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四月二十五日(火・続10)。想いやりの、かけひき。

 処女卒業の、お祝いのケーキ。果物とホイップクリームがたっぷり挟まれた円形のスポンジケーキに、ぐらさーじゅ? とかいう鏡みたいな光沢を放つチョコレートを斜めにひゅばひゅば適当にぶっかけてデコレートしたもの。上には何故か『はっぴぃばぁすでぇ』と抹茶クリームで書かれたモナカが乗っており、ついでに苺ケーキの苺の代わりみたいに三色団子がちりばめられていた。円形ケーキの周りの空きスペースには和菓子と果物で作られた雛人形やらサンタクロースやらが陣取っていて、これなんのお祝いのケーキなんだろうっていうか和か洋に統一しろよ。ほんとやりたい放題だなあのおっさん。


 などと心の中で苦笑しつつ。俺と詩乃梨さんは、取り皿に切り分けたケーキを無言で黙々と食べていた。


 黙々。黙々である。お祝いのはずなのになぜか通夜状態。雛人形は俺に生首をちょんぱされ、サンタクロースは詩乃梨さんに丸呑みされた。俺の顔には「あ、これうめー」と書かれていただろう。詩乃梨さんの顔には「さんたくろーすさん、ごめんない」と書かれていた。俺の残忍さと詩乃梨さんの優しさが対比として浮き彫りになった一幕です。


 咽を詰まらせかけてむせる詩乃梨さんにあった~い缶コーヒーをそっと渡し、俺も俺でコーヒーを啜る。


 二人してずずずと啜って、同時にぷはぁと息を吐いた。


「………………………………」


 俺と詩乃梨さんは、ちらり、と視線を交換しあって。


 再び、取り皿の上のケーキを黙々と食み始める。


 ……いや、だってさ。……さっき詩乃梨さんが、変なこと、言うもんだからさ。……股いたいって、おまえ、ちょっと、ねぇ……? ……その状況で、処女卒業のお祝いとか、なんつーか、ね? ……処女ってお前、おい、エロいこと言ってんじゃねぇよ……。股がいたいと愛しの彼女がおっしゃられていらっしゃいますですますのに、おまえ、エロいこと考えてんじゃねぇよ……。


 とか俺が恥ずかしがってるのが空気感染したのだろう。詩乃梨さんは風邪ひいたみたいに顔赤くしてむすっと黙り込んだまま、俺が自分の食事の合間にちょこちょこ追加で取り分けてあげてるケーキの欠片を、もふりもふりと食べ続ける。


 まずいな、どこかで切り上げないと、詩乃梨さんがぽっちゃりしのりんになってしまう。ところでぽっちゃりってかなりオブラートに包みまくった表現だよね。そんな表現で他人や自分を欺こうとしても、正直者として名高い体重計さんに訊ねてみれば『おまえはデブだ』と現実を突き付けられてしまうことでしょう。


 ……詩乃梨さんのことを愛する気持ちに、体重なんて関係無い。とはいえ、やはり俺の性的嗜好は、現在の詩乃梨さんの全体的に小さくて肉付き薄めな容姿がサイコーであると叫んでる。肉付き薄いけど、骨っぽいわけじゃなくて、ふわっとした女の子らしさに溢れてて、ほっぺたとかもちもちだったし、太股だってもっちもちだったし、おっぱいだって手の平にフィットしそうな程良い膨らみとツンと張った美しい形っていう奇跡の組み合わせで、お尻だって小ぶりなのに揉んだら絶対やわらかいだろうし、実際昨日俺の股間周辺で直に感じた彼女のお尻の感触はすっごいぷるぷるで――


「………………………………………………」


 バベルの塔、再建。


 俺どうしたらいいの? 今日えっち無しなんでしょ? また観客の居ない孤独なソロ活動でロックにキメる? それとも寝ながらオアシス枯渇するまで垂れ流すある意味超ロックなスタイル?


 ……本番は無理でも、おくちでとか、してくれないかしら……?


 おくち。そうか、おくちか。そういえば俺、詩乃梨ちゃんと約束してましたよね。詩乃梨ちゃんは俺が知らないうちの俺の処女奪ったんだから、今度俺がきちんと起きてる時に俺の気の済むまでシてくださいねって。


 あと、膝枕。結局まだ、してもらってない。俺ちゃんと詩乃梨ちゃんのお話、耳をロバにして聞いたのに!


「………………あ、忘れてた」


 俺がぽろりと漏らした呟きに、詩乃梨さんがフォークを咥えたまま視線で『なにを?』と問うてくる。


「いや、洗濯物。結局まだ洗ってなかったなって。あとシーツとかも洗わなくちゃだし」


「…………………………もう、わたしが全部、洗ったよ?」


 詩乃梨さんはカーテンの閉められた窓を見やった。なるほど、もう洗って全部干してあるのか。まじか。結婚してくれ。


 ……ああ、俺が帰宅した時には既に、俺が普段から溜めてた洗い物も昨日汚した下着もパジャマもそれどころかシーツまでも、なんもかんもまるっと洗い終えてたってことなのね。ということは、俺に『文句がある』とか凄んで無駄にぴりぴりした空気を演出してたのは、事後承諾っぽくなっちゃったことの後ろめたさを誤魔化すためっていうのもあったのかしら?


 じゃあ、もし俺が詩乃梨さんの提案を突っぱねて、干された洗濯物を見ながら『何勝手に洗濯機使ってんだゴルァ!』とか頭沸きすぎててそのまま蒸発して死ねばいいような戯言言い出してたら、どうなったんだろう。詩乃梨さんは後ろめたさのあまり、身体を差し出してきてくれちゃったりしたのかな? なにそれ背徳。背徳エロス。


 ……だめだ、なんかもう、とにかく詩乃梨さんとえっちがしたい。


 言っちまおうかな? えっちさせてって。でも昨日まで処女だった子に、昨日まで童貞だった野郎が二日続けてがっつくのって、流石に格好悪くなぁい?


 いやでも、格好悪いとか言い出したら、俺今日詩乃梨さんに散々カッコ悪いところいっぱい見せまくったから、そんなん今更じゃんって気もするなぁ。


 安全日って何日間なの? 今はまだ生でも大丈夫な時期? どうなのしのりん。教えてしのりん!


「…………………………………………」


 片膝を立てて中途半端なあぐらをかき、後ろに軽く片手を突いて体重を預けながら、残る手で缶コーヒーをくぴりと煽って、隣の彼女へちらりと目を遣る。


 詩乃梨さんはお行儀良く正座。先程までと服装に変化は無し。俺はもうジャケット脱いじゃったけど、詩乃梨さんはなぜか制服の上にいつまでも半纏着てる。気に入ったのかな、もこもこ。もこもこ毛皮の兎さんが、もっふもっふとケーキ頬張って時折瞳を輝かせては、俺の視線に気付いてむすっとした不機嫌ヅラを取り繕う。


 やがて詩乃梨さんの取り皿からケーキが無くなり、彼女はフォークを咥えてじーっと物欲しげな視線で俺を見上げてきた。


 ……むぅ、どうする? 次の欠片を取り分けてあげるか、ここらで無理矢理切り上げさせるか。


 俺は彼女を横目に見ながら、選択した。


「……………………これ以上は、ダメ、ってことじゃ……だめですかね?」


「なんで?」


 きたぜ、子猫のようにきょとんと小首を傾げながら無垢な瞳をぱちぱちと瞬かせる愛らしい仕草。これ完全に俺を堕としてケーキをゲットするための媚び媚びの演技ですからね。うっかり騙されてはいけない。騙されたい。俺は詩乃梨さんになら騙されてもいい。


 でも、俺はまだ、ぽっちゃり好きにはなれないんだ……!


「……俺は……、今の、詩乃梨さんの、体型が、とても、ぐっと、くる、ので。……できれば、食べ過ぎは、控えてほしいな、と、身勝手なお願いをしたいのですが……」


「……じゃあ、後でいっぱい運動してあげるから、もうちょっと食べていい?」


 運動、してあげる。なんて巧妙な言い回しなんだ。俺は詩乃梨さんの今の体型が好きだと言っているのだから、詩乃梨さんが体型維持のために運動をするというのは俺のために『してあげる』という表現で間違いはない。だがその肝心の運動というのがベッドで行う夜の格闘技であるなどとは一言も言ってはおらず、ただの真っ当なジョギングや筋トレである可能性が極めて大である。


 だがここで『運動って、えっちのこと?』などと訊ねてしまうのは、あまりにも浅ましい行為ではないだろうか。浅ましい。浅ましいか。浅ましいな。超浅ましい。


 で、浅ましいのって、なんか悪いことなの? ぼくそろそろ限界。


「……………………詩乃梨さん」


「なぁに? 食べていい?」


「………………………ごめん、色々はち切れそうだから、えっちさせてくんないかな……」


 もう沽券も体面もどうでもいいので、とにかくこの猛り狂う欲望をどうにかしたい。せつないっていうか、苦しい。息が、苦しい。このままだと酸欠で倒れそう。


 俺は手にしていた缶を一気に煽ってこたつに戻し、空いた手でパジャマの胸元をぐっと握りしめた。やばいな、本格的に息がきつい。


 俺は俯いて荒い溜息を吐いて、詩乃梨さんを横目に見やった。


 詩乃梨さんは俺に正面を向けて正座し、お膝の上お手々をぎゅっと握りしめながら、フォークを手放しで口に咥えてもごもごやりつつつ、目を閉じてぐむむと唸っている。


 迷ってる? 悩んでる? 困ってる? どれ? 顔さっきより赤くなってきてるよね? それ照れ? それとも知恵熱? 俺は押していいの? 引かなきゃだめなの? どっちなの!?


 俺が緊張と胸の痛みに耐えかねて熱い息の塊を吐き出したのとほぼ同時に、詩乃梨さんは眉を顰めながらゆーっくりと目を開いた。


「……………………わたし、まだ、股の奥が、ちょっと痛いんだけど?」


「…………………………本番以外なら、いけるかなって。……ごめん、嫌ならいいや。どうせ俺も途中で本能に負けて、本番やりたがってダダこねちゃうだろうし。だったら、気分盛り上げちゃう前に、最初っから何もやんない方が、まだ耐えられる。……変なこと言って悪かった。ケーキ、いっぱい召し上がれ」


 やらない。そう決めたら、一瞬ずくんと胸が痛んだものの、少しずつ息苦しさが和らいでいった。目を閉じて深呼吸を繰り返してみれば、バベルの塔も緩やかに崩壊へ向かい、ようやく性欲が抜けてきてまともに頭が回り始める。


 ケーキ、取り分けてあげなきゃ、なんだけど。ごめん、もうちょっとだけ、時間くれ。


「………………こたろー」


「うん、ごめん、もうちょっとだけ休憩くれ。すぐ取り分けてあげるから」


「こたろーくん、もうちょっとだけ、ぐいぐい押してみてはもらえないでしょーか」


 押す。何を。疑問符を浮かべながら眼を開けてみれば、詩乃梨さんはなにやら申し訳なさそうな表情を浮かべて熱く潤んだ瞳で俺を見つめていた。


「……こたろーが、気持ちの押しつけとか大きらいだ、っていうのは知ってるんだけど、さ。……でも、わたし、やっぱりまだ、そういうことするための踏ん切り、ちょっとつかない、から……。……こたろーの負担になるって、わかってるんだけど……もうちょっとだけ、押してみてほしいの」


 ………………………………ふむ。


 押せばヤれるね、これ。間違いなく。


 ……でも、ぐいぐい押して『しょうがないなぁ』なんてえっちしてもらうのは……なんか、違うよね、やっぱ。


 じゃあ、えっちはとりあえず置いておこう。でも、その代わりにさ。


「……膝枕くらいなら、お願いしても、いいかな?」


「…………こたろー、今、えっちもどこかに置いちゃったよね」


 ――『もう置き場無いよ』。詩乃梨さんが、少し悲しげに目を伏せながら呟いた台詞が、いつか彼女が上げた怒りの咆哮を俺の脳裏に蘇らせた。


 ……まさか、本当はしたい、のか? 詩乃梨さんも。俺に乞われてしょうがなくじゃなくて、詩乃梨さん自身も積極的にやりたいっていう気持ちをきちんと持ってて、けれど開けっぴろげに『えっちがしたい』と言えるほどに彼女の心は熟し切ってなどいない。……熟してないっていうか、もう性分として、詩乃梨さんはきっとそういうのを素直に口に出来る子ではない。ということで、合ってる? ……うん、きっと合ってる。


 なら、俺が彼女の本音を読み取ってあげる必要がある。目に見えないものを、心の眼で、しかと見つめる必要がある。


 今の俺には、それができる。


 けれど、無理に押すのは、やっぱ嫌だ。


「詩乃梨さん」


 決然とした響きを持って、彼女の名を呼んだ。


 詩乃梨さんは、膝の上で握った拳をより一層強く握りしめながら、怯えたような目で俺を見つめ返してきた。


 怯えの中に、俺は彼女の本音をちゃんと見つけて、再度の提案を口にする。


「『まず』は、膝枕、頼む」


「………………………………まず?」


「うん。まず。最初は、膝枕。俺さっきちゃんと詩乃梨さんの話耳ロバで聞いたんだから、約束通り、きちんと膝枕をしてもらいたい思います」


 膝枕だけでは、終わらせない。詩乃梨さんが、俺にえっちをおねだりしてくるよう、そういうことを素直に言い出せるよう、雰囲気作りから始める。


 そして、えっちする。『股がまだ痛い』という鉄壁の防衛ラインすら木っ端微塵に粉砕して、本番、しちゃう。


「……………………………………」


 俺は、詩乃梨さんの瞳の奥の素直な部分へ、目力で己の真意を訴え続けた。


 詩乃梨さんは。やがて。全身からふっと力を抜いて、ふにゃりと嬉しそうに微笑んだ。


「まずは、ひざまくら、してあげるね?」

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