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空気を読まなかった男と不良未満少女の、ひとつ屋根の上交流日記  作者: 未紗 夜村
第四章 『あい』に始まり、『あい』に続く
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四月二十二日(土・1)。ゆるゆると、積み重ねられていくもの。

 早朝。俺の部屋を訪ねてきた詩乃梨さんに連れられて、屋上へと向かった。


 重い鉄の扉を開ければ、全身に降り注ぐ柔らかな陽ざしと、吹き抜けていく爽やかな風。


 なんとなく屋上中央あたりまで歩いていって、両手を組んで手の平を天へと伸ばし、思いっきり背伸びしてぐいーっと全身の筋を引っ張る。パジャマの裾からはみ出たへその辺りを、ほわっと一際あたたかい風が吹き抜けた。


「ふぁああああぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁああぁぁ………………」


 起き抜けでうまく回らない頭と固くなっていた身体が、ようやっと営業準備を始める。


 俺は両足を肩幅に開いて上半身を軽く捻ってストレッチしながら、そのついでに背後の詩乃梨さんの様子を眺めてみた。


 扉の前に立つ詩乃梨さんは、いつものジャージ姿。なんだか『やれやれ、しょーがないなぁー』みたいな顔で俺を見て優しい溜息を吐き、それきりこちらに興味を失ってベンチへと座る。そして、膝の上に置いた厚みのある包みをほどいて弁当箱を二つ取り出した。ひとつは、俺の座るべき席へ置いて蓋を開け、もう一つは己のふとももの上でそのままぱかりと開封する。


 準備を終えた詩乃梨さんは、再びこちらへ視線を戻し。怪しい者を見るように、身を乗り出して目を眇めた。


「こたろー、そのポーズ気に入ったの? なんでそんな固まったまま?」


「いや、これ気持ちいいんすよ。起きた直後にぽかぽか陽気の中で爽やかな風に吹かれながらのストレッチ。最高っすね!」


「………………………………ふぅん?」


 詩乃梨さんはなんだか気のない様子で鼻を鳴らし、しばらく俺を眺めていた。しかしやがて何かを思い立って、己の弁当をベンチにことりと置いてから、ぴょこりと立ち上がってこちらへとことこ歩み寄ってくる。


 彼女の顔には、意地の悪そうなにやりとした笑み。


「こたろー、手伝ってあげよっか?」


「やだ。なんか今のしのりんちょっと怖い」


「まーまー、そんなこと言わずに、ね? ぜーったい気持ち良いから!」


「やだ、こわいもん。こっち来ないで。アタイを汚さないで!」


 俺はストレッチを中断し、自分の身体を抱き締めてじりじりと距離を取った。


 しかし、詩乃梨さんは両手をわきわきさせながらにじり寄ってくる。


「まーまー。ぜーったい、気持ち、いいから、ね? ほんと、ぜったいだってば。わたし、嘘つかない!」


「ぜってー嘘だ! でも、ちっ、そこまで言うなら、条件付きで許可してやろう」


「条件?」


 詩乃梨さんが不意に素面に戻って、こてんと首を傾げる。


 俺は、詩乃梨さんが軽く掲げていた両手に、自分の手をそっと絡めた。鏡写しの、ダブル恋人繋ぎである。


 困惑しながら顔を赤らめていく詩乃梨さんに、俺はにこりと微笑みかけた。


「俺だけじゃなくて、詩乃梨さんも一緒に気持ち良くなろう。初めての共同作業だね!」


「……一緒にストレッチしよう、ってこと?」


「おぅ、イェス!」


 手が塞がってるのでサムズアップはできないが、歯磨きを欠かせていない白い歯を輝かせることはできる。キラッ☆


 詩乃梨さんは思いっきりドン引きしたような様子で上半身を仰け反らせた。


「…………………………こたろー、うぜー……」


「うざいとか言わないでくださる!? これわたくしのキメ顔ですのよ!?」


「あっそ。いいからストレッチやるならやろうよ。お弁当蓋開けっ放しだから、早く戻りたい」


 うわぁ、すげーぞんざいな扱いですね、俺……。そんな真似してるとなー、俺も本気出しちゃうぞー?


 てなわけで。俺は左手だけ恋人繋ぎを解いて、仰け反ってる詩乃梨さんの背中へそっと回した。同時に、流れるような仕草で股間を彼女へぐいっと突き出す。


 別に唐突に発情期が到来したわけではない。俺は万年発情期だ。じゃなくて、今はとにかくそういう目的で詩乃梨さんに密着したわけではない。


 のだが、どうやら詩乃梨さんはそうとは受け取ってくれなかったらしい。彼女は自由になった右手をばたばた忙しなく振り回しながら、ぽんと赤くなったお顔も左右へきょろきょろ振り回した。


「な、なに、こ、こたっ、こ、こた、ここた、こたろっ!?」


「姫様。一曲、お相手願えませんか?」


「願えない! やだ!」


 ……………………………………。


「姫様。一曲、お相手願えませんか?」


「だからやだってば! や、やだから、離して! へんたい!」


 ……………………………………。


「踊らなくていいからとりあえずディープキスさせてくんない? 口の悪い子は、ちゃんと唇塞いでおかないとね! それが紳士の勤めというものです!」


「……………………………お、踊っちゃお、っかなー」


 チッ、べろちゅーのチャンス逃した!


 俺は詩乃梨さんの背中へ添えた手にぐっと力を込め、繋いだままだった手も軽く引っ張って、詩乃梨さんの軽い身体を己の胸の中へと抱き寄せた。


 俺の胸板にぶつかった詩乃梨さんは「へぷしっ」としょぼい悲鳴を漏らし、痛みだか恥ずかしさだかで潤んだ瞳で俺を睨み付けてきた。


「……こたろー」


「いやー俺ダンスなんてしたことないから力加減間違っちゃったわーあちゃーごめんねーしのりーん」


 そらっとぼけである。俺みたいな紳士を変態扱いした上にベロチューさせてくれなかった悪い子にはお仕置きが必要なのだ! 俺わるくないもーん!


 顔を思いっきり背けて雷龍の瞳をやり過ごし、とりあえずダンスなんてよくわからんのでひたすら詩乃梨さんと一緒にくるくる回り続ける。


 詩乃梨さんは盛大に溜息を吐いて、自由になっていた手を俺の背中に回して、パジャマをぎゅっと握りしめてきた。


「こたろう、これ酔うから。もうちょっとスピード落として」


「了解っす」


 要望に応じ、至極低速なゆるゆる回転へと移行。


 朝っぱらから、アパートの屋上で、抱き締め合って、ゆるりゆるりとダンスする、パジャマの男とジャージの少女。


 なんだこの絵面。果てしなく不可思議だぞ。いやアパートの屋上でひとつしかないベンチに隣り合って座って春夏秋冬無言のままひたすら弁当食い続ける男と少女ってのも随分おかしい絵面なのでもうなんつーか今更ですね!


 なんてことを考えながらゆるぅりゆるぅりと回り続けていたら、いつの間にかどちらともなく動きを止めていた。


「……こたろー。あったかいね」


「……うん。あったかいな」


 はにかんだ笑みを浮かべる彼女に、俺も似たような表情を返す。


 寒い日に寒いと言い合える関係もあたたかいけど、あたたかい日にあたたかいと言い合える関係も、それはそれで乙なもんだ。


 俺は詩乃梨さんの背中からそっと手を離し、繋いでいた手も解放した。


「弁当、食うか」


「そだねー」


 詩乃梨さんは自由になった手をお尻の辺りで組んで、くるりと身を翻してベンチの方へ歩いて行く。


 俺はそれを三歩後ろから追いかけながら、欠伸混じりに問いかけた。


「詩乃梨さん、今日時間あるー?」


「あるよー。なにー?」


「ちょっと、どっか出かけようかな、ってさ」


「どこー。喫茶店ー?」


「んー。あんまケーキ食ってると健康に悪そうだしなぁー。……とりあえず外出て、歩きながらてきとーに考えようか」


「わかったー」


 こちらを振り向きもせずに、気の抜けた声で、極々当たり前のように俺の提案を承諾する彼女。


 俺は少しだけ歩調を緩めて、ゆるやかな風が吹き抜ける淡い青空を振り仰ぐ。


 ……思えば、遠くへ来たもんだ、っと。


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