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四月九日(日・2)。自宅訪問と、手作り弁当。

 これは以前にも解説したことだが、俺は玄関からいざ出ようとした時に外から足音が聞こえて来たら、ついつい息を潜めてやり過ごしてしまう習性がある。


 理由? なんとなくだ。もし鉢合わせたら、なんとなく気まずいからだ。


 それは、例え相手が詩乃梨さんであっても同じこと。むしろ、詩乃梨さんは俺にとって最早屋上の妖精か何かと化していたので、もし他の場所で会ってしまったらどんな顔をしていいのかすらわからない。


 一緒に、屋上でご飯を食べる関係。じゃあ、屋上でご飯を食べる時以外は、俺と詩乃梨さんの関係って何なの?


「………」


 軽い中腰で玄関の扉を開けた姿勢のまま、屋上へと続く階段の方へ顔を向けて。


 すぐ横の壁に寄りかかっていた、所在なさげな様子の少女と目が合う。


「…………………………お、おう」


「…………………………う、うん」


 二人して、意味も無く頷きを交換し合う。が、それ以上のリアクションが何処を探しても出て来ない。


 少女。言わずと知れた、詩乃梨さんである。灰色の髪、キツめの目元、大きめジャージ、弁当の包み。どれを取ってもまさに『いつもの詩乃梨さん』としか言い様がない。


 だが、俺にとっては、俺の全く知らない女の子に見えた。


 え、だって、え? 詩乃梨さんって、なんで、俺の部屋知って、え? なんで、俺のこと待って……え? ねえ待って? ちょっと待って? いや、だってさ。


「――詩乃梨さんって、屋上の妖精じゃなかったの?」


「ぶっ!?」


 思わず真顔で呟いたら、詩乃梨さんが全力で吹き出した。ツボに入ったというか気管に入ったらしく、背を曲げて苦しそうにごほごほとむせていらっしゃる。


 背中を撫でてあげたくて手を伸ばしかけるが、その行為が自分には許されていないものだと気付いて思い留まった。イエス詩乃梨さん、ノータッチ。


 行き場を無くした手を握ったり開いたりしていると、詩乃梨さんがようやく復活。目尻の涙を手首の辺りで拭いながら、「ひゅふぁー」と上擦った息を吐いた。そして、唇にぐっと力を入れて無理矢理『へ』の字口近くで固定すると、胡乱な目つきで睨め付けてくる。


「……こたろう、今まで、わたしのこと、なんだと思ってたの?」


「いや、だから、屋上の――」


「言うな、待って。さ、酸素が、酸素が、足り、な、い」


 詩乃梨さん、笑い声も笑顔も無いけど大爆笑。強ばった無表情を顔に貼り付けたまま肩をカタカタと揺らし、過呼吸だか笑いだかを押さえ込むるように口元を覆う。妖精も酸素が必要不可欠らしく、腹の痙攣を止めるまではしばらく喋れそうにない。


 どうしよう。詩乃梨さんが楽しそうで何よりなんだけど、俺そろそろ扉閉じたいな、部屋にGが入ると怖いから。とりあえず、詩乃梨さんを部屋に連れ込むっていう選択肢は無いから、一回外に出た方がいいのかな? ……いや、この場合は一旦部屋に上げて、お茶とようかんでも振る舞って、帰りに手土産のひとつでも持たせるというのが常識的な対応だろうか?


 詩乃梨さんの体調が快復するのを待ってから、悩んだ末の提案を告げる。


「詩乃梨さん。とりあえず、お茶でも飲む?」


 閉じる方へと傾いていた心と扉を、気持ち押し開けつつ問いかける。断られるならそれでよし、乗ってくるならとりあえずまずはお湯湧かす。


 詩乃梨さんは、口元に充てていた手を喉に添え、声の調子を無理矢理整えるように「あー」と唸った。そして、眉間にシワを寄せながら問うてくる。


「……お茶、いいの?」


「倫理的な意味で? それとも、俺の気持ち的な意味で?」


「……………りん――じゃなくて、……気持ち、かな?」


「気持ち的には、お茶振る舞ってようかん食わせて手土産持たせるのが良かろう、と思ってる」


「なにそれ」


 詩乃梨さんは呆れ九割の苦笑を漏らした。それが収まってから、手にしていた弁当の包みを軽く掲げてゆらゆらと揺らして見せる。


「もう、ご飯、食べた?」


「……………………………………………………」


 さて。ちょっと考えよう。


 揺らされる弁当箱。ご飯はもう食べたかという問い。おっと考えるための材料がこの二つしかないぞ。だけどこの二つを直結させてしまうとこれはちょっと詩乃梨さんのお友達を目指すとかそういうのをひとっ飛びして彼氏彼女の触れ合いの範疇へと突き抜けることになりかねないのだがそういうことを言い始めるとそもそも部屋に上げるという時点で確実にアウトだしもう倫理だのアウトだの色々考えるのめんどくさいからいっそ本能の赴くままに行動するのが例え不正解ではあっても悔いの残らぬ道なのではないだろうか詩乃梨さんの手作りお弁当食べたいです。


 俺はショートし始めた思考を放置し、弁当箱に向けてそっと手を伸ばした


 すると、詩乃梨さんは俺の手から逃れるように一歩退き、真顔で一言。


「え、なんで取るの」


「………………………………あれ? それ、くれるっていう、話じゃ?」


「は? なんで………………………………あっ」


 詩乃梨さんは何かに思い至ったようで、初心な乙女が恥じらうように――ではなく、ただただ「やっちまった」というふうに顔をしかめた。


「そういう意味じゃ、ないから」


「…………………………………………くれないの?」


「………………………。……え、欲しいの?」


「欲しい。とても欲しい。ずっと前から食べたいと思ってた。詩乃梨さんの手作り。こんな機会二度と来ない。人生は一度しかない。無理矢理押せばもらえる可能性が有るというのなら今だけは何もかも忘れてグイグイ押していきたいです」


「………………………………ふ、ふぅん」


 詩乃梨さんは、俺のすこぶるイカした発言を受けて、今度こそ頬を朱に染めた。ふらふらと落ち着かない視線が、俺の身体越しに部屋の中を覗く。


「……お茶、くれるん、だよね? あと、ようかん」


「ご飯も俺の買ったやつあげるし手土産も好きなの何でも持ってっていいからとにかく弁当よこせください」


「……………………こたろう、必死すぎない? ……そこまで言うなら、べつに……あげるけど」


「あざああああああぁぁぁぁぁ――――ッッッッッス?」


 思わず飛び出た、全力最敬礼と熱烈なる感謝の叫び。しかし、詩乃梨さんに弁当箱で頭を小突かれて、語尾がふにゃりとひん曲がる。


「近所迷惑。はやく、中に」


「ご、ごめんなさい」


 近所迷惑、いくない! でも俺いっつも騒音に気を遣ってるので、その分で今の件については帳消しにしてくださいおなしゃす!


 と勝手な理屈を脳内でほざきながら、俺は扉を大きく開いて詩乃梨さんを室内へと招き入れた。

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