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四月二十五日(火・続3)。想いは重い。

 おっさんにスペシャルなケーキを頂いた俺は、綾音さんの笑顔に見送られて、まほろばを後にした。


 ケーキを、頂いた。俺金払ってない。そのことに気付いたのは、もうすぐアパートに着くという頃合いになってからだった。


 おっさんのくれたある種の金言を噛みしめるのに思考を割き、運ばれてきたゴージャス極まるケーキにびっくり仰天し、綾音さんのにこにこ笑顔に見送られてのほほんぽわわんしてたら、代金のことなんてすっかり失念してた。でもたぶん、おっさんは気付いてた。気付いていながら敢えてスルーしたからこその、あのやけにダンディーな微笑みだったんだろう。あと綾音さんは気付いてたっていうか、当然のように代金なんて請求しないものと思い込んでいたっぽい。


 つまり、このケーキって、あの美女と野獣なお二人さんからの、個人的な祝福の品ってことになる。俺の厚かましい勘違いなんかじゃなくて、確実にそうなのだと、俺は一片の迷いも無く断言しよう。


 ……俺が善人だっつーなら、あの二人は聖人か何かだね。そこかしこに悪意が溢れかえってるこんな汚い世の中だけど、あんな人達がいるんなら、まだまだ捨てたもんじゃないなって思える。


 比喩としても物理としても、一寸先が闇な状況で。しかし俺の心には、確かに明るい光が灯っていた。


 その光を頼りに、夜の帳をくぐり抜け、電灯の切れかけてる階段をたっかたっか駆け上がり、薄暗い共用廊下を抜けて、自分の部屋の扉の鍵をかちゃりと開ける。


「ただいまー、詩乃梨さーん」


 開けた扉の間から身を滑り込ませながら、綾音さんばりののほほん笑顔で陽気に帰宅のご挨拶。


 すると、目の前に両腕を組んで仁王立ちしている雷龍様がいた。


「こたろーくん。わたしには、かねてから文句を言いたかったことがあります」


 この裏ボスは、いつからここで俺とのエンカウントに備えていたのだろうか。彼女は俺の忍者染みた登場にも陽気な挨拶にも眉ひとつ動かさず、ちょっとぴりぴりした様子で俺を見下ろしていた。見下ろすって言っても、床との段差を含めてもまだ詩乃梨さんの方が俺より目線低いんだけど、なんか心理的に遙かなる高みからこちらを圧殺するように睥睨してる感じがビシバシしてる。


 ちなみに詩乃梨さんの格好は、白い三つ折りソックスを履き、制服のプリーツスカートを揺らし、喉元のボタンを二つくらい開けたブラウスの袖を肘まで腕まくりし、オプションとして白いエプロンを追加装備し、後ろ髪を猫の尻尾みたいに束ねてる。


 三つ折りソックス。ということは、今日もわざわざ登校時のニーハイソックスから履き替えた模様。彼女これ誘ってます。エロスじゃなくて膝枕だけど。そういや結局まだ膝枕してもらってなかったなぁー、後でお願いしちゃおっかなぁー?


「こたろーくん。ちゃんと聞いていますか?」


「後で膝枕してくれるなら耳をロバにして聞く所存」


「………………………………してあげるから。聞いて」


 詩乃梨さん、唇をむにむにさせながら眼を細めました。これ笑いを堪えてますね。どうやら彼女の『文句』というのは、あまり気構えなくても大丈夫な案件みたい。


 俺は気付かれないように安堵の溜息を吐き、通勤鞄を廊下の端に置いてから、紙製のオシャレな箱を詩乃梨さんに差し出した。


「ごめん、先にこれ冷蔵庫に入れてくれる? あと場所ってここじゃなきゃダメ?」」


「……お風呂入ってからでいいよ。……で、これなに?」


 箱を受け取った詩乃梨さんは、中身を確認するようにゆーっくりと上下に動かした。


 ああ、見た目じゃわからないのか。普通に考えたらわかりそうなものだけど、たぶん詩乃梨さん一人だとこんなもの買ったことはないだろう。俺だってこんなん買ったの初めてだ。買ったっていうか頂き物だけどね。


 俺はネクタイを緩めながら革靴を脱ぎ捨て、ついでにスーツの上着も脱ぎながら、詩乃梨さんの横を通り過ぎつつ曖昧に回答した。


「あんまり振らない方がいい物だよ。それに頂き物だから、なるべく丁寧に扱ってね」


「……これ、食べ物なの? ……大きくない?」


「うん、それは俺も思った。まあ大は小を兼ねるっていうし、大きいことは良いことさ」


「…………………………おっぱいも?」


 俺は歩きながら脱ぎ散らかしていく体勢のまま全身を硬直させ、首だけをぐりんと捻って詩乃梨さんを凝視した。


 詩乃梨さんは、俺の過敏な反応を見てきょとんとしたお顔。……どうやら、自分が何を言ったのか理解してない様子です。たぶん『大きいことは良いこと』って聞いて、日頃から思ってたことがぽろっと漏れちゃったんだろう。前も胸の大きさについてやたらめったら盛大な反応を見せてたし。


 ……前回は色々すったもんだしてたせいで結局明確に伝えることができなかったけど、丁度良い機会だ、俺の性的嗜好についてきちんと説明させてもらおう。


 そう決めた俺は、脱いだ上着を適当に肩に引っかけて、詩乃梨さんの眼前へ歩み寄り、華奢な肩を両手でがっちりと掴んだ。


「詩乃梨さん」


「………………う、うん?」


 詩乃梨さんは一瞬箱を取り落としそうになるほどに戸惑いながらも、俺の目をじっと見つめ返して言葉を待ってくれた。


 俺はちょっと脚が震えそうになりながらも、意を決して想いの丈をぶつけた。


「俺はな。……巨乳が、嫌いなんだ」


「…………………………………………………………ふぁー?」


 戸惑いから表情を変えないままに、間抜けな奇声を上げる詩乃梨さん。俺の台詞を理解しているのかいないのかわからないけど、していないなら丁度良い、変にツッコミ入れられて気合が萎えちゃう前に全部言っちまおう。


「詩乃梨さんにはわかってもらえないかもしれないけど、俺は巨乳か貧乳だったら一切迷わずに貧乳を選ぶ。でも完全な貧乳よりは、もうちょっと膨らんでいる方が好き。具体的に言うなら、手の平にちょうど収まるくらい。その上、見ていて溜息が漏れるほどに美しい形をしているのなら、もう最高です。……つまり、なんというか、詩乃梨さんのお胸のその膨らみが、俺の理想のおっぱいを完全に具現化してくれているわけですよ。……やっぱり、言ってること、わかってもらえない、かな?」


 詩乃梨さんが芳しい反応を返してくれない、っていうか戸惑いのままリアクション無しなので、ちょっと心が折れかける。いくら一回身体を重ねた間柄だとはいっても、こんなのは開けっぴろげに語るべき内容ではなかったかもしれない。むしろ、肉体関係持った途端に自分の性的なこだわりを押しつけ始めるなんて、そんなの詩乃梨さんの人格を無視してカラダを弄ぼうとしてると思われてもおかしくないだろう。


 ……うっわ、ミスったなこれ。


「……ごめん、忘れて――」


「こたろー、わたしのおっぱい好きなの?」


 掴んでいた肩を離して逃げを打とうとしたら、機先を制するかのように詩乃梨さんが小首を傾げながら確認してきた。


 幻滅や嫌悪はされてない、っぽいな。それは助かったけど、なんでそんなに不思議そうなお顔なの?


「……俺は、詩乃梨さんの、おっぱい、すごく、好き、です、よ?」


「…………………そっかー。……そだよね。うん。前も、言ってたもんね」


 詩乃梨さんは、得心して何度も頷いて。やがて、顔を赤らめながら、にひっといやらしい笑みを浮かべた。


「こたろーは、わたしのおっぱいが好きだー。やーい、すけべー。へんたーい」


 ――心眼、発動。


 意訳。『こたろー、わたしのおっぱい好きだって言ってくれて、ありがとう。とっても嬉しいよ。今度えっちする時は、好きなだけ触っていいからね』。


 ……んー、俺の心の眼曇ってんじゃね? なにこの果てしなく俺に都合の良い誤訳。ありえねー。


 でもまぁ、とりあえず危機的状況に陥ることは回避されたようだ。


 俺は詩乃梨さんの肩をようやく解放して、深々と溜息を吐いて脱力した。


「まあ、うん。俺はスケベで変態だよ。自分でもよくわかってる。ごめんな、こんな性欲の権化みたいな奴が、生涯のパートナーでさ」


「……ごめんって言いながらぁー、生涯のパートナーって所は譲らないんだぁー?」


 詩乃梨さんがますますにやにやしながらからかってきます。俺はそれに、無言で乾いた笑みを浮かべることしかできませんでした。


 ……譲れないよ。たとえ、俺がどれだけスケベで変態で、きみに到底相応しくないほどに醜悪極まる人間だとしても。たとえ、俺の存在がきみにとって害悪にしかならないのだとしても、俺はもう、きみ無しの人生を生きることはできない。……そんな人生を生きるくらいなら、俺はいっそ――。


「………………………………」


 こんなのは、やっぱ重いかな。……重い、だろうなぁ。いかな日本を支える俺を支えてくれる力持ちな女の子であっても、こんなん実際に言われちゃったら一瞬でぺっちゃんこだろうね。


 だから俺は、この想いを口に出来ない。口に出来ずに、ただ乾いた笑みを浮かべることしかできないんだ。


 できないっつってんのに、詩乃梨さんはにやにや笑いから一転、剣呑な眼を向けてきて厳しい声音で問うてくるわけさ。


「こたろー、何か隠し事してる? わたしに隠し事なんてすると、後で酷いよ?」


「……………………………ちなみに、どう酷いの?」


「……もうそれ、隠し事してますって言ってるのと同じじゃん……」


 詩乃梨さんは、大して重くもない箱を重量挙げのバーベルみたいに重そうに持って、盛大に溜息を吐いた。


 そして詩乃梨さんは、下から抉り込んでくるように雷龍の瞳を発動。


「言え、こたろー」


「………………………言っても、怒らない?」


「………………んーと。『怒らない自信はないけど、滅多なことでは怒らない』、よ?」


 おっと、どっかで聞いたような台詞だぜ。なかなかやるねぇ、お嬢ちゃん。ははぁ、なるほど。滅多なことでは怒らないのですか、そうですか。そいつぁーよかった。


 ……じゃあ俺、激怒されるの確定じゃんかよぉ……。


「こたろー。早く。言って。はやく。ぷりーず。はりー、はりー」


 詩乃梨さんが箱をぶーらぶーら横に振りながら、全身までぶーらぶーら左右に揺らして、右から左から俺の顔をひたすら見つめ続けます。雷龍の瞳はやめてくれたけど、ちょっと不機嫌そうな空気は未だ霧散しないまま。


 俺は、溜息を吐いて、詩乃梨さんの顔面にスーツの上着をぺしりと貼り付けた。


「ぷふぁっ!?」


 両手の塞がっている詩乃梨さんは当然ガードなんてできず、狭い廊下では避けることも不可能。彼女は頭に乗ったスーツを剥がすことが出来ずに、小さくぴょんこぴょんこと飛び跳ねる。


「ふぉふぁふぉー! ふぁふぃふふふぉっ!」


「はっはっは! 何言ってんのかわかんねーぜ! あとあんま飛び跳ねるなよ、その箱、ケーキ入ってるんだから」


「――ふぇーふぃっ!?」


 あ、今のは何言ってるのかわかった。


 ぴたりと動きを止めた彼女の目の前で、俺は徐に服を脱ぎ散らかしながら説明を付け加える。


「今日お祝いしようって言ってただろ。詩乃梨さんの処女卒業記念の」


「…………………………ふぁー!」


 まさか忘れてたのか? 今の奇声の意図は何?


 まあいいや。詩乃梨さんがスーツの呪縛から解き放たれる前に、俺はさっさと風呂入ろう。いつまでもすっぽんぽんで居続けたら風邪ひいちゃうもんね! あとなんか風呂入った後に何やらお小言待ってるらしいし、さくっと入ってさくっと上がろう。


「じゃあ、俺風呂入るから。できたら、脱ぎ散らかした服、処理しておいてもらえると助かる」


「……………………ふふ? ……………ふふっ!?」


「うん、服。俺、いま全裸。じゃあそういうことで、あとよろぴくねー」


 極めて自分勝手なことを言いながら、俺は詩乃梨さんの脇をするりと抜けて風呂の扉を開けた。


「ふごー! ふごー! ふぅーごぉー!」


 詩乃梨さんは俺の背に向かってやたらぷんすかぷんすか怒りながらも、無理に引き留めようとはしてこない。


 そんな詩乃梨さんを横目に見て軽く笑いながら、俺は浴室へ入って折りたたみ式の扉を閉める。


 閉まりきる、その直前に。俺は、彼女に聞こえないことを願いながら、重き想いを口にした。



「もしきみに捨てられたら、俺は、きっと――」

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