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四月二十九日(土・3)。真鶴佐久夜と、かやちー。

 俺は水を止めて、手を服で軽く拭いながら、玄関へと向き直った。


 学校の制服姿の詩乃梨さん。リボンタイもブレザーもきっちり装着済みで、短め丈のプリーツスカートから覗くほっそりとした脚には膝上丈ソックスを履き、天然の灰色の長髪をさらさらと揺らして煌めかせる、そんないつもの登校時スタイルの詩乃梨さんである。


 朝の彼女は、俺のパジャマを脱いだ後はお気に入りのジャージに着替えていたはずだが……そこからさらにお色直しした理由は、真剣な気持ちでお勉強会に臨むためだろうか。


 しかし、今彼女が真剣な気持ちを向けている対象は、俺と傍らの少女であった。主に俺、時たま少女という比率である。


 詩乃梨さんは不安でも不満でもない謎の感情ゆえに目を少し細めて、躊躇いがちに口を開きかけ――


「詩乃梨ちゃん、早くっ、早く行って! 詰まってるから! 後つかえてるからっ!」


 半開きの扉の外側から投げかけられてきた、小さく鋭い針のような叫び。それに突き刺された詩乃梨さんは我に返ったようにはっとした顔をして、扉を支える役目を叫びの主に譲ってから、さっさと靴を脱いでkちらへ歩み寄ってきた。


 詩乃梨さんは一瞬だけ俺と少女をじろりと見やり、けれど何かを言ったり表情に出したりすることはせずに、意図のわからない溜息を吐いてから玄関の方へと向き直った。


 俺と少女も、詩乃梨さんにつられて同じ方向へ顔を向ける。


「…………綾音さん……?」


 詩乃梨さんの後任として戸口に陣取っていたのは、なぜかやたらピリピリした空気を纏っている綾音さん。彼女は鉄扉に背中を預けるようにして、顔だけ外へ伸ばして油断なく辺りの様子を窺っている。


 綾音さんはやがて満足したようにひとつ頷いて、扉を少し押し開けながら、共用廊下の果てに向かって小さくちょいちょいと手招きした。


 それから、数秒後。綾音さんの胸元くらいの高さから、見知らぬ女の子がひょっこりと顔を覗かせてきた。


「――いやぁー、どもども。皆さん、こんにちはー」


 綾音さんとは対照的にどこまでも緩みきった顔で、気の抜けた挨拶を放ってきた女の子。やがて顔だけではなく全身を玄関口へと現したその子は、前髪をちょいちょいいじったりプリーツスカートの裾をぱっぱっと払ったりして身だしなみを整えて、最後になんか営業先に窺う直前の新人サラリーマンみたいな仕草でブレザーの襟をシュッと正す。


 そして、屈託の無い笑みをにかっと浮かべて、ブレザーの中に着込んだカーディガンの袖に半ばほどまで覆われている手でびしりと敬礼してきた。


「どーも、ごぶさたでーす。みんなの真鶴佐久夜さんのお帰りだよー。はぁーい、一同拍手ー」


 笑顔も所作も全力なのに、綾音さんと同様に声のトーンは抑え気味。セルフ拍手してる手もほぼ音を出さずに、萌え袖をたふたふ打ち合わせてるだけ。あと関係無いけど、彼女が手を打ち合わせるたびにうなじで括られている短めの後ろ髪が左右にみょんみょんと揺れてて、なんとなく目線がそっちに行っちゃう。猫の尻尾ではなく猫じゃらし状態である。


 まなづるさくや。詩乃梨さんや名も無き少女と同じ学校の制服に身を包んだ、高校生に間違われそうな綾音さんと中学生に間違われそうな詩乃梨さんのちょうど中間くらいの体格・体型の女の子。この場における第四の女性であり、ついでに言うなら、またしてもかわいい女の子の参入であった。


 ……第四、しかもかわいい。……綾音さん、詩乃梨さん、名も無き少女、そしてこの真鶴佐久夜。人口密度高すぎな上に女子率高すぎな上に美少女率激高である。


 ちょっと非現実的な現実に気付いちゃって呆然としている俺を余所に、真鶴佐久夜は詩乃梨さんと名も無き少女に向けて笑顔でぱたぱたと手を振ってきた。


「しのちー、かやちー、おこんにちはー。あとついでに、おにーさんも、おこんにちはー」


「……………………おこんにちはー……」


 返事を返したのは、ついでで挨拶された俺だけだった。詩乃梨さんはなんか白けた目で真鶴佐久夜を見つめるだけだし、名も無き少女はなにやら乾いた笑みを浮かべるのみ。


 真鶴佐久夜は、友人二人――だろう、たぶん。流れ的に――のつれない態度にもまったく動じず、今度はすぐ傍らの綾音さんを振り仰いだ。


「あやちーも、おこんにち――」


「おこんにちははもう何回もやったから、いいからさっさと入って!」


「……あ、はーい。りょーかいでーす……」


 挨拶フリーク綾音さんにすらすげなくあしらわれてしまい、真鶴佐久夜は流石にちょっと意気消沈しちゃったらしい。急激に弱々しくなってしまった儚い笑顔で『あがっていいですかー?』とアイコンタクトを送って来た彼女に、俺は目頭を意味も無く熱くさせながら大仰に頷いて見せた。


 真鶴佐久夜、ちょっと復活。靴を適当に脱ぎ捨てた彼女は、詩乃梨さんと名も無き少女に目礼しながらこちらまで歩み寄ってきて、俺の眼前で立ち止まってもじもじしながら見上げてきた。


「……おにーさん、おこんにちはー」


「……うん。おこんにちはー」


「………………お、おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!」


 うわぁ、もじもじからきらきらになっちゃったよ。挨拶返してもらえただけでこの輝きようとか、この子普段どんだけぞんざいな扱い受けてんの? なんか目頭だけじゃなくて鼻の奥とか胸まで熱くなってきちゃったよ?


 頭撫でてあげたい気持ちを必死で抑えこんでいる間に、綾音さんがようやく扉をぱたんと閉じて盛大に溜息をついた。


 綾音さんは、こちらを見上げてきて遠慮がちに問いかけてくる。


「琥太郎くん、私も上がらせてもらっていい?」


「そりゃ、勿論良いですけど……。あの、なんでみんなして俺の部屋来ちゃったんですか?」


 意味わかんないでござる。なぜに三十歳間近な独身男の部屋にかわいい女子高生達や美人な女子大生が大集合してんの? 嬉しいとかラッキーとかじゃなくて、わりと本気で勘弁してほしい。なんか男の本能に訴えかけてくる雌のフェロモンが嗅覚で感じ取れるレベルになってきてて呼吸ひとつでさえ気を遣うし、四方八方から視線を向けられてるような自意識過剰状態に陥っちゃって瞬きひとつでさえ気を遣うので、全く気が休まらない。


 ……でも、なんか良い匂いだなぁ、これ。女性が集合すると普通は化粧品やら制汗スプレーやらの悪臭が混じり合ったドギツい体臭が立ち込めるもんだけど、この場にふわりふわりと満ち始めているのは添加物が限りなくゼロな素の女の子達の優しい匂い。


 しばらく呼吸を繰り返していると、なんだかぼーっとしてきた。身体や気持ちの強ばりがすっかり取れて、それどころかふわふわとした心地良いぬくもりが俺の身心にじんわりと浸透していく。


 気持ちよすぎて、思わず欠伸が漏れた。目尻に浮かんだ涙を手の平の付け根あたりでごしごし擦っていると、なんだか周囲の雰囲気がおかしいことに気付く。


「………………………………」


 なんか、この場の全員が、無言でじーっと俺を見てる。


 なんだろ、この反応。……あ、綾音さんに「なんでみんなしてここ来ちゃったの」って質問投げた所だったんだっけ。返事聞き逃した。俺が無視しちゃった形になってるのか。


「……ごめん綾音さん、なんか眠気で意識飛んでた。説明、もう一回お願いできる?」


「……もう一回も何も、私まだ何も言ってないよ……?」


「……あ、そうなの?」


 よかった、無視してなくて。安堵したら、また小さな欠伸が込み上げてきたけど、今度は何とか頑張って噛み殺した。


 眠いなぁ……。あと腹減ってきた。細かいことは後回しにして、とりあえず昼寝かメシにしよう。メシ食ってから昼寝しよう。飯食ってから昼寝するまでの間に、腹ごなしがてらストーカー永眠させてこよう。そうしよう。


「みんな、お昼まだ食べてないよな? 適当になんか作るから、部屋入って待っててくれ」


 俺は流しに腰を預けるようにして、みんなが通れるスペースを空けた。


 しばらく誰も動かなかったけど、詩乃梨さんが名も無き少女の二の腕をぺしぺしと叩き、無理矢理背を押すようにして部屋の中へ誘導。自らもそのまま室内へ侵入した詩乃梨さんは、さらに視線だけで真鶴佐久夜を恫喝し、「ひぃっ」と悲鳴を上げさせながら瞬時に引き寄せた。


 俺は女子高生三人組がわいきゃいやり始めたのをしばらく眺めてから、残る綾音さんに視線を向けた。


「綾音さんも食ってくでしょ? ……あ、それともマスターの所帰らないと駄目?」


 綾音さんは少しぼんやりとしている様子だったが、やがて微笑みながらふるふると首を横に振った。


「今日は、たぶん友達とどこかで食べて来るかもーって言ってふらっと出て来たから、できればわたしもご相伴にあずかりたいかな。いい?」


「いいですよー。存分に土井村家の食卓を堪能してってちょうだいな。……まぁ、俺料理とか大して上手じゃないんで、あんまり美味い飯期待されても困るんですけどね」


「……じゃあ、あんまり美味しくないご飯、初対面の女の子達にしれっと出しちゃう気なんだ?」


 綾音さんがちょっぴりびっくりしたような目を向けてきたけど、俺はそれをしれっと無視してしれっと答えた。


「流石に食えないレベルのものは出しませんよ。……本当なら、その道のプロである詩乃梨様にお任せしたい所ではあるんですけど……、まあ、今日は主婦業お休みの日ってことで」


 ちらりと横目に詩乃梨さんの方を見やれば、名も無き少女や真鶴佐久夜と一緒におこたに入って、なんか楽しげに談笑中。楽しげと言っても、見るからに楽しそうなのはマシンガントークを繰り出している真鶴佐久夜だけだけど。銃弾の雨に晒された詩乃梨さんは、嫌っそーに無愛想なリアクションや辛辣なコメントを返してる。そんな風に対照的なテンションでドンパチやってる二人の間では、名も無き少女が引きつった笑いや呆れ笑いを浮かべたりしながら、絶妙な合いの手を入れて会話の軌道をちょいちょい修正していた。


 一見ちぐはぐなようでいて、この上なくぴたりと噛み合っている三つの歯車。俺はついつい頬が緩むのを感じながら、ふぅっと息を吐いてシンクから腰を離し、軽く全身の筋をほぐした。


「そういうわけで、今日は俺が主夫やらせていただきますわ。……あ、おーい、誰かアレルギー持ってるとか有るかー?」


 居間に向かって、大きめの声で問いかけてみた。


 名も無き少女は、なんか冷めた眼差しを寄越しつつ無言で首を横に振り、すぐさま控えめな笑顔で会話に戻っていった。相変わらず俺のことは気にくわないようだが、とりあえず飯は食う気らしい。食べ物に罪は無いから別にいいんだけど、あいつのだけ激辛にしてやろう。


 真鶴佐久夜は、思いっきり挙手して「なんでもいいので、おもしろいものお願いします!」ときらきらした目で無茶ぶりしてきた。俺は苦笑しながらも「おー」と快諾し、朗らかに会釈を交わし合う。おもしろいものって言われたから、真鶴佐久夜も激辛コースな。なんかこの子芸人気質っぽいから、リアクションに期待。


 そして、肝心の詩乃梨さんは――俺への反応、一切無し。でもこれ、無視じゃなくて、無条件の信頼です。ご飯は詩乃梨さんが作るという暗黙のルールを破ることに対して、何の言及もお咎めも無し。「今日はこたろーに全部お任せするから、みんなにおいしいもの作ってあげてね」って言ってる。ちっちゃな背中がそう言ってる。


 俺は袖をまくり、綾音さんの横を抜けて冷蔵庫の扉を開けた。しゃがみ込んで中身をごそごそ漁りながら、綾音さんの方を見ずに適当に言葉を投げる。


「綾音さんも、あっちでのんびりしてていいですよ。……あ、もし初対面の子達の輪に交ざるのは気が引けるっていうなら、俺と一緒に飯作りするのでも――って、それはやっぱまずいかぁ……」


 二人で一緒にお料理なんて嬉し恥ずかしイベントは、やっぱり詩乃梨さんとやるべきだろう。それに、綾音さんと二人で一緒にお料理とか、マスターの怒髪が天を突くよね、絶対。俺の部屋に連れ込んで一緒にご飯食べるって時点でアウトかもだけど、それについては俺と二人きりってわけじゃなくて他にいっぱい女の子居るんだしきっと大丈夫だろ。でも一応明日まほろば行ったら自発的にマスターに報告入れとこうか。むしろ今すぐ連絡入れてちゃんと許可取った方がいいすかね? 俺まだキャンプファイヤーの薪になりたくない!


 という俺の思考経路を読み取ったわけでもないだろうけど、綾音さんはふんわりと微笑んで首を横に振った。


「わたしも、あっちでみんなと待ってるから。ご飯は琥太郎くんにお願いするね。じゃ、よろしく」


「はい、よろしくされました。いってらっしゃい」


 一時的な別れの挨拶を交わし、俺と綾音さんはそれぞれの取るべき行動を取った。


 冷蔵庫漁りを再開した俺の耳に、ちぐはぐなはずの四つの歯車がくるくると軽快に回る音が聞こえ始める。


 ……うむ、みんな良い雰囲気だ。お邪魔虫の俺は、粛々と黒子に徹しよう。見せてやるぜ、日本を支える縁の下の力持ちの実力を!


「ふっふっふ。ギラギラと光り輝くリーマン様をナメるなよ?」


「こたろー、今なんか言ったー?」


「ごめん、なんでもないっす。あ、ねえしのりん、今日の夕飯って肉じゃがかカレーかい?」


「んー? ……んー……、じゃあ両方作るから、そのあたりのは使わないでー」


 両方作る。まじか。なんて欲張りなお嬢さんなんだ。なかなかナイスなハングリー精神ですね、是非ぼくと結婚してください。


 でもお友達の前で唐突に求婚するわけにもいかないので、俺は「あいよー」と短く返事を返すのみに留めた。


 使い道があまりなさそうな余り物の野菜類を適当にひょいひょい取り出して胸元に抱え込み、ある程度量が溜まったそれらを眺めながらしばし考える。ようやくプランをまとめ終えて、冷凍庫に備蓄してあった麺を大量に取り出した。本日のランチは、野菜マシマシ焼きそばでござーい。


 麺を電子レンジで解凍したり、野菜類を適当にざっくざっく切ったり、中華鍋を弱火にかけて油を馴染ませたりしながら、なんとなく女の子達の様子を観察してみる。


 今、正方形のこたつの四方の席は、全て埋まっていた。俺のすぐ横が詩乃梨さん、その向こう側が名も無き少女、詩乃梨さんから見て左に当たる壁側の席が真鶴佐久夜で、ベッドに近い右の席には綾音さん。


 俺が彼女達を観察しているつもりだったのに、なんかお嬢さん達の方からもちらちらと視線を感じる。


 感じるとかいうレベルじゃなくて、思いっきりガン見してきてる奴がいた。真鶴佐久夜は口元に手の平を当ててわざとらいしほどに目を見開き、俺と詩乃梨さんをきょろきょろと忙しなく見比べる。


「しのちー、さっきのなに? ねえさっきのなに!? 同棲カップル通り越してなんかもう熟年夫婦っぽかったよ!? ヒュー、イカすぜぇ!」


「夫婦じゃないもん。まだ違うもん。さくやはさっきからとってもうるさ過ぎるので、罰としてご飯抜きにします。さっさと下戻って一人で勉強してなよ。部屋の鍵閉まってるけどね」


「それ勉強できないじゃん!? 扉の前で体育座りしてお腹くーくー鳴らしながら涙るーるー流してるうちの姿見えちゃうよ! しのちーの鬼! 悪魔! すぱるた女教師! うちもう勉強イヤでごわす! そんなことよりゲームしようぜ☆」


 キャラ濃いなぁー、真鶴佐久夜……。駄々っ子みたいに手をぶんぶん振り回して鳴き真似してたと思ったら、次の瞬間には指でてっぽう作って詩乃梨さんをばきゅんと打ち抜きながらウインクかますとか。賑やか通り越して若干ウザい。ウザかわいい。


 あれだな。飼い主の都合を無視して、いつでもどこでも『あそんで、あそんでー!』ってじゃれつく頭の悪いわんこみたいな感じ。その頭の悪さを『ただの馬鹿』と思うか『愛らしい』と思うかで、彼女に対する評価は百八十度変わるだろう。


 俺はそういうべたべたしてくるわんこ大好き。詩乃梨さんも、今はあからさまにドン引きして見せてはいるけど、決して嫌ってはいないはず。……き、嫌ってない、よね? なんだか真鶴佐久夜が蛇に睨まれたカエルみたいにがたがた震えて自分の身体抱き締めてるんだけど、詩乃梨さんってば今どんなお顔していらっしゃいますの?


 俺はそれを見たくて見たくて堪らないんだけど、お菓子の国のお姫様は俺とは全く逆の想いを抱いたらしい。詩乃梨さんの頭にぽんと手を置いた綾音さんは、優しく撫で撫でしながらちょっと困ったような笑顔を浮かべた。


「詩乃梨ちゃんは、佐久夜ちゃんのことが大好きなんだよね? だったら、そんな顔しちゃだめだよ。好きな人には、きちんと笑顔を向けましょう。お姉さんとの約束だっ!」


「……………………べつに、好きじゃねーし……。……ぬぅー……」


 詩乃梨さんは反論を試みようとしたが、結局、黙って綾音さんに撫でられ続ける。灰色の髪が揺れる回数が増えるごとに、詩乃梨さんの肩から力が抜けていき、綾音さんの笑顔も平素ののほほんとしたものへ近付いていく。なんだこの仲良し姉妹。見てるだけでこっちまでのほほんとしてきちゃう。


 さっきまであれだけ怯えていた真鶴佐久夜も、微笑ましい姉妹の姿に思わず頬を緩ませて。


 けれど、頬を緩ませるどころか、内心で盛大にブンむくれてそうな女の子が一人居た。


「……あの、楽しそうなのは何よりなんですけど……、綾音さん、そろそろ本題に入りませんか?」


 小さく挙手しながら躊躇いがちに発言したのは、名も無き少女、仮称『かやちー(命名・真鶴佐久夜)』。


 楽しそうなのは何よりと言いながら、きっとそんなことは微塵も思っていないに違いない。自分が恋慕している相手が、恋人や女友達やお姉ちゃんと仲良しこよししている。そんな光景を見せつけられて、愉快な気持ちになれるはずなどない。


 そんな裏事情を一切知らない綾音さんは、かやちーの声音の固さを別の意味に捉えたらしい。はっとした顔でそそくさと詩乃梨さんから手を離し、粛々と正座し直して、一呼吸置いてから一同をゆったりと見渡した。


 ほっとした様子のかやちー、きょとんとした顔の真鶴佐久夜、そして人を観察する猫の目をしてそうな詩乃梨さん。


 全員の視線が集まったのを確認してから、綾音さんは一言一言強調しながら宣言した。


「それでは。これより、詩乃梨ちゃんを狙うストーカーへの対策について、みんなで議論を行いたいと思います。一同、礼っ!」


 背筋を伸ばして頭を垂れた綾音さんにつられるようにして、皆も思い思いのお辞儀をする。


 俺も心の中でお辞儀をし、ここからは耳だけで彼女達の会話に参加することにした。


 彼女達の議論の中で出た情報を、頭の中に取り込んで、俺なりにしっかりと考えよう。ちょうど、考え毎を促進させるのに最適な作業をやる所でもあるし。


 というわけで。俺は耳をロバにしながら、白い煙が上がってきた中華鍋に野菜の欠片達をどばどば投入。ばちばちじゅわぁっと弾ける野菜達を、お玉でカッカッと軽快に掻き混ぜつつ、時々中華鍋自体も振って満遍なく炒めていく。


 こっちの準備は整った。さあ、議論を始めてくれ。

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