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四月九日(日・3)。お弁当を食べ、手料理を食べてもらう。

 狭い玄関口に二人で固まることは出来ないので、俺がドアノブを握っている都合上、先に詩乃梨さんを室内に上げてからドアを閉める。


 がちゃん。いつになく重苦しく響く、詩乃梨さんの退路を断つ金属音。靴を脱いで居間兼寝室への短い廊下をちょこちょこ歩いていた詩乃梨さんは、威圧で不安をカバーするかのように視線で俺を牽制してきた。


「……こたろう」


「俺はここに誓う。詩乃梨さんに一切触れない。俺を信じろ。詩乃梨さんは俺に手作り弁当をくれる恩人だ。恩を仇で返すような真似、俺は絶対にしない」


「……そこまで、気張らなくても、いいけど……。とりあえず、ようかんとお茶。……あと、代わりのご飯」


「承った。ごゆるりと寛がれよ。ところで思ったんだけど、お茶とようかんか、コーヒーとケーキだったら、どっち好き?」


「ケーキ?」


 詩乃梨さんの瞳の色が、不安から喜色へと反転する。よしケーキだ! 昨日喫茶店で買ってきたお高いケーキ出しちゃうぞう!


 俺は急上昇したテンションのままに、靴を適当に……脱ぎ散らかせないわ。詩乃梨さん、自分の靴綺麗に揃えていったみたいなので、その横で乱雑に倒れるマイシューズというのは絵面的に哀れすぎる。


 俺は粛々と靴を脱いで整え、左に洗濯機・冷蔵庫・台所、右に風呂・トイレと並ぶ廊下をさっさと抜けた。

 突き当たれば、ベッドやらテレビやらこたつやら本棚やらが壁沿いに整然と並ぶ一室。一人で暮らすには広くも狭くも無く快適な大きさなのだが、二人となるとやはり少々手狭な感じが否めない。


 ていうか、詩乃梨さん、なんでこたつに弁当置いたっきり部屋のど真ん中に突っ立って俺をものっそい睨んでんすか。部屋のどこに行くにしてもそこを通らなくちゃいけないので、ちょこっと避けて貰えないとこの中身を失った春物ジャケットをハンガーにかけることができません。


 あ、そっか。返事忘れてた。


「ケーキ好きなんだろ? 任せろ、ここら辺で一番うまいケーキを昨日買ってきたばっかだ。まあその前にご飯だけど。……てことで、適当に座っててもらえる? あとジャケットそっちに置かせて」


「そっち? はい」


 詩乃梨さんが、何の気なしに手を差し出して来た。俺も特に何も考えずにジャケットを手渡す。


 ……ん? あれ? 置かせてって言ったけど、置いてくれとは言ってないよ?


「こたろう。終わった」


 言われて振り向いて見れば、壁に直接くっついている折りたたみ式ハンガーラックが展開され、マイジャケットが収まるべき場所に収まっていた。……え、貴女その自然な動きはいったい何?


 しばし呆然としていると、詩乃梨さんが焦れたように詰め寄ってきた。


「ケーキ早く。……あと、ついでにご飯」


「ご飯はついでじゃねえよ? しっかりお食べ? ……あ、ごめん、食材無い。悪いけど、昨日の夕飯の余りでいい?」


「いい。早く。……………………………あれ、パンは無いの? いつものやつ」


 いつものやつ。俺がいつも屋上で食べている総菜パン達のことだよな?


 俺はまた急かされる前に冷蔵庫へと引き返しながら答える。


「あれは朝コンビニで買って直接持ってってるから。今日は無い」


「……無駄遣い……」


 え? 無駄遣い? ……コンビニでパン買うのって、別にそんなに高くない……よな?


 という疑問をすぐに述べることは出来なかった。詩乃梨さんの目がなんか超怖い。とりあえず、冷蔵庫の扉を開け放って盾とし、ケーキを漁るという重大な任務を遂行しているふうを装いながら会話を続ける。


「無駄って言ったって、パン一個も缶コーヒー一本と変わらないようなお値段……です、よ、ね?」


「自分で作ればね」


「……ん? ……んん? ……んー? ごめん待って、計算する」


 缶コーヒーを自分で作る? いや、自分で作るのはパンの方か。前提としてまず、コンビニで売っているパンと缶コーヒーは同じ値段であるとする。で総菜パン一個を自分で作るとしたら、コンビニで買った場合と比較して、どんなに高く見積もったとしても三分の一以下くらいには収まるだろ? で、その手作りパン一個と缶コーヒーは同じ値段であると彼女は言っている。であるならば、コンビニにおいて総菜パンと缶コーヒーは同じ値段であるという前提があるから、缶コーヒーの価格もまたコンビニで売ってるやつの三分の一にしなければならず、なにそれ、近所のディスカウントショップで売ってるやつ並みに安いな……。……?


 ………。


 俺は冷蔵庫の扉の上から顔を出し、青い炎のように外見と中身に逆ベクトルの熱を宿す詩乃梨さんを仰ぎ見た。


「あのさ。詩乃梨さんって、缶コーヒーを激安店で買って、湯煎して温めてたりする? あと、弁当じゃない時に食べてるサンドイッチとかも、実は手作り?」


 これに詩乃梨さんは、『何言ってんだコイツ』という蔑みの目を向けてきた。


「そんなの当たり前」


 ……俺、詩乃梨さんが作ってくれたサンドイッチを十把一絡げ唐揚げくんと交換した挙げ句にろくに味わいもせず食っちゃったり、詩乃梨さんが手ずから温めてくれた缶コーヒーを店売り品と同じ扱いで飲んじゃったりしてたの……?


「――過去に戻りたい。悔やんでも悔やみきれない。俺が間違っていた」


「……ん。わかればいい」


 詩乃梨さんは満足そうに頷いてくれたが、ごめん、たぶん君は俺が何を悔やんでいるのか一ミクロンたりともわかっていないと思う。


 そして俺は、雪峰詩乃梨という人間について、ひとつだけ理解することができた


「詩乃梨さんって、実はかなり倹約家?」


 ケーキと夕食の残りを取り出した俺は、冷蔵庫に別れを告げて電子レンジとこんにちはしながら問いかける。


 詩乃梨さんは、両手をジャージのポケットに突っ込んで、唇を尖らせた。


「素直に、ドケチって言えば? ……倹約家とか、言葉選びすぎ」


「別に選んでないから。俺も缶コーヒー湯煎とか朝昼晩手作り飯とか挑戦した事あるからケチとも思わんし。でも節約するなら、缶コーヒー止めてお湯に溶かすタイプのコーヒー買った方がいいんじゃ――」


「それは邪道。……缶コーヒー湯煎するのも、ギリギリラインなのに……」


「あー、あるある。自販機とか店で道すがら買うのがいいんだよな、風情というかなんというか。しかも湯煎した缶コーヒーってなんか時々鉄の味するし」


「……温めてたら、爆発して天井に突き刺さった、っていう話もあるよ。……かなり、見てみたい……」


「やるなよ? わざとやるなよ? 部屋に傷つけたら出てくときに金かかるからね?」


「こたろうの部屋なら――」


「ダメですよ! なにその期待の眼差し。俺そんな詩乃梨さん初めて見たよ!?」


 この子、コーヒー関係だとやたら感情が豊かになるね。カフェイン中毒極まりすぎて、カフェインの話題だけで酔っ払うようになっちゃったのかしら? これはいかん、ちゃんと栄養取らせて真っ当な身体に戻してあげなきゃ。


 というわけで。キラキラした瞳で俺を見つめてくる詩乃梨さんという異常現象を解決すべく、速やかに行動開始。レンチンが終わった順に、野菜マシマシ肉野菜炒め、ピーマンマシマシ青椒肉絲、冷凍しても美味い特殊ジャーで炊いたご飯をこたつへと並べていく。


 矢継ぎ早に繰り出されるそれらを、詩乃梨さんはちょっと感心したような様子で見つめていた。……なぜか、未だ突っ立ったままで。


「……ねえ、座っていいよ? 部屋きちんと掃除してるから、汚くないはずだし」


「あ、うん。……それは、気にしてない、けど……」


「けど……なに? ……あ、そこのクッション使っていいよ」


「それだ」


 詩乃梨さんは、びしりと俺を指差して低く唸った。どうやら、コタツの周りに座布団代わりに敷いてるクッションに何か問題があるらしい。


 答えを求めて詩乃梨さんに目線を送れば、返って来たのは呆れた溜息。


「こたろう。このクッション……」


 言いかけて。詩乃梨さんは、言葉を止めた。目を瞑り、何かを追い払うようにかぶりを振る。


 再び開かれた瞳には、特に呆れや怒りのようなものは残っていなかった。代わりに、何やら自嘲染みたものを表情や声に滲ませた。


「……なんでもない。……使わせてもらうから」


「う、うん。どうぞ……」


「……あと、コンビ二のパン、無駄遣いとか言ったの、忘れて」


「は、はい……。……………………え、なんで?」


「なんでも。いいから」


 詩乃梨さんはこちらを振り向かずそう言うと、クッションに腰を下ろしてもぞもぞとこたつ布団に潜り込んだ。


 常の彼女からは考えられない、弱々しい横顔。そんなものを見せられては、彼女の憂いの原因について究明しないわけにはいかない。


 今は、もうちょっと考える時間を稼ごう。そう結論し、俺は最後に残った詩乃梨さんお待ちかねのケーキをこたつの上へと輸送。詩乃梨さんの目の前に置いてみた。


「どうぞ」


「……うん。あとでね」


 あとで!? 主食を『ついで』扱いして早く早くと急かしまくってたケーキだよ!? ここらで一番美味いケーキを出す店で買ってきた超絶お高い逸品なんだから、味の、保証、は……。


 ………………………………。


「…………………………お、おっと」


 そういえば、このクッションも、結構なお値段のやつだったよな……。ボーナス出るまで待った記憶がある……。


 ……もしかして、今の俺、詩乃梨さんから見て、すごい金遣い荒いヤツになってる? しかも、詩乃梨さんはコンビニのパン一個の値段にも拘る倹約家だから、余計に俺の好感度ガンガン暴落中……?


「――こたろう。食べないの?」


 棒立ちしていた俺を見上げて、不思議そうな顔をする詩乃梨さん。彼女の肩は若干しょんぼりしてる上、目つきにも溌剌とした刺々しさが足りない。


 やばい。彼女を元気づけるための手札がない。ていうか盛大にミスった。とにかくみっともなくあさましく現状の何もかもを好転させるための手を打たねば!


「そ、そうだな。食べようか。……あ、詩乃梨さん、お弁当取ってくれる?」


 俺は詩乃梨さんから見て左手の席に腰を落ち着け、詩乃梨さんの側にあるお手製弁当を指差す。とりあえず、この弁当を演技などでは無く心の底から絶賛することで詩乃梨さんの心を温めてみよう。


 そんな俺の思惑の、出鼻を挫くかのように。詩乃梨さんは俺の指差した先をじっと眺め、やがて、悲しみや絶望すら感じさせるような緩慢極まる仕草で俺の願いを無理矢理に実行した。


「はい、どうぞ……。……激安節約弁当で、ごめんなさい……」


 ……。ひ、卑下が過ぎる……。俺に取っちゃ、どんな高級料理よりも詩乃梨さんのお手製弁当の方が何万倍も何億倍も価値があるのに……!


「――詩乃梨さん」


 俺は弁当を持つ詩乃梨さんの手を優しく掴み、びっくりした面持ちの詩乃梨さんに向かってぐっと身を乗り出した。


「頼む、俺に言い訳をさせてくれ。みっともなくてあさましくてしょーもない話をどうか聞いてくれ」


「……み、みっとも、あさま……え、話? ………………どんな?」


「『土井村琥太郎の金遣いが荒く見える理由』について。加えて、『そんな土井村琥太郎にとって、雪峰詩乃梨のお手製お弁当が、どんな高価な品も比較にならないほどの価値を持っている理由』について」


 本当に、みっともなくて、あさましくて、しょーもない話で、俺の恥部を丸ごと曝け出すような話だけど。それでも、このまま詩乃梨さんに成金野郎として嫌われてさようならなんてのよりは遥かに――比較にならないなどではなく、そもそも比較という概念を持ち出すことすらちゃんちゃらおかしいってくらいにマシである。


 俺は、詩乃梨さんが首を縦に振るまで絶対にこの手を離さない、という意思を込めて、ほんの少しだけ手の込める力を――






『俺はここに誓う。詩乃梨さんに一切触れない。俺を信じろ。詩乃梨さんは俺に手作り弁当をくれる恩人だ。恩を仇で返すような真似、俺は絶対にしない』







 …………………………………………おーまいがー。


「……ごめん、やっぱり、なんでも、ない、です……」


 俺は詩乃梨さんの手を解放し、身体を引っ込めて悄然と呟く。


 詩乃梨さんは、俺の急激な変化に頭が追いつかなかったらしい。未だ弁当を掲げ持った体勢のまま、目を白黒させる。


「……え、こたろう、どうした、の? ……お弁当、やっぱりいらない?」


「違う。欲しい。超欲しい。その弁当のためなら、命を差し出しても悔いは無い」


「…………………………そ、そう? …………じゃあ、なんで……」


 詩乃梨さんが、ゆっくりと、俺の体温が僅かに滲んで居るであろう己の手へと目を向ける。


 そして、何十秒か経過して。


「……えー……。気張らなくていいって、言ったじゃん……。こたろうって、ばかなの?」


 ものすっごい呆れ返った声と白い目が、俺の心をぐさぐさと突き刺してきた。


「否定はできない。俺は、とんでもないバカだ」


「いや、否定してよ。べつに、本気でばかとか思ってないから」


「でも俺は、自分が誠心誠意誓ったはずの約束すらほんの数十分足らずであっさり破るような信用ならない人間である上に、年下の女の子に金を見せびらかして自慢するようなクソゲス野郎――」



「――くそげす野郎。人の話を聞け、ばか」



 詩乃梨さんは、手にした弁当を俺に向かってぐいっと突き付けてきた。


 彼女の瞳の奥に灯るのは、かつての雷龍時代の彼女を凌ぐほどの熱量を持った、ぐつぐつぐらぐら煮え滾る何か。それは怒りとよく似た何かでありながら、全く別の想いをやどしていた。


 俺がその想いの正体を読み取る前に、詩乃梨さんは俺の目の前の天板に弁当を叩き付けて吼えた。


「食え。噛みしめろ。しっかり味わえ。終わるまでしゃべるな。……………………わ、わたしが、がんばって作った、弁当だ、ぞ。……せいしんせいい、ぜんしんぜんれいで…………。と、とりあえず、食べて?」


 勢い! 勢い最後まで頑張って! 恥ずかしい台詞言ってる途中で恥ずかしさに気付いて声上擦っちゃった挙げ句に可愛くぶりっ子ぶって小首傾げてお願いするとか、なにこれ俺まで恥ずかしいわ!


 俺は考える。己の誓いを破ってしまったことに対する罪に拘るべきか、それとも詩乃梨さんの激烈かわいい胸キュンな仕草にほだされて己の何もかもを赦してしまって有り難くお手製お弁当を頂戴するか。


 考えるまでもねーわな。


「詩乃梨さん――」


「だから、しゃべるなって」


 おっと、そうだった。まずはこのお弁当を、誠心誠意、全身全霊で食さねば。


 顔を真っ赤にして身を縮こまらせている詩乃梨さんに、俺はにっかりと笑いかけて大きく首肯して見せた。


 意訳。ありがたくいただきます。マジあざぁーす!


「…………………ふん……」


 詩乃梨さんは、ふて腐れるように鼻を慣らして完全にそっぽを向いてしまった。そのつらい体勢のまま、手探りで箸を探り当て、空いている手にほかほかご飯を構える。


 そして始まる、終始無言の、二人きりでのお食事会。


 それはまるで、かつての二人の関係に後退してしまったかのような――しかし、俺と詩乃梨さんの間にある何かが、確かに前へ進んだような予感を感じさせる――あ、詩乃梨さん、睨まないで。え、モノローグもだめなの? ちゃんと集中して食え? あ、はい。了解です。


 ……詩乃梨さん、目力で物言いすぎ……。

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