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四月九日(日・4)。恋愛対象外確定。そして俺は銀河へ旅立った。

 詩乃梨さんの、お弁当。


 それは、俺のために作られたものではなく、本来は詩乃梨さん自身が食べるための物であった。当然、俺への愛情その他の感情が込められているわけなどない。

 己の服装に頓着しないずぼらさと、パン一個の値段にも拘る節約精神。その二つを併せ持つ詩乃梨さんが自分用に作るとこうなるんだな、と素直に納得できるような内容であった。


 小さく平たいランチボックスに、ご飯半分ドン、おかず半分ドン。ご飯は日の丸も海苔も無く白一色であり、おかずは夕飯の残りと思しき野菜炒め一品のみ。造詣や彩りで見る物を楽しませようという心配りなど皆無な、あまりにも男らしいというか潔すぎるお弁当である。


 弁当は詩乃梨さんの声で語る。『安くて、栄養取れて、普通に食べられれば、それでいいでしょ』。


 至極どうでもよさげに放られたその言葉に対して――


 俺は、涙を流すことで応えた。ちなみに、何らかの婉曲表現ではなくリアル涙である。


「こ、こたろう、まずかった? そんな泣くほど?」


 詩乃梨さんが、己の食事の手を止めてこちらを心配げに見つめてくる。大の男がマジ泣きしている姿に気が動転し、己がその男に『黙って食え』と命じたことなどすっかり頭から飛んでしまっているようである。


 俺は首を横に振った。味付けの薄すぎる野菜を口の中でもしゃりもしゃりと咀嚼しながら、平板なアクセントで感想を述べる。


「うまい。超美味い。俺は今までの人生において、こんなに美味いものを、食べたことがない」


 詩乃梨さんは、俺の言葉に対して――静かな怒りに打ち震えるように目を細めた。


「うそつき。美味しいとか、思ってないくせに。いつまでも噛んでるじゃん。不味いし、味薄いからでしょ? 泣いてるのも、私が貧乏で哀れだとか、悲惨な盛り付けだなとか――」


「詩乃梨さんは、アホの子なんだな」


 俺、琥太郎。女の子に面と向かって暴言を吐くの巻。


 心底からの『アホ』発言に、詩乃梨さんは虚を突かれたように目を丸くした。


「……あ、あほ? ……‥……‥……ど、どこが? ……だって、琥太郎、さっきの感想、無理矢理美味しいって言った、みたいな、感じだったし……」


 ああ、声の抑揚を力尽くで押さえつけてたからな。だって気を抜くと俺、感想述べるとかじゃなくてテーブルの上に仁王立ちして天を仰ぎながら「うーまーいーぞー!」って絶叫しそうだし。


「………」


 俺は目を閉じ、ひたすら口の中に神経を集中する。


 味そのものは、確かに若干不味い。しかしそれは料理下手から来るものではなく、詩乃梨さんの舌に会わせたであろう薄すぎる味付けのせいだ。野菜は芯まで火が通っていながら焦げもなく、詩乃梨さんの料理の腕が少なくとも並み程度にはあることが窺える。


 詩乃梨さんにとってはこの野菜炒めが『上』であり、純粋な料理として見れば『並』であり、俺にとっては少しだけ『下』。


 だが。俺にとって、味というのは正直どうでもいい。食にこだわりのない俺にとっては、メシなんてなんてそれこそ『安くて、栄養取れて、普通に食べられれば、それでいい』だし、もし美味いものが食べたいならそこらへんの高級店へ適当に食いにいくなり、奮発した高級食材使って自分で作るなりすればいい。


 俺は、眼を開けた。そして、髪の毛を弄っていじけている詩乃梨さんの双眸を見つめ、悟りを開いた賢者のように穏やかな調子で語りかける。


「美味い飯は、金で買える。俺には、それが買えるくらいの金もある。……でもな? 『心が満たされるご飯』っていうのは、いくら札束積んだって買えないんだよ」


 そんな俺の主張に対し、詩乃梨さんは少しだけ怪訝の色を滲ませながら問いかけてくる。


「……お金で愛は買えない、みたいな話?」


「まあ、そういうことだ」


「………………わたし、べつに、こたろうのために、愛情とか込めてないんだけど……。それ、自分用だし……」


「わかってる。……本当なら、俺のために作ってくれるのが、一番嬉しいんだけどさ。でもやっぱり、女の子の、しかも自分が好ましく思っている相手の手作り弁当って時点で、何をどう足掻いても『美味い、嬉しい、幸せだ』しか感想出て来ないよ」


「……………………………………」


 詩乃梨さんの表情から、俺を訝しむ気配が消え去る。どころか、なぜか表情そのものがまったくの無になってしまった。


 喜怒哀楽、どれでもない。四属性全部合成することで発生する紛い物の無ではなく、過去に失われた第五属性的な純粋たる無である。


 無属性の担い手、雪峰詩乃梨は、極大魔法を唱えた。






「『自分が、好ましく思っている、相手』?」






 俺は死んだ。


「こたろう、わたしのこと、好きなの?」


「…………………………………嫌ってると思う?」


 問いに対して、問いで返す。会話におけるマナー違反かもしれないが、だってこの状況でうまいこと誤魔化せる台詞とかすぐに出てこないし、かといって黙り込んでたら肯定にしか取られないもの、仕方無いじゃないか!


 詩乃梨さんはぼんやりと考え込んでから、ふるふると首を横に振った。


「嫌われてないとは、思ってた。……でも、好かれてるとか、そう思われてるとか、考えてなかった」


 俺の脳が、いらん同時通訳を開始する。


 好かれているとは思っていなかった。考えていなかった。そういう感情を向けたり向けられたりする相手として俺を見ていなかった。



 即ち。土井村琥太郎は、雪峰詩乃梨にとって、全くの恋愛対象外である。



 ………………い、いや、俺も、べつに詩乃梨さんのこと好きじゃねぇって何回も言ってるし? いや好きだとは言ったかもしれないけど、それは決して愛ではないって何回も言ったよね? ね? いずれ愛情に至りうる可能性を孕んだ好意ではあれど、いずれとか可能性とかいう迂遠で曖昧な言葉を使うくらいには愛情へと至らない未来が到来する可能性が有ったわけで、むしろそっちの方が可能性大なわけで、俺別にここ落ち込む所じゃないよ、だって最初からわかってたじゃないか、俺は詩乃梨さんと愛し合うような関係にはなれないんだろうなって。


 ……ただ、ちょっとだけ、そういう都合の良い展開を、期待してただけ。


 うん。お弁当の続き食べよう。詩乃梨さんのお手製だもん、しっかり味わおう。


 もそり。もそり。もぐりもぐり。


「………」


 ……箸を進める毎に、心が満たされるどころか空虚になっていくのを感じる。胸が空っぽになっていくような、逆に胸がいっぱいいっぱいに詰まってしまうような、なんだろう、ご飯が喉を通らない。


 やばい、また泣きそう。


 涙を堪えてもぐもぐもそもそやる俺に、詩乃梨さんは再度静かに問いかけてくる。


「こたろう、わたしのこと、好きなの?」


「…………………………。………………うん」


 愛には至らないことが確約された好意。ならば、特にひた隠しにするようなものでもない。だって、やましい所など何も無いもの。やましいことする関係に発展しないこと確定だもの。


 ……ああ、そっか。男が相手への好意を隠したくなる心理っていうのは、相手に抱いているやましい下心がバレるのを怖れる気持ちから来てるのかもな。……はい、やましい下心ありました、私。詩乃梨さんとえっちなことしたいと思ったことありました。もう二度と思いません、ごめんなさい……。は、はは…………は、………ハハハ……………………は………………。


「わたしもこたろうのこと、好きなんだけどさ」


「……うん」


「あ。やっぱり、普通のまともな男の人だったら、本当に好きな女の人とじゃないと、その……過剰にベタベタとか、したくならないものだよね?」


「……うん」


「そっか。だよね、うん。……じゃあやっぱり、わたしは間違ってないよね」


「……うん」


「うん、ありがとう。……あれ。こたろう、ちゃんと聞いてる?」


「……うん。………………………うん?」


 あれ、意識がどっかの銀河に飛んでた。詩乃梨さん今なんか言ってた?


 詩乃梨さんに焦点を合わせると、なんだか極々フッツーにご飯を食べながら、鋭い目つきで俺の様子を窺っていた。鋭いといっても俺に対する怒りやら不満やらがこもっているわけでもなく、これは単なる彼女のデフォルトだ。第五属性はいつの間にか見る影も無くなっており、妙な威圧感や緊迫感もない。


 と思いきや。俺がいつまでも間抜け面を晒しているのに苛ついたのか、詩乃梨さんは不機嫌そうに眉をぴくりと動かした。


「こたろう、話聞いてた?」


「え、ごめん、ちょっと脳内で宇宙旅行してた。俺達今何について話してたっけ?」


「だから、それは……。……あ、ごめん。さっきの質問は、ちょっと話題が飛びすぎだった」


「質問? なんだっけ?」


「だから、えっと……。『まともな男の人だったら、本当に好きな女の人とじゃないと、過剰にベタベタとかしたくならないよね?』っていう質問。………………なんかこれ、よく考えたら恥ずかしいな……」


 詩乃梨さんはちょっと顔をしかめて、ほんのりと頬を上気させた。


 ……なんだ、今の質問。俺が詩乃梨さんのこと好きって言ったことについて? それとも、話題が飛びすぎたって謝ってたから、好き発言から連想した別件ってこと?


 首を捻りながら詩乃梨さんを見つめていると、こほん、と小さな咳払いが返って来た。詩乃梨さんは恥ずかしさを紛らわせるように、早口で語る。


「今週、学校始まったんだけどさ。クラス替えが有ったのね? で、前から『いやだなぁ』って思ってた、恋愛脳できゃぴきゃぴしたメスとまた一緒のクラス、というか、隣の席になったの」


「メスて、あなた。……はあ。ええと、それで?」


「それでそのメ――じゃなくて人が、わたしがいくら無視しても、しつこく絡んできてね? 『あんたって男知らないでしょ、まじウケる』とかまじウケないこと言いながらバカにしてきたり、『あたしはどんなオトコだってすぐに堕としてらぶらぶエッチに持ち込める』とかゲロの出そうな自慢してきたり、あげくに『なんならオトコ紹介してあげよっか? ま、あんたなんか股開いても相手が萎えてごめんなさいされるだろうけど。まじウケる』ってほんとまじウケること言ってきたから、あまりにウケすぎてわたし思わずキレて、言っちゃった」


「は、はあ、そすか。……え、キレたの? 詩乃梨さんが? 言ったって何を?」


 眼に見てヒートアップしていく詩乃梨さんに気圧されて、脳が話の中身を理解するのにタイムラグが生じてしまった。ようやく追いついた最後の一文が、そこにひしひしと感じる不穏な空気が、雷龍・詩乃梨を知る者として食いつかざるを得ないもので思わず聞き返してしまう。


 詩乃梨さんは、こくりとひとつ頷いた。そして、先程まで身を乗り出すようにして捲し立てていたのが嘘のように、身体をすーっと引いて、場の温度まで絶対零度へ転落させながら、当時の自分の台詞を再現した。




「『黙れ、びっち。おまえが知っているのは、男じゃなくてオスだろう。――猿が相手で満足するなら、山で好きなだけ腰を振っていろ。金輪際、人間様に関わるな』」




 ……………………………………。


「って言ったら、そのメス――じゃなくて猿――じゃなくてびっち? だけじゃなくて、クラス全体がしーんとした。……うん、あれはちょっとウケた。……天使が通った、っていうんだよね、こういうの」


「言わないよ? それは人が沢山いるのに『意図せず』訪れる無言の瞬間のことを言うんだからね?」


「わたし、全員静まらせようとか、意図してなかったよ? 目立つの嫌いだし」


「そういうことじゃねえよ、今回は詩乃梨さんが原因でそういう事態が発生したのだから、人為的なものなので天使が通ったっていう表現は――」


「違うよね、知ってる。今のはただの冗談」


 詩乃梨さんが、楽しそうにふふっと微笑む。ああ、なんだ、冗談か。詩乃梨さんでも冗談なんか言うんだな。ははっ、そうだよな、いくらなんでも今の話は冗談だよな。回想の詩乃梨さん口悪すぎだったし、メスザルは山で腰振ってろなんてエロい通り越して卑猥極まる罵詈雑言なんて言わないよね?


「で、そのメスザルがね――」


「メスザル言うなし! やめて! 俺の中の詩乃梨さん像をこれ以上いじめないで!」


「……で、そのお猿さんがね? 昨日になって、わたしに謝ってきたの。で、わたしは『まともな男の人なら、もっとおまえのこと考えてくれるはずなんだから、会ってすぐにえっちするような相手とは縁を切れ』って説教して赦した。それで、他の人達もようやく落ち着いて、全部一件落着。なんか色々、こたろうのおかげだったな。ありがとね」


「は、はぁ。どういたしまして」


 ………………え?


 なんか自然な流れでお礼言われたから返事したけど、俺今の話の始まりから終わりまで一ミリたりとも関係なくね?

 

「俺、なんにもしてない……」


 ぼしょりと呟いてみると、詩乃梨さんは感慨深げに遠くを眺めた。


「したよ。いっぱいした。こたろうがいなかったら、そもそもわたし、あのお猿さんに反論しようとか思わなかったし。こたろうがいなかったら、あのお猿さんにわざわざ説教しようとも、赦そうとも思わなかった」


「……え、ごめん、ほんと意味がわからない。一連の詩乃梨さんの振るまいと俺の存在に、どういう因果関係が有ったの? 土井村琥太郎のしょぼい脳味噌でも理解できるように述べよ」


「だからね――」


 ◆◇◆◇◆


 詩乃梨さんは語る。俺の希望通り、俺のしょぼい脳味噌でも理解できるようにと、猿のお嬢さんとの出逢いまで遡って説明を始めてくれた。


 時に、恥ずかしさで消え入りそうな声を絞り出し。時に、怒りを滲ませて握り拳を小さく振り。時に、箸をおかずへ伸ばすべく身を乗り出したように見せかけて、俺の反応をより間近で窺おうという小賢しくも可愛い行動を挟んだり。


 俺は、そんな愛らしい少女を瞳に焼き付ける。焼き付けるのに集中しすぎて、ろくな相槌も、気の利いたコメントも思い浮かばない。それでも俺は、一応何らかの反応を返せてはいたのだろう。詩乃梨さんの綺麗な瞳がこちらへ向けられるたびに、鏡の世界の琥太郎は口を動かしていた。


 相槌のため、コメントのため。そして、再び幸せな味を宿すようになった、お弁当を食べるため。


 今の俺は、幸せを噛みしめることに忙しい。


 だから、話の詳細な内容について理解するのは、次話の俺に任せよう。

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