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四月二十六日(水)。恋はまだまだ渦を巻く。

 さて。新章に突入したけど、俺と詩乃梨さんの間にある関係については今回は置いておいて、俺と詩乃梨さんコンビの周囲に渦巻いているのっぴきならない恋愛事情について端的におさらいしておこう。


『俺の後輩の尾野は奥さんが非処女だったことに懊悩し、詩乃梨さんの疑似姉である綾音さんは実父への恋愛感情に懊悩し、詩乃梨さんに懸想している野郎共は俺という未知の存在のせいで意中のあの子を落とせずに懊悩している』。


 尾野は、懊悩しながらも奥さんを愛すると決めているようなのでひとまず安心。綾音さんは、懊悩してたけど俺と詩乃梨さんの生温かいエールによってある程度持ち直したのでとりあえず安心。詩乃梨さんに懸想している野郎共については、知らん。一生懊悩してやがれ。詩乃梨さんは俺のだ。詩乃梨さんだって、「こたろーは、わたしの」って言ってくれたしね。でへへ。


 ……詩乃梨さんに懸想している野郎共、か。今回はちょっとそのあたりについて考えてみよう。


 俺以外で言えば、詩乃梨さんに告白してきた男は今の所ひとりだけ。……でもそいつ、恋文を送るとか呼び出して二人きりで告白とかいう正式な方法を取らずに、日常の中で唐突に『オレと付き合わない?』と誘いをかけてきただけなんだけど……これは告白にカウントしてもいいものなんだろうか?


 ――いや、問題はそこじゃねぇな。本当に問題なのは、詩乃梨さんがそんなふうに『日常の中でさらっと告白紛いの真似をしてもいい存在』として周囲に認識されている、という点だ。


 詩乃梨さんの容姿は、陳腐な言い方をすれば『とびっきりの美少女』だ。どのくらいとびっきりかというと、告白はおろか話しかけることすら畏れ多いレベル。しかも普段の彼女は不可視の電撃を身に纏う純血の雷龍なので、彼女に懸想している・していないないに関わらず、そうそう気軽に接触できるような存在ではない。


 はず、だった。彼女が、俺と出逢わないままであったならば。


 俺と出逢った当初の詩乃梨さんは、家族との不仲や学校での孤立といった問題を抱えていて、心理的に全く余裕の無い状態だった。それが、俺と出逢ってから、特に俺と会話するようになってからは、日頃抱えていたストレスが俺とののほほんとした交流によって癒されることになり、彼女が無差別に放っていた雷撃は弱体化の一途を辿っていった。


 雷の衣が薄くなれば、中から現れるのは、とびっきりの美少女。


 ここまでであれば、相変わらず話しかけることが畏れ多い存在であることに違いはない。だが、残念ながらというか喜ばしいことにというか、そんな詩乃梨さんに敢えて話しかける猛者が現れた。


 詩乃梨さんの宿敵、猿のお嬢さんである。


 恋愛観の違いを原因として、詩乃梨さんと猿のお嬢さんは仲違いをするが、その後すぐに和解。この出来事は、クラスの全員に――もしかしたら学校中に――周知されており、この一件がきっかけとなって、詩乃梨さんの学校内での立ち位置が大幅に変化していくことになる。


 即ち。『話しかけることが畏れ多い存在』から、『日常の中でさらっと告白紛いの真似をしてもいい存在』へ。


 猿のお嬢さんとの一件以降、詩乃梨さんは少なくとも話しかけることが可能な存在として認識されるようになったはずだ。実際、詩乃梨さんはこの出来事のすぐ後に学校内で友人を作っている。


 話しかけることが可能な、とびっきりの美少女。そんなのがいれば、自分に自信のある一部の男子達は積極的にアプローチを試みようとするだろう。


 となれば。詩乃梨さんを狙う男子は、おそらく今後も続々と現れる。先のやたらナルシスト入ってる男は、氷山のほんの一角に過ぎないのだ。


 詩乃梨さんは、狙われ続ける。


 男に。……そして、もしかしたら、女の子にも。



 ◆◇◆◇◆

 


 夜の九時半頃。まだ就寝には早い時間だが、俺の部屋の明かりは既に落とされていた。


 暗闇に沈む、見慣れた天井。それは本来であれば、俺が孤独に思考に耽るための俺専用アイテム。


 だが今日に限っては、俺は孤独ではなく、ほぼ思考もしておらず、俺専用アイテムも俺専用ではなくなっていた。


「……………………………………」


 枕に頭を預けた俺と、俺の腕枕に頭を預けた詩乃梨さんが、同じ布団にくるまって、ほとんど無言でひたすら天井を見上げ続けている。


 俺達はたぶん、同じ思いを共有していた。


 ――『滅茶苦茶眠いんだけど、さすがに寝てしまうには時間が早すぎて、なんかもったいなくて寝れない』。


 眠気の原因は、昨日の夜から今日の朝にかけての出来事。中途半端な睡眠を取ってから、一旦起きてあれこれ作業し、また中途半端な睡眠を取る。ブラック労働時代の俺ならいざ知らず、今のクリーンな労働環境に慣れきった惰弱な身体では、そんなへんてこな眠り方では身体を休めるどころか逆にえもいわれぬ疲労感が蓄積されるだけだった。


 普段規則正しく生活しているであろう詩乃梨さんは、きっと俺以上につらい思いをしているに違いない。昨日は「朝になったらわたしはちゃんと起きれる」と宣言していた詩乃梨さんだが、実際に起きたのは俺とほぼ同時。俺の出勤までにはほんのちょび~っとだけ時間があるけど、弁当や朝食を作ったり食べたりしている時間は全然無い、というわりと手遅れ風味なタイミングでの起床だった。


 俺達は寝起きの甘ったるいトークを交わす暇も無くベッドから転がり落ち、俺が卵掛けご飯を急いでかき込んでる間に、詩乃梨さんが全面海苔弁という豪快なお弁当を用意してくれて、どうにかいつもの出勤時間に家を出ることができた。


 その後、俺も、それにたぶん詩乃梨さんも、昼間の太陽を呪いながらゾンビみたいな心境で一日の業務をなんとかこなして、ようやっと帰宅。


 夕飯を食べている間はいつも以上に会話が無く、食事の後片付けや就寝の準備をしている間もほぼ無言。そして、俺と詩乃梨さんはどちらが言い出すわけでもなく、今日もまた同じベッドで夜を明かすことを決めていた。


 普段の俺なら、色々ツッコミ入れたいことはあった。俺の歯ブラシの隣に詩乃梨さんの歯ブラシが刺さってただとか、詩乃梨さんが昨日と同じく俺のパジャマ着てるだとか。でもとにかく眠すぎるので、今回は全部スルー。


 で、二人仲良く、布団に入ったはいいものの。


「…………………………………」


 寝るのもったいねぇ……。まだ夜の十時前だぞ? 近頃なら小学生だって寝ないよ、こんな早い時間。


 それに、なんかこうして眠いの堪えて布団にくるまり続けてると、微睡みのふわふわとした心地よさとお布団のほわほわしたあたたかさが相俟ってやたら気持ちいいので、いつまでもこの状態を味わっていたくなる。


 しかも、俺のすぐ傍らには、俺の腕を枕にして俺と同じ布団に包まれている女の子がいるのだ。ほんと、すぐ寝てしまうにはもったいなさすぎる状況である。ちなみに『今夜は寝かせねぇぜ?』みたいな展開は俺も彼女も今は全く望んでないので、こうして二人してぼーっと天井眺めながらまったりしてるのが現状におけるベストだ。


 まったりしながら、時折ぽつぽつと会話する。


「……………………詩乃梨さん、寝た?」


「……………………んー、起きてる」


 それから何分か過ぎて。


「……………………こたろー、寝た?」


「……………………んー、起きてる」


 それから、更に何分か過ぎて。


「……………………眠い?」


「……………………眠い」


 こんな感じである。これ会話って言っていいんだろうか。でも気持ち良いから細かいことはどうでもいいや。


 更にまた何分か経過した頃、詩乃梨さんがぼんやりとした声音のままでちょっと変化球を投げてきた。


「…………こたろー、ゴールデンウィーク、予定ある?」


「…………ゴールデンウィーク?」


 そういえば、そろそろそんな時期だったな。俺は今回も例年通り有休申請してあるから、今週末から来週末にかけてはフルで休みだ。でも予定はまだ無い。なぜなら、詩乃梨さんと相談して埋める予定だったから。


 休み入ってから考えればいいかと思ってたけど、折角詩乃梨さんの方から話題振ってくれたことだし、この機会にある程度方向性を模索しておくか。


「俺は予定ないよ。詩乃梨さんはどう?」


「……んー。わたしは、ちょっとある」


 ………………あっるぇ~……? 俺、もしかして金色に輝く週間を孤独に過ごしてブルーにならなきゃいけない感じ? ブルーっていうか、灰色の日々? 俺の人生に必要な灰色は、詩乃梨さんの髪の毛だけです。


 俺は詩乃梨さんとの黄金の日々を求めて、浅ましさが出ないように気を付けながらなんとか食い下がってみることにした。


「ちょっとあるって、どんな? 俺、付いてっていい?」


「……ん。一個は、付いて来ていいよ。あやねに会いに、まほろば行くから」


「そっか。じゃあ遠慮無く付いてくわ。…………ん、あれ? 『一個は』?」


 一個目があるなら二個目がある。俺がその内容を問うより先に、詩乃梨さんはちょっと億劫そうに回答した。


「勉強会、だってさ。……学校の、友達と。……三人で。……ウチで」


 勉強会。その言葉の意味を理解するのに、一瞬だけタイムラグが発生した。


 だって、詩乃梨さんが勉強してる姿って俺見たことない。普段は、毎日二人分の家事をこなしているし、夕食の後は俺とまったりしてるし、休みの日は俺とお出かけもしてるしで、どうにも勉強という固い単語が詩乃梨さんとあんまり結びついてくれない。


 けれど、詩乃梨さんはそこそこの進学校で不動の一位を維持し続けていると聞いている。よほど効率の良い勉強法を実践しているのだろうか。


 それにしても、勉強会、か。普段あまり勉強をしなくても学力トップで居続けられる詩乃梨さんが、わざわざ自宅で勉強会。ということは、その会は詩乃梨さんのための催しではなく、詩乃梨さんの友達のためのものなのだろう。


 ところで、友達って二人居たんだな。てっきり一人だけだと思ってた。


 ……ふむ。友達、か。


「その友達って、去年から同じクラスの子だったりする?」


 以前からちょっと気になっていたことがあったので、己の想像に確信を与えるために問いを投げてみた。


 俺の言葉に、詩乃梨さんはちょっとだけ驚いた様子で返答。


「そうだけど……、なんでわかったの?」


「いや、ただの勘。気にしないで」


 きっと、その友達の正体は、猿のお嬢さんだろう。


 猿のお嬢さん。彼女は去年も詩乃梨さんと同じクラスに所属しており、詩乃梨さんについての荒唐無稽な噂話を仕入れるたび、わざと詩乃梨さんに聞こえるように大きな声で喋っていた。


 それは、詩乃梨さんを嘲るかのように。――もしくは、詩乃梨さんにわざわざ情報を伝えてあげようとするかのように。


 今回詩乃梨さんと同じクラスになってからも、猿のお嬢さんは詩乃梨さんに積極的なアプローチを仕掛けてきた。まあそれは詩乃梨さんを怒らせるだけの結果に終わってしまったようだが、しかし猿のお嬢さんはすぐに謝罪を申し入れてきて、そのまま和解。で、詩乃梨さんが俺に『友達が出来た』と言ってきたのは、この一件の直後だ。


 これだけ情報が揃っていれば、十中八九、俺の予想に間違いはあるまい。


「そっか、勉強会かぁ。ねえ、俺も混ざっていーい?」


 詩乃梨さんに良い友達が出来たと知って、俺は嬉しい気持ちを堪えきれずに軽くジョークを飛ばしてみた。


 それに対して詩乃梨さんが、なんだか諦念に満ちた感じで一言。


「いいよ」


 ………………………………。


「え、いいの?』


「うん。………………でも、ちょっとだけね?」


 ちょっとだけ。全面的にOKではなくきちんと制限が設けられたことで、一瞬固まりかけた俺の脳味噌がなんとか持ち直した。


 ちょっとだけOK。顔見せ程度ならいいよ、ってことだろうか。よもや家庭教師としての実力を期待されているわけでもあるまい。なら、俺が望まれているのは……詩乃梨さんの恋人としての役割だろうか?


 友達に、自分の恋人を自慢する詩乃梨さん。


 ……うーん、イメージ的に違うな。詩乃梨さんってやきもち焼きだから、自慢するどころかむしろ俺に余所の女とか近づけたがらないと思うんだけど……。でも詩乃梨さんって、一度懐に入れた相手に対しては極端に甘くなるみたいだからなぁ。なんとも言えん。


 まあ、当日になれば俺の役割も、その役を与えられた理由も判明するだろう。


「じゃあ、ちょっとだけ顔出させてもらうから。そういうことで、よろしくね」


「…………………………うん。わかった」


 そう答える、詩乃梨さんの声音が。


 やたらめったら色濃い諦念と疲労に満ちていたように感じたのは、俺の気のせいだろうか。

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