四月二十九日(土・1)。彼女の瞳の奥のそれを、俺は無視しない。
世間的にも俺的にも詩乃梨さん的にも、今日からゴールデンウィーク突入である。
詩乃梨さんは、本日開催予定である例のお勉強会の準備のため、朝食後すぐに自室へと戻っていった。俺は適当な時間にお菓子や飲み物を差し入れがてら顔を出すという手筈になっており、つまりはそれまでひたすら暇。
余所行き用のイケメン風(笑)衣装でドレスアップした俺は、ベッドの縁に腰掛けたまま上体をごろんと投げだし、明るい天井をぼーっと見つめながら物思いに耽っていた。
現在の時刻、だいたい午前十時頃。気付けばもう二時間以上も黄金の時間を無為に浪費していたことになる。タイムイズマネー。時は金なり。せめて浪費した時間に見合うだけの実入りが欲しかった所だが、残念ながら俺の思索は価値のある何某かへ結実することはなかった。
考えていた事柄は、主に二つ。詩乃梨さんのお友達についてと、詩乃梨さんに告白してきた男共について。
詩乃梨さんのお友達。一人は猿のお嬢さんで確定として、もう一人はどんな子なんだろう。まさか男ということはあるまい。なら必然的に女の子ということになるんだけど、それ以外の情報が皆無なので、人物像が全く思い浮かばない。
思い浮かばないけど、どうせ後で実際に対面することになるので、この議題はこれで終了。問題は、もう一つの議題の方だ。
詩乃梨さんに告白してきた男共。一昨日の時点では、合計で三人だった。
のですがね。昨日、突如としてニューフェイスが五人も参入してきはったんですわ。
内訳は、即日の返事を求めるラブレターが一通、明確な恋文ではないけど二人きりになれる場所へ呼び出す内容の手紙が二通、直接の告白が教室移動時と下校直後の二回となっている。
奴らの狙いは手に取るようにわかる。要するに、『ゴールデンウィークを詩乃梨さんとらぶらぶしながら過ごしたい』ということだったのだろう。つまりは、俺と全く同じことを考えて、黄金週間突入前のラストチャンスに勝負を仕掛けてきたんだろうね。
でも五人全員あえなく撃沈。詩乃梨さんは、恋文には当然の如く返事をせず、呼び出しにだって一切応じず、直接告白してきた奴らもばっさりと斬って捨てた。
下校時に告ってきた奴は随分としつこく食い下がって来たらしいが、そいつに対して詩乃梨さんは半ばキレ気味になりながらこんな一言でトドメを刺したそうな。
「わたし、もう旦那様いるから。わたしは、あの人の子供以外、産む気なんか無い」
子供を産む。そのあまりにも生々しすぎて重苦しすぎる発言は、至高の切れ味を持つ名刀となって相手の男子を一刀両断。それだけに留まらず、突き抜けてしまった衝撃波が野次馬の生徒達にまで直撃してしまい、ちょっとした騒ぎに発展。渦中の詩乃梨さんは『もうこれ以上厄介毎は御免だ』とばかりに、すたこらさっさと遁走してきたとのこと。
詩乃梨さんは、もうその一件はそれでおしまいだと本気で思い込んでるみたいだけど……、たぶん次回登校した時には、学内を跋扈している詩乃梨さん列伝に新たな一ページが極太の毛筆で盛大に書き加えられちゃってると思う。しかも、その一ページに記されているのは、根や葉しかない噂じゃなくて、立派な幹を持つ噂。最終的にはいったいどんな尾びれ背びれが付いたUMAとなって、詩乃梨さんに襲いかかってくるのやら。
あと、あれだな。学校側に詩乃梨さんの発言が知られた場合、どういう受け止め方をされるのかってのも問題。ただの売り言葉に買い言葉だったと思ってもらえりゃ御の字だけど、不純異性交遊を疑われちゃうとちょっとまずい。だって疑いじゃなくて事実だもんね。不純じゃなくて純粋だけどね。純粋な恋愛感情ゆえに、いっぱい中出ししちゃいましたけどね! はぁい、完全アウトぉ!
でもまぁ、猿のお嬢さんみたいなウルトラビッチさんもフツーに通えてるみたいだから、あんまり気にしなくてもいいのかな。それに、もし万が一退学なんてことになったとしても、そしたら詩乃梨さんには即座に俺と結婚してもらって専業主婦やってもらえばいいだけだし。その後は、彼女の先の発言通りに、俺の子供を産んでもらおうと思います!
……子供といえば、そういやここ数日しのりんとえっちしてないな。一緒の布団で就寝することが習慣化してからは、けっこう精神的に満たされちゃってて、どうも『さあ、えっちするぞ!』っていうがっついた気分に切り替わらないんだよな。性欲自体はいつも以上に有りまくりだから、何かきっかけさえあればいつでもどこでも即座にビーストモード突入可能ではあるんだけど……。
そうだな。きっかけ、どこかで作ってみるか。せっかくの大型連休なんだし、翌日のことなんて一切考えないで朝から晩までひたすらえっちに没頭する、みたいな日が一日くらいはあってもいいだろう。
でもまずは、詩乃梨さんのスケジュール表に書き込まれたイベントに、誠心誠意お付き合いさせて頂くとしましょうか。
「…………うっし!」
ようやっと思考を一段落させ、上体を跳ね起こしてベッドサイドに腰掛け直した。ふぅっと至極軽い溜息をつきながら、窓の外を見やる。
うっすらとした雲が程良く散りばめられた、色素の薄い青空。そんな、どこか冬の残り香を感じさせる風景に、けれど確かな陽気がふわふわと充ち満ちている。
目に優しい色合いと、肌に優しい温度。できれば詩乃梨さんと一緒にまったりとお散歩を楽しみたいところだが、彼女は今頃はもうお友達と一緒にお勉強の真っ最中のはず。しょうがないので、適当なお菓子や飲み物の調達がてら、その辺をのんびりぶらぶらしてきましょうか。
◆◇◆◇◆
近所のディスカウントストアで菓子やらチョコやら缶コーヒーやらを買い込んだ俺は、それらが入った大きなレジ袋を肩に引っかけ、自販機で買った缶コーヒーを道端でちびちびと啜っていた。
うーん、買い物は最後にするべきだったな。こんな重いもん抱えてのんびりぶらぶらとか超めんどくさい。もうお家帰ろっかな。本来ならここまで来たらまほろばでも寄ろうかって考える所なんだけど、明日詩乃梨さんと一緒に行くことになってるから、独りで勝手に行くのはなんとなく気が乗らない。
でも折角外出たのに直帰ってのも流石につまらんので、かわいい野良猫でも探すとしようか。この辺りって草ぼーぼーの空き地が多い一帯だから、わりと頻繁にお猫様と出逢えるんだよね。ご飯あげたりするのは不味いけど、ただ鑑賞して勝手に癒される分には問題無かろう。天然猫カフェここに有り。
というわけで、俺はわざと寂れた道を選びなら、まほろばを迂回するようにぐるーっと大回りする軌道でアパートへ戻ることにした。
ぽかぽか陽気に、あったかコーヒー、お猫様に会えるかもというわくわく感。歩く度に指を引っ張り肩に食い込む巨大なビニール袋がかなり邪魔ではあるけど、この袋には詩乃梨さんや他二名の女子高生達の笑顔を引き出すために必要なものが詰まってるのだと思っとけば、気分も足取りもすこぶる軽くなる。
「ねーこ、猫、ねっこねこー。のーらねっこカモン。へい、かもん。………………ん? あれ?」
お猫様召喚の歌を口ずさみながらのんびりぶらぶらしていると、通りの遥か彼方に、猫ではなくお菓子の国のお姫様を発見。
ゆるゆるとウェーブしている毛先を振り乱し、落ち着いたデザインのカーディガンを激しくはためかせ、女の子らしいワンピースの裾を思いっきり蹴り上げるようにしながら、驚くべき速度でこちらへダッシュしてくる女の子。微笑みの似合う愛らしいお顔には、今は何故か真剣や必死という単語が深々と刻まれている。
姫様、ご乱心。
「―――――――――」
狭い道だ、このままだとあと数秒で正面衝突する。でも俺は未だかつて見たことの無い綾音さんの姿にすっかり気が動転してしまい、全身が硬直。こうなると、激突するか否かは綾音さん次第なわけだけど、なぜか彼女は俺と目が合っても全くスピードを緩めず、どころかより一層全身のバネを活かしてラストスパートをかけてきた。
あかん、これぶつかるわ。
「――っ!」
俺は事態が全く把握できないものの、中身がちょっとだけ残っていた缶コーヒーや中身がぱんぱんに詰まっていた袋をその場でパージし、両腕を広げて綾音さんを受けとめる体勢を取った。
だが。
「琥太郎くん、パスっ!」
綾音さんは俺の目前で急制動をかけ、大地に突き立てた足を軸にしてその場でターン。髪やカーディガンやワンピースを盛大に翻らせながら、手にしていた何かを遠心力の勢いそのままに投げつけてきた。
アンダースロー気味のトルネード投法で放られてきたその球は、俺のみぞおちちょい上あたりに「へぶぁっ!?」という奇妙な打撃音と共に激突。
俺は正面にキャッチャーミットを構える余裕も無かったので、胸に飛び込んできたそれをせめて後逸はしないようにと両手でがっちり押さえ込んだ。
俺は、胸の中の球を見下ろして。
そして、俺を見上げてくる球とばっちり目が合った。
「……………………………あ、どもっす。ウッス」
「……………………………こっ、こん、にち、は」
球っていうか、女の子だった。挨拶を交わしてからその事実に気付いて、俺は彼女の両肩からそろーっと手を放し、ゆーっくりと一歩後退。
きちんと距離を取って改めて眺めてみると、ぱっと見の印象では、なんか野暮ったいというか、いまいち垢抜けていない雰囲気の少女だった。
ストレートで黒一色な、セミロングの後ろ髪。目元を完全に覆い隠してしまうくらいに長い前髪。目を覆うのは髪だけではなく、その奥には小さめの眼鏡がちらちら覗いている。眼鏡の奥から俺を見上げ来る瞳は、都会の汚れを知らないかのような素朴で純朴な色合いだ。
身体のインパクトは極めて弱く、低い背丈に、細い身体に、貧しいお胸。体格だけなら中学生なりたてくらいに見えるけど、決して幼児体型ではなく、ほっそりとしたシルエットの各部位が一応ながらも女の子らしい起伏を有している。
この子は、きっと高校生だ。なんでそう思うのかというと、詩乃梨さんが普段着ているのと同じ学校の制服に身を包んでいらっしゃるから。
スカートを腰で折っていないのか、丈はだいぶ長め。裾から覗く足は黒タイツで完全ガード済み。それだけでは守り足りないらしく、両手で学生鞄を下げて股下に絶対の防壁を築いていた。うぅん、野暮ったい。
素材は、良い物があると思う。あどけない顔立ちに、綺麗な髪に、細い身体。だってのに、おしゃれやセックスアピールの類が――無意識的にか、意識的にか――排斥されており、本来の可愛さが完全に損なわれてしまっている。
で、この隠れファン量産してそうな隠れ美少女はいったい何なの? 俺なんでパスされちゃったの? 綾音さんとこの子の関係ってなんなんですの?
答えを求めて、少女越しに綾音さんの方を見てみれば。綾音さんは、俺に背中を向けて――っていうか俺に背を預けているような風情で、空手家ともボクサーともつかない謎の構えを披露しながら、全身で軽くリズムを刻みつつ通りの向こうを警戒していた。
お菓子の国のお姫様に見合わぬ、なんとも堂に入った臨戦態勢である。そういえばいつだったか、マスターが言ってたっけ。綾音さんには、最低限身を守れるように色々と護身の術を仕込んであるとかなんとか。
たとえ護身のためであっても、綾音さんが肉弾戦するなんて、全然イメージできなかったけど……。こうして実際にバトルモードの綾音さんを見てみると、なんだか妙にしっくりきてしまった。綾音さんって実は、見かけによらずわりと心身共にタフな所有るしな。マスターとフリスビー満喫しまくったり、十歳くらい年上の男に説教かましてビビらせたり。
………………ていうか、ねえ、メルヘンあやのん。貴女、なぜにバトルモードなんだい?
「……ねえ、綾音さ――」
「シッ! 静かに! まだちゃんと撒いたかどうかわからないからっ!」
鋭く小さく一喝されてしまい、俺は完全に気圧されて言葉を詰まらせることしかできなかった。
押し黙ったまま、綾音さんの頼もしい背中と、その背に庇われているかのような名も無き少女を交互に眺める。
少女は少女で、綾音さんの背中を見たり、綾音さんの視線の先を見たり、俺の喉元あたりを見たりしていた。少女の表情から読み取れるのは、不安や恐怖に似通ったネガティブな感情。更に、俺の視線に気付いて返してきてくれた目礼には、申し訳なさや後ろめたさのような色も見て取れた。
……ふむ。つまり、今この場に於いては、綾音さんが騎士で、少女がお姫様というわけか。少女が悪漢か何かに追われていて、綾音さんは騎士道精神に則って少女の逃走に手を貸した、と。俺は差し詰め、綾音さんと同じ騎士団に所属する先輩や同僚といった所か。
俺は背面からの強襲に備えるべく、少女と綾音さんに背を向けた。そして、真剣な声音で小さく問いかける。
「追ってきてるのは誰なんだ? ストーカーか何かか? 警察呼んだ方がいい?」
これに答えたのは、綾音さんではない女性の、慌てた声だった。
「けっ、警察は、待ってください。確かに、追いかけられはしましたけど、ストーカーとかじゃないんです。……あの人は、えっと……、学校の、クラスメイト、です。……い、一応」
「……クラスメイトだからストーカーではない、という文法は成り立たないぞ。女の子を追い回す行為は、文字通りのストーカーだ。あと最後、なんで『一応』なんて付けたんだ?」
「………………私達と、交流、無い人なので……」
私『達』。その言い方は、綾音さんも含んでいるように聞こえる。ならやはり、少女と綾音さんは旧知の間柄なんだろうか?
「きみと綾音さんは、どういう関係なの?」
「……あやね、さん……」
少女はなぜか綾音さんの名を呟いたきり、何事かを考えるように押し黙ってしまう。
少女と選手交代して、綾音さんが相変わらず張り詰めた空気のままで俺に声を放ってきた。
「私は、この子とはさっき会ったばっかりだよ。高校生くらいの男の子に追い回されてるみたいだったから、事情を軽く聞いて、とにかくウチに匿おうと思って急いで走ってきたの」
「……じゃあなんで、こんなとこで思いっきり迎撃態勢取ってるんですか?」
「だって、琥太郎くん居たし」
なんで俺が居ると逃走から戦闘へ切り替わっちゃうの? 言っておくけど俺喧嘩とかろくにしたことないよ? 中学時代は、毎日重り付けて登校したり、自己流の奥義をノートに書き殴ったりしてたけどさ。正に絵に描いたような黒歴史。戦闘突入する前から俺のハートに大ダメージである。
折れそうな心をギリギリで繋ぎ止め、綾音さんと似たような姿勢でバックアタックを警戒する俺に、少女がおそるおそるといった様子で呼びかけてきた。
「……こたろう、さん」
「……うん、俺が琥太郎さんだね。あとそっちの勇ましいお姉さんが綾音さんね。んで、何か用?」
「――詩乃梨ちゃんの、恋人ですよね? 土井村、琥太郎さん。……あと綾音さんも、詩乃梨ちゃんのお友達」
………………………………む? 詩乃梨ちゃん?
予想外の名前が飛び出してきて、思わず少女の方を振り返る。綾音さんも俺と全く同じ動きで少女を凝視していた。
少女は慌てた様子で俺と綾音さんを交互に見やり、最終的に恥ずかしそうに俯いて学生鞄を胸に抱き締めて沈黙してしまう。
俺の脳裏に、この少女と詩乃梨さんを結ぶ、あるワードが思い浮かんだ。
「……もしかして、詩乃梨さんのとこでお勉強会しにきたの?」
「……ああ、やっぱり聞いてるんですね……」
少女が漏らした物憂げな呟きは、俺の予想に確信を与えるものだった。ところでなんでそんな物憂げなん?
なんとなく少女の横顔を眺めていたら、綾音さんがちょっと不思議そうな顔で首を捻った。
「お勉強会って、もうだいぶ前に始まっちゃってるんじゃない? 今日の朝九時からだって聞いてるけど」
なにそれ俺聞いてない。おのれ綾音、やはり貴女は俺のライバルか。好敵手にして、背中を預け合って共通の敵に立ち向かう戦友。おお、かっけぇ。
内心ちょっとうきうきしてきちゃった俺とは対照的に、少女がひどく沈んだ面持ちで重苦しい溜息を吐いた。
「……私、お勉強会楽しみで、昨日寝れなくて……、結局、寝坊、しちゃって……。起きてすぐ家出たんですけど、そうしたら……あの人に、見つかって……、電車降りても、追いかけられて……」
勉強が楽しみで寝れないって、随分奇特な娘だな。まあそれは置いといて、また出て来たな、『あの人』。
「なあ、なんでそいつに追いかけられるハメになったんだ? やっぱりストーカーなのか?」
「……ストーカー……、かも、しれないですね。……あ、私のじゃないですけど!」
ストーカー確定かと思って身を強ばらせた俺と綾音さんに、少女は慌てて注釈を付け加えた。
ストーカーかもしれない。けれど、ストーキングの対象はこの少女ではない。
なら、標的は誰だ?
「――詩乃梨さんか。そいつの、狙い」
一昨日から昨日にかけて殺到した、詩乃梨さんへの愛の告白。詩乃梨さんはその全てをろくに取り合いもせずに袖にしてしまったわけだが、本気で詩乃梨さんを愛している奴なら一度や二度断られたくらいではへこたれないだろうし、へこたれないの方向性を間違えてストーカー行為に走る可能性は十分にある。
ストーカーの正体は、この少女のクラスメイト。ということは、詩乃梨さんとも同じクラスということになる。ならば、詩乃梨さんが勉強会について自分の教室で打ち合わせをしていた場合、ストーカーがその催しの概要について情報を入手することは容易だっただろう。
そしてストーカーは、詩乃梨さんの家へと向かうこの少女を尾行した、と。
……うーん、この想定はちょっと違和感あるな。わざわざこの少女を尾行するより、詩乃梨さんに直接付きまとった方が楽しくね? 大体、なんだって顔も姿も晒して堂々とストーキングしてんの? アホなの?
どうにも、万事をうまく一本に繋げる道筋が見いだせない。思わずうんうん唸りながら考え込んでいたら、なんか少女と綾音さんがじーっとこちらを見つめていた。
「………………なんか用すか、お二人さん」
居心地の悪い視線に耐えかねて問いかけた俺に、綾音さんは曖昧な笑みを浮かべながら顔を逸らして何も言わない。けれど、少女の方は何かを探るような声音と眼差しを向けてきた。
「……琥太郎さんって、本当に、詩乃梨ちゃんが言ってた通りの人なんですね」
……台詞の意図が読めない。意図は読めない、けど。少女の、前髪と眼鏡の奥に隠された瞳に、俺はある感情を見出した。
それは――。
「…………………………」
いや、見間違いだろう。だって、この少女にそんな感情を向けられねばならない覚えも謂われもない。むしろ、俺が見たものと真逆の感情を抱かれていて然るべき場面のはずだ。
俺と少女の間に流れた微妙な空気は、エアリーディングマイスター綾音にも気付けないほどに些細なものであったらしい。綾音さんは曖昧な笑みを浮かべたまま、俺が地面に落としたレジ袋と缶を拾い上げ、それを俺に渡さずに数歩横道へ歩いて行ってこちらを振り返った。
「とりあえず、詩乃梨ちゃんの所行こう? その子、無事に送り届けなきゃだし……、あと、ストーカー対策も、みんなでちゃんと考えないとだし」
「……そう、ですね」
俺は少女の目を見つめたまま、綾音さんに適当な返事を返した。
少女は、返事は返さずに、俺を見つめたままこくりと首肯。それから数秒ほどして、やがて俺に興味を失ったようにふっと目線を逸らし、綾音さんの元へと歩いて行った。
笑顔で会話を交わしている綾音さんと少女を見つめながら、俺は、少女の瞳の中に揺れていた感情について、しばらく考え込んでいた。




