さんは、俺の腕のかぷかぷ甘噛みして不満を表しながら、怒りに満ちた声音で断じてきた。


「こたろーくんが、嘘をつきました」


「……いや、嘘じゃねぇよ。ここだけの話、俺って詩乃梨さんに対しては本心しか語らないことで有名だからね? 俺しのりんに言っちゃ駄目なやついっぱい暴露しまくってるからね、嘘ついてまで隠す必要あるものなんてもう何も無いからね」


「じゃあ、わたしにじゃなくて、自分に嘘ついたんだね。こたろーってすごくばかだから、こんな嘘でころっとだまされちゃうんだよね。わたし、わかってます」


 わかっていましたか。でもその理解はきっと紛い物よ、だって俺自分に嘘なんてついてないもの。でも、あれっ、なんでだろ、まるで図星でも突かれたみたいに反論の言葉が何も出て来ない。これなんで?


 その疑問への答えを、詩乃梨さんは横目でじっとりと睨め付けて来ながらぞんざいな口調で寄越してくれた。


「こたろーくんは、わたしのことが、とっても大好きです。こたろーくんが大好きって言うなら、それはどこまでもどこまでも本気なので、『そこまで過保護になる必要がない』なんてぬるい常識を信じられるわけがないし、『浮ついた気持ちが落ち着く』なんてこともありえません。こたろーくんは一生、わたしのことが好きすぎて気持ちをふわふわさせ続けて、ちょーぜつ過保護であり続けることでしょう」


「…………でも、そんなんじゃ、俺、詩乃梨さんに窮屈な思いをさせる――」


「はい、こたろーくんは今、自分の嘘を認めましたね? わたしの言ったことが事実であると認めた上で、わたしに窮屈な思いをさせたくないから、さきほどはてきとーな一般論をでっち上げたのだと、そういうことですよね?」


 ……そういうこと、なんだろうか。……いや、そういうことだ。ここまでものの見事に看破されてしまえば、もう誤魔化すことなんてできない。詩乃梨さんも、自分も、欺くことはできない。


 俺は、欺くことを諦めて、ただ詩乃梨さんを抱き締めながら呟いた。


「頼む、嫌いにならないでくれ」


 詩乃梨さんは俯いて、俺の腕をがぶりがぶりと強めに噛みつつ、威嚇するような声音で答えた。


「うそつきは、きらいです」


「……じゃあ、俺、もう、嘘、つかないよ」


「んー? ……でもこたろー、そう言って、もういっぱい嘘ついてるからなぁ……」


「…………なら……、ひとつ、頼みが、ある」


「……………………いいわけより先に、頼みごと? ……まあ、いいけど。どんな?」


 詩乃梨さんは多少態度を和らげて、自分で付けた噛み跡をちとちろ舐めながら問うてきた。


 俺は、詩乃梨さんの首筋に鼻先を押しつけて、彼女の匂いで緊張を和らげ、どうにかこうにか口を動かす。




「俺のことが嫌いになった時は、優しい嘘なんてつかないで、正直に言って。……それだけ約束してくれるなら、俺はもう、詩乃梨さんに何も嘘なんてつかない」




 もし。詩乃梨さんが、本当は俺に愛想尽かしてしまったのに、俺があんまり詩乃梨さん好き好き言うものだから、お情けで一緒にいてくれている、なんてことになったら。俺、もう、無理。そんなの、もう、何もかも無理。そんなの、気持ちの勝手な押しつけが極まり過ぎちゃってて、俺もうとにかくすごく無理。


 想像するだけで吐き気がする。怖い。何が怖いって、もしかしたら今まさにその『すごく無理な状況』なのではないかって、そういう不安を否定しきれない自分が怖い。


 俺、詩乃梨さんのこと、信じてないのかよ。あんだけ好き好き言いまくって、好き好き言ってもらって、俺の醜い部分をいっぱい受け入れてもらって、処女だってもらって、いっぱい中出しして、何回も身体重ねて、こうして一緒にお風呂だって入ってるのに、世界で一番愛しい女の子のことさえ未だに信じきれていないのかよ。


 詩乃梨さんのことを、俺は、信じきれていない。それが俺の本心で、そして、今しがた俺が口にした願いは、言外にその本心を語るものだった。


「こたろーは、わたしが、そういう嘘つくやつなんだって、そう思ってるんだね」


 俺の正直な気持ちは、彼女へと、この上なく正しく伝わってしまった。


 詩乃梨さんはその淡々とした声音とは反対に、肉食獣を思わせる苛烈さで俺の腕に爪を突き立ててきた。けれど、非力な彼女では俺の腕を千切ることは叶わず、どころか皮膚をほんの僅か割くことすら叶わない。


 でも俺は、痛くて泣いた。痛くて、痛くて、ちょっとだけ泣いてしまった。


「ごめん。詩乃梨さん、ほんとごめん」


「許さない。ばか。ばかこたろー。こたろーくんは、わたしを侮辱しました。とんでもない侮辱です。わたし、あまりにも怒りすぎて、胸の奥、なんだかすーすーします」


 胸の奥すーすーって何、それどんな感覚。烈火の如き怒りの擬音としては似つかわしくない。どちらかというと冷たそう。冷たい炎。そう、それだ。


 詩乃梨さんはかひゅかひゅと鋭く早い呼吸を繰り返して、胸の内に燃え盛る白き炎にどんどこ薪をくべながら、お湯を凍てつかせるような冷気を台詞として吐き出した。


「こたろーが、気持ちの押しつけ、だいきらいなんだって、死んじゃいたくなるくらいだいっきらいなんだって、わたし、知ってる」


「……うん」


「こたろーが、わたしのこと、だいすきなんだって、すごくだいすきだって、いのち全部かけて愛してるって、わたし、知ってる」


「………………うん」


「そんなこたろーに、わたしが、こたろーのだいすきなわたしが、やさしい嘘? なに、なにそれ。ねえ、それなに。わたし、そんなこと、するの? するように見えるの? 思えるの? そもそも、きらいって、こたろーのこと嫌いになるって、そう思われてるの? こたろーずっとそう思ってたの? ずっと? いつから? なに、それ、なに。なんなの。わかんない。わけわかんない、なにそれ、なぐりたい、殴りたおしたい、蹴る、殴って蹴る、やめない、あやまってもやめない、こたろー気絶してもやめない、こかんけってやる、ふみつぶしてやる、いんもうひきちぎってやる、棒ひっこぬいてやる、おしりのあな、おしり、おし、り…………………………。………………こたろーの、おしりだって、犯してやるっ!」


 禁忌を犯すレベルでお怒りですよ、雷龍様。アナル犯すよりも罰として重いものが幾つかあったと思うんだけど、そんなとこにツッコミ入れてる場合じゃないねこれ。


 俺は詩乃梨さんの口に手の平を当てて過呼吸を抑制しながら、彼女の側頭部にぐりぐりと頬ずりした。


「ありがと、しのりん」


 謝罪ではなく、感謝。詩乃梨さんは俺の手相を噛み千切ろうと必死になっていたが、ちょっとだけ攻勢を緩めてふーふーと荒い息を吐きながら俺の発言を待ってくれた。


 俺は、決意をそのまま台詞へ変えた。


「俺はもう、詩乃梨さんを疑わない」


「あたりまえ。そんなの、あたりまえ。いまさらすぎ。ばか。ゆるさない。ばか」


「……うん。そうだな。ごめん、今更こんな当たり前のこと言って。…………そうだな、当たり前、なんだよな、こんなの」


「そうだよ。………………ん、やっぱり、ちがうかも。……こたろーには、全然あたりまえじゃなかった。わたし、知ってる。……でも、やっぱり、絶対ゆるせない」


「……そっか、許せないか……。俺も、そう簡単に許してもらえるなんて、思ってないし、思えない。……なあ、俺、どうすればいい? してほしいこと、なんでも言って。なんでもやるから」


「……………………………………なんでも……」


 詩乃梨さんは未だ苛立ちに満ち満ちた声音で反芻すると、急に押し黙ってしまった。


 彼女の呼吸が平常に戻るのを待ってから、俺は彼女の口から手を離し、そこから彼女ののどへと指先をすべらせてこりこりと撫でた。にゃ~ん。


 俺の脳内に響く猫の鳴き声に、詩乃梨さんのちょっぴり気持ち良さそうな鼻息が重なり始めた頃。詩乃梨さんははっとした様子で怒りのオーラを纏い直し、真面目ぶった声で問いかけてきた。


「なんでも、と、こたろーくんは言いましたね? 参考までに聞いておきたいのですが、なんでもというのは、どの程度までOKなのですか?」


「なんでもだよ。おしりの処女だってあげる、好きなだけほじっ――」


「こたろーくんの気持ちは痛いほどよくわかりましたしゃらっぷ! …………んー……。じゃあ、たとえばですね、わたしが『ぜんざいさんちょーだい!』と言ったら?」


「あげる。金とか元々興味無いし」


「……………………。ごめん、質問まちがった。こたろーはそういう人でした……。じゃあ、えっとね、たとえば、『なんでもお願いをきいてくれる権利を、無限回数分ください』って言ったら?」


「あげる。ていうか、詩乃梨さんはもう持ってるよ、それ。俺の人生って、九割九分九輪くらいは詩乃梨さんのために捧げられてるから」


「……………………。ごめん、これもちがった。こたろーくんは、そういう人でした。…………え、でも、もう持ってるなら、わたしがこたろーを赦すことへの対価にする意味ない……」


「む、そうだな。……あ、あとあれだ。『タガの外れたお願いを聞いてもらう権』もまだ残ってるよなぁ、そういえば……」


 俺と詩乃梨さんは、揃ってうーんと唸り声を上げた。もう俺も詩乃梨さんもすっかり平常運転に戻っちゃってて、許す許さないとか話し合う意味が完全に無くなりかけてる気がするけど、それはさておき。


 うんうんうんうん考え込みまくってたら、詩乃梨さんがふと『いいこと思いついた!』みたいな声を上げた。


「こたろーだったら、わたしになんでも言うこと聞いてもらえるとしたら、何して――」


「俺と結婚して子供産んでしあわせな人生送ってから一緒の墓入ってくれ」


「……………………あ、うん。…………えっと……、それも、わざわざ『なんでもお願い権』使う意味、ないよね……」


「……………………………………。それって、つまり――」


「他のお願いでお願いします! ふしゃー!」


 勢いで超強引に流された。猫しのりんかわいい。俺の生涯の伴侶マジかわいすぎです!


 思わずむぎゅりと抱き締め直したら、しのりんがにゃーにゃー言いながら暴れ出した。でも本気で嫌がってる様子じゃないのがありありと見て取れて、なんかもう今すぐ孕ませたくて仕方無い。いく? いっちゃう? あれ、でも今日はもう駄目なんじゃなかったっけ? なんで駄目なんだっけ……?


「あ、そだ。お願い、思いついたわ」


「……うー、おねがいぃ……?」


 身体を捻って、目尻に涙浮かべて半笑いで見上げてきた詩乃梨さん。俺は、自分が彼女のどこをいじってしまったのかとか、お願いを言うのは彼女の方じゃなかったのかとか、これもお願い権使う必要無いお願いだよなとか色々思いながらも、脳内の台詞をボツにすることなくそのまま口にした。


 それに対して、詩乃梨さんは困惑気味の笑顔でこうコメント。


「………………それ、こたろーのお願いっていうか、わたしのためだよね?」


「そうか? ……いや、でも今は元々詩乃梨さんのお願いを聞くターンだったんだから、それでいいんじゃね?」


「……わたしのお願い権、ずいぶんしょーもないことに使われちゃうんだね……」


「おいこらちょっと待て、全然しょーもなくなんかないだろ。『しのりんと一緒にお外で運動する』なんて、全宇宙の俺がよだれ垂らして羨ましがる超特別レアイベントですよ? …………や、詩乃梨さんの立場から見ればしょーもないか。俺ごときと一緒って言われてもなぁ……」


「む。聞き捨てならない。こたろーと一緒に運動、これはちょーとくべつれあいべんとです。しょーもないなんて言わせません」


「…………………………あ、どもっす……」


 俺が気恥ずかしさでそっぽを向けば、詩乃梨さんもふいっと顔を背けちゃって、二人羽織体勢で二人共黙り込む。


 俺達の顔の赤さは、風呂の熱さが原因では無いことを、ここに明記しておこう。



 ◆◇◆◇◆



 結局その後は、なんとなく無言のまま、詩乃梨さんがのぼせる寸前まで混浴を堪能した。


 ふらふらの詩乃梨さんをさっさと浴室の外へ送り出してから、俺は一人居残って、今日の行為で汚してしまった服を軽く手洗い。


 流れゆくお湯や粘液を眺めながら、俺はなんとなく思考に耽る。


 詩乃梨さんと、共に過ごす日々。どんどん詩乃梨さんのことが好きになっていって、その想いに歯止めがかけられない。流石にこりゃやべぇと思ってなんとか思い留まろうとする度に、ブレーキが詩乃梨さんによっていとも容易くへし折られて、もっともっと詩乃梨さんへぞっこんになっていく。


 好きになればなるほど、裏切りが怖くもある。けれど、その恐怖はついさっき完全に拭い去られた。


 もう俺は、詩乃梨さんを疑わない。いつか嫌われるかもなんて思う暇があったら、詩乃梨さんをもっと俺に夢中にさせてやれ。詩乃梨さんの視線を独占したいと思うなら、もっと自分の魅力を見せつけてやれ。


 差し当たり、明日はちょっくら、スポーツができる俺を見せつけてめろめろにしてやろっかな!




 などと気合を入れておりましたところ。全く想定外の人物が、俺の魅力に――ではなく、詩乃梨さんの魅力に心を奪われることになりましてね、ええ……。いったいこれどうしたもんかと……。あ、NTRは無いです無いです。もちろん俺としのりんの絆は鋼鉄なんだけど、その代わりにとある夫婦の間に波風立っちゃって、これほんとどうしたものやら……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ