四月三十日(日・3)。緊急クエスト。
後から後から伸びていく行列に押し込まれるようにして、じりじり前進を続けた俺達。並び始めてから十数分後に、ようやっと店内へと招き入れられた。
「ほんっとごめんねーみんな、自分の家連れてきておいて勝手に抜けちゃって。後で絶っ対埋め合わせはするから、とりあえず私の部屋行って寛いでてもらえる? ほんと、ごめん!」
綾音さんはしきりに申し訳なさそうにしながらそう言い置くと、こちらの反応を確認する暇すら惜しんでカウンター内へ取って返し、厨房らしき一室へと消えていった。かと思うとすぐさま姿を現し、俺達に再度ごめんなさいの目線を向けつつ通り過ぎて、飛脚のようにテーブル席の方へ軽食類を輸送する。その後は直帰せずに別のテーブルに寄って使用済みの食器を片付けようとするも、作業の途中で別の席からお呼びがかかってしまってやむなくオーダーを取りに行く。
そんな風に慌ただしくとたぱた駆けている綾音さんとは逆に、カウンター内で腕組みして微動だにせずにじっと立ち尽くしているバーテンダー風の中年男が一人。その男の真剣な眼差しとカウンター席のお姉様達のキラキラした目線の先では、どの部品がどういう役割なのかいまいちよくわからない理科の実験器具みたいなガラス製の装置が、アルコールランプに炙られてぐつぐつぶくぶく沸騰していた。
ふと男がこちらに視線を向けてきたので、俺はなんとなく詩乃梨さん達を引き連れてそちらへ歩み寄る。
「おう、マスター。今日は懐がめっちゃウハウハになりそうな状況だな。その代わり自慢のオールバックが禿げ上がりそうだけど」
俺の軽口は、マスターよりむしろその眼前のお姉様方に大ウケであった。おかしい、今の台詞のどこに黄色い歓声と好奇の視線を生み出す要素があったのだろう。
内心首を捻る俺に、マスターは答えの代わりに鼻息を叩き付けて来やがった。
「ほっとけ。ンなことより小童、暇なら厨房行って茶碗洗え。綾音のおかげでメシはどうにかなったが、もう皿のストック使い切っちまった」
「え、いきなり客に労働強いるとか意味わかんない。俺、客ぞ、神様ぞ。神に頼み事するならお賽銭必要なの常識よ?」
「野口一枚。働き次第でイロ付ける。あと客が捌けてからになっちまうが、そっちの妖精さん達にも何かサービスさせて頂こう」
「なにそのリアルすぎる報酬。え、マジで不敬にも神様働かせようとしてる?」
「五秒やろう。周りを見ろ。状況を理解したら、あとは考える前に身体を動かせ」
あんた鬼軍曹か何かか? なんてツッコミ入れてたらせっかくもらった五秒が浪費されちゃうので、ひとまず店内をぐるっと見渡してみた。
今日の客層は、普段のまほろばのそれとはまるで異なる。
いつもであれば、老若男女年関係無しに穏やかな気質の人が一人二人程度の~んびりと居座っていて、時たまアホな若者グループが乱入してくるといった具合。
でも今日に限っては、皆一様に若い女性ばっかりだ。主婦っぽい人達が複数人でテーブルを占拠して喋りに食事にと絶え間なく口を動かしていたり、キャリアウーマンっぽい人が単独で二人がけの席に陣取って黙々きびきびてきぱき食事を取っていたり。当然二人がけの席の方が回転率が高いので、綾音さんは暇を見つけて表に出ては、昼時に向けて伸び続けている行列の人達に睨まれながら、申し訳なさそうな笑顔で何度も何度も頭を下げて一名様のお客さんを先に通すということを何回かやっていた。やっていたという過去形に留まらず、今からまた何回も何回も頭を下げに行くのだろう。
きっと俺は、これと似たような光景を見るのは、初めてではない。けれど、ここ最近綾音さんとまともに話すようになったことで俺の中で意識が変わったのか、店内の喧噪や田名部父娘の焦燥を丸ごとスルーして脳天気にコーヒーを啜るなんてことは到底できそうになかった。
回遊させた視線を、最後に俺のすぐ後ろに向けてみる。俺とマスターのやりとりが意味不明すぎたのか、詩乃梨さんも香耶も佐久夜も完全にぽかんとしちゃってます。
俺は歩きながら三人娘の頭を順番にぽんと軽く叩いていき、その足でカウンターの中へ侵入した。
「なあ、清潔な衣装に着替えないとダメとかあるか? 仮にも飲食業だろ?」
おっさんはこちらに視線を寄越さず、出来上がったっぽいコーヒーをカップに注ぎながらフンと鼻を鳴らした。
「俺なんざこんなヨレた服だし、綾音だって昔からずーっと普段着でやってんだろうが。ウチは客も従業員もドレスコードなんざ無ぇよ。……なあ、そういや綾音がなんか全然綾音っぽくねぇ服着てんだが、ありゃなん――」
「社畜一号、皿洗い行ってきまーす! ってわけで、詩乃梨さん達はまた後でな」
俺は、相変わらず呆然としたままの女子高生達にひらひらと手を振って、客のお姉様方にやたら熱い視線で見送られながら、小洒落たのれんをくぐって厨房へと入った。
◆◇◆◇◆
飲食店の厨房なんて初めて入ったが、元々が民家を改造したような店であるためか、基本的にはご家庭の台所をそのまま拡大したような一室だ。厨房と聞いてイメージするような白や銀が目立つ無機質で近未来な造りではなく、そんな要素は巨大な冷蔵庫とオーブンくらいのもの。それ以外は、木の優しい色合いが随所に散りばめられている、ウサギさんのお家に相応しいあたたかな台所であった。
部屋のど真ん中の木製の作業台や、壁に沿って配置されている調理場及び器具類には手を付けず、食器の溜まっているシンクに直行。
シンクは仕切りで二つに分けられており、片方には水が張られていた。たぶん、水の中で適当にじゃぶじゃぶ洗ってから、空いてる方で仕上げを行うのが本来のやり方なんだろう。でも今はどっちにも使用済みの食器類がみっちり詰まっているので、とにかく山の上から順に綺麗にしていくしか方法が無い。
ってわけで。腕まくりして、水を流しっぱなしにして、スポンジに洗剤付けて皿洗い開始。もうストックが切れたって言ってたから、とにかく一枚ずつ着実に使用可能な状態に仕上げていく。もうほとんど、左手にスポンジ、右手に布巾って状態で、俺はただ一台の皿洗いマシーンと化した。
ふと、洗い終わって積み重ねていた皿がごっそり抜き取られた。代わりに、折角崩れた山の一番上に汚れたお皿が補充される。
「…………………………」
俺は、三途の川のほとりで延々と石を積んでは崩されるような虚しい気持ちを噛みしめながら、ゆっくりと背後を振り返った。
そこに居たのは、俺が洗った皿を重そうに両手で抱えながら、媚び媚びの笑みを必死こいて顔に貼り付けている綾音さん。
綾音さんは、えへへっとあざとく舌を出し、俺に怒られることを怖れてか、そろりそろりと距離を取った。
俺はマスターばりにぞんざいな鼻息を吐き付けてやるのみに留めて、正面に向き直って皿洗い再開。
「………………あ、あれ、琥太郎くん? もっとリアクション無いの? 不毛な作業に嫌気差しちゃって、服脱いで叫びながら町内駆け回ったりしたくならないの?」
「ならねぇよ、貴女の中の俺はどんだけ変態なの。それどうせなら綾音さんがやってよ、そっちの方が絶対需要あるから」
「需要!? 誰に!? どうして!? やらないよそんなの、絶対やらないからね!」
「あーはいはい、わかった、わかったから今はお仕事頑張ろうぜ。客まだ増えてんだろ?」
「……………………むぅー。…………ふーんだ。はいはい、おしごとがんばりますよー」
綾音さんは思いっきり拗ねまくりながら、最後っ屁みたいに俺の尻をぽふりと叩いてからコンロの方へと向かった。
……今、俺の尻どうやって叩いたんだろ。皿で手塞がってるのに。なんか感触がめっちゃ柔らかった気するけど――あ、これ考えるのやめとこ、マスターにぬっころされちゃう。
油が弾ける音や何かを焼く音をBGMに、俺はひたすら己の作業に没頭した。よしよし、良い感じにコツが掴めてきたぞ。この調子なら真っ新になったお皿があっという間に山を築――
かなかった。
「ありがと、こたろー。……ね、もっと小さいやつ、先に洗って。ケーキ、注文いっぱい入ったって、かやが言ってた」
「…………………………………あ、そうなの?」
「うん。よろしくね」
俺が積み重ねていた山と、手にしていた一枚を受け取った少女は、目玉焼きを焼いている綾音さんの元へとてとて歩いて行きながら呼びかけた。
「あやね、ケーキどこ。『とりあえず全種類用意しとけば間違いねぇ』って、マスターさんが」
「えぇぇ? お父さん、まぁーたいい加減な……。ちょっと状況見てくるから、ごめん、これ焼いておいてくれる? 堅焼きでいいけど、焦げないように気を付けて……って、ほんとごめんね、手伝ってもらってる身でこんな注文……」
「べつにいい。……あやねとこたろーを、おふぃすらぶさせないためには、わたしも一緒に働くのが一番。浮気、ダメぜったい」
「………………え、あ、あれぇ? 詩乃梨ちゃん、さっきは私と琥太郎くんが手繋いでても怒らなかった――」
「それ、ナシね。わたし、こたろーに、他の女近づけない。やきもち、いっぱい妬いてやるんだ」
「……………………………あ、え、はい、わかり、ました。……じゃあ、これお願い、ね?」
綾音さんの足音が遠ざかり、フロアの方で香耶とやりとりを始めた。香耶は人付き合い苦手ながらも懸命に頑張って接客していたようで、息切れしながら興奮気味に綾音さんに何かを捲し立てている。綾音さんはそれを宥めるようにやさしくコメントを返しながら、マスターを交えてちょっとした作戦会議に突入した。
客の入りからして、ほんの何十秒もしないうちに綾音さんは帰ってくるだろう。それまでは、この空間は俺と詩乃梨さんの二人きり。
俺は作業の手を止めないまま、視界の外の少女に問いかけた。
「なーんで詩乃梨さんまでお仕事しちゃってるの?」
「ん。こたろーが、あやねと大接近するのを防ぐため。わたし、目をギラギラ光らせて監視します。……ふふっ」
ギラギラじゃなくてきらきらと輝いてそう。彼女、今絶対にこにこ笑ってます。にこにこ笑顔見たい。見たいけど、たぶん俺がそっち見た瞬間にブンむくれた不機嫌面に早変わりすると思う。なので見れなぁい……。
あと、あれな。詩乃梨さん、俺が店の前で言ったこと、俺が願っていた以上にきちんと受けとめてくれたんだなぁ。ありがとね、しのりん。……それにたぶん、今の上機嫌の理由には、はじめてのおしごとでテンション上がってるってのもあるのかな?
「……あ。なあ、佐久夜はどうしてるの? なんか声も気配も無いけど」
ふと気になって問いかけみたら、詩乃梨さんは「あー」とやる気の無い呻きを漏らしながらどこか残念そうに答えた。
「さくやはねー……。わたしとかやが働くって言ったら、『じゃあうちも!』って言い出したから、無理矢理あやねの部屋に閉じ込めてきた」
「………………え、なぜに?」
「……今日もろくに勉強しないで終わっちゃったら、来週のテストで、さくやのゴールデンウィークが消し飛ぶことが確定しちゃうから……」
「………………あー」
俺まで詩乃梨さんと同じような呻きが漏れた。話の流れからして、テストとやらで一定以上点が取れなかったら休みの後半が補習や課題づくしになるんだろうな。
学校のお勉強なんかより、みんなで喫茶店のお手伝いした方が良い社会勉強になると思うんだけどなぁ……。つか、佐久夜だけハブな状況なのか。詩乃梨さんと香耶と、それに綾音さんが何かしらフォローするだろうけど、俺も後で何か考えてあげよう。
後のことは、後で考えるとして。今は今目の前にあることをどうにかしましょうか。
「しのりん、目玉焼き焦がしたりしてない? 大丈夫?」
「だいじょぶ。もうすぐ完成。……ねえ、これって、これだけで一品なの? このまま持ってっていい?」
「いや、ちょっとしたサラダも添えるはずだから、置いといていいんじゃね。……あ、塩入れちゃった? 目玉焼き自体はプレーンで作って、塩胡椒は別の小皿で出すはずなんだけど」
「味付け、忘れてたっ! ………………け、ど、それで正解ってこと?」
「うん。たぶんな。それ焼き終わったらフライパン一回洗っとくから、こっち寄越して」
「あいあい」
詩乃梨さんはほっとした様子で返事をして、目玉焼きの仕上げへと入った。
俺も何となく息を吐いて心を落ち着け、フロアの方に耳と意識を向けてみた。
ちりんちりんと、来客を知らせるベルが鳴る。どうやら、今度は団体さんのようだ。応対していたのは新人ウェイトレス千霧香耶ちゃんのようで、綾音さんに全力でサポートされながらどうにかこうにか頑張ってこなしている。
香耶、なんだか予想の何倍も真剣に取り組んでるなぁ。綾音さんも、単なる先輩ってより実のお姉ちゃんって感じですごく親身に指導してる。その様は実際に眼で見てみるとよっぽど面白いのか、マスターがおかしそうに吹き出した。
なんか俺まで楽しくなってきちゃった。ふと横目に見てみれば、詩乃梨さんも目玉焼きを皿へ取り分けながらにこにこしてる。
いいね、こういうの。参加できなかった佐久夜がかわいそうで仕方ないので、穴埋めというかお詫びってことで、後でちょっと無理めなお願いとか聞いてあげるとしよう。
よっし。楽しいお仕事、がんばりまっしょい。
◆◇◆◇◆
がんばりまっしょいは、その後二時間程度で早々に終わりを告げた。
昼時とおやつ時の中間、一時的に行列が捌けた瞬間を狙って、マスターは本日の営業をこれにて終了としたのだ。
本来ならば、おやつ時やアフターファイブが一番のかき入れ時ではある。だがそもそもまほろばは利益を追求するタイプの店ではなく、どころか利益なんぞ端っからどうでもよくて完全に趣味でやってるようなお店である。娘やその友達を強制的に労働させてまで無理矢理営業を続けるなどというのは、この店の経営理念に著しく反している。今回のマスターの判断は、至極妥当と言えた。
先程までの賑やかさが嘘のように、ひっそりと静まり返った店内。その静寂をこの目で見ようとするかのように、カウンターの中と外に集合した田名部父娘と臨時従業員達はなんとなくフロア側を眺めていた。
テーブル席の上には、未だ多くの汚れた食器類が置きっ放しになっている。厨房の流しにも洗いかけのがまだまだわんさかだ。でも、エセ食器洗いマシーン土井村琥太郎の出番はもう無い。
ほとんど無意識みたいな手付きでコーヒーを煎れていたマスターは、出来上がった六つのカップに砂糖やミルクも適当な塩梅で溶かし込んでから、各々の前へスライドさせつつ口を開いた。
「まぁ、あれだ。みんな、有り難うなぁ。いやー、本当に助かったぜ」
普段軽口を言い合っている俺や、初対面の相手を含む女性陣に素直に感謝を伝えるのはとても気恥ずかしいらしく、マスターの笑顔も口調もかなりぎこちない。マスターの傍らにそっと侍っている綾音さんも、心境的にはマスターと似たようなものであるらしく、申し訳なさとばつの悪さと多大なる感謝の念が同居した曖昧な笑みを浮かべていた。
カウンター席に座っている俺や、その両隣に陣取っている詩乃梨さんと香耶もまた、なんともいえないビミョーな笑顔を浮かべながらコーヒーを受け取る。
この場で唯一、余計な遠慮や感情を含まない満面の笑顔を浮かべているのは、詩乃梨さんの肩に手を突いて背後からぴょっこり身を乗り出してきた真鶴佐久夜であった。
「いいってことよぉ! いやぁー、バイトなんて久々だったなぁーうちめっちゃがんばっちゃったわー、疲れたわー、でもみんなと一緒にお仕事できて楽しかったわー、ちょー楽しかったわぁー! みんなと! 一緒に! おしごと! ほんっと楽しかった『だろう』なぁー、もぉーちっくしょーっ!」
うざかわいいというか、うざかわいそうなことになっていた。佐久夜の笑顔は、余計な感情含みまくりというか、泣きじゃくりたい気持ちの裏返しであったらしい。台詞終了と同時に己の分のカップをがしっと掴んだ佐久夜は、生ジョッキのごとく一気にゴクゴク煽って、ぷはぁっと息を吐き出した。彼女の目の端にちょっぴり涙が浮かんでいるのは、コーヒーがあまりにも苦かったせいということにしておいてあげよう。
俺は佐久夜の手から空になったコーヒーをそっと抜き取り、その代わりに俺の分のカップを握らせてあげながら、マスターの方を振り仰いだ。
「なあ、お礼の言葉なんぞより、とりあえずお礼の品くれよ。まさかコーヒー一杯で済ませようなんて思ってないだろうな? 余り物でいいから、一口ケーキバイキングくらい付けてくれないと割に合わないぞ。あと、詩乃梨さんと香耶にはちゃんと現金もな。労働の対価は正当に支払えよ、雇用者どの」
報酬や現金の話なんて、普通は口にしづらいものだ。もし今回駆り出されたのが俺一人であったなら、こうやってわざわざ要求せずとも、マスターが適当に『いつもの』あたりを振る舞ってくれて、後腐れ無く貸し借り無しとしていた所だろう。
でも、今回は詩乃梨さんと香耶も巻き込んでいる。俺とマスターの間だけで済む話ではないのだから、なあなあで済ませるわけにはいかない。大人として、社会人として、然るべき対応が求められる。
って思ったからこそ心痛めながら生々しい発言したのに、詩乃梨さんも香耶も『余計なことすんな』とばかりに俺の服をぐいぐい引っ張ってきながら、マスターや綾音さんの方へ振り向いて必死に訴えた。
「わたし、お金、いらない。今回のは、わたしが勝手にやったこと。報酬は、えっと、こたろーにいっぱいもらうから、いいです、いらないです」
「私も、貴重な経験できたので、それで十分ですからっ。報酬、報酬ですか、じゃあわたしは詩乃梨ちゃんにがっつりもらいたいと思います!」
「え? わたし? なっ、なんでわたしが――んんっ、わかった、じゃああげる。かやには、わたしがあげる。わたしには、こたろーがくれる。こたろーには、マスターさんがあげる。マスターさんにはあやねがあげて、あやねには……、さくやあげるね。どーぞ、末永くこき使ってやってください」
「話の流れでさら~っとうちのこと売り払わんといて!? 売るっていうかタダで押しつけとるし! やぁーだー! うちもっと高値で取引されたいのぉー! あ、でもいくら金積んだところでうちの心は誰にも買えないわよぉ、ウフフ♪」
佐久夜は、詩乃梨さんの肩がっくんがっくん揺すりまくったり、香耶に艶やかな笑顔を向けたりと楽しそう。そんなお顔のまま、俺のあげたコーヒーを飲み終えて、空のカップを俺の頭にとんっと返却してきた。
俺は頭上のそれを受け取り、呆けたような顔のマスターの方へ差し出しながら、のほほん笑顔の綾音さんを振り仰いだ。
「じゃあまあ、みんなこう言ってることだし、報酬の件はとりあえず綾音さんにお任せしていいですか? マスターとご相談の上、万事そこはかとなく良い感じになるようにどうぞよろしくお願いします」
「うん、お願いされたー。ねえお父さん、もう今日お店やらないよね? ケーキ全部持って来ちゃっていい? どうせあんまり残ってないし」
「お、おおぅ、お、おおっ」
マスターは返事なんだが呻き声なんだかよくわからない奇声を上げながら、しかし首をこくこく縦に振りまくって明確な意思表示をした。
綾音さんはそれに満足げな首肯を返して、厨房の方へと消えていく。と思ったら、ひょっこり頭だけ戻してきて女子高生達に一言。
「みんなー、テーブルの方に移っておいてくれるー? そっちの方がみんなで摘まみやすいからー」
『はぁーい!』
佐久夜が全力で挙手しながら元気よく返事して、それに紛れさせるように詩乃梨さんと香耶も控えめに意思を表示。
綾音さんが今度こそ奥に引っ込み、それと同時に詩乃梨さんと香耶が席を立つ。ついでに俺も立ち上がって、未だ手つかずのカップ二つをソーサーごと持ち上げた。
俺は三人と視線で会話し、女の子達を先にテーブル席へ向かわせてから、自分はその場に残って顔だけマスターの方へ向き直る。
「なあ、俺もコーヒーもう一杯だけおかわりもらっていいか? もちろんロハでな!」
マスターはなんか目を丸くしてたけど、少しだけいつものやる気なさげな双眸を取り戻し、両腕を組んであごひげを撫でさすりながら頷いた。
「もう一杯っつーか、お前ぇ一口も飲んでねぇだろうが。……じゃなくてよ、なあ、あれだ。……琥太郎よ、お前ぇ、なーんかあの妖精さん達と仲良すぎじゃねぇか? つか、綾音ともだけどよ」
「……………………あれっ、もしかしてロリコンを塀の向こうにブチこんじゃいます……? それとも、箱入り娘を誑かした咎で、お手製の鋼鉄の檻にブチこんでレッツごーもん?」
「どっちもしねぇよ、阿呆。恩を仇で返してどうすんだ。……………………なぁ、今日綾音が着てる服、ひょっとしてお前ぇのか?」
「やめてごうもんやめてごめんなさいごめんなさいたいせつなまなむすめにへんたいてきなせいへきおしつけちゃってごめんなさいいけないあそびおしえちゃってごめんなさいおんなのこたちといっしょにひとつのべっどでよああかしとかしちゃってごめんなさいやめてつうほうやめてまだぜんかしゃになりたくないのぼくはしのりさんといっしょにしあわせなみらいをあるきたいの――」
「あーあーあーあー、詳しいことは後でいいからよ、さっさとそれ持ってけ、冷めるだろうが。おかわりも今日だけは半額でいくらでも飲ませてやんよ。………………いくらでも、な。ハハッ」
コーヒー半額券ゲットだぜ! 今日は店潰す勢いでしこたま飲んでやろっと!
……なーんて、喜べないですねぇ……。今の不敵な笑みって、飲ませてやるからちょっとお話に付き合えよってことですよね。ほんと、しこたまコーヒー飲んでテンションアゲアゲにしておかないと、ぼくちん耐えられなさそう……。




