四月三十日(日・2)。スパイス、早々に回収。
これは持論だけど、二人以上の人数で道を歩く時っていうのは、人の内面が如実に表れる瞬間だと思う。
前も後ろも気にせず道幅いっぱいに広がって歩くだとか、仲の良い二人が先行して一人だけハブるだとか、気を遣って敢えて自らハブられに行くとか。ちなみに俺の場合は三番のタイプで、俺の友達の場合はほぼ全員二番目のタイプだった。
ところでさ。仲間内で一人か二人くらい、喋るのが苦手でなかなかみんなの輪には入れない奴っているじゃん? そういう奴に気を遣って俺と立ち位置を入れ替えて背中を押してあげると、そいつは感謝するどころか何故か積極的に俺のことハブりにくるんだけど、この現象いったい何? ていうかこんなの俺だけ? あ、俺だけですね、ごめんなさい。
まあ、それはさておき。さておいてくれ、頼むから。女の子達とのスパイシーなtoL○VEるなら頑張って耐えるけど、野郎共とのスパイシーなトラブルなんてもうこりごりです。
で、さておき。喫茶店まほろばへ向けて、大通りをのんびりゆったりお散歩中な現在。学校の制服に着替えた三人娘と、ぶかぶかのジーパンやシャツを折ったり捲ったりしてどうにかこうにか着ている綾音さん、それにイケメン風(笑)の衣装に身を包んだ俺という面子が、一体どういう布陣で歩いているのかについて見てみよう。
前を行くのが澄まし顔の詩乃梨さんと蕩けた笑みの香耶、その数歩後ろを歩くのがぼんやり顔の俺とのほほん笑顔の綾音さん、そしてみんなの間を楽しそうに忙しなく行き来して表情くるくる変えてるのが佐久夜、といった塩梅だ。
流れとしては、詩乃梨さんが皆を先導するようにさっさと歩き出し、香耶がそれに速攻で引っ付いていって、俺がほぼ無意識にみんなの後ろに回ったら、俺に気を遣ってくれたのであろう綾音さんがすすっと隣へやって来て、残る佐久夜は気がついたらみんなの間を元気に走り回ってた、って感じ。
あと説明する場所無かったからここで補足しておくけど、女の子達はみんな学生鞄やらリュックやら紙袋やら持ってます。勉強道具とか、あと綾音さんからもらったパジャマとか入ってるんだろうね。もしかしたら下着もかな、俺が「持とうか」って言ったら詩乃梨さん以外には愛想笑いと他愛の無い会話で誤魔化されちゃったし。
他愛の無い会話は、今現在も皆の間でぽつぽつ続いてる。基本的には隣り合ってる人同士で話してるんだけど、時折違う人にも目線送ったり発言権も回したりして、みんながうまく会話に入ることができている。なんだか、今までに無い体験だった。
不意に、どんな顔をしていいのかわからなくなってしまい、綾音さんに不思議そうな顔をされた。
「琥太郎くん、もしかしてまだ眠い? さっきからぼんやりしすぎ。もっとこっち寄って、危ないから」
綾音さんは自然な動作で俺の手を引っ張って、車道から距離を取った。で、安全圏まで退避が完了した後も、綾音さんは俺の手を放さない。なぜだ。
「……あの、もう大丈夫ですから、手――」
「ダメでーす。琥太郎くんに怪我でもされちゃったら、詩乃梨ちゃんに合わせる顔無いもん。ねー、詩乃梨ちゃーん?」
呼びかけられた詩乃梨さんは、俺と綾音さんが繋いだ手をちろりと見て、こくりと素直に頷いた。
「ん。こたろー、今日はコーヒー飲んでないから、調子出てない。まほろば着くまで、あやねに任せる」
「はーい、任されましたー!」
綾音さんは小気味よい返事と共に、俺の手を一層強くきゅっと握ってきた。
けれど俺は綾音さんの手を握り返すことを躊躇って、つい詩乃梨さんの顔色を窺う。
「……俺、綾音さんと手繋いでいいの? 詩乃梨さん的に、それはアリなの?」
「んー。……こたろーに、疚しいところが無いなら、あり。……もし浮気したら、問答無用でぶっとばしてやる、けど…………、うぅん…………」
詩乃梨さんはなんともいえない微妙な表情を浮かべながら、ふいっと前に向き直って、ぼそりと一言。
「……こたろーが浮気するとか、ちっとも想像できなくなっちゃった……」
……できなくなっちゃった? ってことは、前は想像できてたってことだよな? そうだよな、詩乃梨さんってば俺が他の女と会話するどころか妄想でイチャコラすることですら嫌がってたものな。俺が誰かに寝取られる未来を明確に想像できてしまっていたからこその、あのやきもちの灼きっぷりだったわけだよね?
それがこうして、俺と綾音さんが触れ合うことに寛容になってるのは、俺が詩乃梨さんを想う気持ちは絶対に揺らがないのだということをわかってもらえたからだろう。なんでわかってもらえたのかは、昨日から今日にかけての性的だったり性的じゃなかったりする色んなあれそれが理由だろうな。
「……………………」
詩乃梨さんは、香耶や佐久夜との会話に戻ってしまった。本当に、俺と綾音さんが手を繋いでることについては気にしていない様子。
………………やきもち、もう灼いてくれないのかな。……いや、あくまでもこの面子が詩乃梨さんにとって特別なだけだろうから、それ以外の女と俺が仲良くしてたら絶対嫉妬してくれるはず。っていやいや、嫉妬してくれること望んでどうするよ、俺は詩乃梨さんにはいつだって心穏やかでいてほしいのであるからして、やきもちだの嫉妬だのをわざわざ煽りにいく必要は無いでしょう?
……でも、寂しいな。しのりんに、もっともっと、俺のこと考えていて欲しいな。俺が余所の女と仲良くしたらいっぱい俺のこと考えてくれるかな――あ、これ典型的な浮気する女の思考じゃないですか、いやんいやぁん。
期待した人には悪いけど、そんな誰得NTR展開は俺と詩乃梨さんの未来には待ち受けてないのだぜ。そういうスパイシーな展開はあくまでも香り付けのひとつまみ程度でいいの。そのひとつまみが俺と詩乃梨さんの愛をより一層際立たせてくれるわけ。臓腑が焼け爛れるレベルの激辛料理なんぞ要りません。これネタバレだからね、俺絶対浮気なんてしないからね。
浮気はしないんだけど、綾音さんの柔らかい手を、ちょっと強めに握り返しました。
「……………………………琥太郎くん――」
「うるさい。何も言うな」
「……………………手、痛い」
「…………………………ごめんちゃい」
強め終了。程々の強さでお手々を繋ぎ合いました。綾音さんは安堵らしき息を吐いてくれたけど、どんな表情をしているのかは怖くて見ることができません。
俺が怖れているのは、今し方の不作法に対して怒っていらっしゃるかもってことじゃなくて、俺の心の裡を顔色から読み取られてしまうかもしれないってこと。
やだな。こんなぐるぐるした気持ち、誰にも知られたくない。お願い、読み取らないで、サトリさん。
「………………………………」
俺の願いが通じたのか、それともその願いすらも読み取ったのか、綾音さんは何も言ってはこなかった。
ただ、ついさっき自分で抗議してきたくせして、彼女は俺の手を、強く、強く握り返してきた。
◆◇◆◇◆
擬人化したウサギでも住んでいそうな、赤煉瓦風のお家。その前に到着した俺達を待ち受けていたのは、予想だにしていなかった光景だった。
長蛇の列、ってほどではないけど、玄関先に若い女性が十名弱並んでいる。ってことは店内は満席だろう。正に満員御礼。閑古鳥が盛大に雄叫びをあげているのが常のこの店において、これは天変地異にも等しい異常極まる事態であった。
そんなことを知らない香耶と佐久夜は暢気な顔で『あれぇー』みたいに間抜けな声を出してるけど、自分の体験としても綾音さんからの伝聞としても知っているであろう詩乃梨さんは『あれっ?』と首を捻ってて、幼少の頃よりその身に染み込まされている綾音さんは『あれれっ!?』とびっくり仰天して口に手を当てていらっしゃる。
俺も最初は思わず面食らったけど、過去の経験からすぐさま事情を把握できました。なので、固まっちゃってる看板娘の肩をゆさゆさ揺すりながら、彼女が手に持っていた荷物を優しく引き取った。
「綾音さん、早くヘルプ入らないと。驚くのは後回し」
「………………え? ……………え? え、だって、これ……、あ、そっか」
俺が殊更落ち着き払った態度を見せた甲斐有って、綾音さんも幾ばくかの冷静さを取り戻し、これが『アレ』によるものだと思い至ってくれたらしい。
アレ。なんのことは無い、ネットによる口コミってやつだ。
まほろばはマスターの方針として『世界観が壊れるから、客寄せなんざしないし、雑誌の取材もお断り』ってことになってるんだけど、一般の人がネット経由で感想を広めることまで規制しているわけではない。というか、そんなことは不可能だ。
そんなわけで、稀にネット上でちょっとした話題になることがあって、忘れた頃にこうやって大入りになったりします。といっても、大抵が個人のブログでちょっとだけ触れられたって程度だから、行列が出来るほどに混み合うなんてのは今までで一回くらいしか見たこと無い。
なんで今回はこんな人多いんだろ、という疑問への回答となるのが、安心しきったお顔で俺を見上げてる看板娘さんであります。
「安心してる場合じゃねぇぞ。今店の中、マスター一人で回してるだろ、たぶん」
「…………………………ぅああっ!?」
そう。こういう時に必ずマスターのお手伝いをしているはずのファザコン娘――もとい親孝行な娘さんが、店の中ではなくお天道様の下にいるのが、この異常事態の原因です。
そのことに気付いた綾音さんは、血相を変えて全速力で駆けだし、店の裏手へと消えていった。たぶん、カウンター内へ直通の裏口から入るつもりなんだろう。今日ジーパンでよかったね、下手にスカートだとおぱんつ様見えてたよ、今の転げるような走りっぷり。
なんてことを考えながらも、これで速やかに事態は収束するだろうと胸を撫で下ろす俺。でも女子高生達は展開に付いてこれなかったようで、三人とも呆けたようなお顔で俺を見上げてきた。代表して、詩乃梨さんが俺の服をくいくい引っ張りながら問うてくる。
「こたろー、どういうこと? あやねとマスターさん、大丈夫?」
「大丈夫だよー。たまにあるんだ、これ。今回は人手不足が原因だろうから、綾音さんが助っ人で入れば万事解決です!」
「………………………………ふぅーん……?」
あれ、しのりんがちょっと御機嫌斜めです。俺のイケメンスマイル、そんなにムカついたかしら? やっぱ分相応ってあるよね、ここは見栄張らずに下卑た笑顔見せとくべきでした、ぐぇへへへ。
というキモい笑いは俺の心の中だけに留まっていたはずなのだが、気付けば店の前に並んでる女性陣がヒソヒソ囁きながらこちらをちらちら見ている。ちらちらを超えてガン見してる人までいる。でもなんとなく、俺のきったねぇ笑顔を批難するような意図の目線ではないように感じるのだが、そうではないにしても、こうもあからさまに観察されたり、のみならず時折小さく奇声を上げられたりするのは、嫌というよりなんか怖い。
しかも、詩乃梨さんが益々機嫌を斜めに傾けていってて、こっちも怖い。なんでしのりんってばこんな不機嫌さんなの? 言っとくけど、あの女性陣は別に俺のあまりのイケメンっぷりにキャーキャー言ってるとかじゃないからね、絶対。
……………………あれ、しのりん、今もしかして嫉妬してくれてるのかい?
「……んふっ。んふ、ぐふ、ぐふぇ、ぐふぇっふぇっふぇっふぇ」
込み上げる笑いを堪えきれずに、女子高生三人娘にドン引きされてしまいました。心なしか、行列の女性達まで引いちゃった気がします。しょぼーん。
しょぼーんしてたら、呆れ笑いの佐久夜が俺の腹にぽすぽすと軽くパンチしてきて、行列の最後尾を親指でくいっと差した。
「とりあえず、並ぼーぜ? なんやわからんけど、あやちーはお家のお手伝いに行っちゃったんっしょ? 勝手にお部屋上がらせてもらうわけにいかへんし、ひとまずお客やりましょーよ。ちなみにお代はこたちー持ちね!」
「詩乃梨さんと香耶には喜んで奢ってやろう。お前は面白い一発芸見せてくれたら考えてやる。考えるだけで奢らないけどな、ハハァッ!」
「だからなんでうちだけ扱いそんななん!? やぁーだ、やぁーだぁー! うちも女の子扱いされたいのぉー! うちだけおばかな犬みたいな扱いいややねんなぁー!」
「俺、おばかな犬、大好きだ」
「………………………………………………お、おぉっと……?」
駄々っ子のように俺の腹筋を叩き続けていた佐久夜が、全身で戸惑いを表現して硬直。
俺は敢えて佐久夜を捨て置き、目を白黒させながら事の成り行きを見守っていた香耶の背中をぽんと叩いた。叩いた手でそのまま香耶の手をふんわりと握り、ゆっくりと歩き出す。
「よぉし、きりきり並ぶぞー。香耶にはちゃんと奢ってあげるからなー、遠慮するなよー」
「…………え? え、いや、えっ? え、手、あの、おごり、えっ? ……えっ?」
すまんな、香耶よ。顔真っ赤にして狼狽えている姿はかわいいのだが、俺の狙いはそんなきみの愛らしさを心に焼き付けることではない。後で本当に何でも奢ってあげるから、今は許してくれ。
俺は香耶の手を引きながら、本命の少女の方を横目でちろりと眺めた。
俺が心の底から愛している、この世でただ一人の女性、幸峰詩乃梨さん。彼女は、女の子達と気安い会話を交わしたり気軽に身体を触れ合わせたりしている俺をみて、どんな表情を浮かべていたのかというと――
って、あれ? 詩乃梨さんがいない。どこ、どこなのマイエンジェル。
「こたろーくん」
不意に、背後から腰に抱き付いてくる少女有り。その少女を見て佐久夜と香耶はちょっとびっくりしてて、こちらを観察していた行列の方からは批難と好奇が半々くらいの悲鳴が聞こえた。
衆人環視の中、詩乃梨さんは俺にべったりと抱き付いて、服越しに生温かい息を吹き込んでくるようにぼそぼそ呟いた。
「こたろーくん、今、わたしに……、やきもち、妬かせようとしましたか?」
「……あ、わかっちゃった?」
「…………………………なんで、そんなこと、するの?」
もしその詩乃梨さんの声が哀しみに満ちていたなら、衆人環視もなんのその全力で土下座する所だったのだが、どうやら純粋に疑問に思っての問いかけであるらしかった。
俺は香耶の手を開放し、腰に回されている詩乃梨さんの手をそっと撫でながら、コアラの親子状態で行列の最後尾へ向かってずるずると歩き出す。
「詩乃梨さん、俺と綾音さんが手繋いでても、全然気にしなかったじゃん?」
「………………うん」
「だからだよ。……詩乃梨さんが俺のこと信じてくれるのは嬉しいんだけど、でも俺、詩乃梨さんがやきもち妬いてくれるのって、すごく……、…………・すごく、その、えっと、なんだ……」
すごく嬉しい。なんて素直に言ってしまったら、詩乃梨さんに心労をかけることを喜んでいるみたい――みたいじゃなくてモロにそうなので、思わず言葉を濁してしまう。
けれど。濁した言葉のその先を、詩乃梨さんは心の眼で見通してしまった。
「……こたろー、ばーか。ほんと、ばーか。まじでばーか。ばか、ばか、うける、まじうける、こたろーばかすぎてまじうける」
「……ごめん、ほんとごめん、ほんと馬鹿すぎてごめんなさい」
「……………………………………この、ばかこたろーめ。………………やきもち、妬いてやる……。しゃれにならないくらい、いっぱい妬いてやるんだからな……! 燃やす、燃やしてやる、この世の何もかもを、しっとのほのおで灰にしてやるんだっ……!」
なんか凄いこと言い始めおったぞ。どこの漫画の影響なの? それとも俺の影響かな? 燃やせるもんなら燃やしてみろ。その炎は、いつかきっと全て愛の炎へと変わるでしょう。
俺の腹をぎりぎり締め上げてくる細腕は、彼女の持てる力の全てが込められているんだろうな。めっちゃぷるぷる震えてる。全身だ、全身全霊で詩乃梨さんが感情を燃え上がらせておられる。
今、詩乃梨さん、俺のこと、いーっぱい考えてくれてる。えへへ、嬉しい。
「詩乃梨さんにも、好きなの奢ってあげるからねー。うぇっへっへー」
「……………………やだ。払う。自分ではらう。貸しとか、そんなのよくないです」
「でも、いずれは俺が稼いだ金で色々やりくりしてもらわないとなんだよ? いきなり財産とか口座とか共有しようぜって言われても困るだろうから、こういう所でちょっとずつ慣れていかない?」
「………………………………………。……………きっ、今日だけ、おごられて、やろっかな……」
「ッし!」
俺、思わずガッツポーズ。見えた、詩乃梨さんを俺が完全に養うまでの道筋が見えてきたッ!
思わず歩みを止めた俺の、肩や腕を殴るように叩きながら追い越していく、佐久夜と香耶。
「うちらのこと勝手に当て馬に使うとかさー、ほんとひどいよねー。これもうメニューの端から端までおごってもらっきゃないよねー。ねー、かやちー!」
「ねー、さくちー! ……いや、ほんと酷いと思います。もし私が本当に詩乃梨ちゃんのこと……、あれがそれでこれな人だったら、今の琥太郎さんの所行って鬼畜もいいところですからね?」
「わ、悪かった。ごめん、詩乃梨さんに構って欲しいあまりに、他のことが見えなくなってた、ほんとすまん。上限無しでなんでも好きなの頼んでいいから、許してくれ」
詩乃梨さんを引きずりながら追いかけてみたら、香耶と佐久夜は俺に見えないようにしながらサムズアップと仄暗い微笑みを交換し合っていた。こら、見えてるぞ。隠すならもっとちゃんと隠せ。でもほんと色々ごめんなさいでした。
ともあれ。俺達は行列の人や道行く人にじろじろ見られながらも、店内への長~い道程の最後尾へと加わった。




