表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空気を読まなかった男と不良未満少女の、ひとつ屋根の上交流日記  作者: 未紗 夜村
第五章 そしてようやく、恋が始まる。【本編完結】
39/126

四月二十三日(日・続1)。ぼんやりと、日常を。

 さて。新章に突入したし、ちょっと俺と詩乃梨さんの間にある運命の悪戯をどう扱うかについて一文で端的に結論させて頂こう。


『詩乃梨さんの初恋の人については、十年の時の中で順当に行方知れずとなったことにして、真実は俺の胸の中にのみ留めることにする』。


 ……本当なら、こんな逃げみたいな結論には達したくはなかったんだけどな。できることなら、「実は俺が詩乃梨さんの初恋の君なんだ! 俺も十年前からずっと貴女のことを愛し続けていた! さあ、再び二人で愛の炎を燃え盛らせようではないか!」って叫んで詩乃梨さんを熱烈に抱き締めてあげたい。こうして、詩乃梨さんが幼き日から健気に抱き続けてきた無垢なる恋心は、十年の時を経てついに報われることとなり、運命に祝福された二人はその後仲睦まじく幸せに暮らしましたとさ。ちゃんちゃん。ってなりたい。


 でも、それはできないんだ。


 だって俺の中には、幼き日の詩乃梨さんと愛し合った記憶どころか、出逢った記憶すら一ミリたりとも存在していないから。


 記憶は無い。なのに、もうどうしようもないほどに、詩乃梨さんの初恋の相手は俺であると確信してしまっている。


 自分に問う。「では俺は、どうするべきなのか?」。


 そして答える。「もう俺には、どうすることもできない」。


 記憶が無いくせに詩乃梨さんに真実を打ち明けてヘラヘラ恋人面する、なんてのは絶対に無しだ。そんなの、詩乃梨さんに対して、あまりにも、あまりにも、あまりにも、不誠実すぎる。あんな良い子に、あんな健気で純粋で一途な子に、そんなクソみたいな真似してみろ。俺は、俺を、絶対に許さない。そんなことする俺は、人間やる資格なんてない。生きる資格すら無い。詩乃梨さんと一緒に幸福な人生を謳歌する資格なんて、絶対に、無い。


 いずれ、記憶を失っていることを含めて、彼女に全てを話さなければならない日が来るのだとしても。その時の俺は、存在しない想い出に縋り付いて詩乃梨さんを繋ぎ止めるようなゲス野郎ではなく、詩乃梨さんと一緒に確かな想い出と愛を積み重ね続けた誠実な俺であってほしい。


 だから、ごめん、詩乃梨さん。今はまだ、全てを俺の心の裡に秘めさせてくれ。


 俺がいつか、きみのたいせつな初恋を、それ以上にたいせつなものへと至った二度目の恋によって、おだやかに終わらせられる時が来るまで。


 どうか、過去の俺と、今の俺を、信じて、待っていてほしい。



 ◆◇◆◇◆



 頭がぼんやりする。昼寝のしすぎによるものか、それとも昼寝の後や前に考え事をしすぎたせいか。なんだかタチの悪い風邪にでもかかったかのように、視界と意識が覚束ない。


 そんな俺のすぐ隣から、俺の大好きな声がとても鮮明に響いてきた。


「こたろう、大丈夫? ちゃんと噛んでる? ていうかさっきから全然飲み込んでないじゃん。ほんとどうしたの? もっといつもみたいに泣きながら貪り食ってくれないと、なんか、つまんない」


 振り向けばそこに詩乃梨さん。彼女の服装は、ジャージでも制服でもなく、お出かけ用の私服のままだ。ただし今の服装はこれまで何回か見た組み合わせとは異なり、スカートから伸びる脚は太股もふくらはぎも丸出しで足だけ三つ折りソックスで覆ってて、ブラウスの上に着ているのはパーカーではなく袖や丈が長めのセーターだ。

 俺待望の生足と萌え袖である。あれ、でも朝『まほろば』に行く時はいつもの黒タイツとパーカーだった気がするんだけど、なんで今はこんな俺の下半身に血液ぎゅんぎゅんブチ込むような生唾モノのお姿に変身していらっしゃるのでしょう?


 そんな疑問を台詞へ変換できるほどにはまだ頭が回復しておらず、俺はなんとなく詩乃梨さんを観察し続けた。


 詩乃梨さん。詩乃梨さんだ。そうだ、確か今は一緒に夕飯食べてたんだっけ。でもなんでしのりんってば、気怠げな女の子座りでしょんぼり落ち込みながら箸をもそもそ食べてるんだろう。箸じゃなくてちゃんとした食べ物を食べなさいよ、ご飯もおかずもまだまだ残ってるでしょ。


 詩乃梨さんは、手に持ったご飯も机の上の回鍋肉もまるごと無視して、俺のことばっかり見つめながら弱々しい声で囁いて来た。


「こたろー、ごはん、不味かった?」


 ごはん。はて、俺今メシ食ってたっけ? ……おお、なんか口ん中にうっすら味噌っぽい風味のもにゅもにゅが有るぞ。この薄味具合はレトルトなんかじゃ到底出せない。つまりはこれイチから詩乃梨さんのお手製ってことじゃねぇか!


 俺はもにゅもにゅをもごもごと咀嚼して詩乃梨さんの味を愉しみ尽くし、ごっくんと飲み込んだ。


 臓腑に染み渡る、詩乃梨さんの体温。


 俺は詩乃梨さんに微笑みながら告げた。


「結婚しよう、詩乃梨さん」


「あ、こたろー元に戻った。よかった……」


 詩乃梨さんは安堵の溜息と共に頬を緩ませた。俺のプロポーズは完全スルーされてしまった模様。まあいいか、詩乃梨さんなんだか幸せそうなお顔だから。


「詩乃梨さん、なんでさっきはあんなしょんぼりしてたの? なんかあった?」


 俺の一言により、詩乃梨さんは再び表情を変えた。今度はどうやらお怒りのようです。


「なんかあったー、じゃないでしょ? なんかあったのはこたろうだよ。人の作ったご飯、完全に上の空でくっちゃーくっちゃーテキトーに噛んでてさ。しかもそのまま飲み込まないで固まっちゃうし。なにあったの?」


「……何有ったって言われても……。なんも無かったよ? 俺、今日はまほろばから帰ってきてずっと昼寝してたし。……ああ、寝過ぎで頭がやたら重いっていうのはある」


「それだけぇー? ほんとにぃー? 嘘ついてなーいー?」


「……嘘はついてないけど、他にも理由が有るっちゃ有るね」


 あ、ぽろっと言っちゃった。頭ほんと回ってないな。まあ回ってたとしてもしのりんに嘘つき通すとか無理なんだけど、でももうちょっと上手な躱し方があったでしょうに。これじゃ理由聞いてくれって言ってるようなものじゃん。


 詩乃梨さんは案の定、つぶらな瞳でじーっと見つめてきて無言のプレッシャーをかけてきました。無垢な瞳から『理由はよ言え、言わねぇとしばくぞコラ』っていう副音声が聞こえて来ます。


 でも、言えるわけ無いんだよなぁ……。とりあえず口動かしながら、うまい言い訳考えるか。


「実はさ。横になってぼーっとしてる時に、なんだか無駄に色々考え込んじゃって。時々あるんだよね、こういうの。だから、あんまり気にしないでいいよ?」


「気になる。気にする。すごく気になる。どんなこと、考え込んでたの?」


「……詩乃梨さんのことだよ」


「わたし? わたしのなにについて?」


 キミと俺の間にある運命の悪戯を、どう扱うかについて。


 なんて正直に言うわけにはいかないので、嘘では無いけどほんとでもないことを言ってお茶を濁そうか。


「何についてっていうか、俺はいつだって詩乃梨さんのことを色々いっぱい考えてるよ。一概には言えないな」


「………………………………ふぅん? そっか」


 詩乃梨さんは納得のいっていない様子ではあったが、わりとすんなりと引き下がってくれた。


 そして、二人仲良く夕食再開。


 俺は相変わらずちょっとぼんやりしながらも、詩乃梨さんお手製の料理をしっかり味わいながら食べていって。詩乃梨さんは詩乃梨さんで、特に何の感慨も抱いてなさそうな顔で淡々と料理を口へ運んでいく。


 わりといつも通りの食事風景だ。いつも通り。つまりは、昨日や今朝詩乃梨さんから感じたような、余所余所しい空気も今は無い。


 たぶん、綾音さんと楽しくおしゃべりしたことで気分が晴れたとか、もしくは、余所余所しくなっちゃった原因について綾音さんに相談してアドバイスもらったとか、そんな所かな。実際どうなのかは知らないけど、とりあえず綾音さんに心の中でお礼を言っておこう。俺のこといつでも応援してくれてるらしいし、それについてもありがとな。


 ……綾音さん、か。


「……ねえ、詩乃梨さんさー」


「んー?」


「綾音さんのこと、好き?」


「…………………………んー。………………好き、かも」


「そっか。……へへっ」


 なんかちょっと嬉しい。俺にとっての綾音さんって、今まではあくまでも『マスターの娘さん』でしかなかったけど、『田名部綾音』という個人として直に話してみると、なかなかどうして、なんか想像以上にとっても良い子でしたね。ファンになっちゃいました。


 思わず頬が緩んでしまい、詩乃梨さんに不思議そうな顔を向けられた。


「こたろう、あやねのこと、好きなの?」


「………………………………嘘ついていい? ……ああいいや、嘘やっぱつかない。俺、綾音さんのこと、わりと気に入っちゃいました。……怒る?」


「んー……。怒らない。……むしろ、ちょっと嬉しい、かも? ……なんでだろ」


 詩乃梨さんは少し首を捻りながら、ご飯をぱくりと一口。俺も、ご飯を一口ぱくり。二人でもごもごご飯を噛みながら、のほほんと――というかぼんやりとしながら、とりとめのない会話を続ける。


「詩乃梨さん、脚、きれいだね」


「…………………………ん。そう、かな?」


「うん。すごくきれい。……詩乃梨さんは、どこもかしこもきれいだね」


「…………………………うっさい、ばーか」


 詩乃梨さんはふいっと顔を背けて、ご飯を勢いよく掻き込んだ。


 俺は詩乃梨さんの前に回鍋肉の大皿を寄せてあげながら、詩乃梨さんの生足を見つめる。


「すごく、きれいな脚。……ちょっとだけ、触ったらダメ?」


 うっかり漏れ出た願望が、詩乃梨さんの動きを硬直させた。あ、これやばい。怒られる。


 と、思ったのだけど。


「……こたろー、って、さ。……膝枕とか、興味、あるん、だっけ?」


「あるよ! 超あるよ! あるけど、それがなに?」


「…………………………………………べつに。聞いただけ」


 詩乃梨さんはこちらに完全に背を向けてしまい、しなやかな腕を駆使してひたすら食事に没頭。どうやら、これ以上は喋ってくれなさそうです。


 まあ、ちょうどいい。俺もちょっと頭のぼんやり具合を取り除きたいから、今はしっかり食事してエネルギーを補給しようか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ